勇者は魔王になる
「なんだって!?」
ユルトゥスは椅子から立ち上がって叫んだ。手にしたグラスから葡萄酒が飛び出し、服を汚す。
城塞都市グラムの議事堂近く。
宿泊場所でくつろいでいたところ、ロイの使い魔が現れた。最果ての森へ派遣したのとは別の使い魔を急遽用意し、王都から報告に飛んできたのだ。
第一声は、メルドネの敗北を伝えるもの。
彼女はガリウスに槍を奪われ、樹木化してしまったのだ。
「あの役立たずめ! なんのために最高級の装備を与えたと思ってるんだ! くそっ!」
ユルトゥスはグラスを床に投げつけた。粉々に砕け、絨毯に赤いシミが広がる。
「それで? そのあとはどうなったのさ」
『私の使い魔も倒されてしまったため、その後の状況は不明です。メルドネの安否も確認できません』
「バカ女がどうなろうと知ったことか。本国に代わりはいくらでもいるからね。問題は槍と鎧、そして情報だ」
『……槍はもちろんですが、鎧も敵の手に渡ったと考えるべきでしょう。また彼女の性格からして、知っていることは洗いざらいしゃべったでしょうね』
「ちっ、僕や君の恩恵も知られちゃったか。あーもう! 腹立つなあ!」
ユルトゥスはテーブルを蹴り飛ばす。
『彼女が知っている範囲ならさほど問題はないでしょう。それよりも、オーガ族の現状を知られたとすれば、ペネレイに伝わるのを避けなければなりません』
「怒るだろうなあ。で、僕たちを裏切るのは目に見えてるねえ」
『ガリウスのこれまでの行動を考えれば、救出に向かう可能性も否定できません。そのためにペネレイを引きこもうとするでしょう』
「救出ねえ……。そこまでやるかなあ? 元に戻したところで、生きてるってだけの状態だぞ、たぶん。しかも南方諸国は遠い。ほら、メルドネは知らなかったはずだよね? 彼らを王都に運びこんだことはさ」
王都占領後、樹木化したオーガ族たちは秘密裏に移動させていた。
離宮は今、ロイのための魔力供給システムが構築されている。オーガ族たちと、捕らえた王国兵や一般市民、さらにゾルトの件で消息を絶った帝国兵もだ。
「接触される前に始末しておくのもいいけど、ペネレイは王都に戻しておくか。まだ使い道はあるし」
ユルトゥスはドカッと椅子に腰かけ、ため息を吐きだす。
「にしても、聞いてた話と違うぞ。元勇者は大したアイテムがなければそれほど強くないんだろう? よほど強力な武器を持ってたのか?」
『いえ、装備はシルフィード・ダガーだけだったと思われます。それでも一級品ではありますが。私の使い魔が到着したときには、メルドネは恩恵を使ってガリウスの動きを封じていました。しかしあらかじめ飛ばしておいた風刃で両目を切り裂き、形勢は逆転しました』
「まんまと相手の術中に嵌まったってわけか。ほんとマヌケだなあ」
メルドネの不甲斐なさにも怒りが治まらないが、ほんの遊びのつもりで顔に泥を塗られては黙っていられない。
「本国の連中を呼び寄せてよ。都市国家の奴らをけしかけて、魔族どもを蹂躙し尽くしてやる」
『しかし、まだ南方諸国は安定していません。彼らが不在になれば、内乱が起こる可能性もありますが……』
「あっちは捨てちゃっても困らないよ。王国はほぼ手に入れてるんだしね」
『その王国で足場を固める意味でも、無理な遠征は控えたほうがよろしいのでは?』
