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ぼんやりと口の中の鶏肉を噛み潰しながらノットの姿を思い浮かべていた。
チェルシーがノットを知っていたというのは、グルシェムも把握済みだ。彼ならばノットが元ヒーローだということも知っていておかしくないと思っていた。
だが誰にも話すわけにはいかなかった。グルシェムならばともかく、他の社員には。
知られたとして、もしも、ノットが今でも裏でヒーローと繋がっているなどと憶測が飛び交ったら。
──そんなことのために、会いに来たんじゃない。
「お姉さんいっぱい食べてるのに、嬉しそうじゃない」
「むぐっ……」
そう言われて初めて、カレーの味が口の中に広がってきた。嬉しそうじゃない、というより上の空だったのだが、やはり幼いヴェストラルは勘がいいらしい。
「どうかされましたか、チェルシー様?」
「い、いえいえ」
彼らにも、話すわけにはいかない。
「あんまりお腹すいてたものですから、夢中になってしまいました」
全くの嘘ではない。いつの間にか彼女の前には空の器が積まれていた。
そしてまた、しまった、と思い出して肩がびくりと跳ねる。
「あ、あたしったら、ごちそうしてもらってる身なのに」
自身の暴食癖はこんなときにでも働くのかと。呆れたものだ。反省の意を含んだ眼差しをフレイアルテにやると、彼女は首を横に振る。
「私の稼ぎではないのですよ」
「え?」
「私はあくまで、ヴェストラル様の従者。ただそれだけです」
「ってことは」
今度はヴェストラルに視線を移した。彼の給料ということなのか。
確かに年齢制限はないに等しい会社だが、自分より幼い彼が? にわかには信じ難い。
「僕、お姉さんより強いよ」
料理から目を離さずに、ただそうぽつりと彼は言うのだった。
「黒のお兄さん……」
「え?」
ヴェストラルの指差す方、柱の傍で彼の言った通り黒ずくめがこちらを見ている。目を泳がせながら。
「ノット様?」
チェルシーに気づかれたとわかるとノットは余計に落ち着きなく目をあちらこちらにやっていたが、やがて意を決したのかゆっくりと歩み寄ってくる。冷静を装っているのが丸わかりである。ブラックシューターとは別人のように思える程だ。
「如何なされたのです、ブラックシューター様?」
ノットが声の届く範囲にまで近づいたとき、初めに声をかけたのはフレイアルテだった。彼女はタイミング、声色まで完璧に選び抜いていたがノットはやはり、目に映る者の一挙一動に全ての神経を集めているのか怯えたように瞬きをする。
「あの、ノット様?」
「……話がある」
「はあ」
「場所を、変えてもいいだろうか」
「えっと……」
昼食を共にした二人を順に見る。フレイアルテは柔らかく微笑みながら小さく頷き、ヴェストラルは「ぐ!」と自ら効果音をつけて親指をたてた。
「──はい、行きましょ。ヴェストさん、ごちそうさまです」
「すまない、手間を取らせる」
連れ込まれたのはノットの部屋だった。なるほどここならば誰にも邪魔はされないだろう。
「適当に座ってくれ」
「ノット様、あたし十四歳ですよ」
「……は?」
「だから、思春期な男女のするようなことは──」
「あ……な、ななな何をっ君は!!!」
「冗談じゃないですか」
(あ、何だ案外元気でしたね)
ノットを落ち込ませているであろう相手が自身であることはわかっている。だから、見ていられなくて冗談が口から出たのだろうか。
だがまさか彼が顔を真っ赤にして声をひっくり返すまでは思っていなかった。
「その、単刀直入に言うが……」
「”傷つけてすまなかった”」
「っ!?」
「あは、やっぱり。あたしは気にしてませんし。前にあたしは笑ってばかりだと言われましたが、ノット様は驚き過ぎですよぅ」
ノットは言葉を失った。否、見失った。用意してあった加えての謝罪や見苦しいであろう弁明は、もはや意味をなさないのだ。
「だってー、どう見たって落ち込んでますし、原因はあたししかいないでしょう? わかりますって」
