勇者は正体を知られる
「へえ、これはなかなかの座り心地だねえ。ふわっふわだ」
数段高い位置に置かれた玉座に腰かけ、へらへらとする優男。
三十路手前の彼は絢爛な衣装とマントを身に着けていても、垢抜けた印象は薄い。彫の深い整った顔立ちながら、覇気は皆無と言ってよかった。ただ、左目を隠す黒い眼帯と、赤く染まった右の瞳が妖しさを醸している。
バランハルト帝国初代皇帝、ユルトゥス・バランハルトである。
南方の小国グリザタリア公国のスラム街出身で、孤児だった彼は身ひとつでここまでのし上がってきた。
「陛下ぁ、よくお似合いですよぉ。さすが皇帝! って感じ?」
赤い鎧のメルドネは甘えた声を出す。
「そう? 嬉しいなあ。特にメルドネに褒められるとね」
そんなぁ、と彼女が一人で照れまくる中、落ち着きのある声が響いた。
「陛下、お持ちいたしました」
台車を押す兵士たちに並び、長身痩躯でローブ姿の青年が歩み寄る。長い髪は色素が抜け落ち真っ白で、頬がこけ、どこか病弱にも感じられた。
「おっ? 来たね。それが聖武具エルザナード?」
台車には黄金に輝く剣と全身鎧が載せられていた。
ユルトゥスは子どものように無邪気に玉座から離れ、聖武具へ駆け寄る。片目でじろじろ眺めてから、剣の柄を無造作につかんだ。
「ん? と、……ぬぬぬっ」
持ち上げようとしたが、ほんの数ミリすら浮き上がらない。もう一方の手を鞘にかけ、中腰になって力をこめるも、やはりびくともしなかった。
「なにこれ、めちゃくちゃ重いんだけど!?」
「どうやら手にかけた時点で『扱いを阻害する』特殊効果が発動するようです。こうして台車なりに載せて運べば見た目どおりの重さですが、直接手で持ち上げようとすれば、我が兵の力自慢でも無理でした」
青年は冷静に解説する。
「ふうん、聖武具に認められなきゃダメってことかな?」
「そのようです」
「陛下ぁ、アタシもやってみていいですか?」
ユルトゥスがうなずくと、メルドネが聖剣を手にした。が、いくら力をこめても持ち上がらない。
「ごめんなさい……」
「気にしなくてもいいよ。君には『フェニクスの鎧』と『魔樹の呪槍』があるからね」
ユルトゥスはメルドネの頭を撫でると、部屋の隅に声を飛ばした。
「ペネレイ、君も試してみるかい?」
壁にもたれかかっていたハーフオーガの女戦士は無言で首を横に振った。
「なんだ、つまらないなあ」
肩を竦め、またも聖武具をしばらく眺めてから、ローブ姿の青年に尋ねた。
「ロイ、君はこれ、どう見る?」
「……中身が空のようですね」
「はあ? 誰も着てないんだから当然じゃん?」とメルドネが呆れた声を出す。
「そうじゃないよ、メルドネ。唯一神信仰では否定されているけど、聖武具ともなれば……いや、物にはなんであれ精霊が宿っている。それがいない、と言ってるんだよ」
「へ? あ、そういう……。うわぁ! アタシ、アホの子みたいじゃん!」
「あははは、君のそういうところ、僕は可愛いと思うよ?」
はわん、と蕩けるメルドネに笑みを贈ってから、ロイに問う。
「どうすればいいかな?」
「……そうですね。一度封印してみましょう。そうすれば強制的に精霊も呼び戻せます」
「ふむ。あとは戻ってきた精霊を説得する、と。面倒そうだなあ。ま、こっちで使えないなら、そうやって誰にも使えなくするのも手かな。じゃ、頼むよ」
「承知しました。では、尋問が終わりましたら、私が責任を持って滞りなく」
「そうだね。じゃ、聖武具は一度引っこめて、ついでに使ってた人を呼んできてよ」
兵士たちが聖武具を運び出してしばらく、一人の男が引き立てられてきた。
