05. 後輩の妹 1
昨日は、補足説明が間違っていて、そのせいで更に読みにくくなってすみませんでした。
後半は決闘相手目線に変わります。
ネイサンが護衛を務めている幼い姫は、好奇心旺盛な割に恐がりで、木に飛びついて枝に積もった雪に降られて泣いたり、自分の予想外の動きをする生き物に驚いて泣くわりに、庭を走り回って犬の尻尾を力いっぱい引っ張ったりとやりたい放題で、お守りするというより、子守りをすると言った方が正しい状況だ。
子供の動きは予測不能で、子供のいる先輩騎士や上官から、色々と教わる毎日だが、その教えを私生活で実践できるか、未だ女性との付き合いが無いネイサンにはわからない。
新人を助けてやって欲しい、そうサイラスに言われたのは、幼いセイラ姫の護衛に慣れた頃だった。
「新人のナイジェル=アークライトの妹が騎士に見初められたんだが、妹には相思相愛の婚約者がいて。一度は兄として断ったらしいんだが、爵位を盾にして自分に寄越せと圧力をかけてきてな。新人は子爵家なんだ。相手は侯爵家で」
「家が絡んでくると、父親の意向が判らないと手が出せないな。家長の反対を権力で黙らせるというのなら、こちらからも手を出す余地が出てくるけど……。取り敢えずこちらで少し調べてから返事をしてもいいかな?」
「ああ、悪いけど頼む」
部下の名前と婚約者の名前、それと横槍を入れてきた騎士の名前を告げてサイラスは席を立つ。昼休みといってものんびりしていられないのは性分だろう。教育期間からずっと、一所でのんびりと寛いでいるのを見たことがない。ネイサンとしても文官の友人に婚約者の素行を尋ねにいかなくてはいけないから、あまり友人と長話はできなかったため丁度良かったのだが。
いくら女性が婚約者との結婚を望んでいても、傍から見て相手がロクデナシだった場合は、婚約者を助けることはできないと思ったのだ。
横槍を入れた騎士はヘンリー=ハズウェル。ネイサンたちより何年か先に入団した先輩だ。特に目立った活躍をしておらず出世は遅めだが、同期の中で一番遅いというほどでもなく、女遊びは好きだが素行が悪いという程でもない。せいぜいが酒場の女を買うくらいで、素人に手を出したり令嬢を弄んだという悪い話は聞いたことがない。
貞淑であることを厳しく教え込まれた令嬢なら、娼館通いや女性が接客する酒場を嫌がるだろうが、男の目から見ればいたって普通であり、目くじらを立てることではない。
つまり何ら瑕疵の無い独身男なのだ。
もし令嬢の父親がヘンリーを望むというのなら、婚約者たちは諦めて別れるか、家を捨てて駆け落ちをするかの二択しかない。婚約者のもう片方であるジョナスは子爵家の次男、ヘンリーは侯爵家の三男、どちらも跡取りではないが、令嬢の父親が欲を取るのなら侯爵家を選ぶだろう。
友人を通じて婚約者であるジョナスの素行を確認すれば、上司からの覚え目出度い好青年だと返ってきた。尚書省勤務の彼は、古文書の補修など面倒臭くて評価されづらい、それでいて重要な仕事を率先しておこなうのだと聞かされた。勤怠も問題なく、職場で誰とでも上手くやれるが、ここ数日は落ち込んでいて心配だという上司の話まで伝えられる。
婚約がどうなるのか不安なのだろう。
「サイラス、明後日の昼にアークライト家を訪問するから、君の所の新人に伝えておいてくれるか。明日は勤務の後、そのまま実家に帰るから、無理なら今日中に連絡が欲しい」
友人グレアムの話を聞いた後、サイラスを捕まえて伝える。
男二人の素性と素行が判明したのだ。
後は令嬢の父親の意向を確認するだけだった。
「構わないが、親父さんにどう話を持っていくか確認してもいいか?」
「婚約者との結婚を望むようなら、決闘でカタをつけたいという予定だ。ハズウェルを選ぶと言われれば、そうですかとしか言いようがないけどね」
「決闘か、ハズウェルはどうしてナイジェルが出てこないと文句を言い出しそうだ……」
そういってサイラスは少しの間、逡巡する。
「ナイジェルには伝えない方がいい。俺の方からアークライト子爵に連絡を入れておくよ」
