魔王は聖女を観察する
ルビアレス教国の統一国家構想を打ち砕くため、ガリウスは人族社会の足並みを乱す作戦を考えた。
都市国家群をこちらに引きこみ、教国の出鼻を挫くつもりだ。
その一環として、ガリウスは聖女ティアリスの動向を探らせていた。
都にある自宅リビングで、ガリウスはローテーブルの上にある魔法具をじっと見つめている。
長方形の台座の上に、透明な球体が浮いていた。その周囲を帯状魔法陣がゆっくり回転している。
神殿の奥深くにある制御装置を、手のひらに乗せられるほど小さく模した魔法具だ。
しかし機能はただひとつ。
球体が光を放つ。帯状魔法陣が回転を強めた。ひときわ大きく輝いてから、ポン、と気の抜けた音と共に、
「ぴゅい♪」
小型スライムをさらに小さくした丸っこいスライムが飛び出した。
「ぴゅい!」「ぴゅいぴゅい」「ぴゅぴゅーい♪」
続けて二匹目、三匹目、さらにさらに飛び出して、計八匹のちびちびスライムたちがテーブルの上を跳ね踊る。
ぴょんぴょん楽しそうに跳ねていたスライムたちは、やがてぎゅっと身を寄せ合って――。
「ぴゅい~♪」
ひとつの小型スライム――元のサイズのピュウイになった。
「……君でも分裂しなければ転移できないとなると、やはり魔法具のサイズを大きくすべきだろうか?」
だが、作るために必要な素材は稀少なものばかりで、このサイズでギリギリ。
小さいながら重さもかなりのものなので、持ち運びを考えると今のサイズ以上にはしたくない事情もあった。
今は密偵スライムたちの情報を円滑に集めるための用途しかない。
それに特化したかたちでも十分だろう。
「では頼む」
ガリウスが言うと、ピュウイは床に飛び降りてカッと両目を大きく見開いた。その瞳から光が放たれ、壁面に映像が浮かび上がる。
イルア神殿のスライムたちが入手した情報は、映像や音声でも記録される。
そしてピュウイを通じてこのように、彼らが見てきたままを再び映し出すことができるのだ。
「さて、聖女とやらの正体を見せてもらおうか」
ガリウスはソファーに深く座り、じっと壁面を見つめた――。
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帝国が駐屯する王国南部の街、トゥルス。
城壁に囲まれた街の外には、いくつかの難民キャンプが点在していた。
帝国の侵攻で故郷から焼き出された者たちや、王都奪還後の国内の混乱で流れ着いた者たちが、五十人から二百人の集団を五つ形成している。
帝国駐屯部隊からの支援はなく、街へは日雇いの単純労働に従事する以外は立ち入りを許可されていなかった。
日々の生活は困窮し、かといって他に行く当ても体力もなく、草を食むような過酷な暮らしを余儀なくされている。
難民キャンプのひとつに、場違いなほど絢爛な箱馬車が訪れた。
三十名ほどの屈強な兵士たちに守られ、多くの荷馬車と作業員らしきを引き連れている。
事情を知らぬ難民たちは不安と恐怖、戸惑いで揺れていた。
ただ箱馬車や鎧に刻まれた紋章――幾重もの光輪の中心に歪な十字が刻まれたもの――から、彼らが何者であるかは明らかだった。
このキャンプを仕切る男に命じられ、老神父が代表して馬車の一団へと近寄っていく。
箱馬車が停車すると、兵士たち十人が左右に居並び、他は武器を構えて難民たちを威圧した。
「ルビアレス教国の、方でしょうか……?」
老神父は恐る恐る近くにいた兵士に尋ねる。
しかし兵士は一瞥すら寄越さず、代わりに箱馬車の扉が開いた。
老神父も、遠巻きに眺めていた難民たちも、息を呑んだ。
現れたのは、銀の鎧に身を包んだ美しい少女だった。
金色の長い髪が陽光を弾き、薄い微笑みに瞬きすら忘れるほど。
「わたくしはティアリス・ジュゼリと申します。代表者の方はどなたでしょうか?」
老神父はその名に戦慄を覚えた。
街から隔離された難民たちには、教国からの使節団がやってきた話は伝わっていない。どうして聖女が難民キャンプを訪れたのかまったく理由がわからなかった。
老神父はちらりと難民たちが固まるほうへ目を向けるも、この場を仕切る男は目配せするだけで、対応を一任するつもりらしい。
「いちおう、私が代表してこちらにおりますが……」
老神父が自己紹介をすると、ティアリスはにっこりと微笑んだ。
「本日は、皆様に父なる神よりお恵みを届けにまいりました」
ティアリスの声に、荷馬車にかけられた布が取り払われた。飲料水や食料、生活用品や毛布が山積みになっている。
歓声が沸き起こる。難民たちは我先にと荷馬車に殺到した。
ドゴォン、と。
大音響とともに大地が揺れる。
老いた巨躯の剣士が背の大剣を抜き、大地に打ち付けたのだ。切っ先が平らになった奇妙な漆黒の剣は、固い地面に大穴を穿つ。
