魔王は協定を結ぶ
ガリウスは今日、都市国家群の中心地グラムを訪れる。
フラッタスとグラウスタ、両都市と密な関係を築く一方で、他の都市国家とも小規模な交易準備を進めている。今回グラムにやってきたのは、都市国家群全体としての交易協定を結ぶためだ。
またガリウスはこのタイミングで、べつの重要な策を実行に移すつもりでいた。
街の外で箱馬車に乗せられた。街中を魔族や魔物が練り歩くのは遠慮願いたいとの思惑だろう。
馬車に揺られ、街に入った。
「あの、ガリウスさん。わたくしも一緒で、本当によろしいのでしょうか?」
隣で不安げに尋ねてきたのはククルだ。ちびスライムのピュウイをぎゅっと抱きしめている。
「俺だけだと人族対人族の構図に取られかねないからな。代表二人で赴くほどでもないし、かといって他種族だと人選が難しい。君が一番の適任だ」
亜人内での竜人族の地位は人族も知るところだ。ハーフであるのも融和や共生の象徴としてふさわしい。
幼い子を政治的パフォーマンスに使うのは心苦しいが。
「ピュウイさんにもお役目があるのですか?」
「いや、特にはないのだが、連れて行けとうるさくてね。まあ、場合によっては必要になるかと思ってね」
「よかったですね。ピュウイさんもお外に出られて嬉しそうです」
「ぴゅい♪」
やがて街の中心部に到着した。議事堂ではなく、迎賓館に案内される。
広い会議室に二人は通された。
待ち受けていたのは五人の議員だ。中央の大柄な男が両手を広げてガリウスたちを迎える。
「ようこそ、勇者ガリウス殿。私はデム・ラザック。グラム議会の議長を務めている」
ただし彼らの背後には、二十名の武装した兵士もいた。
武器の携行と魔物の同行を承諾させたのだから、こちらの一挙手一投足までぎらついた目で監視されるのも仕方がない。
百人単位を覚悟していたが、彼らは突出したギフトを持つ剛の者ばかりだろう。
「さっそくだがガリウス殿、協定書に署名をお願いできるかな?」
目の前にある分厚い冊子に目を通す。冊子は同じものがもうひとつ。そちらと見比べながらだ。
事務方が水面下で調整していたので、中身は事前に読んである。
が、やはり――。
(細々したところで、都市国家側が有利な条件に書き換えられているな。みみっちい連中だ)
しかしガリウスはあえて指摘しなかった。
多少の不利は覚悟のうえ。今回は既成事実を固めるのが大きな目的だ。致命的な不利益を被らないのであれば、見逃してよい。
「問題ない」
ガリウスは最初のページに戻り、二冊に同じ署名を書き加えた。
兵士が一人寄ってきて、二冊を手に取り、ラザックの下へ運んでいく。
手元に来る間に、ラザックがガリウスに話しかけてきた。
「過去に不幸な出来事はあったが、こうして平和的に話し合いができたのは喜ばしいことだ」
「ああ、感謝しているよ。当時は強硬手段に訴える以外になかったが、今後は何事かあってもまず話し合いができるルートが確立された」
「あのときは我らも意固地になっていたところがあるのでね」
ラザックはちらりと末席に目をやる。奴隷解放作戦当時、都市国家群側で全体指揮を執っていたザイール・オーギーが奥歯を噛みしめ、ガリウスを睨みつけていた。
対魔族強硬派の彼は、今やその発言力の多くを失っている。
「今後とも、貴方がたとは友好な関係を維持したいものだな」
そう語るラザックではあるが、彼が信頼できるかと言えばそうでもない。
時勢を読んでのし上がってきた、権力欲に溺れた男だとガリウスは睨んでいた。
二冊の協定書が目の前に置かれ、さっそくラザックはペンを握った。早く署名したくてうずうずしているようだ。
だが、そこで。
「お待ちください、ラザック殿!」
末席のザイール・オーギーが立ち上がって叫んだ。
「やはり私は反対です。魔族と手を組むなど、聖女様の耳にでも入ったらどうなるか……」
「今回の件と、統一国家うんぬんは別の話ですよ、オーギー殿」
「貴方も噂は聞いているはずです。魔族に情けをかけた者たちが、次々に粛清されていることを!」
会議室に緊張が走る。
ラザックも顔を強張らせたが、すぐさま肩の力を抜いた。
「あくまで噂でしょう? むしろ聖女たる清廉な乙女が、ただ魔族――ああ、失礼。亜人と呼ぶべきだったか。その亜人にかかわったというだけで、無慈悲な蛮行に走るとお思いか?」
ガリウスはちらりとククルが抱くスライムに目をやった。とある難民キャンプでの出来事を思い出す。
(あれを見せたら、確実に協定はご破算だな)
むろん、見せるつもりも言及することすら考えていない。
聖女の本性を知れば、彼らは亜人との協力を破棄するどころか、すぐさま敵対しかねなかった。
「しかし教典に記された〝絶対悪〟や〝神と人に仇なす存在〟は、魔族と解釈するのが当然です。そして絶対悪は滅ぼさなければならず――」
「すこしは落ち着いたらどうですかな。教典の解釈など、時代や読み解く者によって変わるものですよ」
人族で地位の高い者たちは、その宗教観が大きく二つ分かれる。
宗教はあくまで下々の者たちを動かす便利な道具であり、信仰心がほぼ皆無な者。
重責に耐えるため、安息を得るため、心の拠り所として信奉し、極めて高い信仰心を持つ者。
ラザックは典型的な前者であり、オーギーはどちらかといえば後者だ。
そして宗教を道具とみなす者は、曖昧な記述を都合よく解釈する。
