魔王の部下は砂漠の民と交渉する
新月間近の夜。
砂漠の民の五つの部族の族長が岩場に集まっていた。彼ら五つの拠点からちょうど同じ距離の場所に大きな天幕が張られている。
五人の族長は大きく円を描くように互いに距離を開けて胡坐をかいた。
中でもひときわ目立つのは最大勢力を誇るルクサル族の族長ザッハーラだ。まだ二十代半ばの若者は背後に控える屈強な護衛戦士に見劣りしない体格で、鋭い眼差しで周囲を威嚇していた。
「共闘だと? 笑わせる。そも余所者に我らが聖域を蹂躙させるなど言語道断。老いたか、ムハメド」
「そう語気を荒げるでない。塔の攻略には古代文字を解読できる彼らの協力なくして成し得まいて。そして彼らが言うには、我ら砂漠の民もまた協力せねば最上階へは到達できぬのだ」
「よくもぬけぬけと。我らは妥協に妥協を重ねて貴様の提案を受け入れ、塔の最上階にもっとも早く到達した部族に従うとの盟約を交わしたのだぞ」
「状況が変われば対応も変えざるを得ぬよ。臨機応変は若者の特権だと思うのだがなあ」
押しつぶさんとする言葉の圧をムハメドは飄々と受け流す。
彼の後ろに控えるダニオとマノスはその老獪さに舌を巻いた。
この会合を実現したのもムハメドの根回しがあってこそだ。
彼の説得にこそ全神経を注ぐべきと判断した二人は、自分たちの素性やリムルレスタの目的の多くを告白していた。
もし協力が得られなければ他の部族を頼り、すべてに断られれば宝を奪って全面対決も辞さない構えだった。
その覚悟が伝わったのか、ムハメドは実にあっさり協力を受け入れた。
とはいえ、特にダニオはムハメドの好意的な姿勢には疑念を抱いていた。
(あの手の老人は何を考えているか知れんからなあ。足をすくわれぬよう神経を削らねばならんよ。やれやれだ)
ぼんやり眺めていたダニオに、ザッハーラの視線が突き刺さった。
「塔の中は悪霊じみた魔物に支配され、我らが送った戦士たちはカイーラの一人を除いて全滅した。そう言ったな」
「いくつか死体らしき痕跡は見つけたが、直接確認したわけではない。状況からして絶望的だろうなと推測したまでだ」
「その時点で貴様らがカイーラに与し、他の部族を襲ったのではないのか?」
ざわっと周囲が色めき立つ。
反面、想定されたいちゃもんのひとつであったのでダニオたちは落ち着いていた。
マノスが応じる。
「残念ながら、疑いを否定し得る物的証拠を我らは持ち合わせていません。ただ仮にそうだとすれば、我らがカイーラ族の戦士を一人だけ生かしておくのになんら合理性はないとも申し上げます」
前提として『カイーラ族と手を結んでいた』のなら、カイーラ族の他の戦士は他部族との戦闘で命を落としたことになる。
「仲間の命を無駄に散らし、今は対立していても同じ祖先を持つ同胞を殺した我らを、生き残った彼は信用してくれるでしょうか? それを伝え聞いたムハメド族長も、です」
「ふん、生き残ったのが一人だけというのも眉唾だ。実はみな生きているのではないか?」
「生き残った彼の証言で死が確実と判断された者はすでに弔っています。砂漠の民は死を偽装し、弔いの儀式を偽るのも厭わないのでしょうか?」
「同胞の死を侮辱するものは例外なく生かしてはおかん!」
「それが砂漠の民の共通認識であれば、カイーラ族が我が身可愛さに同胞の死を偽装したと疑うのもまた、大いなる侮辱ではありませんか?」
「ぬぅ……ああ言えばこう言う。小癪な奴め……」
ザッハーラは忌々しげにマノスをにらみ据えた。
と、静観していた族長の一人が穏やかに声を発する。
「私はムハメドを信じましょう。しかし、そこの者たちがカイーラを欺いている可能性もありましょうな」
レクリア族の族長、クムシュ老人だ。
