3 「新たな『裁定の時』が」
「お前はやりすぎた、バネッサ・ミレット」
前方に光り輝くシルエットが出現する。
「あなたは──」
バネッサは息を飲んだ、
本能的に込み上げる畏怖が、身をすくませた。
全身からドッと汗が噴き出す。
胸の鼓動が激しく高鳴る。
ゆっくりと光が薄れ、それは実体化した。
額や腕、足、背中、腰──体のあちこちから翼が生えた、異形の美女。
「なぜ、ここに……!?」
天翼の女神。
彼女に『移送』のスキルを与えた女神だ。
「お前がやったことは世界のバランスを崩す行為。封印されている竜はともかくとして、高位の神や魔が同時にこの世界に現れれば、ともに消滅するのみ──」
女神が静かに告げた。
こちらの思惑が知られているのは分かっている。
だが、なんの問題もない。
それも想定通りだ。
(私に危害を加えれば、女神は消滅する。大丈夫、手出しはしてこないはずよ)
自分自身に言い聞かせた。
神は、人を害することができない。
古代の文献やエレクトラの予知を合わせ、たどり着いた世界の真理である。
「変動し、混迷する世界の中で、力あるものが新たな覇を唱える──お前が目論むのはそれか」
ゼガリアの瞳がスッと細まった。
「他者よりも上に立ちたい──お前の中にあるのは、ただそれだけだ。権力への浅ましい渇望。野心。支配欲」
「見透かしたようなことを」
バネッサは口の端を歪めて笑う。
「それを知ったところで、あなたにはどうすることもできないでしょう、女神さま? まさか、あたしを力ずくで止めるつもりかしら?」
「私はお前に命令することはしない。強制もしない。禁止もしない。私が与えた力をどう使おうとお前の自由──最初に『移送』の力を与えたときに言ったことだ」
ゼガリアはバネッサを見据えたまま、身じろぎ一つしない。
超然としたその表情には、感情らしきものはいっさい浮かんでいない。
「だから、私はただ勧告するのみ。今すぐ我らを天界に戻せ」
バネッサは一歩、後ずさった。
「あなた自身の力で天界に戻ればいいでしょう?」
「不可能だ」
ゼガリアが首を左右に振る。
「この世界では、我ら神の力は大きく制限されている。天界に戻るほどのエネルギーを出すことができぬ」
そう、彼女は知っている。
古代の文献やエレクトラの予知、神と対話する力を持つセフィリアからの情報で。
いったん神々をこの世界に呼び出してしまえば、神といえど自力で天界まで戻ることはできない、と。
バネッサは集中を高めた。
危害を加えてくるとは思えないが、念のためだ。
何かを仕掛けてきたら、すぐにスキルで対応できるように──備える。
「神や天使──聖なる眷属は、魔の者へと引き寄せられる。自らの意志に関わりなく。私も間もなく、地上にいる魔の者の元へ飛ばされるだろう。そして──神と魔が出会えば、互いに消滅するのみ」
「それがあたしの望みよ」
バネッサは笑みを深めた。
「神々や高位の魔が消えれば、世界のパワーバランスは大きく変わる。そうなれば、あの者も黙ってはいまい」
「あの者……?」
バネッサが眉根を寄せた。
「今はまだ、あの者を刺激してはならない。すべてが滅ぶ。神も魔も竜も、そして人も」
「何を……言って……?」
バネッサが調べた古代の文献にも、エレクトラから聞いた予知にも、『あの者』に該当するような存在は見当たらない。
だが、神が口先だけのハッタリを言うとも思えない。
ならば、『あの者』とは一体──?
「新たな『裁定の時』が訪れる……それに対抗する準備が整うまで……」
「裁定の……時?」
先ほどから何を言っているのか。
女神の話は意味不明だった。
「我ら神々は世界の頂点にあらず。我らもまた管理される者に過ぎない」
ゼガリアの瞳が妖しい輝きを放った。
目の前が陽炎のように揺らぐ。
(空間が変質している──?)