とはいえ、オーギーに言いたい放題させていては、まとめたい話がまとまらない懸念がある。
「話の途中に失礼する。俺が言うのもなんだが、そも亜人にかかわるだけで粛清されるなら、かつて奴隷にし、その逃亡を許した貴方がたはすでに粛清対象になっているのでは?」
「貴様! よくもそのような口が利けたものですね」
「ただの所感だ。気を悪くしたなら謝ろう。結局のところ、決断はそちらに委ねている状態だ。俺としてはのんびり待つことにする」
ただし、とガリウスは冷徹に言う。
「俺には自国民の安全を守る義務がある。貴方のような考えがいまだ蔓延しているのなら、協定が結ばれていない状態ではこちらで作業している者たちが何をされるか不安だ。交渉を再開するまで、すべての人員を引き上げなければならないな」
「待ってくれ!」
ラザックが慌てて割りこむ。
「オーギー殿、この期に及んで見苦しいですぞ。すでに全都市の代表者会議で決定したではないですか。今彼らの協力を失っては、経済的損失は計り知れない。先の戦いで貴方は決断を誤った。また同じ過ちを繰り返すのですかな?」
「ぐ、ぅぅ……」
怒りに震えるオーギーはしかし、それ以上は声を上げなかった。
(どうにか黙らせることはできたな。しかも、この流れは悪くない)
この交渉では、新たな策に打って出るつもりでいた。実行するなら今だろう。
「失礼、すこし感情的になってしまった。だがたしかに、貴方がたが聖女を気にかけるのは当然だな。我々としても教国から敵視される状況は甚だ遺憾だ。そこで提案がある」
訝る様子のラザックや議員たちに、ガリウスは表情を緩めた。
「本協定の意味と意義を、聖女ティアリスに直接説明する、というのはどうだろう?」
聖女の動向を探っているうち、ガリウスはひとつの懸念を抱いた。
彼女の周囲は、彼女を政治的な問題から遠ざけようとの意図が感じられる。そのため彼女は都市国家群の情勢――リムルレスタとの接近にいまだ気づいていなかった。
また彼女は『人は善なるもの』『亜人は絶対悪』との思想に染まりきっている。そのため彼女は、亜人絡みの問題は必ず『魔の者が人を誑かす』と考えるのだ。
もし、都市国家群とリムルレスタの協定を彼女が知ったら。
『人が魔に騙され、誑かされている』と断じるのは間違いない。
最悪の場合、彼女はこう考えるだろう。
――魔に侵された都市国家群上層部から、罪なき住民を救済すべし。
そして迷惑なほど抜群の行動力で、実現の可否を考えるまでもなく軍を編成し、攻めてくる可能性すらあった。
今は大河の向こうからの軍を迎え撃てる段階ではない。
ラザックたちが手のひらを返す危険もあるが、住民が蜂起したら勝利は望めなかった。
(ひとまず最悪の可能性だけは、つぶしておかなくては)
その策が、説明役の派遣である。
都市国家上層部のみならず、全都市の住民が好意的にリムルレスタとの協力関係の構築を後押ししている。
誇張どころかまだ実現してもいないことを、ティアリスには思いこませる必要があった。
都市国家全体が亜人に友好的だと誤解してくれれば、彼女は腰を据えて戦争の準備をするはずだ。
一切を逃さぬ蹂躙に向けて――。
なるほど、とラザックは乗り気だが、隣に座る議員が難色を示す。
「しかし危険ではありませんかな? 本当に聖女が粛清を進めているなら、説明役は帰ってこられないように思いますが……」
「ふむ。ないとは言えないな」
ガリウスはやんわりと反応したが、聖女が説明役の首を刎ねるのは自明の理と言える。
「だが、相応の地位にいる者なら簡単に殺しはしないだろう」
「となると、議員の誰かか、貴方ということになるが?」
今度はラザックも難色を示す。明らかに自分や近しい者は嫌だと顔に書いてある。
「いや、他にふさわしい人物に心当たりがある」
説明役は、都市国家群とリムルレスタが一般レベルで友好関係を築いていると、嘘偽りを事実のように話さなければならない。議員では信用ならなかった。
ガリウスなら説明を終えて逃げおおせもできるが、まだ彼女と対峙する段階ではないと考えている。
聖女には、もっと人族に対して蛮行を働いてもらわなければならないのだ。
流されやすいタイプがいいだろう。
口車に乗せられる素直な性格も望ましい。
自分のことしか考えておらず、そのため信仰心も他者への関心も低ければなお良し。
加えて、聖女が一目置くほどの人物なら、話の途中で首を刎ねられることもない。
すべてにぴったり当てはまる人物の名を、ガリウスは告げた。
「エドガー国王が適任だ。この街に滞在しているのだろう?」
ラザックのみならず、後ろの兵士たちも目を見開いて驚く。
「王は魔の国を滅ぼした功績から、聖女はいたく尊敬しているそうだ。命の危険はないだろうし、こちらの誠意を示す意味でもうってつけだと思うがね」
「いや、しかしだな……。国王が受けてくださるとは思えない」
「説得は任せてくれ。王とは確執があると誤解されているが、俺は納得ずくで王子に勇者の功績を譲った。その後の不幸はあったがね。で、どうかな?」
ラザックに軽い調子で決断を迫ると、
「……いいだろう。任せよう」
彼は返事に合わせてペンを走らせた。
(ほう。そっちは先になると思ったのだがな)
意外にも不退転の決意で臨むらしい。
調印は、ここに成されたのだ――。