がりがりに痩せこけた彼はくぼんだ目を閉じたまま続ける。
「王国から流れてきた老剣士と、旅の途中で意気投合したお供が二人。力試しに古代遺跡を巡るというのもまあ、不自然ではありませんなあ。ええ、まるで作り話のように自然でありましょう」
「なるほど。諸悪の根源はこやつら、ということか。さすがは部族内きっての知恵者、クムシュ老だ」
ザッハーラは意外なところから反カイーラの言葉が出たのに驚きつつも同調した。
レクリア族は五部族の中ではカイーラ族と同じく弱小の枠に入る。カイーラと共闘する姿勢はこれまでも見せていなかったが、強部族のルクサル族やニエズ族に反目してると考えていたからだ。
(ふん、強者におもねるのが最善とようやく理解したか。死にぞこないでもまだ耄碌はしていないとみえる)
一方のマノスはごくりと生唾を飲みこむ。
(やはりあの老人が動きましたか。ここが正念場ですね)
ムハメドからもっとも注意すべき相手と聞かされていた。
彼が動かなければ交渉は楽に進むが、こちらの発言に異を唱えたら厄介だ、と。
部族間のパワーバランスは複雑だ。勢力の大きさだけでは測れない。
若く血気盛んなルクサルの族長に対し、他の部族長は組み易しと高を括っている。
最大勢力のルクサル族とその族長をいかに手のひらの上で踊らせられるか、その主導権を誰が握るかが水面下で激しく争われているのだ。
塔の攻略の話もルクサル以外の四部族が仕組んだこと。
自らの部族が勝てば良し。負けるにしてもルクサルを勝者に仕立て、自分たちが彼らを裏から操る算段をそれぞれ立てていた。
中でも現状もっともザッハーラをうまく御しているのがクムシュだった。
強部族に反目しているような姿勢を貫きつつも、要所要所では彼らに同調する。
そうすることで警戒を誘発し、注意を常に引き、時には頼もしさを見せ、弱小ではあっても対等であるとの意識を植え付けているのだ。
(さて、どう立ち回るべきでしょうか……)
ムハメドの助けは期待できない。騙されていると疑われているカイーラ族が何を言っても反論の隙を与えてしまう。
(ガリウスさんは私を高く評価してくれているようですが……どうにもこの手の騙し合いは気が滅入ってしまいますね)
諜報員として人族の街で活動していたころは、ともかく亜人だとバレないことを徹底していた。といっても基本的には接触する人たちとの距離を付かず離れずに保ち、誠意ある言動を心掛けていたに過ぎない。
都合よく利用されることは多々あった。
それでも人間関係がそれなりに築けて、情報を得られるならと割り切っていた。
化かし合い、騙し合いの経験は皆無に等しい。
(いえ、ガリウスさんが苦手なことをやらせようとするでしょうか?)
適材適所と彼はよく言っている。ならば自分に期待されているのは、口八丁で相手を謀ることではないはず。
「おい、何を黙りこんでいる。貴様らは本当に力試しにやってきたのか、そして偶然カイーラの戦士と出会ったに過ぎないのか。納得できる説明をしてみせろ」
砂漠の民は同じ人族から虐げられた者たちの末裔だ。そして今もなお迫害は続いている。
(ならば、私が今やるべきは――)
マノスは意を決し、長い髪をかき上げた。
「私はエルフです。耳はこのように切られてしまいましたが」
どよめきが起こる。
ダニオが警戒を強くし、ムハメドは大きくため息をついた。
しかしマノスは揺るがない。
「我らは人族を長とする亜人国家、リムルレスタからやってきました。神代の遺跡を攻略し、我らの力とするためです」
真摯な瞳で告げると、
「魔族どもめ! 我らが神域を侵す気か!」
ザッハーラは憤怒でその瞳を燃やし、立ち上がって自らマノスに襲いかかった――。




