魔王は皇帝を処す
飛空戦艦の艦橋に、高笑いが響いた。
「あっはっは! 今思い出しても笑いが止まらないよ。逃げ惑う連中を上から見下ろすってのは爽快だよね」
一段高くなった椅子に座り、腹を抱えているのは帝国皇帝ユルトゥスだ。
操舵輪を握る者や魔法計器を注視する者など船員はどこか冷めた風に聞き流していた。
艦橋から眺める景色は壮大だ。
山岳地帯を越え、深い緑の森が広がっていた。彼方には天を衝くような大山脈が連なっている。
最果ての森に入り、ユルトゥスはこれ以上ないほど高揚していた。
「まったく……、我が休息を取っている隙に街をひとつ滅ぼすとはな。過ぎたことではあるが、本当に必要であったのか?」
ユルトゥスの横、低い位置に座るケラが呆れたように尋ねた。
「試し撃ちにはちょうどよかっただろう? 僕の力を都市国家群の連中にも示せたしね。なにより、僕が楽しむために必要だったのさ」
「人の業を煮詰めて凝り固めたような男だな、そなたは」
「だから僕にくっついてるんだろ? 今さら文句でもあるの?」
「まさか。そなたは自由であればこそ面白い。許せ。月に一度の休息後は感傷的になるのでな」
ふん、とユルトゥスが鼻を鳴らした直後。
ゴゥン、と重い音が響いた。船員の一人が告げる。
「左舷下方、地上から攻撃がありました。損耗なし。魔法防壁により弾き返しています」
「来たか。攻撃地点に一発ぶちこんでやれ」
ユルトゥスが楽しげに言うと、飛空戦艦の砲門が轟音を響かせた――。
「さすがに固いな」
ガリウスは巨大な飛行物体を見上げながらつぶやいた。
ユニコーン・フェンリルの角を加工した矢を一発、試しに撃ってみた。王都の城門を壁ごと粉砕する威力が、まるで通用しない。
船体に届く直前、巨大な魔法陣が現れて弾き返したのだ。攻撃に対して自動的に発動するものらしい。
すぐさま飛竜のクロに乗り離脱すると、先ほどまでいた場所が消し飛んだ。狙いも正確だ。数発で入り口の町程度なら壊滅するだろう。
ペネレイと合流し、空高く舞い上がる。彼女の飛竜はクロより一回り大きな個体だ。
船尾方向から回りこみ、上を取った。
しかし船から光の砲弾が放たれる。魔法防壁を素通りし、ガリウスたちに襲いかかった。
砲身の長い大砲のようなものから放たれている。
対空防御も備えているのは設計図から確認済み。
ガリウスは聖剣を抜き、旋回しながら飛びこむ機会を窺う。
『魔法殺し《マギ・キャンセラー》』の解放は間に合った。
しかし破格の性能を持つ反面、制限も多い。
魔法を無効化するには直接の接触が必要となる。肉薄して聖剣で突かなければ魔法防壁は砕けなかった。
また、使用には精神力(本来は魔力)をかなり消費する。一撃で穴を開け、再構築される前に侵入しなければならない。タイミングは重要だ。
ちなみに自身にかけられた魔法には効果が発揮できないため、聖武具の封印を解くのもできなかった。
「ん? あれは……」
対空防御の薄そうな場所を探して移動していると、こちらへ飛んでくる無数の影を見つけた。
「ガリウス殿、グリフォンです!」
五十を超えるグリフォンの群れが飛来し、飛空戦艦へ襲いかかった。翼をはためかせ、風の刃を生み出す。咆哮が空気の砲弾となって口から飛び出した。
一匹がガリウスの横に並ぶ。
「お前は……あのときのグリフォンか?」
メルドネに使役されていた個体だ。足首にほんのり枷の跡があった。
キュイ、と鳴いたグリフォンは、『そうだ』と言っているように思えた。
「船内に、お前たちの仲間がいるのだな」
「キュィ!」
「そうか。安心してくれ。彼らを救い出すのも目的のひとつだ」
ガリウスが微笑みとともに告げると、大きな鳴き声をひとつ上げ、グリフォンは戦艦に向かっていった。
グリフォンたちのおかげで、戦艦からの攻撃が分散する。
ガリウスは今がチャンスとばかりに特攻をしかけようとして、目を見張った。
グリフォンが放った空気の砲弾が、甲板にぶち当たったのだ。さらにもう一発。魔法防壁が反応せず、魔法砲のひとつを粉砕した。
