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Not Knock  作者: モク
第1章 ブラックシューター
16/21

15

はじめに申しておきます。第一章最終話、いつもの約2倍の文字数となっております。半分で切りたくなかったという本音があります。ご了承くださいませ。

 ビッとチェルシーは抱えられたままの体勢で、アトラスに人差し指を突きつけた。


「針が星マークを指せばあなたの負けです。さぁ、どうします、十分の九に望みを託しますか?」


 表情そのものは回る数字盤がフィルターとなり霞んで見えているが、声色からたっぷりの自信が読み取れる。


「その類の台詞は、本来なら僕が君たちに言うべきことなんだけどね。そうだな……運任せもいいけどその前に君を倒せばいいんじゃないかな」


「お、やっぱりそれ気づいちゃいましたか」


「他人事だと思って君は……」


 彼女の為に言わないでおいたのだが、チェルシーが小柄だとはいえプラス一人分の体重を引き受けて動くのには若干の体力を上乗せしなければならない。この程度で息が上がるエリートではないが、万が一にも気を抜けば平生より速度が劣り命取りになる。

 そのことを知ってか知らずかはわからないが「君を抱えて逃げているのは誰だ」と一言、言ってやりたかった。

 だが今、さっきのように逃げ損ねてチェルシーの数字盤に消えられては困る。ノットは文句をぐっと喉の奥に押しとどめた。


「でも今のままじゃ、埒があかないみたいだ」


 呟くとヒューイは空中にいる二人組を指差した。チェルシーはただ、きょとんとその動作を見ているだけだが、ノットはよりアトラスに意識を集中させた。やはり彼女を抱えて逃げるのは正解だったかも知れない。

 そして次の瞬間、突きつけられた指の先から光が走る。


「!」


 判断は行動の後に辿り着く。

 咄嗟に瞬間移動で逃げるその途中にノットは思考を巡らせていた。


 速い。

 何だ。

 何が起きた。


 単純に空を蹴るだけの回避では間に合わなかったかも知れない。目線を下げるとチェルシーが目をぎゅっと閉じている。光の眩さに反射的に目をやられると感じたのだろう。

 アトラスはくつくつと喉の奥で笑っているように見える。そしてノットの知りたかった答えを自信満々に告げた。


「巨大ヒーローと言えば……〇〇光線だろう!!」


「……はっ?」


 チェルシーが目を開けた。開いた口の塞がらないノットは呆然とするしかない。何故あんなに自信満々に言うのだろう。彼は自分の能力が嫌いではなかったのか。

 今度は脇に抱えた少女が肩を震わせていた。続いてすぅっと息を吸い込む音。ノットの脳は瞬間的なスピードで回転する。


 アトラスに不意打ちを食わされた後のこの展開は、何だかデジャヴだ。


「この、とんだ固定観ね──」


「落ち着け」


 叫ばれる前に手で口を塞いでやった。


「しかし厄介だな」


「とんだ固定観念野郎ですね。ヒーローと言えばこれ、なんてテンプレ古いです」


「結局言うのか。馬鹿にしてやるな」


「あれ宇宙から来たヒーローの光線じゃなくて指先ビームですよね、規模がしょっぼいです」


「……まだ止まらないか?」


 ノットは回る勢いの止まぬ円を見て言った。そんなことを口にするなんて、いつものブラックシューターならば絶対にないのだが、このときの彼は冷静に己を分析する余裕もなかった。負けるのが怖いと、それだけの子どものような感情が頑固に貼り付いているからだ。

 ただノットは考えている。この恐怖は己の弱い部分だと。チェルシーの言った通り、ブラックシューターと名乗るようになってから負け──すなわち挫折をまだ知らないせいなのだろうかと。


 チェルシーは数字盤をじっと見つめて何も言わなかった。アトラスは今のやり方で仕留められる可能性があると踏んだか、次々とビームを撃ってくる。

 指も巨大な為に予想より広範囲であるその攻撃を、ノットはひたすら一つ残らずかわしていくだけだった。


(まだか……!)


