06. リリーの結婚と地方貴族の諍い 3
アーヴァイン編のヒロインであるリリー回です。
大司教は完全な脇役で1行しか出てきません。
嘘みたいだわ……。
リリーは心の中で呟く。
正装に身を包みながら、今日という日を迎えられた幸せを噛みしめる。
アーヴァイン大司教が見合いを勧めてきてからの一年は怒涛のように過ぎ去った。
相手のイライジャは、大司教が薦めるだけあって好青年だった。
その出自から自信の無いところはあったが、他人を慈しみ思いやりのある言動は、人柄の良さを表していた。
下位貴族である男爵家の娘であるリリーが、高位貴族である伯爵家に嫁ぐのは、作法や知識の差があり過ぎてそのままでは伯爵夫人として不足だった。
だから結婚相手同様アーヴァイン大司教の橋渡しで、アーキン侯爵家の養女になった。
一年間、みっちりと高位貴族に必要な知識を身に着けながら、婚約者との交流を続け愛を育んだ。カーティス家の家業である北方貿易に関しては、市井で暮らしていたイライジャが、歴代当主の誰よりも上手く経営してみせており、将来安泰だ。
不祥事によって傾いた家は、ファーナム伯爵家との和解で、あっという間に元に戻り、さらには大きな黒字を叩き出した。当主の誠実な領地経営の実績と継嗣の手腕の賜物だった。
結婚の当日を迎え、リリーの心の中に不安はなく、これからのことで胸がいっぱいだった。
馴染みのあるギーラン大聖堂が、人であふれかえり、日ごろの静謐な雰囲気は吹き飛んでいたが。厳かな佇まいも空気も相変わらずだ。
緊張しならが一歩一歩、前に進み婚儀が始まった。
アーヴァイン大司教の声が聖堂内に朗々と響く中、幸せに小さく涙を零す。
多くの人たちに祝福されながら、人生最大の幸せを感じる。
そしてその幸せは生涯に渡り続くことを感じていた。
「イライジャ様、これからもよろしくお願いします」
最後の客が帰り、ようやく結婚の一連の儀式が終わった街屋敷は、本来の住人だけになり静けさを取り戻していた。
伯爵家の街屋敷にしてはややこじんまりとした新居は、しかし家格に相応しい調度を揃えている。
不祥事を起こした長男の住居を、使いまわすのは嫌だろうという舅の計らいにより、新たに家を建てたのだ。
王宮に近く貴族街の中でも一等地に構えた屋敷は、リリーの養父母である侯爵家から見ても立派な建築だった。必要以上の贅沢を好まず、身の丈にあった生活を良しとする性格のカーティス伯爵は、息子夫婦の新たな門出のために、惜しげもなく金を使った。
かなり無理をして建てたのではと心配すれば、花嫁修業をしている一年の間に、前年までの赤字を取り戻したから大丈夫だと、舅であるカーティス伯爵は微笑んだ。
実際のところイライジャが跡を継がずとも、結婚したときに最後のまとまった金を渡すために、少なくない額の金を用意していた。父親としてできることは、母子が安心して暮らせるための配慮と、資金援助しかできなかったからだ。その他の教育や生活といったものは、嫡子の代わりにとって必要な事であり、血を分けた子を純粋に気遣ったものではないことを、父であるカーティスは誰よりも理解している。
その資金を使えば、屋敷を整えることなど簡単なことだったのだ。
「リリー、ゴールトン伯爵家が取り潰しになったよ」
新婚二日目の朝に言うことではないがと、前置きの後に言われた言葉は衝撃的だった。
「それは……イライジャとの結婚許可証を偽装したからかしら?」
恐る恐る聞いたが、違うと一言で否定された。
「我が家同様、書類の偽装によって窮地に陥れたり、不当に財産を奪った証拠がみつかったんだ。あまりに数が多すぎて、少々の罰ではきかなかったようだね」
そう言って新妻を安心させるように微笑む。
ゴールトンはリリーたちの婚約の少し前、窮地に陥ったカーティス伯爵家を取り込もうと乗り込んできた家の当主だ。
彼の手による当事者全員の署名のある婚姻書類は、何故か不備がないと受理され、カーティス家の誰もが知らぬ間に、イライジャとメアリ=ゴールトンとの婚姻が成立していた。
