11 「他に手はない」
俺はセフィリアを見据えた。
噛みしめていた唇が破れ、ツーッと血が滴る。
痛みは感じなかった。
ただ煮えたぎるような怒りと、リリスやアリスが殺されるかもしれない不安感だけがあった。
「へえ、随分と怖い顔してるね。あたしを殺すの、ハルトくん?」
セフィリアもまた俺を見ている。
楽しげな笑みを浮かべたままだ。
「スキルを使うには一瞬の集中が必要だからね。それをさせないほどの速さで殺す──とか?」
「っ……!」
俺は息を飲んだ。
「ざんねーん。あたしのスキルは任意発動と自動発動に切り換えられるんだよ。ハルトくんもたぶん同じだよね」
と、セフィリア。
「自分自身を『修復』するスキルを、常にオートで発動するようにしているの。だから不意打ちだろうとなんだろうと、あたしは殺せない。ダメージを受けた瞬間に、勝手にスキルが発動して『修復』しちゃうからね」
俺とほぼ同じ状態ってわけか。
互いに相手を傷付ける決定打は、ない──。
「今度あたしを怒らせたら、そっちのおねーさん二人を殺しちゃおっかな? どうしよっかな?」
ニヤニヤと笑うセフィリア。
「ほら、もっと絶望してみせて。ね?」
そうだ、リリスとアリスの命を相手の掌中に握られている以上、俺の方が圧倒的に不利な立場に立たされている──。
「だけど……そうだね。一つ条件を出そっか」
セフィリアが俺の前で指をぴんと立てた。
「代わりにハルトくんが命を投げ出すなら、彼女は助けてあげる」
にこやかに提案する。
「なんだと……!?」
つまり二人を助けるために、俺に『死ね』って言ってるわけか。
「ふふ、いいよいいよー。その顔。絶望と苦悩がいっぱい浮かんだ顔。最高だね」
「なんで、こんなことを……」
「どうしようもなく惹かれるの。他人のそういう顔に」
セフィリアはチロリと舌で唇を舐めた。
「性癖、ってやつかもしれないねー」
どうする──。
いや、もう迷っている時間はない。
リリスもアリスも、俺にとって大切な仲間だ。
──考えろ。
俺は頭の中をフル回転させる。
俺もセフィリアもオートでスキル発動ができる。
決してダメージを受けない俺と。
どんなダメージを受けても瞬時に再生できるセフィリアと。
ともに外部からの攻撃で致命傷を受けることはない。
じゃあ、俺たち二人が戦ったときに、決め手になるものはなんだ?
スキルの隙をつける方法はあるのか──。
「……そうか」
俺はハッと気づく。
一つだけ、可能性がある──。
「いいだろう。俺が命を投げ出す」
俺はセフィリアをまっすぐに見据えた。
「だからリリスとアリスには手を出すな」
──覚悟が、必要だ。
俺の目論見通りにいけば、勝算はある。
だが、ことがその通りに進むとは限らない。
どうしたって不確定要素が出てくるからだ。
だけど、それでも賭けるしかない。
俺がやらなきゃ、リリスやアリスが殺される……!
「その前に二人と話していいか?」
「ん?」
「これでお別れになるかもしれないからな」
「『なるかもしれない』じゃなくて、確実になるよ。うん、それじゃあ二人と話してきたら? なんなら、熱いちゅーでもしたら?」
茶化すセフィリアを無視し、俺は二人に歩み寄った。
そして──あることを伝える。
「ハルト……」
「ハルトさん……」
リリスもアリスも不安そうな顔だ。
「あたし、やっぱり嫌だ。危険すぎるよ」
「私もです」
俺を見つめる二人の瞳には涙が浮かんでいた。
「他に手はない」
俺は二人に背を向ける。
「大丈夫だ。俺を信じろ。打ち合わせ通りに──頼む」
言って、俺はセフィリアの元に歩み寄った。
「覚悟はできた?」
「──ああ」
ごくりと喉を鳴らす。
不安や恐怖はある。
だけど、乗り越えてみせる。
「いいよいいよ、決意に満ちた顔だねー。その顔がどう変わるのか……どう歪むのか。楽しみ~」
セフィリアが満面の笑みで言った。
「じゃあ、始めるね? 絶望と苦痛と憎悪と──とっておきの表情を見せてね、ハルトくん」
俺に向かって手を伸ばすセフィリア。
「くっ……!」
背後でリリスとアリスが動く気配があった。
「だめだ、攻撃するな!」
慌てて警告する。
セフィリアを刺激したら、二人は殺される──。
「ハルト……」
信じてくれ、二人とも。
「いいよいいよー、そういう信頼って。でも、ざーんねん。ハルトくんはあたしに殺されちゃうんだよね。おねーさんたちも絶望する顔を見せてね。すっごくそそるから」
セフィリアが無邪気に笑った。
融合発動──再設定開始。
自動発動を解除。
全スキル形態を発動停止。
再設定完了──。
これで、攻撃を受けても俺のスキルは発動しないはずだ。
「──やれ」
俺は静かに告げた。
「ふふ、これぞショータイム、だね」
セフィリアが俺に向かって光弾を放った。
「ぐっ……!」
スキルを解除し、俺はその攻撃をまともに食らった。
腕を、足を──光弾で撃たれ、血がしぶく。
「うあ、ああぁっ……!」
鈍い痛みが断続的に走った。
女神さまからスキルをもらって以来、ほとんど傷らしい傷さえ受けることがなくなっていたから、こんなふうにまともにダメージを受けるのは久しぶりだ。
これが──痛みか。
感慨さえ覚える。
「じゃあ、仕上げ──いくよ」
セフィリアが俺に手をかざした。
その手のひらに輝く紋様が浮かび上がる。
「葬送の超速再生」
「ぐっ……ああぁ……ぁぁぁああああああっ……!」
腕や足の傷がすさまじい勢いで広がっていく。
さっきまでとは比べ物にならない量の血が噴き出した。
激痛で意識が薄れていく。
目の前がかすむ。
──耐えろ。
俺は自身を叱咤した。
耐えるんだ。
必ず勝機が訪れる。
セフィリアは、おそらく俺を一瞬で殺すことはしない。
奴自身が言っていたことだ。
人が死ぬ間際の、絶望の顔が好きだと。
なら、俺がそんな絶望を浮かべるまでジワジワと殺しにかかるだろう。
絶対とはいえないが、かなりの確率でそうする、と俺は踏んだ。
その可能性に賭けた。
「ぐぅ……ぅぅぅ……ぉぉ……ぉ……っ……!」
俺の意識はさらに薄れていく。
血が足りない。
もはや痛みさえ感じない。
思考が止まり、全身から熱が消え、すーっと冷めていくような感覚。
そうか、これが──。
死、か。
込み上げる圧倒的な絶望。
「あっはははははははは! そうだよ、その顔! あたしが見たかったのは、その絶望だよ! 最高だね、ハルトくん!」
セフィリアが哄笑する。
俺の意識が霧散し──。
俺という存在がすべて無に帰す──。
次の瞬間、視界が一気に明るくなった。
「えっ……!?」
驚いたようなセフィリアの顔が見える。
傷一つない状態で、俺は『生還』していた。