難民たちはその場で立ち止まり、腰を抜かす者もいた。
ティアリスは微笑みを崩さず、涼やかな声を奏でる。
「こちらの物資はムスタイム将軍が神の御言葉を聞き、皆様へ給われたもの。慌てずとも、皆様に行き渡るだけの量はありますのでご安心ください」
呆気に取られていた老神父が慌てて駆け寄り、跪いた。
「し、失礼いたしました。みな日々の苦しい生活に疲弊しており、目の前にお恵みの品を見せられて舞い上がってしまったのです」
「ええ、理解しております。ですからお顔を上げてください。神の前では、みな平等であるのですから」
「おお……もったいないお言葉……」
「皆様はとても辛い経験をなされています。しかしそれは、神がお与えになった試練に他なりません。よくぞ信仰を絶やさず、耐えられました。ゆえにこそ、神はわたくしたちをここへ導いたのです」
目に涙を浮かべる老神父の手を取り、笑みを投げるティアリスはしかし――。
「ただ、物資を皆様にお配りする前に、やらなければならないことがあります」
変わらぬ柔らかな笑みでありながら、老神父は背に悪寒が走った。
「やらなければ、ならないこと……とは?」
震える声で尋ねると、冷徹なまでのひと言が返された。
「懺悔です」
「懺、悔……?」
「はい。こちらに住まわれている皆様は、ほとんどがメリルという村で暮らしていたと聞いています」
「たしかに、そうです……。しかし彼らは小さな村で穏やかに暮らしておりました。神に背く行為など、してはいないと思いますが……」
「神父は、村の方ですか?」
「い、いいえ。私はメリル村の隣町の教会におりました。村には教会がありませんでしたので、私がときどき訪れていまして。町の住民はほとんど帝国兵に殺され、私は交流のあるこちらに身を寄せました」
「なるほど。神父をはじめ、行き場のない町の方々を迎え入れてくださったのですね」
「はい。それほど、心優しい者たちであって……」
老神父の目が泳ぐ。
たしかに彼らは当初こそ温かく迎えてくれたが、辛い日々の暮らしの中で、村の外から来た者たちで鬱憤を晴らそうとすることが多々あった。
ただ現状を告白したところで、物資を受け取ってから今以上に迫害される危険があるのだから、語れるはずがない。
ところが、ティアリスが言及したのは、そういった現状を把握してのものではなかった。
「ああ、なんてことでしょう。心優しき方々であるがゆえ、魔の者に付け入られてしまったのですね」
「……は?」
ティアリスは呆気にとられる老神父から手を離した。
ぐるりと難民を見回して、言の葉に力を乗せ――。
「かつて貴方がたは、魔の血を受け継ぐ者を村に住まわせていましたね」
耳から入ったその声は、難民たちの一部を除き脳内で暴れ回った。
老神父はその『一部』に該当するため、わけがわからず首をひねる。しかし顔が青ざめる者たちを見て、ただごとでない事態に生唾を呑んだ。
「トゥルスの街でそのような告白を受けました。詳しくお話を聞いたところ、嘘偽りのない事実であると判断したのです」
ティアリスは一転して哀しみに瞳を揺らす。
「わたくしどもの力不足を痛感いたします。たとえ誑かされたにしましても、魔の血を受け継ぐ者と知りながら、共に生活するなどと……」
「ち、違う! 誤解だ!」
難民の中から声が飛んだ。このキャンプを取り仕切っている中年男性だ。
「あの野郎は子どもを連れて村に来た。当然、俺たちは受け入れなかった。だが村はずれに小屋を建てて、勝手に住み着いたんだ! もう死んでる。子どももいつの間にかいなくなってた!」
必死の叫びにも、ティアリスは無感情に告げる。
「なぜ、最初に殺さなかったのでしょう?」
「……ぇ?」
「告白された方のお話によりますと、貴方がたはその魔族を労働力として利用していたそうですが?」
「そ、れは……」
「『子どももいなくなっていた』……。つまり、野放しにしたのですね?」
「ぅ……。ぁ……」
「嘆かわしいことに、この地では魔の者を奴隷扱いする風習が存在するそうですね。ですがそれは短絡的に過ぎましょう。たとえ従順に振舞っていようとも、魔の血が流れている限り、それは偽りでしかありません」
滅しなければ必ず災禍の種となる。
ゆえに見つけ次第、魔族は駆逐すべし。
唯一神信仰の教義を説くティアリスに、その場にいた誰もが魅了されていた。
「では、懺悔を開始します。これよりわたくしは、父なる神の代行者。そのことを重々ご承知の上、嘘偽りなく告白してください」
笑みは完全に消えていた。
絶対者を代行すると宣言した彼女の美貌に翳りはなく、その瞳に一点の曇りもなく。
「逃がしたのは、誰ですか? 事情を知りながら黙した者も、同じく我が前に跪きなさい」
懺悔という名の審問が、始まった――。




