11. 教会と王権 2
「お久しゅうございます、陛下」
王宮に出張ったアーヴァイン大司教が国王に謁見する。室内には国王の他、王太子と第二王子が着席していた。
「して重要案件とは一体、どういうことなのだ? 教会が政治に関わるのは好ましくないと思うが」
アーヴァインと王族の間に、旧交を深めるなどということはない。形だけの挨拶を交わせば、後は即、用件に移る。両者とも貴族の使う言い回しや、長々とした時候の挨拶を交わすような、無駄な手間をかける気さえ一切なかった。
「巡礼の旅を装った、金の密輸が見つかりました」
「金の密輸とは穏やかではないな」
「教会の不正をただしたところ、密輸が発覚いたしましたのでご報告をと。一度に潰すために実際押収したのは最後の一回分だけですが、報告書と一緒にお納めください」
室内に持ち込まれた金は、幼子ほどの重量がありそうだった。
「随分な額になるな」
積み上げられた金塊に、国王が小さく呟く。
「これが三年ほど続いたようです」
「――!!」
密輸した金の量を想像して王族の三人は絶句した。
事実なら家が取り潰されるだけでは済まない。当主と妻子が揃って処刑されてもおかしくない量だった。貨幣に含有される金や銀の量は、そのまま国力であるのだ。そういうこともあって軽い気持ちで密輸するようなものでもない。
下手をすれば国家反逆罪も適用される大罪だ。
もし密輸入した金を使って贋金でも作れば、国を混乱に陥れるのは簡単だっただろう。
「しかしこれほどまでのことをしていても、金遣いの荒さが聞こえてこないことを不思議に思いませんか?」
「関税分、密輸した方が安いとはいえ、産出国で買ってもそれなりの額になる。派手に豪遊することは不可能だろう」
アーヴァインの問いに、国王が答えた。
心から思っていることではなく、口先だけなのは判りきっていたが、王子二人に考えさせる心算という考えに乗ってみる。若造の教育は年長者の務めだ。
「そんなことはありません。十分、豪遊できますよ。密輸した金塊の儲け一年分が、平均的な公爵家の一年分の収入と同じくらいですからね。それに金塊は密輸されたもの。しかし国内で流通した形跡はありませんでした。加工して国外に出たからです」
敢えて空荷で出るとは思えないと言外に含ませる。
「密輸出していたのはこちらです」
少し間を開けた後に取り出したのは絹張りの箱だった。中身は豪華なパリュールだ。金剛石を散りばめたそれはキラキラと光り輝いており、中石には矢車草を思わせる深みのある青玉を惜しみなく使っている。貴族家で代々受け継がれるような、豪華なだけでなく細工の一つ一つが丁寧なそれは、国の内外を問わず高値で売れるだろう。
「しかし金の産出国と宝飾品の売り先は随分と離れていそうだが?」
「一つの貴族家だけであれば無理だったでしょうね。しかし複数の家がいくつもの国に跨って密輸を行っていたとすれば? セルティア王国と産出国の二国間ではなければ成立すると思いませんか」
「何を言いたい!」
ゆるりと話していたアーヴァインに対して、一番早く切れたのは第二王子であるイアンだった。
「たかが金の密輸如きであれば、わざわざ国王陛下への面会を求めなかったということですよ」
側仕えに合図をして、書類を一気に机の上に投げ出した。
「政変ですよ。彼らの目的は」
結論だけを言って王族の三人を見る。
「贅沢をするつもりでもないのに、こんな危険な橋は渡るのは何故か、どういった理由で家門を断絶させるような危険な真似をするかか……。答えは明白でしょう」
最後まで言ってやらなければ判らないのか阿呆、と言外に滲ませた。
たとえ国王を前にしても、アーヴァインは怯むことも控えることも一切しない。
する必要性を感じていないのだ。
「まず金を密輸することで安く宝飾品を作る。セルティアのものは大振りで品が無いと言われる半面、大きくて美しい宝石を使うことで有名ですからね。細工も丁寧で細部まできっちりと作り込まれていますから、それなりの価値が認められています。国外でも割と高値で売れるのですよ。そういった宝飾品をより高値で売れる国に密輸出すると、正規の取引で得た素材で作って国内販売するものより五割ほど高値で売れる。その売買益を毒と武器に注ぎ込んだのです。今すぐ動けば、証拠は簡単に手に入るでしょう。今日中に屋敷を抑えることをお勧めいたします」
