23.総攻撃
からっ風は冷たく、砂埃を巻き上げながら吹きすさんでいた。廃村の森を出ると、風の表情もすっかり変わってしまう。
廃村から現世喰のコロニーへは、近いと言えるほどの距離ではなかったが、決して遠いわけではない。そうだから毎日襲撃があったのだ。
生命が絶えたせいで風化の著しい大小の丘陵や、崩れかけた崖の間を抜け、ざらざらする地面を踏んで歩いて行く。歩きながら、アクナバサクが「ふーむ」と呟いた。
「水路っぽいなあ。この辺は昔は川だったのかしらん?」
「いいや、後になって雨が地面を穿ったんじゃろう。この辺に大きな川はなかったからな」
とレーヴァティが言った。
村は森に囲われた静かな場所にあった。森から流れて来る小川は、夏には冷たく、冬には温かく感じた。その小川を辿って行くと、滾々と湧き出る泉があって、若者や子どもが連れ立って遊びに行く事もあったらしい。
そんな思い出話をしながら、レーヴァティは目を伏せて微笑んだ。
「あの頃には戻れまいがの。森を取り戻せるなら……ちったあ、気持ちが楽になるっちゅうもんよ」
「人間と仲がよかったんですか?」
とキシュクが言った。
「数えられるくらいじゃがの。ま、身の丈に似合わん戦いをするし、年も取らねえし、不気味がられる事の方が多かったわい。それでも、素直に感謝してくれたり、慕ってくれたりした奴もおった。色んな奴がいるもんよ」
「わかるよ。わたしもそうだったな。侮られる時は腹が立ったものだが……それでも、先に死なれると少し寂しい気分になったな」
とグリーゼが遠い目をしながら言う。ハクヨウも頷いている。アルゲディとキシュクは、あまり人間と交流がないせいか、ちょっと実感がない様だ。顔を見合わせて首を傾げている。
「うーん、ボクたちはあんまし人間に良い印象はないですねえ、アルゲディ?」
「そう、だね。捨てられる直前くらいに生まれたから」
「苦労したんじゃのー、お前らも。ま、もう人間にお目にかかる事もそうそうないじゃろうな……」
人間たちは西へと撤退している。わざわざこちらにやって来る者はいないだろう。
「人間が西でどうしているか、君は知っているのかい?」
とハクヨウが言った。レーヴァティは肩をすくめる。
「お前らと同じくらいの情報しか知らん。巨大な壁を造って、そこを防衛ラインにして現世喰どもを食い止める、とな」
「……じゃあ、まだ西では新しい魔姫が生み出されているのかも知れないな」
グリーゼが眉をひそめながら言う。
「そうじゃろうな。現状、現世喰どもは魔姫にしか相手できんからな」
「その西の壁までの距離は分かりますか」
急にホネボーンが割り込んだ。レーヴァティは腕組みする。
「行った事はないからな……それほど近くはあるまいが、ここはそれなりに後になってから放棄された拠点じゃからな、遠過ぎるという事もないと思うぞ」
「ふむ」
「ねえねえ、それって、もしかして人間と出くわす可能性があるって事?」
とアクナバサクがちょっと不安げに言った。
「あり得ないとは言い切れませんナ。何かの拍子に人間どもが一転攻勢に出たとすれば、こちらに勢力を拡大する可能性はあります」
「で、でも、宰相さん。今までずっと押されていたわけだし、その、魔姫だけじゃ、現世喰を退治しきるのは難しいんじゃ……」
とアルゲディがおずおずと言う。実感のこもった言葉である。
「可能性と言ったでしょう。少なくとも、現世喰に対抗する為の研究は続けられている筈です。愚かで低能な人間とはいえ、試行錯誤が積み重ねられた時間は馬鹿に出来ない。さらに、戦争だとか、国を守るとかいうお題目の前では、残酷な実験も容認されます。何かの拍子に、防衛ではなく攻勢に出られるほど力を持った魔姫が生まれる可能性も0ではありません」
「やだなー、そういうの。ヌンゴルンゴバジャデュジュだってそうやって生み出されたんでしょ?」
「現世喰です」
「見えて来たぞ」
