9 「役者はそろう」
王都内で運送業を営む会社──ハイマット運送。
その業績はジャックが入社して以来、右肩上がりである。
「社長。頼まれていた分、運んでおきました」
オーキスシティまでの往復を終えたジャックは、本社に戻ってきた。
常人なら数人がかりで、しかも一日以上はかかりそうな運搬作業も、彼にかかれば近所まで散歩に行く程度の気軽さで終えることができる。
「も、もう戻ってきたのか。最近また速くなってないか?」
社長が驚いたような顔をしていた。
「いやー、なんか調子がいいみたいで」
笑うジャック。
書類仕事をしていたハンナが顔を上げ、ぱちりとウインクをした。
ジャックも微笑みを返す。
さすがに社内でおおっぴらにイチャつくわけにはいかないが、この程度のささやかなやり取りが、この上なく幸せに感じる。
「今日はもう上がっていいぞ」
社長が微苦笑したのは、そんな二人のやり取りに気づいたからだろうか。
「まだやれますよ、俺」
「いや、適度な休息も必要だし、お前の作業量は他の社員よりずっと多いからな」
と、社長。
「ゆっくり休んでくれ。また明日も頼むぞ」
「じゃあお言葉に甘えて、今日はこれで失礼します。お疲れさまでした!」
元気よく言って、ジャックはロッカールームに戻った。
足取りが軽い。
最近、仕事が──そして『強化』のスキルも絶好調だ。
以前にも増して、パワーやスピードの強化率が高くなっているのを感じる。
おかげで運搬できる荷物の量や配達のスピードも段違いに上がった。
ジャック一人で、いったい何十人──いや、何百人分の仕事をこなしているだろうか。
その仕事ぶりは王都中の同業者に知れ渡っていた。
他の運送会社から引き抜きの誘いを受けたことも、数え切れない。
だがジャックはそのすべてを断っていた。
自分を拾ってくれたこの会社への恩義もあるし、社長も社員たちも人柄の良い者ばかりだ。
何よりも、ハンナの存在がある。
すでに男女の関係となり、社内公認カップルとなって久しい。
周囲からは『いつ結婚するんだ?』とからわかれる毎日だ。
実際、ハンナの方も最近ではプロポーズを待ち望んでいるような雰囲気を漂わせるようになった。
(そろそろ身を固める時期ってやつなのかな)
ほくそ笑んだそのとき、
──どくんっ!
ふいに、心臓の鼓動が高まった。
血流が速まり、全身が灼熱する。
痛みはない。
苦しみもない。
ただ、異様な高揚感が全身を突き抜けていく。
『滅びろ……壊れろ……すべて、塵一つ残さず、すべて……ジャック・ジャーセ……! すべて……すべて……すべて……すべ……て…………』
かつて戦った『支配』のスキルを持つ少年、レヴィンが最後に残した言葉──。
それが脳内で何度も反響する。
最近、この言葉が時折頭の中によみがえるのだ。
呪いのような響きを持つ、断末魔が。
(くそ、俺はこんなものには……負けない)
自分自身を叱咤した。
湧き上がる不穏な予感を、振り払う。
闘争は、ジャックの望むところではない。
ディアルヴァとの戦いも、レヴィンとの戦いも、ビクティムたちとの戦いも──決して望んだわけではなかった。
ジャックが望むのはただ一つ。
平穏で温かくて優しい時間だけ。
これからは、そういう時間が続いてほしい──。
願ってやまないし、信じてやまない。
そして自分の傍らに、ハンナがよき伴侶としていてくれたら何も言うことはなかった。
ジャックはそんな未来予想図を描いていた。
『滅びろ……壊れろ……』
だが、そんな願いとは裏腹に、レヴィンが残した言葉はなおも頭の中で響き続ける。
心の片隅に消せない衝動が残ってしまう。
まるで野生の獣のような、どう猛な攻撃性が──。
「なるほど、随分と影響が出ているようね」
ふいに、声がした。
「っ……!?」
いつの間に現れたのか、一人の女性が廊下に立っていた。
緩くウェーブのかかった長い金髪に、薔薇色のドレス。
貴族のような気品と娼婦のような妖艶さを併せ持つ、美しい女だ。
「……誰だ、あんたは?」
「エレクトラさんの予知通りに進行しているのね。かつてあなたが戦ったスキル保持者レヴィン・エクトールの『支配』の残滓が──あなたの深奥に色濃く根付いている」
「何を……言って……!?」
微笑む美女に、ジャックは警戒心を強めた。
なぜレヴィンの名前を知っているのか。
しかも彼女から漂ってくる気配は、自分やレヴィンと同質のものだ。
(もしかしたら、この女は)
ごくりと息を飲む。
(いや、おそらく彼女も俺と同じ──)
「あたしはあなたを導きに来たの、ジャック・ジャーセさん」
女の微笑みが深まった。
「我が『同種』」
「何……!?」
訝るジャックの眼前に、黒い霧のようなものが広がっていく。
反射的に四肢の力を『強化』して、超速で跳び下がった。
あまりにも速いその動きだけで、周囲に突風が吹き荒れる。
「無駄よ。あなたの『強化』より、あたしの『移送』のほうが速い」
微笑む美女の声とともに、周囲の景色が一変した。
「どこだ、ここは……?」
ジャックは戸惑い混じりに辺りを見回した。
先ほどまで社屋内にいたはずなのに──。
整然とした街並みに変わっていた。
遠くには異国風の神殿が見える。
「これで役者はそろう──ということね」
美女のつぶやきが風の中に消えていく。
「どうなっている──!?」
わけがわからず、ジャックは自問する。
と、全身に突然、悪寒が走った。
禍々しい気配が肌を粟立たせる。
常人よりもはるかに強化された感覚を持つジャックだからこそ、感じ取れる気配──。
それは空から漂ってくる。
「何かが──来る……!?」
頭上を見上げる。
雲一つない青空。
そこに、黒い小さな点が一つ、また一つと浮かんでいく。
次の瞬間、無数の禍々しい気配が出現した。
魔の者たちの、気配が。
次回から第15章「大規模クエスト」になります。
9月19日(火)から更新再開予定です。
再開後は章の終わりまで隔日更新していく予定です。