準男爵家の息子でしかないサイラスだが、息子の上官としての立場があれば、子爵家の当主に連絡を入れたとしても都合を合わせてくれるだろう。
ネイサンがアークライト子爵家を訪問したのは、昼を少し過ぎたころだった。
前日の夜に帰宅して、家族と晩餐を共にしたときにもしかしたら子爵家の後見を頼むかもしれないと父親に話しておいた。
アークライト家の応接室には当主の他、妻と娘も待っている。まだ十代の娘が、今回の婚約に関係する妹なのだろうとあたりを付けながら入室した。
「初めまして、ネイサン=ファーナムと申します」
貴族的な作法に則ってネイサンが名乗る。特に爵位を告げなくても、この国の男爵以上の貴族家は三百程度しななく、当主なら当たり前のように家名と爵位が頭に入っている。
対する令嬢の父親――アークライト子爵も同様に名乗った。
「エリカさんの婚約の事で、兄君であるナイジェル君から相談がありまして。しかしお父上の意向も聞かず、私が動くことはできませんから、本日、確認のためにお伺いいたしました」
「息子が無理を言って申し訳ございません。娘にはできたら好いた男と一緒になって欲しいと思っていますが、如何せん我が家は子爵家、お相手は侯爵家ですから、是非にと言われれば折れざるを得ません。ジョナスのことは幼い頃から知っていて、良い青年になったと思っています。娘と一緒になってくれればとは思いますが、儘ならぬものです」
「そういうことでしたら、私がお役に立てるでしょう。我が家がアークライト家の後見になります。父からの許可をとっておりますので問題はありません。ハズウェル家も侯爵家で家格は同程度ですから、我が家だけでは弱いのですが、私の友人の実家も同時に後見につきます。友人はアトキンス家の三男です。家格は足りませんが、本人はイアン殿下の側近です」
アトキンス家は伯爵家で由緒正しく歴史のある家だ。伯爵家とはいえそれなりの家格を持っている。その上、グレアム本人は王子の側近を務める逸材だ。
イアン殿下は王太子の弟にあたる第二王子であり王妃を母に持つ。
王太子は同母弟妹と大変仲が良い。その側近を務めるというだけで相手は引く。
「彼は私と同い年ながら非常に優秀です。二十歳そこそこで殿下の側近になったのが、家の権力ではなく実力で得たものだと言えば、お判りになっていただけると思います。事情を知っている者なら、彼個人を敵に回すのが得策ではないと理解できるでしょう」
「ありがたい申し出ですが、我が家と何ら関係の無い両家に、お力添えしていただく訳にはまいりません」
「家とは関係がありませんが、ナイジェル君個人とは無関係ではありませんよ。彼の上官が私の友人でして。彼が私の爵位を当てにしたことは、今まで一度もありませんでした。ですが今回、ご子息のために権力を使ってくれと頭を下げてきました。親しい友人の願いを無碍にするほど、私は薄情な男ではありません。アトキンス家の三男、グレアムも一緒です。ジョナス殿の上司の友人なんですよ。最近の彼はひどく落ち込んでいて、上司も相当心配しているようでした。そういう訳で、お父上の意向さえ判明すれば、手を貸すのは吝かではありません」
そう言うと出されたお茶を一口飲んだ後、ニヤリと笑う。
「本音を言えばハズウェルのやり方が気に入りません。女性を口説くのに家名を脅しに使うような阿呆が、妻を幸せにできると思えませんね」
初対面の、自分の親と同世代の男を前にぶっちゃけ過ぎたかと思ったが、子爵は全く気にしなかった。
「本音を言えば私もそうだ。くたばれと思っている」
「あなた!」
「お父さま!」
妻と娘が当主の仮面を外した子爵に驚いている。相手は息子と歳が変わらないとはいえ、侯爵家の人間なのだ。
「そういうことなので、是非、僕にこの件を任せていただきたい。叩きのめしてやりますよ」
翌日、ネイサンはジョナスとグレアムの二人を引き連れてヘンリーの元を訪れる。
ジョナスは震えを無理やり押さえつけ、ヘンリーに決闘を申し込んだ。
ヘンリーは身の程知らずの子爵家の倅を一瞥する。騎士が文官に負ける筈がないのだ。