レーヴァティが言った。一行は速度を緩め、遠くに見える現世喰のコロニーを見た。やはり巨大な蟻塚といった様相である。黒い甲殻を持った現世喰たちが、まさしく蟻の様にぞろぞろと巣の周りを動き回っていた。
何やら大型の個体の様なものも見受けられる。アクナバサクが谷で最初に出くわしたものよりは少し小さい様だが、形は同じ様に見える。
「うわー……めっちゃいやがりますね……」
とキシュクが嫌そうに言った。レーヴァティがくっくと笑う。
「なんじゃい、怖気づいたか、おチビ」
「な、何を言いやがりますか! 大体チビなのはそっちもでしょ!」
「わしは中身は大人じゃと言っとろーが!」
「どうしようか王様。どう攻める?」
ハクヨウに言われて、アクナバサクは「うーむ」と首をひねった。
「わたしは戦術的なものはよく解らんのよ、平和主義者だから! でもあれでしょ? 一匹も逃しちゃ駄目なんでしょ、ホネボーン?」
「そうです」
「そっかー……よーし、じゃあ邪魔する奴も逃げる奴も、老若男女問わず皆殺しにしてやるんだ……! ふっ、ふふふふ……みっ、皆殺し、ミナゴロシに……」
「……王様?」
ハクヨウが声をかけると、目に光がなくなっていたアクナバサクはハッとした様に顔を上げた。
「えっ? あっ、へーきへーき! ちょっとあれだから、昔の同僚を思い出して嫌な気分になってただけだから!」
「昔の同僚じゃと? もしかして、他の魔王の事か?」
「そうそう。いやあ、他の連中は闇の神獣の狂信者でさー、人間はともかく誰であろうと全員ぶっ殺すみたいな感じで、もう物騒でアレだったのよね。ねえ、ホネボーン?」
「そうですね」
「なんじゃい、現世喰をぶっ潰すのが嫌になったか?」
「いやいや、そうじゃないけどさ。なんか、そういう気分になるのが何だかなあ、っていうだけ。やっぱり平和が一番だよ。殺す必要も殺される必要もなし! でもその為に大量虐殺をしなきゃいけないっていうのが皮肉だねえ」
「現世喰は生き物ではありませんよ」
とホネボーンが素っ気なく言った。アクナバサクは口を尖らした。
「だから気持ちの問題だって言ってんだろ! 生き物は感情で生きてんだぞ! お気持ちをもっと大事にしていけよ! 大事にし過ぎない程度に!」
「はあ」
魔姫たちはくすくす笑っている。これから攻撃を始めようというのに雰囲気が和やかになりかけた。アクナバサクはふうと息をついた。
「まあいいや。奴らは木や草に生まれ変わって大地を潤す事になると考えよう。どちらにしても、他の環境をめちゃめちゃにするのを放っておけないからな! よーし、皆さん、行きますよー! アクナちゃんに続けー!」
と言うや、アクナバサクは両腕を振り上げて巣に向かって突進していった。
この急展開に魔姫たちはぽかんと突っ立ったまましばらく固まっていたが、やがて大慌てで銘々に武器を構えて前に出た。
「急に突っ込むとか、何を考えとるんじゃ、あのアホは!」
「ま、まあ、王様ならそれでも何とかなっちゃうから……わたしたちは周りを囲む様に行こう。アルゲディとキシュクは二人で向こうから回り込んで。わたしは反対に行く。グリーゼはレーヴァティと一緒にこのまま前に行ってくれ。各自で現世喰の数を減らしながら巣の入り口を目指す。後で合流しよう」
「了解です! よーし、行くですよアルゲディ! 久しぶりに大暴れしてやるです!」
「うん! みんな、気を付けてね!」
魔姫たちがそれぞれに散って行く中、ホネボーンはやや後ろから空中に浮かび上がって、戦場を俯瞰して眺めていた。
急に現れたアクナバサクが現世喰の大軍を次々に粉砕している。エネルギーの固定化なぞ考えていない様な勢いで、溢れたエネルギーが地面から草を芽吹かして、アクナバサクの通った後が緑の道の様になっていた。
急な襲撃に現世喰たちは大混乱しているらしかった。ホネボーンは顎に手をやって面白そうな顔をした。
「ふむ……なるほど」