「な、ならば尚のこと。私の軽はずみな言動が君を苦しめた」
「はい?」
その瞬間ノットが酷く弱いように見えた。全くもって、チェルシーには気に入らないことである。
「ノット様はアホですよ」
「わかっている」
「苦しいのはあなたの方でしょう」
「私が答えを強要したんだ。従った君に落ち度はない」
チェルシーはこんな物言いが大嫌いだった。
「あー、あー。むっかつく。辛いなら辛いと、言えばいいじゃないですか、ノット様を苦しめているのはどこの誰です、ねぇ?」
「だからっ……いや、言わないのは君も同じだ」
「あたしですか? あたしは別に、並のことじゃ何ともありませんよ。”昔”と比べればこんなもの」
怯む相手を見ていると、もっともっと虐めてやりたくなる。もっともっと、困るようなことを言ってやりたくなる。
自分がここまで歪み捻じ曲がってしまう程の過去と比べれば、ノットの今気に病んでいることなど取るに足りないというのに。
いや、比べるまでもない。彼は動揺しただけだった。元々疎ましいと思われていたのにそれが加わっただけだ。言うべきでなかったと後悔は少しあるが、謝られなければ心が軽くならないくらい沈んでいることもない。
それなのに、大丈夫だと何度言い張っても信じようとしない。気に入らない。
チェルシーは立ち上がる。
「すいません、気分が悪いのでドクターの所へ行ってきます」
「っ、待て! まだ話は──」
制止を聞き入れるつもりもない。足早に、乱暴にドアを閉めた。
「いやあ、我ながら幼い……あ」
「お姉さん、喧嘩?」
「ヴェストさん」
壁にぴったりと耳をつけて盗み聞きをしていたらしいヴェストラル。ついて来ていたのか。側のフレイアルテが申し訳なさそうに苦笑するのを見る限り、ヴェストラルも彼女が制止するのを聞かなかったのだろう。
「気になっちゃいました?」
「チェルシー様、申し訳ありません」
「いえいえ。あたしは別にいいんですよ」
その言葉に嘘はない。話を聞かれたくなかったのはノットの方だろう。
「でもヴェストさん、盗み聞きしたことはノット様には内緒にしておいてくださいね。怒られますから」
念を押して釘を刺すとヴェストラルは素直に頷いた。
「あのね、お姉さん。僕ら本当はついて来たわけじゃないんだ」
「ん? と、言いますと」
「グルシェム司令官がお二人を探しておられたのですよ」
「おじ……司令官が?」
二人というと自分とノットのことだろうか。ノットは置いておくとして、既に処分の下されたチェルシーまで用があるとは。
「お忙しい様子でしたので、私が代わりにご命令をお預かりしております。”街に行け”とのことでした」
「お仕事だよ」
ヴェストラルの加えた端的な一言で理解出来た。が、腑に落ちない。
何故今さらノットと二人で仕事をさせようとするのか。先日のチェルシーの行動を考慮すれば、これ以上動かれない方がグルシェムにとって都合がいいはずなのだ。
それに、
「いやでも、こ、これからあたし医務室に……」
たった今、言葉を遮ってまで飛び出してきた部屋に「ノット様、仕事ですよ仕事っ! あなたの大好物、仕事ですよっ!!」なんて全てを忘れ去って戻るのはチェルシーの精神が許さない。脳内再生された台詞を言っても言わなくても、孕む意味が違うだけの苦い表情が返ってくることだけはわかる。
「”ソウキュウに行動に移せ”って、司令官」
意味を知らないのだろう、この幼い少年は。早急に、か。
(従わないと後が怖そうなんですよねぇ)
「行くしかない、んですよね」
後ろの冷たい扉に、チェルシーは思い知らされた。
自分が悪いことは重々承知で、それでも深く気にしてはいないと思っていた。だが想像以上に気が重い。
部屋の中で彼はどうしているのだろう。肩を落とし考え込んでいるだろうか。それとも思案に疲れ眠ってしまっているか。あれやこれやと、そんなことを考えるのはらしくない。
こんなにも、ノットに負い目を感じているのか、自分は。




