58. フローラの自覚
中庭には誰もいなかった。花々は咲き誇り、丸い月だけが夜空にぽっかり浮かんでいた。
噴水近くのベンチに二人して座る。フローラはアーサーが何やら緊張していることを察した。
「どうかなさいましたか?」
「……いや、その、ここは落ち着かなくてな」
アーサーが気まずそうに言うものだから、フローラはなんとなく、脳内で別の場所を探す。
そこではたと、何故探そうとしているのかがわからないことに気づいた。思わず表情が抜け落ちる。
今アーサーに気を遣って何になるだろう。どうせ馬車はもうすぐ来る。別の場所を探そうしても無駄であり、人と出くわす可能性を高めるだけ。そもそも、気づいていないフリをして放っておいたとしても、何も問題はなかったはずだ。
「フローラ?」
アーサーが不思議そうにこちらを見てくる。まさか、アーサーのような善性が生まれたとでもいうのか。大抵の人は緊張している人がいたら落ち着かせようとする。しかし、フローラはそうではなかったはずなのに。
「……あんな親でも、やはり家を抜けるのは辛かったか? 俺は、フローラはあまりそういう感情がないと思っていたんだが、もし、そうなら」
未知の思考に戸惑うフローラを、アーサーが抱きしめる。まったくお門違いな想像をしているが、そんなことはない。
でもなぜか、フローラは抱きしめられて少し安心した。
「ねぇ、アーサー様」
フローラらしくない、夜に消えてしまいそうな声だった。
「ん?」
「人を愛しく思うって、どういうことなのでしょう」
アーサーを気に入っていたことは確かだった。でもそれは、面白い拷問道具と同義の、お気に入りだった。
フローラは恋がわからない。人に向ける愛もわからない。
アーサーは少し考えた後、迷いながらも口を開いた。
「……俺は口下手だし、貴女に耐性がない。だから、よく聞いてほしい」
フローラは静かに、抱きしめるアーサーの肩に顔を寄せた。
「俺は、十一年前のここで、貴女に恋に落ちた」
「今でも鮮明に思い出せる。貴女の立ち姿は、髪は、横顔は……ただただ美しかった」
「貴女は逃げなかった。普通じゃない。人並み外れた策略家で演者で……優しくはないが、正しい人だ」
アーサーはフローラの手を握り、薄ピンクの瞳をまっすぐに見つめた。
「俺は貴女の強さに惚れてしまった」
無敗を誇る冷血伯が、困ったように眉を下げる。月光が透けて、銀髪はキラキラと輝いていた。
「そんな貴女が嫁いできて、俺は混乱した。実は今もしている。夢なんじゃないかと思っている」
そんなことは知っている。フローラはそれを弄ぶのが好きだから。
「貴女の作った顔は、確かに美しい。だが、あどけない顔は一等愛らしい。きっと俺だけが愛しているところだ」
アーサーはフローラの頬を撫で、キスを落とした。こういう顔だと、アーサーは言う。でも、フローラにはわからない。
「答えにはなっていないかもしれない。俺もよくわからない。だが……俺は貴女を幸せにしたい。これを、愛と呼ぶのだと思う」
アーサーの屈託ない笑顔に、フローラは初めて「守りたい」と思った。
「俺と、結婚してくれないか?」
夜風が吹き抜け、花びらが舞う。
「……もう、しているのでは?」
やっと出てきた言葉は、とても淡白なもので。一世一代のプロポーズをしたはずのアーサーは苦笑した。
「それは書類上だろう。やっと義父母……いやスペンサー家との縁が切れた。式を行っても、奴らは来ない」
「そんなことを気にしていたんですか?」
「一生に一度の式なんだ。邪魔者はいらない」
「そうですね」
なるほど、伯爵への報復を優先しているのかと思っていたが、フローラと早く式を挙げたかったから、こんなに必死にやっていたらしい。理解したフローラは、アーサーを笑う。
「……アーサー様って悪趣味ですね」
「は!? フ、フローラにだけは言われたくない」
アーサーが慌てて反論しても、フローラに勝てるはずもない。
「だって悪趣味な人間を愛しているなんて」
「そ、それはたまたまで」
フローラの地獄耳には、遠くから馬車が近づいてくる音が聞こえる。
「ああ、もうそろそろ馬車が来ますよ。帰りましょう」
軽やかに立ち上がり、ドレスを揺らすフローラに、アーサーは少し遅れて後を追う。
「っ! ……ああ」
フローラとアーサーは翌日のパレードに参加せず、静かにフロスト領への帰路についた。あれだけの大立ち回りをしたのだ、無礼と言う方が無礼だろう。
ドリスは事故を装ってアーサーを肘で突き、ジョシュアは密かに涙を溢した。
アーサーは、あの夜の反動でしばらくずっと顔がなかった。不埒者だと自分で自分の首を切ろうとするのをドリスが止めた。