この急展開は、むしろ知性が芽生え始めた変異体の方が混乱しているらしい事が見て取れた。知性がなく、生命エネルギーに引き寄せられるだけの個体の方が、即座にアクナバサクや魔姫たちに反撃を試みようとしている。しかし力量の差は如何ともしがたく、現世喰たちは着実に数を減らしていた。
それでも、やはり数が多い。減った様に見えても、巣の中から次々に這い出して来る有様は、まさしく蟻の様だ。
下位個体は銘々に襲い掛かって来るだけだが、次第に変異体たちが寄り集まる様にして陣形を組み出しているらしいのが見えた。
「統率者がいるのか、それとも……」
とホネボーンは独り言ちた。
〇
アクナバサクを追う様に、レーヴァティとグリーゼは走っていた。両側からかかって来る現世喰を槍で貫き、野太刀で切り伏せる。
「凄い数だ……よくこれだけいたもんだな」
とグリーゼが呆れた様に呟く。
「妙じゃな……こんな数がおったら、もっと村まで来る連中が多くてもおかしくないんじゃが……っと!」
右から飛び出して来た現世喰を、レーヴァティが一刀のもとに両断する。
「流石! やるな、先輩!」
「はん、誰に言っとるんじゃい! こちとら第一世代じゃぞ!」
今度は上から来たのを斬り上げて真二つにした。そのまま返す刀で後ろにいたのの首をすっ飛ばす。勢いづいたレーヴァティは、猿の如き身のこなしで跳び回り、立ちふさがる現世喰たちを次々に切り捨てた。
グリーゼの方も鋭い突きで現世喰をどんどん貫いて行く。二匹まとめて貫くという荒業も見せた。アクナバサクにもらった力のおかげで、槍は自らの魔力で生成できるから、離れた所の現世喰は投げ槍で仕留めるという事までやってのける。
「やるじゃねえか、後輩」
「ははっ、どうも!」
レーヴァティは珍しく高揚していた。なんだか、魔姫として戦い始めたばかりの頃を思い出す様だった。あの頃は肩を並べて戦う仲間も多かった。この戦いの先にきっと希望があると信じていた。
(……希望、か)
巣の入り口が見えて来る。レーヴァティは口をくっと結んで、現世喰を二体まとめて斬り裂いた。
アクナバサクは入り口付近で大暴れしていた。文字通り、現世喰をちぎっては投げ、ちぎっては投げしている。現世喰の牙や爪も歯が立たず、まったくの無双状態である。
「がははは! そんなもんじゃわたしは倒せねーぞ! もっと本気でガンガン来んかーい!」
「王様、後ろ!」
グリーゼが叫んだ。変異体らしいのが数匹、下位個体の陰に隠れてアクナバサクに爪を振り下ろそうとした。
その時、現世喰たちの足元で風が巻き起こり、まるで足を掬う様にして現世喰たちが転倒した。空中に浮いたホネボーンが手を向けている。魔法で現世喰たちの足を払ったらしい。ホネボーンの魔法ではダメージが入らないとはいえ、これくらいの事は通用する様だ。倒れた現世喰たちは、レーヴァティとグリーゼが片付けた。
「大丈夫ですか、王様」
「おー、平気平気。お前こそこんなトコまで来て大丈夫か?」
「自分の身を守るだけなら問題ありません。連中は空は飛べない様ですから」
「そうだな。ははは、いやー、なんだかんだ言っても体を動かすのは楽しいねえ」
「調子に乗るんじゃねーわ、アホ。攻撃が効かねえからって雑な戦い方しとったら痛い目見るぞ」
レーヴァティがそう言ってふんと鼻を鳴らした。アクナバサクはえへへと頭を掻いた。
「サーセン」
「ハクヨウ達とここで合流する予定なんだ。もう少し数を減らしておこう!」
グリーゼはそう言って、槍を構えて現世喰たちに向かって行く。
ホネボーンが降りて来た。
「順調ですね」
「そう?」
アクナバサクは周囲を見回した。巣の入り口からはまだいくらか這い出して来る形勢であるが、巣の外にいる現世喰は、いつの間にか随分数が減っている様に思われた。
向こうの方でも戦いの音がしている。ハクヨウ、アルゲディ、キシュクがそれぞれに現世喰を仕留めながらこちらに向かっているのだろう。
「巣は大きいですが、変異体はそれほど多くはない様ですね。下位個体は逃亡の概念がなさそうですから、戦っているうちにせん滅できるでしょう」