(隙間が、空いているのか……? 設計ミスか、それとも――)
罠の可能性は十分にある。だが労せずして侵入できるのなら、たとえ罠でもメリットは大きい。精神力の消費も抑えられ、なにより手の内をこの段階で晒さなくて済むのだ。
「ペネレイ、ついてこい!」
ガリウスはすぐさま決断し、魔法防壁の隙間をかいくぐった。ペネレイの後ろから、グリフォンも数体が後に続く。
まずは第一段階をクリア。
ガリウスは、飛空戦艦の甲板に降り立つことに成功した――。
艦橋に焦りの叫びが上がる。
「敵が魔法防壁内部へ侵入しました! 飛竜とその操縦者が二。他、グリフォンが七」
「なんだと? どういうことだ!」
「魔法防壁が一部反応しておらず……いえ、これは……範囲変数に誤りがありました。ですが、どうして?」
計器をチェックしていた船員が首をひねる。
「理由を探るのは後回しだ。すぐに変数を入力し直して穴をふさげ!」
「は、はい!」
ユルトゥスは椅子に深く腰掛け、爪を噛んだ。
まさかこうも簡単に侵入を許すとは誤算だった。船内にも魔法的な防御は施してあるが、中で暴れられると厄介だ。こんな辺境で戦艦を堕とされたら面倒この上ない。
「兵士どもは応戦に向かってるよね? 連中は甲板に引き付けておいてよ。僕も行く。あいつはこの手で処分してやる」
ユルトゥスが腰を上げると、
「敵のひとつが甲板を破壊し、船内に潜入しました!」
「兵士どもは何をやってるんだよ! 誰だ? 誰が入った?」
「男です。飛竜から降りて――」
「ガリウスぅ! もういい! 僕が仕留める。兵士たちには奴を足止めするよう言っておけ!」
中に入ったなら、艦橋か動力室へ向かうはずだ。
こちらへ来るなら途中で鉢合わせする。動力室なら遅れてしまうが、そう簡単に破壊されるものでもない。急げば間に合う。
「そうだ、ケラ。お前は先に――」
動力室へ向かわせようとしたものの、彼女の姿はすでになかった。
(まさか、あいつが変数を書き換えたのか……? いや、今さら裏切るなんてことは……)
あるかもしれない。ならば勇者ともども始末するだけだ。
ユルトゥスは苛立たしく立ち上がると、艦橋を飛び出した――。
飛空戦艦の内部構造は、ロイの設計図通りだった。
頭に図面を叩きこんでいたガリウスは、立ちはだかる兵士たちを薙ぎ払い、迷うことなく動力室へたどり着く。ドアを風刃で細切れにして中に入った。
広い部屋だ。
天井は十メートルほど。床は直径三十メートルの円形で、部屋自体は半球体に近い。
細い幹が寄り集まった、枝葉のない樹木がいくつも並んでいた。ひと際大きな樹の真上に、赤い球体が天井に貼りついている。動力装置はアレのようだ。
ガリウスは警戒しながら大樹に歩み寄っていく。
と、背後から滑るような音と気配を感じ、振り向いた。
「舐めたマネをしてくれたじゃないか。もうお前、消えろよ」
帝国皇帝ユルトゥスが左目の眼帯を外し、赤と金の瞳で、ガリウスを睨みつけた――。
以前は面白がって見逃したが、今回は逃がさない。
地べたを這いつくばって絶望する様が眺めたかったのに、向こうからわざわざ殺されに来た男に、もはや興味はなかった。
冷めた目で、冷静にユルトゥスは男を観察する。
男が手にしているのは聖剣だ。しかし聖鎧は身に着けていない。封印を解いたのではなく、単純に切れ味と硬度で選んだのだろう。腰には短剣が二振りあるから、むしろ注意すべきはそちらだ。
ずんぐりした体が背負っている黒い槍は、魔樹の呪槍。こちらにも、持参した相応の理由があるのだろう。
「また見ず知らずの連中を救いにきたのかい?」
男は答えない。だが心の声は肯定していた。
「残念だったね。そいつらは人でも魔族でもない。魔物だよ」
意外にも、そうと知りながら真っ先にこの動力室へ来たようだ。
「僕とも戦うつもりだったんだろう? てことは、何か秘策があるんだよね?」
男は手にした聖剣を構えた。
「ッ!?」
予想外の事態に、ユルトゥスは狼狽える。
(心が、閉じた?)