「な、なんだよ。僕は王子だぞ。こんな扱いをして許されると思っているのか!」
片腕の肘から先を失い、片目に大きな傷を持つ男。王国の王子、ジェレド・ミドテリアスだ。
「やあやあ、王子様。そう怒らないでくれよ。君の国は負けたんだから仕方ないだろう?」
「お前が、帝国皇帝……はっ!? 赤色眼!?」
ジェレドは赤い瞳から逃れようと目を逸らす。
対するユルトゥスは楽しそうに、ゆっくりと彼に近づいていった。
「君ってさ、勇者だったんだって? でも本当なのかなあ? だったらどうして、僕たちと戦わなかったの? 聖武具に身を包んで、さ」
むろん帝国が攻めてきたとき、王子に聖武具を装備させて戦わせろとの意見が飛び交った。しかし体調不良を理由にジェレドは拒んできた。そのせいで、『本当に勇者だったのか?』との疑惑が再燃する。
お披露目の場で魔族に不覚を取った彼は、英雄から一転、嘲笑の対象となっていた。
自分が勇者であったことを疑われないよう、すべて聖武具の力のおかげと疑惑の目を逸らしてきたが、逆にそのことで『聖武具の力がなければただの人』、『中身は凡人以下』などと揶揄されてきた。
「ぼ、僕は……」
本当は勇者じゃない。だがここで否定するのは、我慢ならなかった。
心無い言葉にも、〝勇者〟の肩書きがあれば耐えられた。
他の誰でもない、自分が魔王を倒した英雄だと、そんな偽りの名誉が唯一の拠り所になっていたのだ。
いや、真相を明かせばもっと心無い嘲笑に晒されると恐れていたのかもしれない。
(そうだ。ここで否定しても、得られるものはなにもない)
だが肯定したら、失うものがあるのではないか? 嘘がバレたら殺されるかも。しかし今まで嘘をついていたことを咎められはしないだろうか?
迷いに迷い、彼は決断を下す。
「ぼ、僕は、勇者だった……」
「だった?」
「か、片目と片腕を失って、聖武具を使えなくなったんだ……」
我ながら妙案だと、ジェレドは引きつった笑みを浮かべる。だが――。
「なるほどねえ。そう言ってるけど、本当のところはどうなのかな? 国王様」
ユルトゥスが質問を投げた先。
いつの間にか国王エドガーが、玉座の間に姿を現していた。以前よりも丸みが増していながら、肌はカサカサで白髪の目立つ老けた容貌。
ユルトゥスの赤色眼を直視しないようにか、ぎょろりと王子を睨みつけている。
「なんか君ら、僕の〝眼〟を警戒してるみたいだけど、あんまり意味ないよ?」
ユルトゥスは一般兵を下がらせて、あっけらかんと語る。
「僕の恩恵は『過去を見通す』ものなんだ。べつに目を合わせなくても、見ただけでその人物が過去何を行ってきたかがわかる。ま、人によってはまったく脅威にならない、取るに足らない能力だけどね」
だが、ジェレドは怯えに震え、エドガーも愕然とした。
「さて、王子。君は嘘をついたね。王子が聖武具を身に着け、戦場に出たことは一度もない。ああ、困ったな。今はいちおう正式に尋問をする場だ。そこで虚偽の返答をされたら、笑って許すわけにはいかなくなった」
大仰に首を横に振り、芝居じみた口調でエドガーに歩み寄る。
「しかも将来は国を束ねるべき王子の言葉だ。彼一人の問題では済まないよ? この国は嘘つきばかりだと僕は思っちゃうからね。ああ、困った。これじゃあ、この国の人間は一人残らず殺さなくちゃいけなくなる」
震えるエドガーの肩に手を回し、
「そこで、どうだろう? 嘘つきは厳格に処罰するとの姿勢を、国王自ら示してみては?」
「なん、だと……?」
「貴方自ら王子を処断すれば、国民は助かると言ってるんだよ」
マントの下から短剣を抜き、エドガーにそっと手渡した。
(余が、殺す……? 王子を……ジェレドを……?)
