2人の道
走って、走って、誰もいない所までたどり着いて、ようやく安心して私は号泣した。大声で泣きながら気づいた。私がどれだけキースを好きだったか。そしてどうしてその気持ちから目をそむけていたのか。
「仕事と俺とどっちが大事なの? もう君にはついていけないよ」
前世の私が恋人に言われた言葉だった。彼はずっと私を理解してくれていると思ってた。私が仕事について夢中で話す時も笑顔で聞いてくれたし、仕事で海外に行くときも快く見送ってくれた。仕事に理解のある人なら、結婚しても上手くやっていける……そう信じていた。
でも……たぶん彼は理解してたのではなく、我慢してただけなのだ。私が好きだから、私が仕事に夢中になっても我慢して笑顔で見守ってくれた。でも……その我慢も限界があって、その限度を超えた時、言ってはいけない事を口にし、そして私を諦めた。
彼が好きだった。仕事と彼と何方が好きか、比べられないくらいに好きだった。「仕事より貴方の方が好きよ」と言って引き止めたかった。でも……それは結局、今後も彼に我慢をしいるだけなのだと思い、言えなかった。
前世で好きだった彼にキースは似ていたのだ。だから初めから警戒もせずにするりと共に過ごせた。忍耐強く、優しいキースの包容力は彼に似ていた。だから怖かったのだ。彼と同じ様に私に我慢しているのではないか? そして我慢の限界を超えたら、キースは彼の様に私の側から離れるのではないか。
それが怖くて、キースを好きにならない様に、自分で自分の心を押しとどめていた。
私は酷い女だ。キースの気持ちに気づいていながら、彼が側から離れるのは嫌で突き放さなかった。そして自分が本来果たすべき役目、ロンドヴェルムの領主の仕事をキースに押し付けながら、自分は自由に仕事がしたいと我儘を言った。
キースは私の代わりにロンドヴェルムに縛られてしまったから、キースが私と共に人生を生きるなら、私がこの地に共に留まらなければいけないのだ。だから彼は「ロンドヴェルムから離れないでくれ」と言うしかなかったと言うのに。それがわかっていても……私は仕事を優先して外へ行きたいと言い続けた。
キースにとって我慢の限界だったのだと思う。それでも今頃言ってしまった事に後悔してるかもしれない。とても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
……申し訳ないという気持ちと、キースへの愛だけで、私はロンドヴェルムに骨を埋める事はできるか? 答えはノーだ。私は仕事を諦められない。ロンドヴェルムに縛られたくない。だから……キースの想いに答えられないのだ。
「ごめんなさい……キース」
何度も呟いて泣いた。本人が目の前にいないのに。きっと私が泣きながら言ったら、優しいキースは許すしかできないから。彼の前で泣いてはいけない。今ここで涙が枯れる程泣き尽くして、彼への未練や自責の念を出し尽くして、未練を断ち切った上でキースに断りの言葉を言わなくちゃ。
思いっきり泣いて感情を吐き出してから、私はハンカチで涙を拭って大きく深呼吸をした。今頃キースは心配してるだろう。彼に言わなくちゃいけない。私の本当の気持ちを。
家に戻ろうとした帰り道キースは立っていた。悲壮な程に青ざめて悲しげな姿に、私は思わず目をそらした。素早く周りに誰もいない事を確認してから口を開く。
「キース……ごめんなさい」
「いや……俺が悪かったから、あんな事言うんじゃなかった……」
気まずい沈黙を押し流す様に私は言葉を続ける。
「この前……言ってくれたよね。ロンドヴェルムで二人で一緒に暮らそうって。でも……ごめんなさい。私はこの土地に縛られずに色んな仕事がしたい。だからキースの事が好きでも結婚できないの。キースに私の責任を押し付けてこんな事言うの……卑怯だけど……」
「本当に卑怯な人だね……マリアは」
キースの言葉にはっと顔をあげると、キースはせつない微笑を浮かべた。
「好きだけど結婚できないなんて……期待させて突き落とす、残酷な言葉だ」
そう言いながら一歩づつキースは近づいてきた。謝罪の言葉を反射的にいいかけて口をつぐむ。今何を言っても言い訳にしかならないから。
キースは後一歩で触れられる……という距離まで近づいて歩みを止めた。
「でも……嬉しかった。俺が長年想い続けたのは無駄じゃなかったんだな……」
今にも泣きそうな儚いキースの笑顔に、胸を締め付けられる想いがする。言い訳でもいい。本当の気持ちをありのままに伝えよう。
「キースはずっと私と一緒だった。一緒にいてくれた。どんな時でも味方で支えてくれた。本当は私もキースと離れたくないの……。でも、キースの望む女に私は成れないし、キースに私の為に我慢もして欲しくないの」
キースが無言で小さく頷いた。言葉にしなくてももう分かってる。私達は長い事一緒にいたから。今、二人は別の道を歩むしかないのだと。わかっていても……とても悲しくて、私達は無言で立ち尽くしていた。
風が二人の間を駆け抜けて、夕暮れの匂いを届ける時まで。