彼の声が聞こえない。頭に思い描くイメージも見えなかった。
そして次の瞬間――。
キィィン、と。一足飛びに肉薄した男が、聖剣で斬りつけてきた。
斬撃は透明な球体に弾かれる。
水霊人形。水を自在に操る魔法だ。防御では自動で発動し、術者を守る鉄壁の盾となる。
(僕の金色眼は、そこらの恩恵とは比較にならないほど強いぞ)
驚きはしたが、慌てなかった。
体内魔力を爆発的に増幅する【マギ・ブースト】は、貫通力に弱い水の球体であっても瞬間的に堅牢な硬さを生み出せるのだ。
加えて防御用に具現化した水の壁を、すぐさま攻撃に転用できる。
ユルトゥスは左手を前に出す。左目が輝きを増すと、自身を守っていた球体が崩れ、男に襲いかかった。まるで無数の蛇が水の中から現れたように、左右、足元、頭上に迫る。
男は床を蹴り、大きく飛び退いた。それを水蛇が執拗に追いかける。
聖剣で斬りつけるも、消滅には及ばず。
男は無数の水蛇に翻弄されるように、ただ防御に徹していた。
「あはははっ! 踊れ踊れ。無様にね。でもいつまで持つかなあ? すくなくとも、僕の魔力が尽きるまでは無理だろうね」
左手を前にして、ユルトゥスは嗤う。
大魔法で消し飛ばすのは面白くない。船内ではそもそも使いたくなかった。
男が避けながら腰の短剣を抜いた。風刃が迫るも、水の球体が軽く弾く。
攻撃に転じた一瞬の隙が生まれ、男の頬に水蛇の牙が掠った。赤い線が生まれる。
「残念だったね。君に勝機はない。ああ、でも安心してよ。すぐには殺さないであげるから。ゆっくり、死なない程度に切り刻んでやるよ」
所詮はアイテム頼りの恩恵でしかない。聖武具が使えなければこの程度だ。
相変わらず心が読めないのは不思議だったが、ユルトゥスは勝利を確信し、ただ遊びに没頭した――。
愚かな、と。
樹木の陰から二人の戦いを見る者がつぶやいた。
(ユルトゥスめ、【アイテム・マスター】の本質をまるで理解しておらぬな)
今、彼の右目は役立たずになっているはずだ。
ガリウスはアイテムに身を委ね、自身をアイテムそのものとしている。ユルトゥスは人と同等の思考をするものに対してしか心を読めない。獣や草木、物には効果がないのだ。
ここまではガリウスの思惑通りだろう。
船内に入った時点で、ユルトゥスは全力が出せなくなった。事実、大魔法を使えば船を壊しかねない。
しかも、あの聖剣。
封印の解除は完全に行えなかったようだが、持ってきたこと自体には意味がある。堅牢な魔法防壁を突破する切り札であったに違いない。
つまり、部分的には封印解除が成功し、マギ・キャンセラーの特殊効果が使える状態になったのだ。
(しかし解せぬな。であれば、それを使ってユルトゥスの防御を突破できるであろうに)
とはいえ、ウォーター・パペットは実に厄介な魔法だ。水は切っても形を変えて襲ってくる。消し飛ばしてもどこからか現れ、むしろ予測不能な場所から攻撃してくるのだ。
【マギ・ブースト】を持つユルトゥスならなおさら、攻防に隙がない。
(さしもの勇者も限界か)
どうやら持ち合わせの武具では、攻撃をしのぐだけで精いっぱいのようだ。
せめて聖剣の攻撃系特殊効果が使えて、樹木化した魔物たちを見捨てる冷徹さがあれば。
勝機はあったかもしれない。
さすがにこれ以上の干渉はできない。対決を実現するために魔法防壁に穴を開けたが、それまでだ。