陽は中天を随分と過ぎていた。
これから騎士団を動かして、何軒もの屋敷を一斉に捜索するのは難しい。軍の総司令官であるイアンは、素早く段取りを頭に浮かべて渋面を作った。
「なんでしたら教会から兵を貸しましょうか。準備はできていますよ」
柔らかな微笑みが、対峙する相手を苛立たせることをよく知っている上での顔だった。
「必要ない」
「それは何よりです」
イアンの低く吐き捨てるように発せられた言葉は、人を怯ませる迫力を含んでいたが、アーヴァインは軽く受け流した。
柔らかく微笑んで「期待しています」とだけ告げたのだった。
* * *
「根回しもせずに大きな事件をぶち込むなんて、性質が悪いなあ!」
笑いながら言うのはアーヴァインの従弟であり懐刀でもあるマスグレイヴ司祭だ。
二人の近くには茶の支度をする傍仕えのセリムもいるが、マスグレイヴはまったくの普段通りだった。幼いころ兄弟のように親しくしていた従兄弟たちは、大人になって上司と部下と関係が変わったが、相変わらず仲が良く、信頼しあえる間柄だった。
「しかも捕り物までの猶予が全くなかったって?」
「対応できないのが無能なんですよ。仕事を肩代わりして差し上げたのですから、後片付けくらいは頑張ってもらわないと……。まあ今回は無能ではない証明ができて良かったと思うよ」
日ごろとは違い、幼い頃から付き合いのあるマスグレイヴを相手にするアーヴァインは、砕けた言葉遣いだ。実際には無能ではないことの証明どころか優秀さを発揮する結果だったが、アーヴァインはお構いなしで言い放つ。
順位が低いとはいえ王位継承権を持つエギル公爵を筆頭に、王子を産んだ愛妾の実家を含め、合わせて六家の上位貴族が加担していた政変である。
未遂に終わって良かったものの、実行に移されれば少なからず被害を出し、国内は混乱に見舞われただろうと思われる。
「失敗する未来しかなかったとはいえ、捕り物で何人か死んで、責任からその数倍の首が胴と泣き別れになるのを、さらっと告発してのけるのは国王も肝が冷えただろうな」
「種を撒く方が悪いんですよ」
アーヴァインはワインの香りを楽しみながら口に含む。
芳醇な香りと柔らかな甘味と酸味が調和して、良い出来なのを実感する。
「そもそも庶子の王子などを認めるから、今回のようなことになるんだ。子が可愛いだけなら愛妾と子をそれなりの待遇にするだけで良かったというのに」
兄王子の教訓を生かしきれていない国王に、駄目出しをすること自体が無駄だと思いつつ、つい嫌味の一つも吐いてしまう。
「エギルは王の種じゃないけどな!」
「とっとと処分しないのが悪いんですよ」
数代前の国王の弟が臣籍に下って興した家だが、王の兄が関係する醜聞を始め、いくつもの問題を抱えた家をそのまま放置していた王は、責を問われても仕方がない。
「ようやくだったな」
「ああ……」
マスグレイヴの言葉に小さく返す。
一族の娘を地獄のような生活に落とす原因になったエギル前公爵や、その性質を受け継いだ息子たちを、アーヴァインの一族は誰一人として許していなかった。
アーヴァインにとっては幼い頃、よく遊んでくれた優しい叔母である。たった一人だったとしても、被害者をこれ以上出してはいけないのだ。犠牲になるのが一族の血を引かない女性でも、貴族ではないただの平民でも、等しくエギルの魔の手から守るのは使命だった。
今回の事件に関わっていた前公爵、現公爵の二人は処刑された。罪の一切を知らなかった公爵夫人は、辺境の小さな修道院に入った。強制はしていないが、二度と外の世界に出てくることはないだろう。長い結婚生活の中で夫人は、心身ともに疲れ果てていた。修道院の静寂に包まれた生活が、擦り切れた心を穏やかに癒してくれることを願っている。
エギルの一族を追い落とすのに予定より時間をかけ過ぎたのは後悔が残る。
だが同時に政変の芽を摘めたのは重畳だった。平和が乱されれば、戦う力の無い者から傷ついていくのだ。
お待たせしました。
アーヴァイン大司教編完結です。
作中で一番お気に入りのキャラですが、書くのが一番大変でした。




