魔王は教皇と相対す
大聖堂の中心には広い礼拝堂がある。四階建てほどもある吹き抜け構造で、上部にはステンドグラスが敷き詰められていた。
教皇サラディオは一人、只中で佇んでいる。
色とりどりのステンドグラスが陽光を吸いこみ、幻想的な色合いを醸していた。絵柄は連綿と続いてきた〝人〟の歴史を表している。
それは今後も変わらない。
(そう、私が朽ち果てようとも、けっして変わりはしないのです……)
孫娘のティアリスがケラを連れ立って地下遺跡の最奥へ向かってから、もう三日になる。
ガリウスが確かにそこにいて、ティアリスが彼を倒したならばこの上ない成果と言えよう。
しかし三日も音沙汰なしとなれば、期待できないのは明らかだった。
ガリウスがいたにせよ、いなかったにせよ。
いたとして倒したにせよ、返り討ちにあったにせよ。
サラディオの興味はそこにない。
(ギフト・システムの再現。神の御業を人が為し得れば、世界は変わります)
個人が持つ恩恵のみならず、魔族や魔物の特性を人に委譲する実験は道半ばだ。
今のところ生ける者に対しては行えていない。
死者を蘇らせる『反魂の秘術』を絡めたティアリスでの実験は成功したものの、この秘術自体はそう簡単にできるものではなかった。むしろ特殊なアイテムが失われた現状、不可能とも言える。
が、生者への移譲の道は絶たれてはいない。
特に魔族の特性を人に移す実験は、いずれ可能であると研究者たちは口をそろえていた。
人が魔族の力を得る。
それが容易に為せるようになれば、人は恩恵なしでも魔族に並ぶ。数で圧倒する人類は、いずれ魔族そのものを駆逐できるだろう。
彼らはまさしく『人の糧となる』べく飼われる存在にまで成り下がるのだ。
これは神を冒涜する行為だ。
多くの信徒はそう詰るだろう。
だがケラにも伝えたように、サラディオはまったく気にしていなかった。
(真なる神の使徒ならば、神の御業に手を伸ばしても問題などありません)
むしろ神の教えを広め、信徒を導く立場にある自分が『そう思いついた』のならば、これは神より示された道だと信じて疑っていない。
ゆっくり時間をかけて説明すれば、信徒たちも理解を示すに違いない。
どのみち研究はまだ途上。
おそらくは次の世代でも為し得ぬ長き道のりだ。時間はたっぷりある。
逆に研究が続けられれば、いつかは到達する領域だ。
ゆえに今現在のガリウスの生死など興味の埒外にあって当然だった。
勇者の寿命も人のそれ。研究が続いている間に死んでしまうのだから。
「教皇! 一大事でございます!」
思案に耽っていると、慌てた様子で二人の女性聖騎士が礼拝堂に入ってきた。
「何事ですかな?」
二人は並んで片膝をつき、一人が報告する。
「大聖堂の地下より、魔物の大群があふれ出てまいりました。漆黒の鎧をまとった男が、それらを指揮しているようです」
「ほう? 色は違いますが、おそらくは聖鎧を身に着けたガリウスでしょうね」
やはりティアリスは失敗したか。
そして遺跡を攻略すると、魔物を配下にできるらしい。
サラディオはしかし、動揺をひと欠片も見せずに薄く笑う。
「状況を詳しく教えてもらえますか?」
「魔物の大群は主に四本腕で金属の体を持つ異形です。他にスライムやスケルトンも確認しております。現状、狭い通路のおかげで我ら聖騎士が押しとどめておりますが、なにせ数が多く、突破されるのは時間の問題かと……申し訳ございません」
女聖騎士は悲痛な面持ちで奥歯を噛む。
(なるほど。遺跡の魔物を使役したので、本気でこの聖都を落としにきましたか)
数が未知数ではあるが、死してもいずれ復活する遺跡の守護獣たちを従えているなら、こちらが精鋭をかき集めても長くは持たない。
「仕方ありませんね。聖都は放棄します」
「は?」
「いやしかし――」
「兵士たちは住民の避難を優先してください。大聖堂を包囲するかたちで魔物を押しとどめましょう」
「「教皇!」」
サラディオは声を合わせて立ち上がった二人を手で制す。
「なに、一時的なものですよ。聖都の中心部からの奇襲に、我らは対応する術を持ちません。しかし彼らとて、敵地に孤立した状態でいつまでも守りきるのは不可能です。いずれ聖都は奪還しましょう。教国のみならず各国に支援を求め、大軍をもって、ね」
二人は押し黙る。
目に涙を浮かべているところから納得はしていないようだが、今はそれが最良と受け入れたようだ。
「貴女はすぐに皆に指示を伝えてください」
一人の肩に手を置いて告げる。彼女は唇を引き結びながらうなずき、礼拝堂から駆け出した。
「貴女には、これを」
サラディオは懐から折りたたまれた紙を取り出した。
手紙だ。
聖都には、ティアリスを復活させた研究施設と同じような施設がある。表向きはただの兵士詰め所だが、地下は大聖堂にあるものより大規模な研究施設になっていた。
実のところ彼は、今のような事態を想定していたのだ。
ケラが地下遺跡にガリウスがいると言ったのを受け、そのまま聖都に流れ込んでくるかもしれない、と。
手紙には研究施設を破棄し、研究員と資料を持って他の複数の国へ逃れるよう指示した内容が書かれている。
研究の意義や目的に賛同した国々で、どこかひとつでも研究が続けられればよいとサラディオは考えていた。
サラディオは礼拝堂の隅に行き、こつこつと床を踵でたたいた。
ゴゴゴゴ、と床の一角が横にスライドし、下へ続く階段が現れる。