「決闘を受けるのは構わないが、女みたいに細っこいのに剣なんて持てるのか?」
莫迦にしたような目で見下すと嫌な笑みを浮かべた。
「私に剣は無理ですから代理人を立てます。文官が騎士を相手に決闘するなら、代理人を立てることに問題ありません」
「そういう訳で僕が代理人だ」
「はあっ!? 代理人だったらアークライトでいいだろ、あいつも騎士なんだし」
「義兄上に頼ってばかりでは駄目だと思って、ジョナスが自分で探した結果だよ」
ヘンリーの言葉にグレアムが応える。サイラスの読み通り、格下認定しているナイジェルが出てこないことに異議を唱えた。
「ジョナスの上司が私の親しい友人でね。それにネイサンは生まれたときから付き合いのある幼馴染なんだ。それで私がジョナスにネイサンを紹介したんだよ」
「――そういうことだ。決闘はいつでも大丈夫だ。僕の方で二人分の勤務を調整するからね」
婚約者のジョナスでも、令嬢の兄であるナイジェルでも楽勝だと思っていたヘンリーは、予想外の伏兵に目を剥く。ネイサンの腕をよく知っているのだ。
文官のジョナスは勿論の事、令嬢の兄ナイジェルは新人の中でも平均的な剣の腕前で、実戦経験はまだ無い。対するヘンリーは経験豊富であり新人と決闘しても勝てる自信がある。そのため決闘でも実家の権力を使った圧力でも問題無く気に入った女を手に入れられるとタカを括っていた。
そこに持ってきて、騎士団でも有数の剣の腕前を誇るネイサンが現れたのだ。
予想外もいいところだった。
* * *
ネイサンたちと別れた後、ヘンリーはナイジェルに詰め寄るが、サイラスから何も聞かされておらず、状況が全く飲み込めないため、まともな回答は引き出せなかった。
事情を知ってしまえば、何故、令嬢の兄であり婚約者の直接の知り合いであるナイジェルが出ないのだと言われるだろうし、周囲もネイサンが出ることに異を唱えただろう。
それを判っていたサイラスが、ナイジェルに何も教えなかったのだ。
「何故と言われても、僕はジョナスが決闘することを今、知ったばかりです。愚痴は聞きましたけど、相談は受けてませんから判りません」
凶悪な顔ですごまれても、知らないものはしらないのだ。
「だったら何でファーナムが出てくるんだよ!?」
「なんでって言われても、ファーナムさんって誰ですか?」
まだ配属されたばかりのナイジェルは、上官であるサイラスとネイサンが同期であることも、親しい友人であることも知らなかった。
そもそも王宮勤めの騎士全員の顔と名前をまだ把握していないので、その存在を知らずネイサンが剣の腕が立つ騎士だということも、何故ヘンリーが怒鳴り込んできたのかも理解できていなかった。
「どうしたナイジェル」
騒動に気付いた先輩騎士がナイジェルに助け舟を出す。
「えっと、妹の婚約者がハズウェル先輩に決闘を申し込んだのですが……。婚約者は文官なので騎士を代理人にしたそうです。それでどうして僕が代理人ではないのかと言われまして」
「理由は知っているのか?」
「いいえ、決闘のことも聞いたばかりなので、理由も何も、状況が判りません」
「ってことらしいぞ、ハズウェル。この顔で事情を把握してたら、騎士よりも役者向きだとしか言えないな」
「……っ、もういい!」
吐き捨ててヘンリーはその場を後にする。
その後、グレアムという男を調べてみれば、確かにネイサンと親しい付き合いがあり、第二王子であるイアン殿下の側近だった。それも実力を買われての大抜擢だったらしく「あの男を敵に回すな」というありがたい助言までもらうことになった。
――本当に婚約者の依頼でファーナムは動いたのか……。
最初はジョナスの言い訳だと思っていた。
しかしジョナスとグレアムは上司を間に挟んで関係が繋がり、グレアムとネイサンはかなり親しい友人だった。
ジョナスは将来の義兄であるナイジェル以外に騎士の知り合いはいなかった。婚約者家族を頼らず自力で決闘の代理人を探すとして、ネイサンに行きつくのはあり得ないと否定できるほどの証拠はみつからなかった。




