勇者は聖武具を気にする
一夜明け、なんとなく寝付けなかったガリウスだったが、今日は朝から出かける用事がある。重いまぶたを必死に持ち上げて、冷水で顔を洗って喝を入れた。
リリアネアも寝惚け眼を擦りながら朝食の支度をしている。二人分には量が多い。朝食とは別で何かをこしらえているようだ。
二人して悶々とした夜を過ごしたのだが、特に語らうこともなく、互いに状況は知らない。
朝食を終え、ガリウスは外に出て口笛を吹いた。
森の中から飛竜のクロが現れる。
その背に飛び乗ったところで、リリアネアが駆けてきた。側に寄ってきて、大きな包みを掲げる。
「はいこれ、お弁当」
朝食とは別に作っていたのはこれだったか、とその健気な気持ちにガリウスはじーんとした。
「わざわざすまない。帰りは夕方になると思うが、君はどうするんだ?」
「家からいろいろ持ってくるわ。ついでに部屋の掃除ね」
ふんすと腕まくりしてやる気満々だ。
(しかし……花嫁修業を男性と同居して行うというのは、問題がないだろうか?)
寝不足で頭がうまく回らないが、冷静に考えてみれば問題は大アリだ。
(もしかして、その相手を俺に定めてくれている……?)
だとしたら、今一度はっきり直接的な表現で想いを伝えるべきでは?
とはいえ出かける間際に言うのは締まらない。ひとまず保留にして、帰りがけにミゲルに会って話をしようとガリウスは心に決める。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃい。気をつけてね。んじゃ、あたしは――」
キランと輝かせた目を横に向けると、見送りに現れたアオを視線で捉えた。
びくりとしたアオは何かを察したのか、くるりと回れ右してたったか走り出す。
「あ、こら、待ちなさい! あんた最近、体洗ってないでしょ。臭うのよ!」
リリアネアが後を追う。
しかし走力で勝るユニコーン・フェンリルに追いつけるはずはなく、しばらくして立ち止まり、ぜーぜーと肩で息をした。
アオも立ち止まり、顔だけ振り向いて様子を窺う。
リリアネアが復活して走り出す。アオは逃げる。また止まる。
「ほどほどにな……」
つぶやきは、逃げる側に送ったものだった――。
ガリウスは都にやってきた。
このところ週に二、三度はジズルの家を訪れて、国の将来や現状の施策について話し合っている。
応接室でお茶をすすりつつ、テーブルに資料を広げて議論していた。
「麦刈り用の農具か、これはまた斬新じゃのう」
「素材自体はそれほど集めるのに苦労はしない。作るのも都の職人たちなら問題ないだろう。もう少し改良を加えて、秋までにできるだけ多くそろえたい」
「むぅ、しかしアジル・バッファローの皮がそこそこ必要じゃなあ。あいつらが棲息しておる地域は、ちょいと面倒な精霊獣が管轄しておるからなあ」
「俺たちとは距離を置いている程度の感覚だったが、違うのか?」
「そういう手合いが一番厄介なんじゃよ。話を聞こうとせんからな。ま、誠意を尽くし、粘り強く接するしかないがの」
「必要になったら呼んでくれ」
「なに、お前さんは最後の切り札に取っておくわい」
ジズルはカラカラと笑う。
「精霊獣といえば、『塩の湖』の件はうまく運んでいるのか? 彼も俺たちとは距離を置きたがっていたが」
遠方の海と地下で繋がった、海水の湖。以前、ガリウスがケルピーの精霊獣絡みで訪れた場所だ。
内陸のリムルレスタでは、塩は貴重品。
今までは遥か東の大山脈まで出向き、岩塩を採掘していた。精霊獣のいない魔物が多く棲息する地域であるため危険を伴い、それゆえに塩の精製も国内に持ちこんでから。遠い道のりを運ばなければならず、手間暇がかかった。
塩の湖はこれまで存在が知られていなかったが、都との距離も比較的近い。
精霊獣が直接管轄する地域でもあるので、海竜レヴィアタンの協力があれば安全に現地で塩の生産が行るのだ。
「そっちはさほど問題ないわい。交渉自体は難航したんじゃがな。なんのかんのと細かい条件を出してきてのう。じゃがまあ、逆にこちらの言い分とあちらの主張が出尽くせば、そこからの話し合いはスムーズじゃったわい」
「厳格な性格がある意味、幸いしたか」
「そういうことじゃ」
塩以外には手を出さない。
集落はレヴィアタンが指定した湖畔の開けた土地にだけ。