 内で不安の靄が広がっていくことに更なる焦りを膨らませながら。

 チェルシーはいよいよ一言も発さない。そう思ったときだ。


「ノット様、あたしを────」


「え?」


 皮肉にもノットが微かに耳に届く声に注意を奪われたのと、ヒューイが鈍くなったブラックシューターの動きを見逃すことなく指を指したのは同時であった。


 油断した。


 およそ反射と言っても良い俊敏性を伴う動作で向かってくる細い光線に銃口を向けるも、とても間に合ったとは言えないだろう。

 発砲。よって寸でのところで直撃は免れたが、相殺があまりにも近距離だった故に衝撃までは殺せなかった。


「う……しまった!」


 飛ばされた拍子にノットは、手を離してしまった。


「チェルシー!」


 しかしチェルシーは一瞬笑ったように見えた。


『あたしを、”落としてください”』


 そう、これでいいのだと。いつ止まるかはわからない。けれどその瞬間を感じ取ることは出来る。


「”C・ルーレット”」


 チェルシーは落下しながら半透明な数字盤を指差した。その先にいるアイアン・アトラスを見据えて。

 ノットは刮目する。

 ルーレットがゆるやかに回転をやめる。針は星を示していた。

 数字盤が光を放つ。淡い光から鋭い光へ。ヒューイは光線を忘れ手を伸ばした。だが光に飲み込まれる。


「覚悟なさいな!」


 チェルシーが短く引き金を言い放つ。ルーレットがついに上方へと光の弾を吐き出した。その小さな文字盤の、もはや何倍になるだろうかわからない程に膨れ上がった巨大な一撃は巨人さえも飲み込んでしまった。

 ノットはたった一瞬のその出来事を、間近で目にすることとなった。


 小さな少女の攻撃が想像を超えた様をすぐには脳が処理しきれない。少し遅れてから、チェルシーが賭けに勝ったことを理解した。


挿絵(By みてみん)




 煙に包まれるのはアトラスに限らなかった。ノットの目に映る光景全てが埃と塵に姿を隠している。

 ノットは地面に降りるとチェルシーの姿を探し始めた。少しの見当はついていたため、時間はそれ程要さない。やがて見つけた彼女は、ボウル型に窪んだ地面の中心に大の字になっていた。反動でちょっとしたクレーターが生成されてしまったようだ。


「ノット様、自慢のコートが砂埃にまみれてますよ」


 互いの姿を確認した途端にしゃあしゃあと減らず口を叩くのを、安堵とも呆れともわからないため息と共に見返した。


「こんなことになるのなら、先に言ってくれ」


「無茶言わないでくださいよ。成功を見るのは初めてだったんですから」


「とんだギャンブラーの鑑だな」


「まあまあ」


 チェルシーはどうやら起き上がれないらしかった。


「消耗が凄いんですよ。一晩経てば治ります」


 彼女が他人より大食らいである訳もここから来ているようで、成功してもしなくても体力を大幅に削られる能力の反動か、いつの間にか胃袋が広がったのだと言う。


「君はよくやったよ」


 ノットは情けなく口元を緩ませた。


「私は情けないな」


「情けないのはいいですが、そのテンション引きずらないでくださいね」


 ノットが、今度ばかりは手を貸さねばとチェルシーの傍らにしゃがみこんだときだ、どこからともなくごうごうと腹の奥を揺さぶられるような音がした。ノットは毛を逆立てた猫のように顔を引き攣らせて、チェルシーは口を薄く開けて何か言おうとするようにも見える。

 何故なら、そんな音はもう起こるはずがないのだ。


「驚いたよ。そちらのレディがジョーカーなんだね」


 ねっとり甘い声が土煙を吹き飛ばすようだった。


「けれど燃料切れのようだ」


 初めに彼が煙の中からその巨大を見せたように、今度もまた、むくりと揺らめく影が悪の二人を囲むスクリーンに浮かび上がる。


「そんな!」


「ごめんね、お嬢さん。僕は特殊攻撃にとんと強い」


 鋼鉄の巨人は健在である。

 再び立ちはだかる脅威の塊に、何も巡らす暇なく見せつけられたのは、無力だった。


「ノット様」


 掠れた声に耳と目をやれば、声も出ぬくらいに諦めた口が「ごめんなさい」と言う。彼女がこう言うのだから、俺はもう駄目なのだろうと勝手に察する。間違ってはいないだろう。


