魔王は小さな幸せのために
予想外の光景に、ケラは目を見張った。
これまで防戦一方。苦し紛れの遠隔攻撃が精いっぱいだったガリウスが、蛇のように襲い来るユルトゥスの水霊人形の包囲から逃れたのだ。
彼の恩恵は【アイテム・マスター】。あらゆるアイテムを性能限界まで使いこなせるものだ。
が、複数を同時に、となれば話は簡単でなくなる。
長い年月をかけて、自らの恩恵の本質を理解し、たゆまぬ努力で鍛え上げてなお、容易ではないはず。
しかしガリウスはブーツの特殊効果に加え、すね当てなど部分的に装備しているフェニクスの鎧によって、自身の筋力を最大にまで上げてもいたのだ。
(……いや、それだけではない)
彼はときおり、苦し紛れの攻撃を仕掛けていた。シルフィード・ダガーで風刃を飛ばしていたのだ。
あれは、仕留めようとしたのではない。牽制でもなかった。
今、この瞬間に自身が風を纏い、スピードをアップさせるために握っていたのだ。
三つの異なるアイテムを、同時に、しかも性能限界まで引き上げて使用した。
しかも、である。
ガリウスはユルトゥスの防御をあっさり消し去り、その左腕を斬り飛ばした。
なぜ、頭から両断しなかったのか?
疑問の答えは、ユルトゥスの質問へ答えるかたちで寄越した。
――お前の恩恵が、俺の期待するものか確かめたかった。
彼は戦う前から、ユルトゥスの二つ目の恩恵に気づいていた。いくつか想定した中で、どれに該当するか。防戦一方だったのは、それを確認するためだったのだ。
恩恵に完全に身を委ね、心を閉ざすほど自らをアイテムと化す。
たとえ『マスター』を名に持つ破格の恩恵であっても、簡単にたどり着ける境地ではない。
まさしく恩恵の性能限界を超えた極致。
しかし、であれば、おかしい。だってあの男は――。
(虹色の目を、していない……)
すでに恩恵の極致に至りながら、まだ成長の余地を残しているというのか?
背にぞくぞくと心地よい怖気が走った。
(ああ、もったいない。実にもったいなかった)
先にユルトゥスという玩具を見つけてしまったがゆえに、マスタークラスの恩恵持ちの彼を後回しにしてしまった。
王家が囲っていたので諦めた面もあるが、ガリウスが幼いころから見続けていたら、どんなに楽しかっただろう。
だが、まだ間に合う。
彼が極致をも越え、虹色に至るまで。
(そのすべてを、我が記録しよう)
ケラの瞳が虹色を帯びる。
巨大樹と化したユルトゥスには興味の欠片も残さず、歩み出た。
「見事であったな。自らの恩恵に溺れた者では勝負にならなかったか」
声をかけてもガリウスは驚いた様子もなく、半身でケラに槍を突きつける。
「お前は何者だ? ずっと隠れて覗いていたようだが」
「ほう。気づいていたか」
「この部屋に入ったときからな。気配を消すでもなく、ユルトゥスに手を貸すでもなく、何がやりたかったんだ? お前は」
「ははっ。我に気配を消すなどできるものか。見てのとおり、か弱い女だ。魔法の心得は多少あるが、そなたらの戦いに割りこむ気にはならぬ」
ケラは両手を挙げ、敵意がないことを示した。
「さて、我が何者であるか。何がしたかったのか。先の質問二つに答えよう。我が名はケラ。〝世界を記録する者〟だ。恩恵は【レコード・マスター】。ざっくり言えば、見聞きしたものを完全に記憶できる程度の能力であるがな。ゆえに、そなたらの戦いを我は記録していたにすぎぬ」
「なんだそれは? 記録してどうする?」
「さてな。我はただ記録するのみ。それを如何に利用するかは、他の者が考えることだ。なにせ我には三百年の叡智が記録されておる。この戦艦を設計したのはロイだが、基本理念は我の記録から得たものだ」
ケラはにやりと笑う。
「そこでどうだろう? 我を――その叡智を有効活用してみては。ユルトゥスが敗れた今、我は誰にも所有されておらぬ」
「クズの仲間に興味はない」
「手厳しいな。が、我があやつの仲間とは大いなる誤解だと指摘しておこう。善悪は判断する者の主観に大きく左右されるものだが、客観的、一般的にみてあやつは悪人だ。我とて好きで利用されていたのではない」
「脅されていた、と?」
「待遇に不満はなかった。あやつはその辺り、よくはしてくれたよ。が、その非道ぶりは目に余った。こちらの諫言には耳も貸さぬしな」
