14. 彼女に逆らってはいけない
「どうして貴女はできないの!!」
生活階に帰ると、話を聞いたらしき母は怒り狂った状態で出迎えた。というのも、ガヴァネスが異母兄……第一夫人の息子と比べて話したらしい。異母兄は第一夫人に似て能力が高く、何でも卒なくこなす人だった。だが、その分目立った功績も聞かないため、単なる器用貧乏という可能性が高いとフローラは考えていた。
「私の娘なのに、どうして!!」
そもそも、第一夫人の息子であり長男の異母兄は、跡取りだ。フローラはどう頑張っても男にはなれないし、ほんわかで隠しづらいからなりたくもない。だから、張り合う必要がなかった。
しかしフローラの母の野心は凄かった。最近静かだった母は、フローラの成績を気にし、第一夫人を目の敵にするようになっていた。
フローラは反省したように母を見つめる。
「お母様、私はあまり芸術に触れたことがございません。是非、手本を見せていただきたく存じます」
フローラの予想は当たっていた。母も、芸術の才がなかった。フローラは呪いの、母のはクリーチャーだったため、少し違う傾向ではあったが。
「素敵です。さすがお母様ですね」
フローラはいつものように心にもない事を宣った。母は少し黙った。
フローラは、一度ついた野心の火はそうそう消えないことを知っていたため、後で母を納得させなければ、と思いつつも適当に褒め上げて自室に戻った。
メイドに体を洗われ、丸一日振りの食事を摂った。その間もずっと、屋根裏部屋のことを考えていた。
今のフローラは7歳。中等部なら13、高等部なら16歳で入学するため、最低でもあと6年、長ければ10年も、ここにいないといけない。
つまり、その間ガヴァネスはずっといる。
また朝がきた。昨日のことがよほど嬉しかったらしく、ガヴァネスの声は張っている。今日も鞭を打つ気満々だ。
「さあ、レッスンを始めますよ」
こいつを辞めさせても、また新しい者が来るだけ。フローラに習うべきことはもうないし、あっても自力で学ぶ。誰が来ても用無しだ。万が一にも有能な者が来て仕舞えば、飛び級を進める可能性すらある。
フローラは目立ちたくなかった。後ろ盾も何もない伯爵家で、それも妾の血を持つ自分が目立てば、面倒なことになるとわかっていた。
「……そうね」
その点、この嫉妬に塗れた阿呆ガヴァネスはちょうどいい。フローラの才能に気づかず、馬鹿の一つ覚えのように芸術の才がないと喚くだけだ。
だから、排除するのではなく、調教することに決めた。
「貴女のレッスンを、ね」
「はぁ? 何を言っているんで……っ!」
鞭を打とうとしてきたガヴァネスの向こう脛を蹴る。とても強い荒くれ者でも酷く痛く感じるという急所だ。東洋の書には弁慶の泣きどころと紹介されていた。
フローラの身体能力は高くない。体格相応だ。……だが、豊富な知識とトウの尖った靴があった。
ガヴァネスは脛を抱えてのたうちまわり、フローラはその隙に鞭を奪った。
「私は怒っているの」
フローラはしゃがみ、ガヴァネスの額に鞭をつける。
まだ脛は痛いが、立ちあがろうとすれば立ち上がれる。叩きつけられていない鞭など、痛くはない。だが、ガヴァネスは立てなかった。
「貴女、誰に何をしたかしら?」
美人の真顔だ。その上、フローラは今まで散々、か弱く優しいお嬢様を演じていた。舐めてかかっていた幼子が、自分よりも圧倒的に強い力を隠し持っていた。それがどれだけ、恐ろしいことか。
「そ、その……」
「私は、無駄に人を傷つけたくはないわ。貴女だって、痛い思いはしたくないでしょう?」
「ヒッ!」
フローラは鞭を離すと瓶を取り出し、ガヴァネスの目の前に突きつける。昨日散々地面に落としたものが、中で蠢いている。
「これはね、ムカデというの。貴女のおかげで行くことになった、とても素敵な場所にたくさんいたのよ」
フローラはニコリと笑った。ガヴァネスは顔を青ざめ、震え出す。
「この子、人を噛むのよ。その脛よりも痛く、腫れが残るほどに……ね?」
フローラが瓶の蓋を緩める。ガヴァネスはどうにか声を絞り出した。
「な、何をご所望なのですか?」
「……人聞きが悪いわね。私は、ただ良い子が欲しいだけ」
「なります、なりますからっ! 何でも致します、だから!」
死にたくないとばかりにガヴァネスは叫んだが、フローラは瓶の蓋をもっと緩める。
「煩いわね。……返事はワン、でしょう?」
「ッワン!」
一生物のトラウマのプレゼントだ。
ガヴァネスは、フローラの犬となった。もう逆らえず、言うことを聞くしかない。絶対服従だ。




