36. お掃除しましょう
ドリスが例外だったのだ。元軍人であり、メイドとしては少しそそっかしい彼女に対し、他の使用人は基本的に冷淡に仕事をしていた。
……しかしフローラの地獄耳には裏側の会話も聞こえてくる。
『あんな世間知らずそうで、負傷者でも見たら卒倒しちゃいそう』
『旦那様も人がいいから、騙されてるんじゃないかしら』
『なんにせよ、警戒しておくに越したことはないわ』
きっと優秀な軍人だったのだろう。ドリスも聞こえているようで、眉を少し動かした。
いつもならまだほんわかしているが、ドリスなら、大丈夫だろう。
フローラはそう判断した。
「ねぇ、ドリス。フロスト領では特有の訛りのようなものはあるかしら?」
それは、一見するとただの世間知らずな発言だった。いじめなど知らぬ、無垢な令嬢のように。朗らかに、穏やかに。
たったその一言で、ドリスは全てを理解した。自分の直感に間違いはなく、フローラこそが主君なのだと。
「いいえ。特有の言葉などはありますが、発音は王都と変わらないかと」
「……そう」
徐々に言葉は鋭さを帯びてゆき、立ち振る舞いは変化してゆく。圧倒的強者の風格にドリスは気の昂りを抑えられなかった。
「では、まだ正式な婚礼を挙げていない主人には、挨拶を返してはいけないというしきたりは?」
「ございません」
一歩一歩、優雅にヒールを響かせて、フローラは使用人の元へ向かう。メイドたちはその恐怖から、本能的に足を引き、後退した。
「初めまして。ごきげんよう」
「……ヒッ!」
自分たちがどれだけ馬鹿なことをしたか、メイドたちはようやく気づいた。領主を軽んじ、出過ぎた真似を犯す。それはメイドの質の低さを表している。……だが、気づいたところでもう遅い。
フローラは、馬鹿なメイドなど求めていないのだ。有能な者以外は、フローラの足手纏いになるだけ。
「これから、よろしくお願いしますね」
口元は笑っていても、目が笑っていない。つい先ほどまで花が舞っていた背景には、今や蛇や蜘蛛、ムカデなどの邪気が放たれている。
ここまで呪具を愛しているフローラが、不運な事故に遭っていない理由。……それはフローラの強さに呪いが吸収されているからかもしれない。
「「「よ、よろしくお願いいたします」」」
気圧されたメイドたちは震えた声で直角に頭を下げた。
フロスト家はスペンサー家とは違う。良くも悪くも実力主義であり、またフローラの立場は変わった。仮面を脱ぐ必要があるのだと、フローラは知った。
とはいえ今日は初日。これを機に膿を出してしまうのも、悪くはない。
「フロスト家のメイドはとても礼儀正しいのね」
「……よく教育されているはずですから」
「そうなのね。素敵だわ!」
くるりとドリスの方を向き、無邪気に驚くフローラの姿を見て、メイドたちは腰を抜かした。その音に気づいているはずのフローラは見向きもせず、ドリスと共に去ってゆく。その後ろ姿にまた花を纏って。
「……フローラ様、大変申し訳ありません」
「謝らないでちょうだい。仕方のないことなのだから」
「しかしっ!」
ドリスは自分の力不足を感じた。主君を守れなかった自分が、許せなかった。その様子に、フローラは仕方ないわね、とでも言うように曖昧な笑みを浮かべる。
「ドリス。貴女はきっと、綺麗にお掃除してくれるのでしょうね。私は綺麗好きだから、想像するだけで嬉しいの」
「……ええ、お任せください」
不届者の処理など、フローラにとっては服に留まった羽虫を潰すようなものだ。しかし、フローラはドリスに仕事を与えた。
これは、忠誠を誓うドリスへの褒美であり、ただあのメイドたちに自ら手を下すほどの価値がないだけだった。
「私ね、夕食も楽しみなの。雪国のお料理って食べたことがないから」
「基本的に、保存のために香辛料が多く使われています。フローラ様のお口に合うとよろしいのですが」
「まぁ!」
フローラは期待に胸を躍らせた。余所者への敵意なんてもの、利用ができてありがたいくらいだ。