ガリウスは槍を下ろさず、ケラの真意を探るように視線を突き刺してくる。
仕掛けるならここか。
ケラは一歩前に出て、槍の切っ先に豊満な胸を押しつけた。
「我を使え。勇者にして魔王なる者よ。そなたは同族に絶望し、亜人に癒しを求めた。我とて亜人のなんたるかは知っている。人の作りし偽りの姿ではなく、心根穏やかな本質をな」
虹色の瞳で見据え、畳みかける。
「同族で殺し合い、他種族を滅せんとする。そんな世界に救いはない。我が三百年を歩んで得た結論だ。亜人を束ね、聖武具に認められたそなたなら、世界を書き換えることもできよう。亜人を中心とした、優しく穏やかな世界に!」
ガリウスが槍を強く握ったのが、切っ先から伝わった。
ここぞとばかりに、ケラはすっと、片手を前に差し出す。
「さあ、我の手を取ってくれ。我が真に求める主になってほしい」
ガリウスは答えない。その代りに、槍が胸から離れ、先端を床に下ろした。
(ふむ。存外に扱いやすい男のようだ。まあ、心に傷を持つ者は、そこをくすぐってやれば楽ではあるがな)
表情にはおくびにも出さず、内心でほくそ笑んだ、次の瞬間――。
ずぶり。
ユルトゥスと同じ場所。右肩に黒槍が突き刺さった。
「なんのマネだっ!?」
「動くな。そのまま俺の質問に答えろ。正直にな」
ガリウスは冷ややかに言い放つ。
「飛空戦艦の魔法防御壁に穴を開けたのはお前だな?」
「……? 今さらであるな」
「答えろ」
「……そうだ」
「理由は?」
「……そなたなら、あやつを倒し得ると考えたからだ。むろん、〝記録〟も目的であったのは隠すまい。それが我の役目であるからな。しかしそなたに手を貸さなかったのは先にも述べた通り、我にはそなたらに比肩する力がなかったからで――」
「訊いてもないことをぺらぺらとよくしゃべるじゃないか」
「ッ!? くっ……」
ガリウスが槍をひねる。右肩から激痛が走った。
「つまりお前は、守りの要に穴を開け、ここで待ち伏せできるほどの行動に自由があったのだな。お前は王国侵攻に随行せず、本国で留守番していたのだろう? ユルトゥスに従うのが嫌なのだったら、どうしていつまでも逃げ出さなかった?」
「そ、それは……」
「三百年の叡智とやらで、逃げおおせることもできたろうな。それこそ、亜人の本質を知っていたならリムルレスタに来ることも」
言い訳が思い浮かばず、ケラは絶句する。
「大層な理想を語る奴は、たいてい自身の願望を隠して虚飾しているものだ。俺はな、ささやかな幸せを望む者たちこそが美しいと感じる。そのために自分ができることを、最大限努力して行う者たちがな」
ジズルは国造りという大目標を掲げているが、その根底にあるのは個々人の小さな幸せのためだ。
目の前で『世界』を語る女とは本質が大きく異なる。
「愚かな。世界の変革なくして個の幸せなど永劫あり得ぬ」
「そのために今の幸せをも破壊して何になる?」
「未来のためには今の痛みも必要だ。ゆえにこそ、過程においては変革の速度こそが最も重要となる。ユルトゥスは有能であったが、享楽に感けていたのが難点であった。その点、そなたは脇目も振らず迅速に事を運んでくれるだろう」
「なるほど、お前は俺に敵意もなければ悪意もないのだろう。だが俺たちリムルレスタの民にとっての害悪だ。人同士が殺し合おうが俺にはどうでもいい。だから忠告しておく」
ガリウスは手に力をこめ、さらに深く槍を突き刺す。
「俺たちにはもう関わるな」
「陸続きである以上、いずれ最果てにも人の悪意は及ぶ。今回のようにな」
「ならば今回同様、叩きつぶすまでだ」
「後悔するぞ」
ガリウスはにっと笑い、
「悪人の口上としては三流だな」
黒槍の特殊効果を発動した。
「ぐ、がぁぁああぁぁっ!」
傷口から細い幹が無数に生えて、やがてケラは枝葉のない樹木に埋まった。ユルトゥスほどではないにせよ、なかなかに大きな樹だ。
「三百年を生きたなら、そう簡単には殺せんのだろうな。方法が見つかるまで、せいぜい大人しくしていろ」
ガリウスは一瞥したのち、
「さて、無駄話をして時間を食ってしまった。申し訳ない」
黒槍をくるりと回し、元からあった樹木に槍の石突きを向けるのだった――。




