17 ケーキ
「リディア! ……驚いたわ。信じられない。ジャイルズ公爵令嬢が、お茶会中にあのようなことをするなんて」
ナターシャ様が立ち去ってから近くに座って居たらしいイーディスが私の元へと駆けつけ、周囲は好奇心を隠せない騒めきで溢れていた。
きっと、これは面白いことが起こったと思っているに違いない。関係ない人たちにとっては、そう思えるはずだ。噂話はすぐに回るはず。
「イーディス。私も同じ気持ちよ……まさか、こんな事が起こるなんて、思ってもみなかった」
ナターシャ様のあの言葉は、私への明確な宣戦布告だ。私たちは貴族令嬢同士だけど、紳士が白手袋を投げられた時と同じようなもの。
レンブラント様と私は確かに、これまでに周囲から見て仲睦まじい婚約者同士であったかと言えば、そうではなかった。
私は彼には嫌われている程度がちょうど良いとまで思っていたし、レンブラント様だって私に好意があると今ではわかっているものの、何故か冷たい態度をとり続けていたことは確かなのだ。
このままでは、最悪の場合……ジャイルズ公爵家と我がダヴェンポート侯爵家との領地戦へと突入するかもしれない。
私の父兄だって、ダヴェンポート侯爵家が貴族たちの前で侮辱されたと知れば、謝罪を求めるかそれが拒否されれば報復せざるを得ない。
もし、ジャイルズ公爵家から領地戦が宣言されれば、君主たる王家不介入のルールがありレンブラント様だって口出し出来なくなるだろう。
そうならないように上手く立ち回るべきだったのに、私はナターシャ様の矢継ぎ早な言葉を止めることは出来なかった。
その直前に、レンブラント様の気持ちを知って浮かれていたと言われれば、それは否定できない。
いつもの冷静な私であれば、もっと上手くあの事態を避ける事が出来ただろう。
いけない……どうしよう。お父様とお兄様に、すぐに相談しなければ……。
「リディア。私はダヴェンポート侯爵とお兄様に、早くこの事態を伝えるべきだと思うわ。今は城中に居らっしゃるのかしら? レンブラント殿下には戻られたら、何があったか私が説明しておくから……」
事は一刻を争うから対処するのは早い方が良いと、イーディスは険しい表情を浮かべて言った。
レンブラント様は王妃様たちと王族で話をしているだろうし、そこに私の事情で割って入る訳にはいかない。
レンブラント様はお許しになっても、他の王族は許さないだろう。
領地戦は領主同士の争いだから、王家は不介入が原則。それに、戦いの準備ならば早いに越した事はない。
けれど、ナターシャ様の方からああして宣戦布告をしたと言うことは、ジャイルズ公爵家はすべての準備を済ませている可能性だってある。
これまで、冷めた態度で不仲のように見えたレンブラント様と私……ナターシャ様だって『これならば自分にもつけ入る隙がある』と思われてしまっても仕方がないわ。
「ええ。とにかく、父と兄の元へ向かうわ」
私はとにかくここは早く行かなければと思い、座っていた席を立った。
「慌てないで。リディア」
真面目な表情を浮かべイーディスはそう言ったので、私はこくんと頷いて城の中へと向かった。
外交関係で役職を持つ貴族の父と兄は執務中だろうし、彼らの執務室へは私も以前お邪魔した事があるので何処にあるかは知っている。
城へ向かう途中、大きなケーキが目に入った。
豪華な美しく飾られたもので、おそらくこのお茶会のために特別に作られたものだろう。
私がその横を通り過ぎようとした瞬間、ケーキがぐらりと傾き、気がつけばねっとりとした柔らかなものに覆われてしまっていた。
高さを保つように作られていたケーキが、私に向かって勝手に傾いて来るなんて、考えられない。
きっと……誰かが、故意にケーキを倒したんだ。
……ナターシャ様にあれを公言されれば、私が城に向かうことは、容易に予想が出来ていたはず。
けれど、現行犯でもなければ彼女と関連付けることなんて……出来ないだろう。犯人はもう既に近くには居ないはずだし、私が予想した通り計画的犯行であれば尚更だ。
呆然としたままで座り込んでいた私に、周囲に居た使用人たちが慌てて近づき、とにかくここは着替えましょうと言い出した。
ケーキ塗れの姿のままで城中を歩く訳にはいかないと考えた私は『ダヴェンポート侯爵か、兄を呼んでください』と告げるだけしか出来なかった。
辺りは騒然としていて、私には好奇の視線が向けられていた。
……ここで、みっともなく泣き出す訳には行かない。
ゆっくりと立ち上がり、私は彼らにカーテシーをして微笑んだ。
それを合図にピタリと止んだ騒めきを横目に、背後へ振り返った私は使用人の案内に従って歩き出した。
「……レンブラント殿下には、これをお伝えを?」
とんでもないことが起こったし、誰かからの嫌がらせである事は明白なせいか、使用人が私に耳打ちして来た。
「いいえ。先に父と兄に会います。こちらへ戻られたレンブラント様にはその後で、準備が整ってからこちらから連絡をしますとお伝えください。まずは、湯浴みをして着替えます」
使用人の一人が私の言葉をもう一度確認し、去って行った。
私自身だって考えもしなかったまさかの事態だけれど、こうなってしまっては仕方ない。
こんな格好で王族に会える訳がないし、それに出来れば彼にこんな姿を見られたくはなかった。