しかし国王の裁可が必要な結婚許可証を偽装していたとして、一度は受理された書類は差し戻され、二人の婚姻は無効になった。
ゴールトンは粗野で尊大な男だった。娘のメアリも父によく似た性格で、財政の厳しくなったカーティス家を見下し、半分平民の血を引くイライジャの事を莫迦にしていた。
しかし家格はカーティス家の方が上で、一時的に厳しい状況に陥ったものの、勢力も収入も全てにおいてゴールトン家の方が下だった。
イライジャとしては自分が莫迦にされたことよりも、母を蔑み悪し様に罵ったことや、婚姻後は寄付金も無しに母を修道院へ放り込むと言ったことが許せずにいた。
婚姻の無効後は、ゴールトン家の不法行為が他にもある筈だとばかりに義父であるカーティスが徹底的に調べ上げ、その全てを王宮に訴えたのだ。普段は温厚な人だが、怒らせると非常に怖い存在だった。
「ゴールトン伯爵は処刑されたよ。息子たちも父親と一緒に犯罪に手を染めていたみたいで一緒に処刑された。娘は母親の実家に親子で身を寄せたらしい」
息子と娘の処遇の差は、犯罪行為を知っていたか否かの差だった。
実家に身を寄せた直後、伯爵夫人は修道院に、娘は老齢の貴族の後添えになったのだが、リリーが知れば自分と同じくらいの歳の令嬢が、金持ちに買われるような嫁ぎ方をしたのを気に病むだろうと、身を寄せた後の話は端折った。
しかしとイライジャは思う。
老人が若い娘を娶る理由の半数は、話し相手として求めており、自分の最後を看取ってもらうためである。歳の差婚が全て不幸であるとは限らない。
そうではない好色な爺も少なくないが、大抵は十年もせずにくたばるのだ。その後は夫の個人資産――代々受け継がれた家の財産ではない――を受け取り自由の身になるのだから、不幸だとは言い切れない。娘を財産としかみなさない親の元にいるよりは、多少の年月を我慢して自由の身になるのは悪くないと。
「朝からこんな話をしてすまない。でもアーキン侯爵がリリーの安全を心配していて。その……報復されるのではないかと」
「お義父さまが?」
「夫人もね。義理の娘であっても、その身が脅かされるのは不安なんだと思う。絶対に危ないことにならないようにと厳命されたよ」
リリーは実父からは財産扱いをされ、いかに高値で売り飛ばすかという目で見られていたが、婚姻のために養女に迎えられた養父母からは、大切な家族として受け入れられた。今までにない親からの愛情を受けて幸せな生活だった。既に独立したり嫁いだ義理の兄姉たちもまた、末の妹として慈しんでくれた。
その両親は嫁いだ後も、義娘の身を案じていたのだった。
もっともリリーの養父母から命じられなくとも、イライジャ自身、妻の身を守ることを決めていたのだが。
新妻はカーティス伯爵夫人とも、イライジャの実母とも上手くやれている。
特に実母を平民と侮ることをせず、嫁として義母として敬うところや、カーティス夫人と上手くやっていくところなど、難しい家庭環境の中でよくやってくれていることを感謝していた。
「さて、朝食も終えたし、そろそろ初仕事に取り掛かろうか?」
ゆっくりと時間をかけて摂った初めての食事を終えると、イライジャが妻を仕事に誘う。
結婚二日目、のんびりすることなどできる筈も無く、式に参列してくれた人たちや、祝いの品を贈ってくれた人たちに礼状を書く仕事が待っていた。
地方貴族とはいえ家業が貿易であるカーティス家の次期当主の元には、家格からは想像できないほど多くの祝いの品が届いていた。贈られたものを確認するだけでも一仕事だ。
本当は二人とも一日くらいのんびりしたいと思っていたが、そうすることは難しい。
「初めての共同作業ですわね」
リリーが微笑めば、イライジャも微笑みで返す。
食堂室から贈り物を保管している部屋まですぐだったが、差し出された腕を取り歩くのは、この上ない幸せだった。
もう少しアーヴァイン編が続きます。
次話もまた投稿に時間がかかると思います。お待たせしてすみません。




