帰京
「これ美瑛の丘です。
冴木君はスマホの写真を見せてくれた。中には鈴井さんとツーショットもあった。
「なんだ、二人はそういう事だったんだ」
写真は、満面の笑みの鈴井さんの隣に、風にふかれ気持ちよさそうにしてる冴木君が写ってた。
「で、どうして美瑛に行くことに?札幌周辺をまわってすぐ帰るはずだったんだろ?」
「札幌で新藤先輩と別れた日、鈴井さんからメールで”美瑛で困ってるの。お財布なくしちゃって。道の駅で待ってるから助けに来て”って。”僕が、慌てて行くと、”ごめん、お財布、届け出があって、なんとかなっちゃった”って。
で、そのまま美瑛で一泊、次の日は丘を巡りのサイクリングにつきあわされました」
鈴井さんのそれって、本当かな?案外、冴木君を誘うためだけだったりして。
「上り坂はキツカったです。展望台まで登って景色を見渡すと、これまでウジウジしてたのが、スカっと飛んでいったようで。心が軽くなりました」
結局、彼の失恋メランコリーをなおしたのは、運動と自然と鈴井さんの想いか。
「これから、演奏に行き詰ったら、美瑛の丘の頂上で吹いてるって思う事にしました。あの丘に似合う音を出したい」
俺は冴木君が元気なのに安心して空港で別れた
それにしても”美瑛の丘の音”か。彼のピュアな音色に磨きがかかるだろう。ライバル、レベルアップしちゃったな。俺はどうなんだろう?最後の”母校吹奏楽部でのツメコミ指導”をする事で、そっち方面の力はついたのは確かだ。後で、恩田先生に恨みをまぜて報告しよう。
アパートまでくると、健人がボンヤリと、階段に座ってた。俺を見つけると、勢いよく走ってきて、俺に抱き着いた。
「海人先輩、お帰りなさい。待ってたんです。」
見ると、健人の目はウルウルしてる。
「健人、どうした?暑さで頭でもやられたか?想定外の出迎えだな。でも、暑苦しいから離せ」
何か問題がおきて俺を待っていた?(昨日、メールで帰る事は知らせてあるし)それとも、俺の事が、”別な意味で好き”?・・・いやそれはないわ。
健人は、学校帰りらしい姿で、ただ、汗だくだった。楽譜でも探しに買い物にでたとか。
とにかく、いつも明るい健人が、泣きそうな顔してるのは尋常じゃないな
「先輩、伊藤先生は、”今度の発表会は、夜想曲の5番ね、タコちゃん”って言われて、そうしたら、俺のローラちゃんは変だし、部屋の鍵はなくすし、で、守衛さんに練習室おいだされて、クーラーが壊れてたのは、昨日で・・・・伊藤先生の選曲、これってイジメでしょうか?」
わけわかんないよ、健人。やっぱ熱中症か。
健人を俺の部屋にあげ、クーラーを22度に設定。冷蔵庫の中に、ミネラルウォーターがあったので、すぐ健人に飲ませた。
「大丈夫か健人?頭痛くない?吐き気は?まったく、この暑いのに外でボヤっとしてるからだ」
俺は荷物をあけながら、そういえば母さんからもらったお握りが残ってると、健人にわけた。
これで、食べる事が出来ないようなら。医者に連れていくか。
お握りは6個あった。健人は4個も、食べた。超スピードで。もしかして、空腹で低血糖をおこしてたのかもしれない。
当の健人は、お握りを食べ、水を一気に飲むと、ハァーっと大きく息をついた。
「健人、少しか具合よくなったか?なんなら病院へ行くか?」
「先輩、僕はなんともありません。鮭お握りおいしかったです。北海道の鮭、最高にうめぇ。」
残念だけど、それは、チリのトラウトサーモンだと思う・・。
「ところで、さっき鍵がどうどか言ってたけど、どうしたんだ?」
「俺、鍵、なくしたみたいっす。いえ、おそらく練習室にあるんじゃないかなと思うんですけど。
事務に確かめようにも、携帯を部屋においたままで。直接いったら、もう誰もいなくて、俺、どうしていいかわからなくて。友達みんな、帰省してるようだし。だいたい、あの守衛が頑固で・・」
また話し出すと止まらなくなりそうだ。
「ストップ。1、お前は鍵をなくした。それは練習室にあると推測してる。2、携帯は部屋の中。でいいな。で、守衛さんがどうしたんだ?」
「追い出されたんです。俺、自分の演奏の録音聞きながら、チェックしてたら寝ちゃってて、それを守衛さんに、見つかって怒られたんです。時間もかなりオーバーしてたし。でも俺、ローラちゃんがヘンだから、学校で練習するしかなくて」
だいぶわかってきた。健人は電子ピアノを使っている。ここのアパートは防音の設備が万全じゃないからだ。まあもっとも、音大生が多いから、そこんとこ見逃してほしいとこだけど、東京人は騒音にはうるさいらしい。このアパートに入るときに、管理人から念をおされた。
「で、ローラちゃんは、健人の大事な電子ピアノの事か?伊藤先生門下の生徒の発表会があるのか?」
長年、教えてる生徒や学校の生徒を集め、発表会をするのは、よくあることだ。本番のプチ練習にもなるし、多くの人前で演奏するいいチャンスだ。俺もよく出された。
森岡先生門下の生徒は、そう多くないから、こじんまりしたものだったけど。
「そう~なんです。俺のローラちゃん(電子ピアノ)昨日、ピッチが狂ってきて、出ない音も出て、で、発表会がせまってるのに、俺、どうしようかって思ってて。
大体、夜想曲の5番op15NO2って、俺、あまり好みじゃないし。
それを、発表会で弾けって、これってイジメじゃないですか?先生、知ってるのにワザとなんだ」
「健人は、それはイジメじゃないのは、半分、わかってるよな」
「伊藤先生との対応のコツはつかめました。でも、夜想曲、”この曲、あなた嫌いでしょ?全部、自分で練習して、解釈もして曲にすること。”だ。確かに5番は、綺麗な曲だとは思うけど、なんていうか、弾いてて、歯がゆいし、細かい処がムズ」
ああ、やっと理解した。健人は、いろいろ重なってパニックになったんだな。携帯のないのがつらい。健人は鍵は練習室にあるというけど、なかったら、ちょっと面倒だな。
とりあえずだ、今日はもう遅いから、健人君はウチにとめて、まず、鍵をなんとかしないと。
昨夜、健人の騒動と寝顔の写真付きのメールを、セリナちゃんへ送った。彼女は明後日、帰る予定だそうだ。それと健人への伝言をたのまれた。
”ローラちゃんにばかり頼ると、グランドピアノを弾く時のタッチの加減を覚えられない。はやめに、グランドか、せめてアプライトにすべし” と
まあ、それが簡単に出来れば、健人もそうしただろう。あいつのとこも、セレブってわけじゃないようだしな。