「どうするかい、ブラックシューター」


 アトラスは返答を求めた。

 チェルシーは何も言ってくれない。切り札を破られたときのノットの心境と似たものを噛み締めているに違いないのだ。


「私……は」


 ここで敗北を味わうのか。心の準備も何もしていないというのに。唐突とは恐ろしい。

 ノットは一言を渋った。


「僕だって、いつまでも待ってはいられないのだよ」


 早くと急かす巨人は焦るが良いと言わんばかりに、ずずずと片腕を僅かに上げて見せた。ノットは「私は」と繰り返しながら依然として降参の台詞を口の中で転がしている。

 だが突然、結んだ口をはっと声を漏らさずに開けた。


「負けないよ」


 まだ幼さを残す少年の声。近くないはずのその声が何故か耳に届いたからだ。


 巨大が大きく傾いた。何事かと誰もが思う声をもかき消す盛大な轟を響かせ、あれよあれよという間に、立っていられなくなったアイアン・アトラスは「ぐえっ」とずんぐりふんぞり返るカエルのような悲鳴を上げた。







 短い事の果てをノットは眺め、チェルシーは空を見つめながら凄まじい地鳴りに身を固くした。


「ご無事ですか」


 しっとりした柔らかい声が今度はすぐ側に聞こえた。ノットが半ば心無しに振り向く。


「フレイアルテ」


「間に合いましたね」


 そうしてまた小さな花が咲いた。腹の底を揺さぶられるのに慣れると、やっと今度は脳神経が揺れだしている。気分を逆撫でされるような、ねっとりしたヒーローの声は聞こえてこない。


 鈍い暗色の巨人は既に失神の中にあった。


「彼か。大したものだよ」


「得手不得手とする種の違いが在るだけです」


「錯乱しかけていた私より余程立派だ」


「あの方は然るべき純粋の通る人なのですよ」


「君は主を褒めないのか?」


「甘やかしてはいけない年頃ですから」


 フレイアルテは目を細める。


「チェルシー様。あれが我が主──ヴェストラル様の真にございます」


 フレイアルテが指した方から小さな影が駆けてくる。しかしその童子はチェルシーの知る少年とは違う。否、違っているように錯視した。


「強かったでしょう、僕」


 目の前に自信満々に顔をほころばせるのでやっと、彼がヴェストラルであると納得がいった。髪は逆立ち、頬に妙な模様が浮かんでいる。

 しかしそれだけだろうか。チェルシーの知る言葉では尽くせぬ違和感がきっとあるのではないか。渦を巻くもやもやを、ノットは次に、簡潔に完結させた。


「彼は吸血鬼(ヴァンパイア)だ」







『吸血鬼は人間の血を取り込むことで能力を増幅させる。ヴェストラルが眷属としているのはフレイアルテだけだが』


『人間との混血ですから、吸血衝動はほとんどありません。”ハーフブラッド”の名で動くときのみ、私の血を少量さしあげるのです』


 チェルシーは医務室のベッドに全身を預け、目を閉じた。


『ねえ、フレイアルテ。僕の体まだ動きたくて仕方ないみたいなんだ。ちょっとだけ動いてきてもいい?』


『ええ。いけませんとも』


 従者か、あるいは血で繋がる眷属なのだといえども、フレイアルテに一番似合う役職は”保護者”といったところだろう。

 幼いヴェストラルは、やはり見た目通り幼いらしい。遠い昔では不老不死の吸血鬼もざらだったが、近年ではその特権も著しく衰え、その上ヴェストラルは混血である。老いも人間と変わりはないのだと、保護者はしっとり言っていた。


 そもそも吸血鬼なんて種族そのもの絶滅したに等しく、独りふらふらとするヴェストラルを司令官グルシェムが暁帝国へ迎え入れたのが数年前のことである。


「嫌だなぁ」


「どうしたよ、チェルシー」


 眠ってしまわないように発した声だったが、スティーヴンは案外近くにいたらしい。見ると煙草をふかしている。


「嫌ですよ、まったく。現代ったら本当、劣化したがらくたが流れ着いたような世界です」


 ヒーローにしろ悪にしろ、さらには吸血鬼にしろ、在りし日の輝きは見る影もない。志は廃れ金に目が眩んだヒーロー諸君、徹底した残虐さを忘れた悪党共、不老不死の栄光潰えた吸血鬼一族。これが劣化でなくて何であろう。


「へへ。違いねぇな。劣化代表の俺が言うならば、ポンコツフリーダム万歳ってとこだ」


「間違ってはいませんね」


 輝きと引換に自由であることを選んだ現代の超人たち。本音を言えば、楽しくて仕方ない。嫌よ嫌よも好きの内。

 チェルシーは、ポンコツ超人たちが阿呆の道を選んだことを心底喜んでいる。茶番だのエンターテインメントだのと言われようが、彼らのお陰で彼女は一番のヒーローと活動を共に出来たのだ。


