05. リリーの結婚と地方貴族の諍い 2
「ゴールトン伯爵、重婚の罪とは、一体どういうことでしょうか?」
カーティス伯爵がギーラン大聖堂に呼びだされたのは、新たな継嗣であるイライジャと、アーヴァインから紹介されたリリー=ロートンとの婚約式が執り行われた二日後だった。
ゴールトン家から婚姻と商売の取引を持ち掛けられてはいるものの、未だ取引は成立しておらず、親しい付き合いでもない彼らを、継嗣の婚約式に呼ぶことはなかった。
そのためゴールトンは二人の婚約に異議を唱えることができず、翌日になって教会に異議を申し出たのだ。
曰くイライジャ=カーティスと娘であるメアリ=ゴールトンは同居こそしていないものの、既に神に許された夫婦であると。
調べてみればイライジャの結婚に関する書類は、確かに教会で保管されていた。花嫁の名前はメアリであり、ゴールトンの申し立て通りだった。
「言った通りにございます。そちらのカーティス伯爵家の嫡男イライジャ殿と、我が娘メアリが既に婚姻を結んでいるのに、イライジャ殿はアーキン家の令嬢と婚約を結んだのです」
室内にはカーティス伯爵とゴールトン伯爵、それと当事者であるイライジャ=カーティスとメアリ=ゴールトンの四人が着席している。
「確かに何度も婚姻の話を持ち掛けられたのは事実ですが、その度にはっきりとお断りをしております。そもそも当方に利が無く、相手のみが一方的に利を得るような縁を結ぶのは愚か者のすることです。勿論、古くから付き合いがあった場合は別ですが」
「カーティス家とゴールトン家の付き合いは一年にも満たないですね。確かに婚姻の条件を考えると不自然です」
「しかし困窮しているカーティス家は、目先の利益に飛びついて結婚を了承しておいて、より条件の良い相手が見つかった途端、手のひらを返したのは事実です! どうか教会に収められている婚姻証明書を確認してください」
カーティスの反論に、アーヴァインはその通りだと助け船を出した。
しかし思った通りゴールトンは即座に反論する。
この程度の反論で怯むような相手なら、教会に提出する書類を偽造するような真似などしない。充分に予想の範疇内だった。
「確かに提出されていました。しかし確認したいことがあります。何故、当主の署名と当事者の署名、合わせて四名分が一人の筆跡なのでしょうか? これはまるで勝手に書類を偽装して提出したようにしかみえません」
「私が偽装したと……? しかし既に受理されています。婚姻した後により良い相手がみつかったからと、神がお認めになった婚姻の誓いを反故にするのは問題です」
ゴールトンは傲岸な態度のまま、あくまで自分の正当性を主張する。
アーヴァインの心には全く響かないが。
「真実、神のお認めになったものであれば、ですけれどね」
偽装の誓いのどこに神が許しを与えるのか疑問だ。
「さて、書類が本物だったとしても、差し戻されることはありますよ。一番わかりやすい例でいうと、今回のように重婚の疑いがあった場合でしょうか。他にも国王陛下の許可がない貴族の婚姻ですね。教会は国政に口を出さないと、各国の王と取り決めておりますから、王の許可なき婚姻に神の許しを与えることはありません」
「言いがかりです! 教会に書類を提出するときに、結婚許可証を確認していただいております。許可が下りないのに許可証は発行されません!」
「偽装ですね」
アーヴァインは一刀両断する。
自分の頭の良さを疑わない愚か者に制裁を与える時間の始まりだった。
「ゴールトンの異議申し立てにより、教会に保管されている契約書を確認したところ、先ほど言った通り四人分の署名が一人でなされた、限りなく偽造に近いものでした。ですから王宮に問い合わせて、結婚許可証が発行されたのか問い合わせたところ、偽装されたものだと判明しました」
「なんですと……! 確かに私は許可をいただきました!!」
「あなたの手元にある許可証は、確かに本物と区別がつきませんね。しかし王宮に保管されている控えは、明らかに偽装されたものであり、王の許可が下りた形跡はありませんでした」
「――!!」
「跡取り以外の婚姻であったとしても、準貴族を含めて全て、王か側近が全て確認し許可を与えているのですよ。それがたとえ独立後は平民になる跡取り以外の婚姻でもね。そして控えには王が許可を与えた記録がありませんでした」
国王の許可なき貴族の婚姻は無効だ。
教会は国との対立を望まない、だから神の許可を与えないのだ。
「そう言う訳でイライジャ=カーティスとメアリ=ゴールトンの婚姻は無効です」
アーヴァインが言い切るのと同時に、ゴールトンの身体から力が抜ける。