「ははあ、つまりここで倒しまくってればいいって事だな?」
「はあ」
「そういう事なら大得意! がははは、かかって来いやー!」
と現世喰を倒しながら、アクナバサクがふとレーヴァティの方を見ると、レーヴァティは戦いながらも、しきりに巣の入り口の方を気にしていた。
周囲の現世喰を回し蹴りで一掃したアクナバサクは、ぽんと跳んでレーヴァティの隣に並んだ。
「中が気になる?」
「うおっ! お、おう……まあな」
「よっし、じゃあ突入しようぜ!」
「はっ?」
「ホネボーン! わたしとレーちゃんは一足お先にお邪魔しますからね! ハクにゃんたちにもそう言っといて!」
そう言うが早いか、アクナバサクはひょいとレーヴァティを肩車した。
「うおおっ!」
「イクゾー」
それで二人は巣の中に突入する。ホネボーンがやれやれと首を振って嘆息した。
「また勝手な事を……」
内部の通路は思ったよりも広かった。レーヴァティを肩車したアクナバサクが、そのまま走れる程度に天井も高い。
速度があるのでレーヴァティは目を白黒させたが、そこは流石に場数を踏んでいるだけあって、即座に野太刀を構え直し、アクナバサクに担がれたまま、向かって来る現世喰をどんどん切り捨てた。アクナバサクはひゅうと口笛を吹いた。
「いいね! わたしたち、思ったよりもベストパートナーなんじゃない!? 結婚する!?」
「いやじゃ!」
「即答ッ!」
通路はそれなりに広かったが、次第に枝分かれして、穴の様な側道も増えて来た。そういう所から、不意に現世喰がひょっこり顔を出したりする。頭上の暗がりから降って来る者もある。
レーヴァティは舌を打った。
「こんな場所に攻め込んじまったらひとたまりもないな……」
何せ上から横から現世喰が次々に現れるのである。緊張が抜けないし、精神が削られてしまう。その上巣は広大である。短期決戦ならばともかく長期戦でその状況になってしまえば、力のある魔姫であっても厳しい。
(……討伐なんちゅうのがそもそも無理筋な話じゃったわな)
と思いつつも、なぜか今は不安感がない。アクナバサクがいるせいだろうか。
そのアクナバサクは、迷いない足取りで走っていたのが、急に速度を緩めて、ついには立ち止まってしまった。今になって、ここはどこだっけ、などと思い始める。
「やべえ、道に迷ったかも! ってかわたしたち、どこか目指してたんだっけ?」
「お前……」
レーヴァティにジトっとした目で見られて、アクナバサクは口をもごもごさせた。
「えーと……あの、レーちゃん? このコロニーってなんかこう、ボスみたいなのっているんだっけ?」
「さあな。わしもここまで来たのは初めてじゃから、っと」
暗がりから現れた現世喰を、レーヴァティの野太刀が斬り裂いた。
「ハクヨウたちを攻めとった現世喰どもには親玉がいたんじゃろ? そこの巣もでかかったか? 親玉の体の大きさは?」
「うん、確か巣はでかかったよ。でもみんなで攻め込んだらあっさり落とせたよ。ボスも結構でかかったなー。外に立ってた奴よりは小さいけど、わたしらよりも幅も高さもあったよ」
「巣の規模が同じなら、統率者がいる可能性はあるじゃろ。大型個体が統率者なら、広い通路を選んで進めば行き当たるんじゃねえか?」
「な、なんという冷静で的確な判断力なんだ……でも、似た様な通路がいくつも」
二人がいるのはちょうど通路の分岐点であった。細いものや、穴の様なものもあるが、今まで二人が駆け抜けて来た様な広い通路もいくつか見受けられる。さて、どうしたものかとアクナバサクは思案した。
その時、巣全体が大きく振動した。地震の様な勢いだったが、一度の揺れで止まる。天井からぱらぱらと土片が降って来た。
「な、なんじゃい?」
「なんだろ? コオロギモドキを追い出す為にホネボーンが大魔法で巣を吹っ飛ばしたとかかな?」
「具体的じゃのッ! ちゅうかコオロギモドキってなんじゃい!」