 チェルシーは未だ満足に動かない体で、うんと伸びをした。







 しまった、逆だ。

 冷や汗がそれを伝える頃には、ノットは既に深々と頭を下げていた。


「何も言わずに頭を下げるやつがあるか。気色悪い」


 冷徹な司令官はノットの失敗を的確に指摘する。ごまかしに笑うにも笑えず、のっそり顔を上げてからノットは何とも言えぬ苦い表情をした。「落ち着け」と心の中で繰り返す毎に心拍はより激しくなるが、ノットは原因に気づくことなく反芻し続ける。


「申し訳ありません」


「ときどき、貴様はてんで駄目になる。落ち着きのないときだ」


「……仰る通りです」


「それで、何だ」


「お願いしたいことがあります」


「俺がそんなこともわからぬと思うか。中身を言えと言うのだ」


 図星を射抜かれたときというものは、追い打ちに滅法弱くなってしまう。ノットはさらに縮こまった。しばらくはどうしても何も言えなかったが、打たれ弱くてもいい大人である。ぐっと腹を括った。







 ルーレットの代償として石のような体を与えられたが、過去の例に漏れずやはり一晩で全快となった。全快のまま、チェルシーは走っていた。目指す場所は明確ではない。とある場所にその人がいるならば、初めてそこが目指す場所になりうるのである。

 そうして、見慣れた黒い背を長い廊下の向こうに見た。


「ノット様!!」


 肩がぴくりと動いたように思えたが、何故だかノットはこちらを見ようとしない。妙に思いながらもチェルシーの(はや)る足は止まらない。


「ノット様!」


「聞こえている。何の用だ」


 背中が無愛想にそう言った。


「あたしのクビ、取り消してくれたそうですね」


 その知らせを聞いたのはつい数分前のことであった。


「一体それはどういう──」


「取り消した、と言うには語弊が余りある」


『彼女の……チェルシーの退職を、取り消して頂けないでしょうか!』


 口にするには抵抗が強すぎる願い入れであった。チェルシーの退職を願い入れたのもまた、ノットであるからだ。しかしグルシェムは予想の上を悠々といく。


『俺は言ったな。さっさと奴を戦力として使えるようにするのが貴様の仕事だと。貴様はトリ頭か』


「司令官の顔には千里眼でもついているらしいな」


「いかにも。叔父様はノット様を超えるエリートですよ。千里眼の一つや二つ、あって当然。しかし、どうして」


 ノットは口をつぐんだ。こうなることは想像にかたくなかったはずだが、やはり訊ねるべきことであった。


「ノット様あのとき、初めて名前呼んでくれたんですよ」


「名前? そうか。そうだったか──チェルシー」


 ノットは少し不安そうな面持ちになった。


「君は、ヒーローとしての私に会いたかったか?」


「おや」とチェルシーは思った。


「愚問というものです。あたしのヒーローは、あなたなのですから」


 きっとまだ怖いのだろう、ノットは。チェルシーに過去を知られたより、己が己を思い出すのを。いつか彼女に、自分がヒーローを辞めてここにいるわけを話すことになるかもしれない。

 けれど今は、


「ならば私も、向き合わねばならないな」


「ねぇ、ノット様。成れの果てであるがらくたの、成れの果てとは何だと思います?」


 不思議と、そのくだらないような問が面白いと思った。そして彼女らしい皮肉だ、とも。


「それは、私たちのことを言っているのか」


 チェルシーはくつくつと笑う。鈍い琥珀のような色を放つ双眼が細められ、一筋の光が駆けた気がした。

 彼女の言葉の数多を回想する。実に奇妙であり、腹立たしいものも多い。幸先が不安である予感は出会い頭とさして変わらぬ。

 しかし胸に湧くものを、双方はかたく掴んでいる。


 今は。今は始まりから、始めるとしよう。

第一章はここまで。プラス幕間と番外編を挟めればと思っております。

番外編は「すっとばして本編先に読んでから、戻って読んでも大丈夫」みたいなスタンスで行こうかなと。


第一章、お付き合いくださってありがとうございます。

まだまだしばらく続きます。

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