5 「迷わない」
サロメのナイフがディアルヴァを切り裂き、鮮血が散った。
「これは……!?」
だけど、戸惑いの声を上げたのは彼女の方だ。
ディアルヴァから滴った血が、元の傷口に戻っていく。
同時にその傷口だけが分離し、サロメに向かっていく──。
青い血を滴らせた裂け目のような傷口は、なかなかグロテスクな眺めだった。
「我が呪術は因果律すらねじ曲げ、『傷を受けた』という結果自体を敵に跳ね返す。致命の一撃を受けて死ぬのはキミだ」
哄笑するディアルヴァ。
「──むっ!?」
その笑みが驚きの声に変わる。
がきん、と金属質な音がして、傷口がサロメの前方で霧散した。
オート発動した護りの障壁が呪術を防いだのだ。
「ねじ曲げた因果律すらも防ぐか」
ディアルヴァがうなった。
「ならば、すべてを消し去ってくれよう……歪曲圧搾弾」
前方の景色がぐにゃりと歪む。
空間を圧縮し、そこにいるものすべてを押し潰す魔法か。
だけど、それも無駄だ。
空間の歪みは俺のスキルに阻まれ、先ほどの呪術と同じくサロメの前方で消滅する。
「効かない……!?」
「サロメ──」
俺は彼女に視線で合図を送った。
さっき打ち合わせた作戦だ。
こくん、と小さくうなずき、走り出すサロメ。
「通じぬか……ならば、これはどうだ……闇滅砲」
空間が黒く染まり、歪み、無数の弾丸となって飛んでくる。
その数は優に百は超えているだろう。
空間歪曲攻撃の乱れ撃ち──。
黒い魔弾は、だけど俺が展開している黄金の領域に阻まれ、すべて跳ね返された。
「ならば──その防御が発動するタイムラグを突くまで」
ディアルヴァが枯れ木のような両腕を振り上げる。
まだ別の術があるのか。
攻撃バリエーションの豊富さに、つい感心してしまう。
「最強の威力と最大の効果範囲を備えた我が魔法奥義で……闇爆竜──」
魔法は、発動しなかった。
「これは……!?」
「封じさせてもらった。魔法の発動自体を」
俺は戸惑うディアルヴァに告げた。
本当は、いつでもこうすることができた。
魔法を防ぐのではなく、発動そのものをさせない防御──第二の形態、不可侵領域。
最初からこれを使わなかったのは、手の内を見せないため。
俺の防御パターンがあくまでも『来た攻撃を防ぐ』タイプだと、奴の意識に刷りこみたかった。
「確かに、以前の戦いでもキミはこんな能力を使っていた──だが、これほど一瞬で能力を切り替えるとは……!」
ディアルヴァがうめく。
「切り替える必要なんてない。あらかじめ意識しておくだけで──後は自動的に発動する」
それが封絶の世界の真価。
俺の反応を超えて、前もって定めた順番にスキルを発動させる──。
その間に、サロメはさらに加速し、分身で幻惑しながら間合いを詰めた。
「速い……まったく躊躇なく突っこんでくるか……!」
慌てて空間を渡って逃げようとするディアルヴァだが、当然その術も俺のスキルによって封じられ、発動しない。
逃げるすべを失った魔将に、サロメが肉薄した。
「ハルトくんの力を信じてるからね。きっと護ってくれる、って」
くすりと微笑む暗殺者の少女。
「だから私は──迷わない」
突き出したナイフがディアルヴァの心臓を貫く。
「がっ……あああ……ぁぁぁぁぁっ……!」
断末魔とともにディアルヴァは倒れ、その体が黒い粉雪のようになって霧散した──。
※
壮麗な館を背に、三人の女がたたずんでいた。
「この地に神々を召喚する」
バネッサが荒い息を吐きながら告げる。
視界がぼんやりと薄れた。
体中から力が抜けていく。
ジャックとの戦いで精神力を消耗しすぎたのだ。
(あの子が余計な真似さえしなければ……)
バネッサは憎々しげな視線をセフィリアに向けた。
「神様の召喚か~。楽しそうだね。あたし、ワクワクしてきちゃう」
その視線を受けても、あどけない顔をした少女僧侶はにこやかに微笑むのみだ。
ジャックの異変を助長したのは、自分の楽しみのため──と無邪気に笑ったセフィリアの言葉を思い出す。
果たして、本当にそうだろうか?
疑念が消えない。
むしろ、疑いは強まるばかりだった。
彼女はバネッサを消耗させるために、わざとジャックとの戦いを仕組んだのではないのか──!?
いや、考えていても仕方がない。
今は、計画を遂行するだけだ。
「現れ出でよ、天空の神々……七柱の……」
イメージをより明確にするために、呪文めいた言葉を唱え、『移送』の力を最大にして発動する──。
「これは──」
バネッサの表情がこわばった。
「どうした、バネッサ」
「……精神力が足りないわ」
たずねるエレクトラに答えるバネッサ。
やはり、力を使い過ぎたようだ。
本来なら天界の神々をすべて──一気に地上に召喚するつもりだったのだが。
さらに魔王を始めとした高位魔族をも。
だが、とてもエネルギーが足りない。
「お疲れだね~。あたしがすり減った心の力を『修復』してあげよっか?」
「……いえ、平気よ」
面白半分にジャックの呪いを誘発させたように、今度は自分にも何か細工をしてくるかもしれない。
とにかくセフィリアを信用するのは危険だ。
「まずは前段階として、聖天使を召喚しましょう。神を呼ぶほどの精神力は使わずに済むから」
神のしもべたる三十七の聖天使。
それを呼ぶべく、バネッサは両手を高々と掲げた。
空間を変質させる。
移動のための道を作る。
彼女に与えられたスキル──『移送』。
天界や魔界さえも自在に通過できる道を生成する能力。
ただし、その代償として莫大な精神エネルギーを消耗する。
力の配分を誤れば、最悪の場合は心が破壊されて廃人となる。
慎重に、己の精神状態や残存体力を見極めなければならない。
(あたしの心が壊れる限界直前を見極め、このスキルを発動する──)
「楽園解放天翼転移!」
バネッサは朗々と叫んだ。
天空の一角に黄金の光が灯る。
その輝きは水面に映る波紋のように広がっていく。
ぅおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおんんっ!
空が──いや、世界そのものが静かな鳴動を始めた。
本来なら隔絶されている神の世界と人の世界が、つながっていくのが分かる。
決して人の世界に降り立ってはならない、大いなる存在──神々や天使。
それがバネッサに宿る神の力を媒介にして、この世界に呼び出されようとしている。
「光、あれ」
バネッサは厳かに告げた。
まるで自身が神そのものになったかのように。
その言葉に応えるように──降臨する。
空を覆う黄金の波紋から、翼を備えた白い人型の群れが。
三十七の、聖天使が。
「魔を駆逐し、ともに消え去りなさい。人の世界のために──」
いよいよ始まるのだ。
神と魔と、人の大戦が。