「舐められっぱなしだと悔しいじゃないか。本国の連中は王国東領のガルブルグへ向かわせてくれ。僕はこっちで都市国家の奴らを焚きつけておく。奴隷を奪われたばかりだから、最果ての森で魔族が国を作ったとか言えば青ざめるぞ、きっと」
ユルトゥスは気持ちを切り替え、ケタケタと笑った。
『王都の守備は現状維持でしょうか? 兵を東に集めたとなると、近場の諸侯が手のひらを返して王都を奪い返そうとする可能性も否定できません。それに――』
ロイは重く言葉を吐きだした。
『ガリウスが王都を強襲する危険もあります』
「はあ? なんでいきなり王都を襲うんだ?」
『彼にしてみれば、聖武具の回収は最優先事項でしょう。メルドネから我らが手を出せない状況が伝わっていれば、行動を起こそうとするかもしれません』
「いや、さすがに心配しすぎだよ。王都と最果ての森までどれだけ距離があると思ってるんだ? ちょっかい出されたばかりのタイミングで、自国を不在にするとは思えないけどね。手が出せないのは向こうも同じ。僕が彼の立場なら、聖武具が敵に使われないからむしろ安心して、のんびり構えておくけどね」
『たしかに、そうですが……』
「君にしては珍しく弱気だね。ま、ペネレイはそっちに向かわせるんだ。周辺の貴族連中が何か不穏な動きをみせたら、彼女に対処させればいい」
『……承知しました』
「さて、それじゃあどのタイミングで魔族国家の話をここの連中にしようかなあ? びっくりするだろうなあ」
ウキウキするユルトゥスだったが、彼がもったいぶっていたその二日後。
当のリムルレスタから、国家樹立の宣言が都市国家群に送られてきたのだった――。
ガリウスはメルドネとの戦いのあと、すぐさま都に戻り大きな決意をもってジズルと面会した。
得た情報を共有してから、決意を口にする。
リムルレスタの代表に就く――責任ある立場で人族国家に立ち向かうと告げたのだ。
「おおっ! 受けてくれるか!」
「ああ。といっても対外的なアピールの意味合いが強い。俺は政治の素人だ。特に内政面は今の体制を維持してほしい」
「? いやまあ、政治うんぬんは儂を含めて議会連中で今まで通り回せばよい。が、対外アピールとはなんじゃ?」
「ユルトゥスにリムルレスタの存在が知られた以上、隠れ住むのは不可能になった。だから国家樹立を宣言し、こちらのスタンスを明確にする。そのうえで亜人の国の代表が人族だと言えれば、よい牽制になる」
ジズルは目をぱちくりさせる。驚いているようだ。
「残念ながら、人族の亜人に対する嫌悪の感情はすぐに拭えない。彼らは見た目が違うという一点をもって、相容れないと断じてしまうからな。アレはもう呪いだよ。その固定観念を打破するには、常識外の現実を見せてやるのが効果的だ。『魔族の王――魔王に人族がなった』とね」
「都合の良い解釈をしそうではあるがなあ」
「操られている、などか。まあ、それはそれで構わない。そのうち嫌でも思い知ることになるからな。魔王は人族で、人族を食らい尽くす、と」
「……ずいぶんと過激なことを考えるのじゃな。らしくない、とは言わんが」
「最終目標が融和であることは俺も同意する。が、初っ端はどうしても敵対から入らざるを得ない。であればトップレベルで『人対人』の構図は必要だと思う。連中の足並みを乱す意味でもね」
「ふむ。たしかに一致団結して攻めてこられたらひとたまりもないからのう。しかし、それだけでは弱いのではないか?」
「むろんだ。あくまで全体的な構図の話だからな。人族側の分断は個別に図る。当初の目標は、都市国家群と帝国の間を割き、ついでに王国の地方貴族たちは帝国への不信感を強くさせる」
