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Not Knock  作者: モク
第1章 ブラックシューター
10/21


 アンドレッドという都市は奇怪である。


 第一に 、能力を持たない一般人の感覚。

 暁帝国、ブレイブスピリット、敵対する組織の大手が揃っているにも関わらず人々は、唐突な開戦に対する備えもなければ必要以上に怯えることもない。当然ながら襲われかければ逃げる。そうでなければ絶体絶命。悪の組織に所属する人間が民衆に多く紛れ込んでいることも承知だ。

 にも関わらず人々が笑顔を絶やさないのは、ヒーローに絶対的な信頼を置いているからか。はたまた、”殺さずの掟”か。


 誰が名づけたか恐怖のない街(アンドレッドシティ)

 今日も今日とて、奇妙な平和が広がるのである。



「平和だな、この街は」


「平和じゃ困るんですけどね、悪の組織(あたしたち)は」



 意外にもノットは呑気に「ああ、そうか」と半ば上の空で呟いただけだった。それだけ気を抜いているということだろう。


 プライベート目的で街へ赴くのは久しぶりだ、言動の失態へあれこれと言われることもない。

 二人は通りを眺めながら、小さなテラスでぼんやりとした短い会話を途切れ途切れに交わしていた。


 そしてアンドレッドの所以である第二の事情──



「修復されてましたね、昨日の」


「そういう街だからな」



 ”昨日の”戦場と化した街。


 チェルシーが衝突したはずみに崩壊した壁、フレイムキッドとノットが焼き尽くした商店や家屋。その痕跡は一晩もすれば跡形もなく消え去り、何事もなかったかのような顔をして建物はそびえているのだ。


 誰が直してしまうのか、一体どうして崩れさった壁を一晩で元通りに出来るのか、真相を知る者は一人としていないという。


 チェルシーは何度かノットの顔をちらちらと見てから、訊ねるべきかと迷っていた問を口にする。



「眼鏡、ですか」


「仕事以外でここに来るときは、そうだな」



 そうしてまた終わる一つのやりとり。


 やはり黒のフレームかというのはすぐに納得出来たのだが、短期間とはいえ見慣れていた姿とはまた違うノットを見つめていたくなってしまった。

 眼鏡に加え、カジュアルな黒のジャケット。流石に見取れられるのは慣れているのか、ノットは視線に気づいても顔色一つ変えない。



「眼鏡男子って流行りらしいですよ」


「そうか」



 また、終わる。



「君は」



 だが不意に、



「何故私を教育係に希望したのだろうと、昨日君と初めて会ったときから引っかかっていた。私はこの手の役割は不得手で……適役ならば部下に心当たりもある。だから君に訊ねようと思っていた──」



 少女と目を合わせる。



「──何か理由があったのか?」



 チェルシーの表情から色が消える。奥の奥で、彼女は迷っていた。



「君は何か目的があるように思えたのだが」


「……あたし、ヒーローになりたかったんですよね」



 もういいや、どうせ辞めるんだし。



「ヒーロー?」


「ええ。ただうちの家系に難がありましてね。これがまた、代々悪の組織の歴史に名を残す、折り紙つきの勝ち組家族なんですよ。ちなみにグルシェム様は、あたしの実の叔父なんですがそれはまあ……」



 やってしまったと後悔したときには遅く、じわじわと驚愕が目に広がっていくノットが何か言う前に慌てて目を逸らす。



「……置いといて、ですね! ええと、よくあることですよ、小さい頃に助けてもらったヒーローに憧れてだなんて」



 追求は後だと自身に言い聞かせたのだろうか、震えていた肩を降ろしたノットを見てチェルシーも一度深呼吸をした。



「もちろん両親は認めませんでしたよ。一族の恥曝し、面汚しと何度言われたか。それでも、あたしはずっと、そのヒーローに会った日から夢を諦めたことはなかったんですよ。でも何年か前に、その人は突然、表の世界から姿を消しました」


「……」


「理由も知りません。ほんの一年でその人は世界に忘れられました。そんなとき……去年くらいでしたか、暁帝国という組織に所属するある人物の噂を聞きました。全てが真っ黒な双銃使い、彗星のごとく現れて早くもトップに上り詰めた人の話。それを耳にした瞬間に、何年も前に引退したヒーローのことを思い出したんです。あの人も両手に銃を構えてましたから」



 懐かしさと、得体の知れない苦しさとにチェルシーは目を細める。



「あの人があたしに言った名前を」



 ノットの眉がぴくりと跳ねる。



「ノット様、ご存知ですか? ……いえ、ご存知ですよね、流星(シューティングスター)というヒーローのことを」



 ノットの表情が再びこわばる。だがグルシェムのことを聞いたときとは違って、嫌な汗が吹き出てくる。

 ご存知ですよねという質問の答えがひたすらに脳内を駆け巡っていく。



「一人でフレイムキッドの前に立ったのは確かめたいことがあったからだって言いましたよね。あなたでも相手が強ければ戦法を出し惜しみしてる場合じゃない……だから。でもまさか、こんなに早く確証を得られるとは思ってませんでしたけど。昨日のノット様は──」


「やめてくれ」



 その先を言わせてしまうわけにはいかなかった。明るく騒がしい人の中にいるはずなのに、黒一色の果てない空間に突き落とされたような気がする。酷い気分だ。



「あなたが問いたださなければ、あたしは話すつもりなんてありませんでしたよ」



 自ら制止しておきながら、チェルシーが言おうとしたことの結末を想像してしまう。


 彼女はきっとこう言いたかったのだ、「昨日のノット様は、さながら流星のようでした」と。



「そのヒーローは……とうの昔に消滅した。人々の中からも、世界からも」


「ええ、そうでしょうとも」



 今までで一番の優しい微笑みをチェルシーは見せた。



「あたしは、シューティングスターを探しに来たのでも、彼が若くしてヒーローを辞めた理由を訊きに来たのでもありませんから」



 彼の耳に再び人の声が届くようになったのは、それからどれくらい経ってからだったろう。全身が一気に熱く頭はぼんやりとして、この感情は何だろうと考え始めていた。

 考えろと言い聞かせながらも怠けて結論を急がない自身の精神に呆れそうになる。


 そうだ、怖かったんだ。彼女が私の正体を知っていることが。

 認識すると尚更、チェルシーと目を合わせたくないと思った。



「ノット様」


「あ……」



 ほんの一瞬の、声というよりは音に近いものだったが、反射的に零れたのには明らかに負の情が籠ってしまっていた。

 慌ててノットは顔を上げる。彼女を傷つけてしまったのでは、と。


 だがチェルシーはそ知らぬ顔をして、



「行きましょうよ、まさか何しに来たのか忘れたわけじゃないですよね?」


「無論」



 杞憂だったのか。



「じゃあ早くしましょっ……ノット様も、そうしたいでしょう?」



 いや、やはり。チェルシーの口元が歪む。唇を噛み締めている。


 愕然とした。加害者はこちらのはずなのに、彼女の鋭い眼差しに心臓を抉られるような感覚を覚えてしまっている。



「私は」



 チェルシーは耳を塞ぐ代わりにノットに背を向けた。

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