エドガーはずっとジェレドを憎んできた。自分とは似ても似つかぬ、王妃が不貞を働いて生まれた子だ。それでも自ら手をかけることはしなかった。
ジェレドが魔族に襲われたあとも、勇者を騙った罪を被せようと考えたが、冷静になれば翻って自分の責任問題にもなりかねなかったので、せいぜい治療を遅らせた程度。結果、ジェレドは片目と片腕を失った。
それで留飲が下がったつもりでいた。
だが怨嗟の火種はくすぶったまま、今では心の内を焼き尽くさんと燃え広がっていた。
手にした刃を、すぐ側にいる皇帝に突き刺すこともできるのに、エドガーの目には怯えに染まった王子の姿しか映っていなかった。
「や、やめろ……やめてよ、父上……」
「メルドネ、王子を大人しくさせてくれないか」
「はーい♪ お任せー」
メルドネが赤い瞳をジェレドへ向ける。思わず目が合ったジェレドは、硬直して動けなくなる。
「許せ、ジェレド。そなたの罪は、余が贖おう。それで国民が助かるのじゃ」
エドガーはうっすら笑みを浮かべながら、ジェレドの胸に短剣を突き刺した。
ユルトゥスはその様子を満足げに眺めてから、誰にも聞こえないような声でつぶやく。
「よかったね。長年の願いが叶ってさ」
だがこの小さなつぶやきを、拾った者がいた。
部屋の隅で壁にもたれかかっていたペネレイだ。
(長年の願い……。それが叶った?)
『過去を見通す』程度の能力で、それほど確信に満ちて行動できるものだろうか?
おそらくユルトゥスはジェレドをここへ連れてきたときから、この結末になるよう誘導していたのだろう。してやったりといった表情が物語っている。
ユルトゥスは自身の恩恵を公にしていないが、今回のように一部の者には明かしている。ペネレイも早くに彼から告げられていた。
だが彼女は、常々この能力に疑問を抱いていた。
ただ過去を暴く。それだけの能力で、孤児から王国を打倒する国家のトップにまで上り詰められるはずがない。
感情の起伏が激しいメルドネを、いとも簡単に懐柔しているのも不思議だった。
精神を操作する力ではない。すくなくとも亜人である自分にかけていないのがおかしいからだ。
相手が真に望むこと。絶対に嫌だと感じること。
それらを確実に知りうる術を持っているのではないか? そのうえで、よく回る口で篭絡しているのでは?
だとすれば――。
(奴の真の恩恵は、『心を読む』ことではないか……?)
聖武具の精霊を『説得する』とも彼は言っていた。
精霊は契約者以外とはコミュニケーションが取れないはず。しかし心を読む能力なら、一方的に話しかけ、その心を読めば会話は疑似的に成立する。
推測が、確信へと変わる。
(マズい……マズいぞ。となれば奴はすでに――)
自身を含めたオーガ族から、亜人たちが最果ての森へ逃れたことを知っている。
「――ッ!?」
ジェレドの死体を片付けている間、ユルトゥスは玉座に腰かけ、にやにやとペネレイを眺めていた。目が合うと、人差し指を唇に当て、『しー』と身振りで警告する。
(さすがに勘づいたか。ま、彼女はずっと疑念を抱いてたし、時間の問題だったかな)
知られたところで大きな問題はない。ただ広まるのは困るので、あとで釘を刺しておこう。
だがその前に――。
「それじゃあエドガー国王。話してもらえるかな? 聖武具エルザナードを使い、勇者として活躍していた者の正体をね」
エドガーは饒舌に語った。
忌まわしい過去を知られれば嫌悪感を抱きそうなものだが、彼にしてみればそれ以上に、今まで一人で抱えてきた陰鬱とした感情を共有してくれる人物に感じられたのだ。
心の内を見透かされ、手のひらの上で踊らされているとも知らず。
「ガリウス……。そして【アイテム・マスター】、ね……」
ユルトゥスは噛みしめるように言うと、
「なかなか楽しそうな男じゃないか。是非とも、僕の部下に欲しいなあ」
醜い容姿を理由に蔑まれ、利用され続けてきた者なら、付け入る隙は多い。赤色眼で忌み嫌われ、心に闇を抱えたメルドネのように。
ユルトゥスは最強の駒を手中に収められると確信し、へらへらといやらしく笑うのだった――。