「都市国家群と帝国は今、エドガー国王を介して何やら交渉しておるそうじゃが、それを邪魔するのかのう?」
「交渉のテーブルに割って入るのは無理だ。しかし俺たちのスタンスを明確にし、力を示し、さらには帝国の非道ぶりを知らしめることで、『もっとも敵視すべきは帝国だ』と思わせる方法がある。そしてそれは、いまだ苦しんでいる同胞を救うことにつながる」
「すまぬ、儂にはさっぱりじゃ。それはいったい……」
ガリウスはきっぱりと言いきった。
「王都を強襲する」
ジズルは背筋がぞくぞくと震えた。
あまりに唐突、荒唐無稽――とは思わない。ガリウスは常に、勝利へ向けた最善策を打ち出してきたからだ。
「救い出す同胞とは、ゾルトのことじゃな?」
「石化したゾルトはもちろんだが、あそこにはペネレイの仲間たちがいるはずだ」
「呪いの槍で樹木にされた者たちか。しかし、彼らがどうして王都にいると?」
「魔樹の呪槍で樹木化された者たちは、魔力の供給装置として使われる。山奥の集落に放置する理由がない。そして王都には大量の魔力をその身に溜められる魔法使いがいる。間違いない」
それに、とガリウスは続ける。
「仮に彼らがいなくとも、樹木化された誰かは大勢いるはずだ。人族の誰かがね。彼らを救い出し、皇帝の非道を喧伝する役に立ってもらう」
「なんとまあ……とんでもないことを考えよるわい」
「力を示すとは言ったが、あくまで『同胞のために無茶をする集団』と印象付け、逆鱗に触れなければ無害だとの印象操作は同時に行う必要がある」
「ふむ。情報発信はいろいろ考えねばならんのう。で、ガリウスよ。儂は作戦自体にいくつか難題が頭に浮かんだのじゃが、その解決策もお前さんは思いついとるのじゃろうなあ」
「たしかに懸念は多々ある。準備は入念に、それでいて迅速が求められるしな。だが必ず成功させるさ」
決意をこめて断言すると、ジズルはにっこりと笑って言った。
「頼もしいのう。じゃが、無理はしてくれるなよ? 何かあれば――いや、何もなくとも、頼ってほしいものじゃな」
「ああ。頼りにしている」
がっしりと握手を交わし、国家樹立宣言に向けての詳細を詰めていく。
ふいに、ジズルがつぶやいた。
「なあ、ガリウスよ。お前さんはべつに、魔王なんぞにならんでいいんじゃぞ?」
「向こうから見ればそうだ、というだけだよ。俺は俺、変わりはしない」
「ん、ならばよい」
話が終わったころには、東の大山脈から陽が昇り始めていた――。
休んで行けとジズルには言われたが、ガリウスはクロに乗ってボルダルの町に戻ってきた。
自宅の小屋からは炊煙が上がっている。
ドアを開けると、
「おかえりなさい♪」
満面の笑みでリリアネアに迎えられ、しばし放心する。
「どうしたの?」
「ああ、いや。すまない。けっきょく朝になってしまった」
「連絡してくれたじゃない。便利よね、通信魔法具って」
リリアネアは上機嫌で朝食の準備を進めている。
ガリウスは眠気もあり、テーブルで静かに待っていた。
(誰かが待っていてくれるというのは、いいものだな……)
ぞわりと。
思った瞬間、得も言われぬ恐怖に襲われた。
これは、自分が望んでいた生活だ。
ようやく手に入れた幸せだ。
しかしガリウスは今、その幸せな生活を手放そうとしていた。
(俺は、俺……か。はたして、俺は俺のままでいられるのだろうか?)