「ホネボーンめ、わたしらごと片付けて自分が魔王谷の支配者になろうって魂胆だな、さては! このタイミングの下剋上とは恐れ入ったぜ、流石はわたしの右腕。だが思い通りになってたまるか! レーちゃん、行くぞ!」
「おっ、おい、ちょっと待て! 道は解るんか!? うおおおっ!」
アクナバサクは再び走り出す。急に動き出したせいで、レーヴァティは落っこちそうになる。
アクナバサクの思った通り、外ではホネボーンが大魔法を撃ちまくっているらしく、一度止んだ振動が再びやって来た。しかもその間隙は次第に短くなっている。地響きに交じって、何かが崩れている様な音さえ体に感じる様だった。
「このままじゃ生き埋めになっちまうぞ!」
「大丈夫、わたしがついてるから!」
不安そうなレーヴァティと対照的に、アクナバサクはあっけらかんとしたものである。そうだと、なぜだかレーヴァティの方も、大丈夫かも知れないと思ってしまう。
アクナバサクと、アクナバサクに肩車されたままのレーヴァティは、道々現世喰を粉砕しながら通路を驀進した。完全に足の向くまま気の向くままなのだが、アクナバサクの第六感は中々に馬鹿に出来たものではなく、どうやら着実に巣の奥へと向かっているらしい事がレーヴァティにも感ぜられた。
巣の中の現世喰たちは襲撃に誘われて外へどんどん出て行っているらしく、奥に行くほどに、却って攻撃が弱まっている様にも思われた。
やがて通路のどん詰まりに行き当たった。
そこは広い部屋であった。通路はだらだらの下り坂で、次第に地下へと潜っていたらしく、その部屋は広いが、窓の一つもない地下室といった様相である。
現世喰たちは外へ出て行ったのか、この部屋には気配がなかった。
アクナバサクは怪訝な顔をしながら、レーヴァティを肩から降ろした。担がれっぱなしだったレーヴァティは、ちょっと痺れた足を振って感覚を取り戻す。
「もぬけのからじゃの……」
「だね。ボスはどっか別の通路から出て行っちゃったのかしらん?」
ハクヨウ達のいた廃都市を攻撃していた現世喰の拠点には、何だか変な触手みたいなものがいっぱい伸びている部屋があった、とアクナバサクは思い出した。類推するならば、ここも似た様なものがあってもおかしくないと思ったが、どうもそういうものの気配はない。冷たい石と土があるばかりだ。
当然、魔姫の姿なぞない。
(……わかっとった事じゃが)
レーヴァティはしばらく部屋の中を見回して、やれやれと頭を振った。
「何もいないみたいじゃな。予想は外れとったか」
「うーん……お留守みたいだからとりあえず戻ろっか。生き埋めになるのは嫌だしね」
地響きはまだ続いているのである。ここで便便としている法はない。アクナバサクはレーヴァティをひょいと抱き上げた。
「こ、こら! なんでまた抱っこするんじゃい!」
「だってわたしが走った方が速いんだもの。レーちゃん、ついて来れる?」
「ぐっ……」
確かに、アクナバサクの脚力には追い付けそうもない。レーヴァティは渋々抱きかかえられたまま、再び巣の中を移動する事になった。
「ボスがいないとなると、雑魚軍団をせん滅すれば終わりって感じかな? 外はどうなったんだろうね、レーちゃん」
「どうじゃろうな……まあ、あの骨が巣を壊しとるっちゅう事は、外にいる現世喰は大体片付けたと見ていいと思うが」
果たしてレーヴァティの言う通りであった。二人がしばらく戻ると、通路が途中で急に外気にさらされ、冷え冷えとした空が頭上に広がった。ホネボーンがその辺りまで大魔法で破壊していたのである。
瓦礫に上った二人は、そこここで現世喰を仕留めている魔姫たちの姿を見た。見回すと、もう現世喰の姿はほとんど見えなくなっていた。瓦礫に埋まってしまった者もいるのかも知れないが、それにしたって少ない。
空に浮いていたらしいホネボーンが降りて来た。
「ご無事でしたか」
「あっ、ホネボーンこのやろう! よくも下剋上を企てたな!」
「内部はどうでしたか」
「あれ、無視?」
「親玉らしいのはおらんかった。他のも外の騒動につられて出て行ったのか、数は少なかったわい」