「世界を脅かすお前は、消えなければならない」
女神の顔に初めて表情らしきものが浮かんだ。
明確な、殺意が。
「ふざけないで、あたしは世界の王になるのよ」
バネッサは大きく跳び下がった。
「こんなところで消えるわけにはいかない! 消えてたまるかっ!」
感情をむき出しに、叫ぶ。
「哀れな妄執だ。他者より秀でたい。他者を従えたい。お前にあるのはそれだけなのだな」
「世界のすべてはあたしの前に跪く──たとえ神でも、あたしの野望を邪魔させは──」
叫びかけたところで、ハッと気づく。
「っ……!?」
声が、出ない。
息が、苦しい。
「周囲の『空気』を移送し、真空に変えた」
冷ややかな神の声に、バネッサは愕然とした。
「人間はこの場所では生きられない」
「っ……ぁ……っ……!」
怒りの声も、口から出たとたんに消えてしまう。
肺が引きつれるようだ。
全身の血が沸騰しそうに熱い。
(まずい、空間転移でここから離れないと──)
空気を『移送』したとはいえ、まさか世界中がこの状態ではあるまい。
数十メティルか、数百メティルか。
あるいはもっと先まで──この空間から逃れ、真空の範囲外まで転移すれば、どうということはない。
「っ……!」
だが、集中しても『力』が湧いてこない。
(転移が……でき……な……)
すでに神や聖天使の召喚でほぼすべての精神力を使い果しているのだ。
「お前にはもう新たな『移送』を行う力は残っていない」
女神が冷たく言い放った。
「時間を置けば、回復するだろう。だが──その時間は、お前にはもう訪れない。永遠に」
(こんな……馬鹿な……)
バネッサとて、神からなんらかの攻撃を受けることを考えなかったわけではない。
だが、人に手を出せば神といえども、ただではすまない。
ゆえに、直接攻撃はないと踏んでいた。
もっと婉曲的に手を打ってくるのだと。
そして、そのための備えは幾重にもしていた。
だがまさか──神ともあろう存在が、自らの身を顧みず、たった一人の人間を狙ってくるとは。
自滅覚悟で仕掛けてくるとは。
呆然とするバネッサの眼前で、ゼガリアの全身が明滅を始めた。
明滅はどんどん激しくなり、その姿が薄れていく。
(これは!?)
「言ったはず。我らもまた──管理されていると」
ゼガリアが淡々と告げる。
その姿はすでに半透明になっていた。
「あの者の規律に背いた。ゆえに、私は消える」
自らの消滅すら、まるで他人事のように超然とした態度。
(神をも消滅させる力……?)
それは、一体──。
疑問に思うものの、もはや声が出ない。
バネッサの言葉は、真空の中で空しく溶け消えるのみ。
「人の子よ。お前は傲慢に過ぎた。お前は不遜に過ぎた。分相応というものを心得ていれば、望むだけの栄華を手にできただろうに」
ガゼリアが息をついた。
憐れむように、小さく息をついた。
「私が消えても、残る六柱の神がいる。その邪魔をさせぬために、お前には消えてもらう。永遠に──」
(嫌……あたしは、こんなところで……)
意識が揺らぐ。
薄れていく。
自分の存在が消えていくのを感じた。
(あり得ない……こんなこと、あってはならない……)
誰よりも上に立ちたい、と願った。
誰よりも優れている自分でいたかった。
その力を得たというのに。
こんなにあっさりと。
自分は何を間違えたのか。
何かを、間違えたのか。
(あた……し……は……)
最期に込み上げたのは、無念と悔恨。
夫や家族のことなど、欠片も思い浮かばない。
ただ自らの栄華への妄執だけを抱き──、
「他の神々よ……同志たちよ、後は託す……すべての世界の解放を」
女神の声を遠く聞きながら、バネッサの意識は霧散した。
※
「計画は順調に推移している……か」
バネッサから言われたことをつぶやきながら、エレクトラは屋敷の庭を歩いていた。
何千何万回と予知してきた、自らが破滅する未来の光景。
それがくつがえる日が近づいているのか。
エレクトラとしては、計画がこのまま上手くいくことを願うばかりだった。
生きたい。
ただ、生き延びたい。
運命操作──予知のスキルを授かって以来、毎日のように念じ続けてきた彼女の願いだ。
と、その足が止まる。
「なっ……」
絶句した。
足元に倒れている影を、見つけて。
「お、おい、バネッサ……?」
エレクトラは呆然とつぶやいた。
バネッサは──苦悶の表情で倒れていた。
艶めいた美貌は愕然と歪み、硬直している。
ぴくりとも動かない。
「何があった……バネッサ……っ!」
エレクトラはしゃがみこみ、震える手で彼女に触れた。
呼吸も、脈も感じられない。
こと切れていた。
「一体、これは……!?」
エレクトラは弱々しく立ち上がり、呆然とつぶやいた。
「何が起きた……どうなっている……!?」
信じられなかった。
あまりにも突然に、あまりにも呆気なく訪れたバネッサの最期に……。
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