リムルレスタとを繋ぐ街道は一本のみで、これも彼が指定したルートのみ。
細かな条件は多くあるものの、ざっくりとしたものはこの三つ。
元より塩の安定供給が目的であったので、リムルレスタ側が渋る条件でもなかった。
「今後こじれる可能性もなくはないから、俺も一度挨拶に行っておくかな」
「そうしてくれると助かるわい。あちらさん、どうもガリウスを気に入っておるようじゃからな」
昼が近づくと、話題は国外に及んだ。
「都市国家群からは、調査員を大幅に引き上げてのう。情報の集まりは悪くなっておる」
「あれだけ派手にやったからな。連中も警戒しているから仕方がないさ」
耳を切られたエルフ族のマノス青年のように、ぱっと見では人族と変わらない容姿の者たちだけが残っている。
十一ある都市にひとりずつでも足りない有様だ。
「じゃが、例の計画は順調じゃ。軌道に乗れば、これまで以上に情報は集まって来るかもしれんぞ? これもまた、お前さんのおかげじゃな」
ガリウスは調査員が動きにくくなる状況を打開するため、ひとつの策を提案していた。
あちこち動き回って自ら情報を集めるのではなく、一ヵ所に留まって他者から情報を集める、というものだ。
具体的には、中心都市グラムに宿屋兼酒場を開く。
情報源は主に冒険者と旅の商人だ。
ガリウスは勇者時代、そういった者たちから王国軍が情報を集めているのを何度も見ていた。彼らの情報収集能力は侮れない。そして金など便宜を図れば、わりと容易に情報は入手できるのだ。
集まった情報は、別で飛竜を数匹雇い運んでくる予定だ。
今はその体制を整えている段階だった。
「そっちの準備をしておるときに、帝国の話もちらほら流れてきたぞい」
王都を強襲して制圧したバランハルト帝国は、その後も着実に王国内で領土を広げているらしい。
「早いな。よほど軍事力があるのか、立ち回りの巧い者がいるのか……あるいは両方か」
「両方じゃろうなあ。すくなくとも王都を制圧するには生半可な戦力では無理じゃろう。んで、これはまだ裏が取れておらんのじゃが――」
ジズルは遠慮がちに続く言葉を吐いた。
「エドガー国王が、生きて帝国に協力しておるらしい」
「協力?」
「地方貴族たちの説得をしておる、とな」
「なるほど。大方、命惜しさに国を売り渡すつもりだろう。ま、王都が陥落したなら王に打てる手は何もない。帝国にしても下手に王を殺すより、手懐けて王国貴族たちを揺さぶったほうがよいしな」
「ふむ。冷静じゃな。国王に思うところはないのかのう?」
「俺を追放したあとのドタバタ劇を伝え聞く限り、呆れ以外の感情はないな」
将軍と姦通していた王妃を断罪に処し、王子の傷の手当てもそっちのけで引きこもった国王。
容姿を理由に勇者の手柄を奪ったというのも、別の陰湿な思惑があったと今ではガリウスも考えている。
今さら連中がどうなろうと知ったことではなかった。
それよりも――。
「聖武具がどうなったか、何か情報は入っていないか?」
王都が陥落した時期あたりから、自称聖武具の精霊エルザナードが姿を現さなくなった。
奴隷解放に注力していたので気にする余裕がなかったが、今後帝国なり都市国家群なりがちょっかいを出してくることを想定し、できれば早いうちに回収しておきたい。
「いや、聞いておらんな」
「そうか……。ならいい」
いずれ、単独でも旧王都に潜入し、この目で確かめる必要があるだろう。可能ならそこで回収する意気込みだった。
コンコン、とドアが叩かれる。ジズルの応答で入ってきたのは、孫娘のククルだった。
「おじいさま、ガリウスさん、そろそろお昼にしませんか?」
言いつつ、料理を乗せたワゴンを押す。
「ガリウスさんはお弁当ですよね? 珍しいですね」
「あ、ああ。まあ、たまにはな」
ククルが料理をテーブルに並べている横で、ガリウスは包みを開いた。バスケットの蓋を開けると、中にはいろいろな具材を挟んだパンがいくつか。
それだけなら、なんの問題もなかったのだが……。
パンの上には、トマトベースのソースで、でかでかとハートマークが描かれていた。
「ほほう……」
「これはこれは……」
ジズルは大きな口をにんまりと、ククルは目をキラキラと輝かせ、
「誰が作ったんじゃ?」
「どなたが作ったんですか!?」
主にククルが飛びつかんばかりに身を乗り出して、ガリウスに説明を求めるのだった――。