「そうですか。こちらも概ね片が付きました。残念というか何というか、それほど興味を引く個体はいませんでしたね。王様、さっさと残りを片付けて戻りましょうか」
「おーいえー」
アクナバサクは肩をぐるぐる回して、目についた現世喰に襲い掛かって行った。
レーヴァティはふうと息をついて瓦礫に腰を下ろした。
「……あっけないもんじゃの」
長年、自分がこだわり続けていたものに、あっさりと答えが出てしまった。それが不思議と少し寂しい様な気もしたが、同時にホッとしている自分がいるのに、レーヴァティは少し驚いていた。
前は確かめてしまう事があんなに怖かったのに、いざ確かめてしまった後はすっきりしたものである。
(薄情なわしを許しておくれな)
レーヴァティは俯いたまま、心の中で呟いた。
〇
現世喰のコロニーへと向かった一行を見送ったシャウラは、皆が見えなくなるまで見送った後、漫然と留守を預かっているだけではいけないと思い、早速廃村の周りに結界を構築する事にした。
手近な岩などに、指先で術式を刻んでいく。
それほど複雑なものではないが、何か所か術式を刻み、それらを結んで結界とするので、シャウラは村の周りを歩き回り、村全体を囲う様に術式を刻んだ。
そうして刻み終えてから魔力を流す。すると、術式同士に魔力の網が張られ、結界が構築される。
出来上がった結界を見て、シャウラはふんすと胸を張った。
元々は無手勝流の魔法だったが、今現在は谷で暮らしながらホネボーンに教えられて、中々上達したものだと自負している。この出来ならばホネボーンが褒めてくれるだろうかなどと淡い期待を抱き、シャウラは術式を刻んだ石を指で撫でた。
アクナバサクはいつも沢山褒めてくれるけれど、ホネボーンは滅多に褒めてくれない。だから、特に魔法に関してはいつもホネボーンを意識して何をする様になっていた。
「はは、早く、帰って、こ、来ないかな……」
戦うのが嫌だから留守番を買って出たが、一人でいるのは少し寂しい。みんなが現世喰に負ける筈はないという信頼はあるから心配はしていないけれど、早いか遅いかという事ではちょっと気を揉む。暗くなってから一人でいるのを想像すると、シャウラは何となく落ち着かなかった。力が強くなったとはいえ、気の弱さだけは中々治らない。
結界を張ってからは特にする事がない。泉の傍らで、膝を抱える様にして腰を下ろした。風が冷たいから、じっとしているだけでも体がぶるりと震える。だから余計に小さく丸まろうとしてしまう。
寒いのに、座っていると何だか眠くなる様な心持だ。さっき昼食後に眠くなっていたのがぶり返して来た様にも思える。
なんとなくうつらうつらしながら、瞼が重くなるに任せていると、不意に結界が何かに反応した。シャウラは驚いて跳ね起きる。
「かっ、かっ、帰って、来た?」
しかしどうもそういった気配ではなさそうだ。
シャウラは緊張気味に、そろそろとした足取りで森の反応のあった方に歩いて行った。そうして物陰に隠れながら、こっそりとそちらを見やる。
そこには、まるで甲冑を着た様な現世喰が、他の現世喰を引き連れる様にして立っていた。その姿はまるで人間の重装騎士の様だ。しかし兜の目に当たる部分に赤く光る目は人間のものではない。
「確かに、森が復活して、いる。ふむ」
喋った、とシャウラは息を呑んだ。自分たちのいた廃都市で見た現世喰よりも、はるかに知能が発達している。
現世喰は、手の先で結界に触れた。ばちん、と魔力の電撃が走り、彼らを入れる事を拒む。
「猪口才、な」
言うが早いか、現世喰は腕を振り上げ、思い切り地面に叩き付けた。どうやらそこには術式を刻んだ石があったらしく、それが粉々に砕かれた音がした。そうして結界が力を失い、解けていくのを感じる。
現世喰は体を起こし、体をほぐす様に動かした。
赤い眼がシャウラの方を向いた。
「さて、そこの、魔姫。さっさと、出て、来い」
シャウラは青ざめた。