「さて……、これで終わりではありませんよ。たかが結婚許可証とはいえ公文書偽造ですからね、騎士団による取り調べが待っています」
そう言うと側仕えに合図して騎士たちを室内に招き入れた。
「ゴールトン、国家反逆罪だ!」
ドヤドヤと足音高く入ってきたのは王宮騎士の一団だった。
「国家反逆罪などっ!!」
埒外の重い罪状に目を白黒させるが、騎士たちはお構いなしに手荒く引き立てる。
その行為に抗議の声を上げるが、斟酌する気配は一切なかった。
「儂は伯爵だぞ!」
「罪人に爵位は関係ねえ」
「おっさん、国王を謀ったんだ、反逆以外の何物でもねえよ」
「反逆罪は縛り首が妥当だぜ、当然爵位なんか取り上げられるに決まってるだろう」
抗議の声は数倍になってゴールトンに返ってくる。
地方で小狡く立ち回って満足していた小悪党だ。もちろん反逆の意思などない。
しかし結果が全てだ。少し前まで粋がっていた男は荒縄で縛られ罪人として引き立てられる。
「嬢ちゃん、あんたも犯罪に関わっていたんだ。だが大人しくしていれば手荒なことはしない」
荒っぽい騎士たちだが、メアリに対しては淑女を相手にする程度の気遣いをみせた。
ゴールトン親子は大聖堂の裏口から、貴族がお忍びで使うような飾りの無い馬車で護送されて退場した。
「さて……問題は解決しましたね」
アーヴァインは目の前の捕り物のせいで呆然としているカーティス親子に微笑んでみせた。
「……そうですね。あまりな出来事に目的をしばし忘れておりました」
「身分を笠に着る相手に対しては、最初にああやって荒々しく対応して心を折るらしいですよ。その方が後々やりやすいのだとか。予め騎士団の方から、少し騒がしくすると断りを入れてきました」
目の前の二人には刺激が強かったらしい。察した側仕えが温かい飲み物を机に置く。気分を落ち着かせるお茶に蜂蜜を入れて甘くしてある。
アーヴァインが茶器に手を伸ばせば、釣られるように二人も茶を口に運んだ。
「伯爵の調査が役に立ちましたね。色々と罪を暴けたと、法務官が喜んでおりましたよ」
「しかしあれは、猊下が証拠を渡してくださったからです」
「確かに私が用意しました。しかしながら調査の手掛かりになる事件を、十年以上も遡って、ひとつ残らず見つけ出したのは伯爵の手柄です。ゴールトンを追い詰めるきっかけを作ったのは間違いない。私は王宮の上層部に伝手がありますから、古い記録に当たって証拠を見つけられましたが、何を調べれば良いか判らなければできませんでした」
誇っても良いのだとカーティスを褒める。
息子とゴールトンの娘との婚姻を潰し、カーティス領から手を引かせるだけであれば、もっと簡単だった。
だが所業を知り、不当に財産をかすめ取られたり、破滅に追い込まれた家を救済するには足りなかった。その全てを取り戻させるため、見ず知らずの相手の分まで調べ上げたのだ。
* * *
ゴールトンが処刑され、家が取り潰されたのは約半年後だった。事件が多すぎ、全てを調べ切るのに時間がかかったからだ。
カーティス伯爵は罪の全てを詳らかにした功績で報奨金を得たが、被害者やその家族の救済にと、全額をその場で寄付した。
長男の醜聞からくる損害は大きかったが、しかし自分よりも困窮した家への配慮をみせた。
そもそもカーティス伯爵は報奨金を目当てにしていなかった。かつて自分が犯した罪を償う気持ちから全力を尽くして、ゴールトンの罪を全て調べ上げたのだ。
罪が明らかになれば、没収された財産から被害者の救済が行われる。それを見込んでのことだった。
己の面子のためではなく、見ず知らずの他人のための行為によって、カーティス伯爵は汚名を雪いだのだ。
「報奨金を受け取っておいてもよかったのでは?」
アーヴァインはイライジャとリリーの結婚式の後、カーティスに話しかけた。
「いいえ、報奨金がなくとも我が家は立て直せます。息子は私よりも良い領主になり家を栄えさせることができるでしょう」
「無欲ですね」
「無欲ではありません。ただの罪滅ぼしです。長男が犯した罪を私はできるだけ小さくしようと奔走しました。犠牲になった嫁を見捨てて。相手は成人したとはいえ、まだ手を貸す必要があるような少女でした。彼女が嫁いできてから、私は気を使う振りをしていただけで、何も見ていなかった。幼い少女を不幸にした挙句、家の事だけしか考えなかったのです。人として最低の行いでした」
「今、彼女は幸せですよ」
「それが何よりも救いです」
「カーティス伯爵、人は過ちを犯す生き物です。神はすべてを見ておられ、そして許します。あなたもとうの昔に許されていますよ」
「そうでしょうか……」
囁くように呟いたその顔に一筋の涙が伝った。




