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Not Knock  作者: モク
第1章 ブラックシューター
8/21

「過労だな」


「やっぱりそうですか」



 暁帝国・医務室。

 安っぽい真っ白なベッドに眠っているノットの傍らで、長いとも短いとも言えない深い灰色の髪を大雑把に後ろで束ねた白衣の男は、ため息とともに煙を吐き出した。途端に部屋に広がる甘いような苦いような匂いにチェルシーは顔をしかめる。



「あーあー、いいんですかねぇ医者がこんな所で煙草吸っちゃって」


「初対面だってのに随分な物言いだな、ええ?いいんだよ、闇医者は何でもありなんだよ。つかお前だろ、ノットが手を焼いてるって新人」



 チェルシーは何と返せばいいか瞬時に思いつかなかった。言葉を失っている間に発言のタイミングも逃して、結局何も言えなかった。

 せめて、と代わりに決まり悪そうに軽く睨みつける。



「ま、あんま苦労かけてやるな。仕事しなくてもバレない俺と違ってな、こいつはただでさえ忙しいんだ。‥‥ああ、またコンタクト外さずに寝てんのか」


「ドクターシェイド」


「あ?」



 ライトでノットの目を診ていたシェイドことスティーヴンが振り返ると、今の今までおどけてみせていた少女は妙に畏まった顔をしていた。口をきゅっと結び視線を忙しくあちらこちらへ移す。


 次の言葉を待っていると、チェルシーは一呼吸も二呼吸も置いてからようやく口を開いた。



「ノット様をお願いしますっ」



 少女らしい、黄色い花が咲いたような笑顔。

 元の掴み所のない彼女だった。



「……おう。まあこいつにとっちゃ休養が薬だ、目が覚めたらまたそっちに寄越してやるよ」


「感謝します」



 チェルシーを見送ってからスティーヴンは半分程に短くなった煙草の先を灰皿で押しつぶし、最後の煙をゆっくり吐いた。白煙はゆらゆらと漂いかけて消えていく。


 チェルシーとかいうあの少女は、本当は何を言いかけたのだろう。上手く繕ってはあったが、演技の笑顔だった。

 社員から、初日にしてノットを困らせている新人の噂を耳にしてはいたのだが、実際に会ってみると子どもらしくないガキだなと思った。本心を隠すのに慣れ過ぎている、そんな印象だ。



「非常識にも程がある……スティーヴン」



  ふと側から発せられた弱い声。

 目を薄く開けたノットは不愉快そうに顔をしかめている。



「よお、久しぶりだな親友」


「お前の煙草のせいで嫌な目覚めだ」



 スティーヴンが思い出したように手を打った。

 ノットは煙草の臭いが苦手だった。というよりは、病室で煙草を吸うなと言いたげだ。


 だがスティーヴンは優越感を覚える。業績も、悪としての姿勢も、そして人気も申し分のない彼が悪態をついてくるだけなのだ。こんな弱ったノットを拝めることは珍しい。

 そう考えた瞬間に、面白いという感情が込み上げてきたのだ。口元の緩む彼の考えていることを何となく察したノットがさらに険しい表情を浮かべている。



「俺……私は何故ここに?」


「フレイムキッドとかいうヒーローを負かしてから倒れたんだと。過労だ、いい機会だから存分に寝とけ」


「そうか。そうしたいところだが、やはり煙草臭い部屋で寝かされるのは御免だな」


「またそう言って夜中まで仕事か?厄介なんだろあの女の子。流石に身がもたないのは今度でわかったろ」


「彼女は……ああ、手に負えないな。司令官と話をつけてくる」



 口調から、既に決めていたことなのだというのが伺えた。


 度重なるチェルシーの奔放でいい加減な言動、我慢の限界は彼女が単独でヒーローとの戦闘に赴いた時点で超えてしまっていた。

 彼女をグルシェムの元に突き返す。他の社員に教育係の代わりを任せられればいいに越したことはないが、恐らくは無理だろう。そして予測通りならば彼女はまもなく暁帝国を去ることになる。


 二度と関わり合うこともない。だがそれが最善だと、ノットは判断した。



「彼女の行動は目に余る。誠意すら見当たらない。これ以上彼女の戯言に費やせる時間はないんだ」


「ふうん。ま、あの子にはちと気の毒だが仕方ない。よかったな」



 ノットが首を傾げる。



「何がだ」


「彼女が新人でってことさ。思い入れも同情もないんだろ?」


「……そうだな」



 ぽつりと呟く彼の表情が陰る。

 スティーヴンはノットが何を思い詰めているのか、そしてその理由も知っていた。だが慰めも励ましもしない。言葉はもう散々投げかけた。今さらノットが言葉を求めていることもないだろう。だから黙って彼の顔から陰が去るのを待った。