王都への強襲作戦では、また多くの血でこの手が染まるだろう。
作戦が成功したあとも、人族と対立する限り自分は殺戮を繰り返すのだ。
勇者時代もそうだった。
けれどあのころは、ただ命令に従っていただけ。国王や王国そのものに、責任をなすりつけられたのだ。
これより先は、自らの決断で責任を負い、多くの人を殺めていく。
それに戦争は自分一人でやるものではない。多くの亜人たちが、仲間たちが、自分の命令で死んでいく。
耐えられない。きっと心が壊れてしまう。
ただ殺戮するためだけの道具に、自身を変えなければ。
そう覚悟して、〝魔王〟になると決めた。
穏やかで幸せな生活を手放してでも、自分を受け入れてくれたみんなに報いたかった。
なのに――。
(嫌だ。手放したくない。手放すのは、怖いよ……)
自分勝手だと思う。けっきょく自分は、卑しい人族なのだと痛感した。
ふわりと、甘い匂いが鼻腔をかすめた。ガリウスの背後から、リリアネアがそっと抱きしめてくる。
「なんか、辛そうな顔してる」
「……」
「いろいろ溜めこまないでさ、何かあれば――ううん、何もなくても、頼ってほしいな」
「ぁ……」
「いやまあ、あたしじゃ大して役には立たないけど、話を聞くくらいはできるっていうか。話せばほら、すこしはすっきりするじゃない? たぶん」
話す……話す? 何を?
「俺は……」
「うん」
「俺は、魔王になろうとしている……」
これだけでは訳がわからないだろう。しかし何をどう言えばいいか、ガリウスにはわからなかった。
それでもリリアネアは、きゅっと抱く腕に力をこめて。
「そっか。ならあたしは、魔王のお嫁さんだ」
稲妻が体内を駆け抜けるような衝撃が、ガリウスを襲った。
「いいじゃない。優しい魔王様がいたってさ。誰がなんて呼ぼうが、ガリウスはガリウスだもん」
「俺は、俺……」
「そうそう。ちょっと怖いときもたまにあるけど、真面目で、優しくて、みんなが大好きなガリウスだよ」
ガリウスは震える手で、自身に絡む彼女の腕を解いた。
「ありがとう……」
立ち上がり、ぎゅっと抱きつく。
「お、おう……ってなに!?」
そのまま抱えて歩くと、リリアネアをベッドに横たえた。覆いかぶさるようにして、じっと目を見る。
「え、えっとその………………するの?」
「ダメか?」
「いえそのダメと言いますか、あたしまだ慣れていなくて、ですね……」
「俺は最近、コツをつかんできた」
「ああ、うん。なんかそんな気はしてた……じゃなく! ガリウス疲れてるんじゃないの? 寝てなさそうだし」
「さっきまでは眠かったが、今は元気になった」
「どこが!? でもなく! 朝っぱらだし、朝食まだだし!」
「すまない。もう我慢ができない」
ガリウスが顔を近づける。
「へぅぅ……ど、どうぞぉ……」
リリアネアは観念したようで、ぎゅっと目をつむって――。
がちゃり。
「やっほー。ガリウス帰ってきた――――の?」
扉が開き、リッピが二人を見て、固まった。
「ぁ……」
「ぁ……」
二人もベッドの上で固まる。
そんな彼らをリッピはじぃっと見つめてから。
「お邪魔しましたー。がんばってね」
「ちょ、違っ――違わないけど待ちなさい! 朝ごはん食べていきなさいよせっかくだから!」
白肌を真っ赤に染め、ガリウスの下で大声を上げるリリアネアと、
「えー? それは野暮ってもんでしょー。ガリウスだって治まりつかないだろうしー」
にやにやとからかうリッピを見て、
「ぷ、ふふ、ふはははははっ!」
ガリウスは笑った。腹の底から笑った。
ああ、そうだ。
たとえ戦場で心が摩耗し、闇に染まってしまっても――。
(俺には、帰る場所がある)
そこに大切な人たちや、愛する人が笑顔で待っていてくれるなら。
――きっと耐えられる。俺は、俺であり続けることができる。
いつか穏やかな暮らしができる、その日まで。
「ど、どうしたのよ?」
「ごめん、邪魔して怒っちゃった?」
きょとんとする二人をよそに、ガリウスは笑い続け、いつしか疲れて眠ってしまった。
この日、最果ての地で一人の〝魔王〟が誕生した。
亜人たちから〝魔〟の偏見を拭い去り、人と亜種の壁を打ち砕くべく奔走する、恐ろしくも心優しき〝魔王〟が――。