あとはユルトゥスが勇者を倒し、覇王道を邁進する様を眺めるだけ。
いささか拍子抜けで乾いた笑いを漏らした、そのとき――。
「なるほど。そういうことか」
小さなつぶやきがケラと、ユルトゥスの耳にも届いた。
この期に及んで何を意味不明なことを? とユルトゥスが眉をひそめる。
次の瞬間、ガリウスが消えた。
いや、ものすごい速度で水蛇たちの包囲から抜け、ユルトゥスの左側面に回りこんだのだ。
ようやく視界に捉えたときには、ガリウスはすぐそばまで肉薄していた。
だが、慌てることはない。
こちらには鉄壁の守りが――。
音はなかった。
聖剣の刀身が水の球体に触れた瞬間、鉄壁の防御はかき消えてしまった。
刃の勢いは衰えることなく。
ヒュン、と。
今度もまた風を切る音だけ残して、
「ぎゃあああぁぁあああぁぁあっ!」
ユルトゥスの左腕を切断した。
「ぐ、がぁぁ……。なんで、どうして、こんなぁ……」
跪き、傷口を押さえるも、治癒魔法は使えない。腕輪を嵌めた左腕がないため、魔法を使えば魔力暴走を起こしてしまうからだ。
「聖剣にはあらゆる魔法を打ち消す特殊効果、マギ・キャンセラーがある。ロイの封印は完全には解けていないが、部分的に解除できていたんだよ。しかし、やはりこれは精神力の消費が半端ないな。戦闘中に使えるのは一度が限界だ」
ガリウスは腰のポーチから小瓶を取り出し、飲み干した。次に切断された左腕を拾い上げ、いつの間にか現れた腕輪を外して眺める。
精神力と体力が回復し、万全の状態に戻ったとユルトゥスは読み取った。
(ここ、までか……)
もっと愉しみたかった。力無き者を蹂躙していたかった。
けれど、人はいつか死ぬもの。
自分はただ停止するだけで、なんの感慨もない。
それでも――。
「僕にとどめをささなかったこと、後悔するがいい!」
魔力が暴走して死ぬことになろうとも、大魔法を行使して船ごと道連れにしてやる! 魔力を高めようとしたユルトゥスはしかし、
「後悔? 俺は初めから、お前を殺すつもりはなかったぞ?」
「…………ぇ?」
ガリウスの言葉の意図がつかめず、きょとんとする。
「やろうと思えば、最初の攻撃でマギ・キャンセラーを発動してお前を両断していた。今だってそうだ。が、どうにも気になってね。お前の恩恵が、俺の期待するものか確かめたかった」
ガリウスは腕輪を掲げてみせる。
「魔力の暴走を防ぐ機能か。お前、【マギ・ブースト】の所有者だな」
放心し、やがてユルトゥスはカタカタと震えた。
「可能性のひとつとして予測はしていたが……。うん、実に好都合だ」
ガリウスは腕輪を放り投げた。
にぃっと笑った彼の、真意を知る。
「お前……お前ぇ!」
「その寿命が尽きるまで、自らの罪を贖うがいい」
背に負った漆黒の槍を抜き、ユルトゥスの右肩に突き刺した。
「ぐが、ぅ、うわぁああぁぁああぁ!」
傷口から細い幹が無数に生えてくる。
「た、たすけ、たずげでぇ……」
いくつもの幹は寄り集まり、やがてユルトゥスの体を完全に覆い尽くした。それでもまだ成長は収まらず、特大で歪な樹木となった。
「ふむ。【マギ・ブースト】を持つならあるいはと思ったが、想像以上だ。この戦艦を乗っ取ったら、燃料として有効に使ってやる」
ガリウスは冷ややかに言うと、切断された左腕を樹木に投げつける。
細い幹が一本伸びてきてそれに巻きつくと、ずるずると中へ引きずりこんでいった――。