 ノットの方も、長々と物思いに沈んでいるわけにはいかないとわかっているらしい。視線をスティーヴンへ戻すのに、そう時間はかからなかった。



「あまり長居しては悪臭が染みつくな。戻ろう」


「ノット」



 ベッドから出て側の棚に置かれた銃をしまったところで、名を呼ばれ動きを止める。



「また、飯でも食いに行くか」



 数秒、悪意のこもっていない友人の笑みをぼうっと見つめてから、小さく噴き出した。そしてドアの前で、じゃあなと手を上げる。


 そんな暇あるわけないだろう。



「お前が俺の仕事を手伝ってくれるくらい優秀ならよかったんだがな、スティーヴン」



 暁帝国専属のサボリ症な闇医者はノットが去ったあと、ため息混じりに呟いた。



「いやあ、苦労はしたくないね」







「……貴様か」



 扉から顔を覗かせたチェルシーを見る前から、グルシェムは相変わらずの仏頂面だった。彼女の姿を捉えてもそれは変わらない。



「こんばんは、叔父様」


「司令官だ」



 冷たく言い放つものの、それは血縁関係にあるからではない。誰に対しても例外なくグルシェムは冷たかった。

 チェルシーもそのことを理解してはいたが怯まずにはいられず、笑みが引き攣る。



「ブラックシューターはどうだ」


「え……ええ、過労だそうで。ドクターが診てくれてますよ」


「そうか。貴様を今後どうするかは、俺と奴で決めることとしよう。判断がつくまでは謹慎だ」


「ぶっちゃけあたし、クビです──」


「口を慎め」



 言葉遣いに気をつけろと言っているようにも取れるその一言の効果は絶大、声が喉の奥で尻込みしてしまっている。了解の返事すら出てこなかった。

 だが間違いなく、自分は悪の組織をクビになるという確信は得られた。

 ノットも、あの真面目な性格では想像通りの判断が妥当なのだろう。



「用がないなら出ていけ。俺は他人と話すのが死ぬほど嫌いでな」


「あは、そうみたいですね」



 やりにくい。


 目の前で話をしているのがノットだったならば、どれくらい気が楽だったろう。いや、身の振り方についての話ならばむしろ彼とは話したくないかも知れないとも考えた。


 ともかくグルシェムの場合は、何を言っても、どんな話題を引っ張り出してきても続かない。これでは確かに、どれだけ容姿端麗だったとしても彼には色恋の気配すら寄っては来ない。

 チェルシーもこれといって部屋を訪ねてきた理由はない。これからどうなるのか不安だったのか、それとも叔父と交わす他愛のない会話でも期待していたのだろうか。少なくとも前者は解決した。ここにいられなくなるのだとわかったところで、不思議と不安は消え去っていた。


 きっと、諦めがついたのだ。



「俺は」



 グルシェムが唐突に重々しく口を開く。



「‥‥貴様が血族共から何を言われようが知らんな、俺には関係のないことだ」


「……!」



 チェルシーは目を丸くしてグルシェムをじっと見た。彼はもうこちらには一瞥もくれず、部下からの報告書に目を通し始めている。

 苦笑。

 言った通りの意味なのかも知れない。だがチェルシーには違う意味を含んでいるように思えた。



「慰めですか?」


「……」



 待ったところで返答は来ないだろう。チェルシーはそっとドアノブに手をかけ、部屋をあとにした。


 廊下に出たところで向こうから来る人影が見える。



「ノット様」


「君か。私は司令官に用がある。部屋が要るなら今夜も好きに使うといい」


「まだ寝てなくていいんです?」


「無論だ。私は暇ではないのでな、休む時間が長いほど、どの道仕事が増えていくだけだ」


 前と変わらない口調に思えたが、何か雰囲気が違う気もした。この人も自分が居なくなるのを望んでいるかも知れないという先入観が後押ししたのか、初日に話した彼の目とはどこかが確実に違う。



「そういえばまだ聞いていなかったか、君が単独で動いた理由を」



 チェルシーはあっと言った。あのときは言おうとしたタイミングでノットが倒れてしまったために、言いそびれていた。



「ちょっと確かめたいことがありましてね」



 無意識にノットから視線をずらす。



「その目的は果たせたのか?」


「ええ」


「それは、よかったな」



 それ以上聞くつもりは毛頭なかったようで、ノットも視線を司令室へ移した。

 部屋に入っていく黒コートの尾まで目で追ったが、言葉はもう交わされず、扉が閉じられる。


 ノットとグルシェムが話すことは、想像せずともわかりきっている。チェルシーは深いため息を吐き出した。



「呆気なかったなあ……」



 ノットがフレイムキッドを倒したときに覚えた高揚感は、既に跡形もなく消え去っていた。


 無機質なコンクリートの天井。そこに星は映らない。

 少女は誰もいない冷たい廊下を歩き始めた。

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