「ここを抜ければ大聖堂の外へ出られます。その手紙を、確実に届けてください。人類の、未来のために」
研究施設の場所を伝え、残った女聖騎士の手を引く。
「教皇……貴方は、どうなされるおつもりですか……?」
「私に戦う力はありません。しかし未来への礎にはなり得ましょう。さあ、早く」
女聖騎士は涙を拭い、深々と一礼してから階段を駆け下りた。
サラディオはすぐさま床を元に戻し、礼拝堂の中央へ足を運んだ。
どれほどの時間が経ったろうか。
遠く、怒号や悲鳴が響いていたのがまったく聞こえなくなった。
しばらくして、コツコツと床を歩く音が聞こえた。他にも複数、ガチャンガチャンと金属の鳴る音を引き連れ現れたのは――。
「久しぶりだな。サラディオ・ジョゼリ」
漆黒の鎧をまとい、黒いヘルムを脇に抱えた男。魔物たちは外で待たせているのか、たった一人でサラディオの前に進み出る。
「ええ、一度だけお会いしたときは、まだ貴方が少年のころでしたね、勇者ガリウス」
薄く笑う彼はしかし、感情というものが希薄に思えた。
「大聖堂の一階は制圧した。途中から抵抗が弱まったようだが、もしかしてお前が大聖堂を放棄するとでも指示したのか?」
「ええ、その通りです。それで? 貴方は私を殺しに来たのですか? ならば、どうぞ。こんな老体でよければ、手柄のひとつにでも加えてください」
「お前も孫娘と同じく、無責任な男だな。死んで終わりと考えているなら、お前を信じて付き従ってきた者たちは浮かばれまい」
「私は私の責任の範疇において、死を受け入れているのです。人はその意志を受け継ぎ、歴史を紡いでいくもの。そして私の遺志は多くの信徒が継いでくれましょう」
「この手の話でお前と問答しても意味はないな。殺してくれというなら、やってやらんこともない。が、その前に訊きたいことがある」
ガリウスは笑みを消して問う。
「ティアリスは以前に比べて異常なほど戦闘力が高まっていた。死から復活しただけでああはならんだろう。何をした?」
サラディオは努めて冷静に、ガリウスの言葉を反芻する。
ティアリスが死から復活したことには、それほど執着してはいないようだ。彼の興味は質問のとおり、孫娘が異様に力を増したことにある。
精神が壊れたティアリスはさておき、ケラから情報を得ていてもおかしくはなかった。
そも遺跡からこの場へ到達する途中には、ギフト・システムを再現するための研究施設がある。
目ざとい男がそこを素通りしてきたとは思えない。
すでに確信に近い回答を得ていながら、質問する意図は何か?
(私に直接語らせること、でしょうね)
ガリウスは以前、ティアリスが信仰に迷った場面を記録し、各所でそれを映し出した不思議な魔法がある。
ここでの会話も記録し、後で世界中にばらまくつもりだろう。
ギフト・システムの再現は、多くの信徒が『教義に反する』として抵抗する研究だ。
特に『魔族から力を委譲する』ことに反発するのは容易に想像できる。
映像を記録する魔法を使わずとも、捕らえた信徒たちに近くで聞かせているかもしれない。
下手に喧伝されればこちらの立場が危うくなるだろう。
ゆえにここでやるべきは――。
「はて? なんのことでしょう?」
少なくとも自分が関与していないと知らしめれば、信徒たちはガリウスの言葉など信じない。
さらに自分がここで殺されれば、信徒たちは怒りに燃えて彼の言葉をすべて嘘偽りだと切って捨てるはず。
「おいおい、この期に及んで惚けるのか? 言っておくが、ここへ来る道中で俺はすでに解を得ているぞ?」
やはり研究施設は暴かれていたか。
が、それでも自分が白を切り通せば、一部の狂信者の暴走と言い訳もできる。実際、各国へ逃す研究者たちには万が一の場合を考えて、教皇の思惑はしっかりと伝えてあった。
「ティアリスとは我が孫娘のことでしょうが、彼女はずいぶん前に貴方に殺されています。今さらそのときの話を蒸し返してなんになるのですか?」
「……ふん、なるほど。なかなか警戒しているらしい。となると、お前からは何も訊き出せないか」
残念だ、とガリウスはこれみよがしにため息を吐いた。
「もはやお前は用済みだな」
するりと腰に差した聖剣を抜く。
サラディオは両手を組み、静かに目を閉じた。
これで教皇殺しの勇者は完全に、これから何があろうと人の社会に受け入れられない。
(ええ、私の役目は終わりました)
そしてあと何十年かすれば、人は完全に魔を支配下に置けるだろう。
仮にガリウスが(ないとは思うが)温情をかけて殺さなかったとしたら、自ら命を絶つ覚悟だった。
内心でほくそ笑んだサラディオは、
バチンッ!
「ッ!?」
体に稲妻を流され、その意識だけを刈り取られた――。
気絶した教皇を受け止め、ガリウスは静かに床に降ろす。
『殺さないのですか?』
頭の中に直接響く声がした。聖武具の精霊モドキ、エルザナードだ。
「教皇殺しの言葉に、信心深い連中が耳を傾けるはずないからな。俺が殺さなければ自死を選ぶつもりでもあるから、ひとまず眠らせておいた」
けっきょくのところ、教皇は孫娘とそう変わらない。
いや、神への盲目的な信仰のみだったティアリスのほうがまだマシと言えた。
『ということは、これから信徒たちを相手に貴方主演の演劇が始まるのですね』
「なぜ嬉しそうなのかわからんが……まあ、そうだな。準備をしていない、行き当たりばったりなものになりそうだがね」
それでもわずかな時間で思考をフル回転させ、ガリウスは一計を思い描いた――。




