慣れない体
私が好きだったハーブの香り、リネンの肌触り、枕の高さや柔らかさまで、自分に昔から馴染んだ物ばかり。故郷に帰ってきたんだな……と幸福感を感じながら目覚めた朝。
寝起きの髪を手櫛で整えようと、目を開けてーーその手と髪を見て、ほう……と溜息をつく。この街は変わらないのに、私だけが変わっている。立ち上がって姿見の前にいく。鏡の中の自分にまだ慣れずに眉をしかめた。
赤い長い巻き毛は腰より長く伸び、浅黒い肌はグラマラスな肢体を描いている。大きな瞳と厚ぼったい唇。濃いめの美女がそこにはいた。
ダレダコレ……。右手で頭をかくと、鏡の中の美女も頭をかいていた。まぎれもなく自分なのだ。右手首につけた腕輪が朝日を浴びてキラキラと輝く。その腕輪にそっとふれて冷たい感触を味わった。
これはジェラルドの物だったそうだ。いくらジェラルドが、魔法も使えて何でもできるエリートだろうと、一国の王子がふらふら旅をしていれば、トラブルに巻き込まれるのは必定。だから……何かあった時の為に身分を隠せる様に持ち歩いてたそうだ。
この腕輪には変化の術がかかっていて、身につけた者を全くの別人に見せる効果があるらしい。アルブムに行く時、もう自分の旅は終わって必要がないから、もし私が困った時に使ってほしいと父に預けたそうだ。
非常にありがたい事だが、父曰く国宝級の代物だとか。希少価値を知ってると、自分が身につけるのは恐れ多く感じるが、今はその力を借りるしかなかった。
「ヴィーダ様、朝食の準備が整いました」
扉の向こうから召使いの声が聞こえてきた。反射的に私は答えた。
「身支度を整えたらいきます」
自分の声からでたのが信じられないアルトボイス。元の地声がソプラノだったから変な気分だ。この腕輪の効果は声までも影響する。おかげで私はロンドヴェルムに招かれた客人ヴィーダとして、昔からの使用人にさえまったく疑われずに過ごしている。
私がマリアだと知っているのは父と母とキースだけだ。知っていても赤の他人として振る舞わなければいけないが。
呼び出されたので、朝食後に執務室に行くと父とキース2人だけが待っていた。
「手紙にも書いたが、今ロンドヴェルムは大変な事になっている。2人に力を貸して欲しい」
「津波からの復興は進んでいると聞きましたが?」
「ああ……そちらはだいぶ良くなった。まだまだ時間はかかるだろうが。……問題はお茶だ」
「お茶が……何かあったのですか? アルブムに届くお茶はどれも質がよく、問題なかったのですが……」
「ロンドヴェルムの茶の評判を落とさぬ様に、質を重視して送ったからな……。マリアのおかげでよく売れた。売れたお金で復興資金もできた。できすぎたんだ……売れすぎた。それが今問題だ」
「売れすぎた事がなぜ問題になるの?」
父は私の問いの答えに、何かをまとめた書類と、茶葉のサンプルを持ってきた。私はサンプルの葉を見ただけで、その変色ぶりに驚いた。香りもおかしい。慌てて書類に目を通す。
「……これは……連作障害?」
「ああ……茶の増産を賄う為に、茶畑に無理をさせすぎた。増産のしすぎで弱った木が出始めたのだ」
今までは地元でしか消費されない為、無理をして作る必要がなかったのが、私が紅茶を作り始めて売れる好機と……農家が必死に茶を作り続けて、そのツケが今廻ってきたのだった。
ロンドヴェルムは茶作りの歴史が浅く、海外の茶の生産者から作り方は教わったが、まだまだ長期的に大量に茶葉を安定して作る続けるのが難しいのだという。
「今後は畑を休ませたり、栽培方法を変えたりして、しばらく減産に転じる事になるだろう。しかしアルブムで売れ始めたばかりの、紅茶が急に輸出量が減ったら、アルブムでの信用を失ったりしないだろうか? あちらでの茶の売れ行きを知ってる、マリアの意見が欲しい」
……なるほど……そういう事か。難しい問題だ。売れてるからこそ、どんどん売って儲けて勢いつけたい所だが、無理をすれば質が落ちる。かといって売り渋ればブームがすぎて売れなくなったら忘れ去られるかもしれない。
「……難しいけど……。たぶん、紅茶の流行は一過性のものではなく、今後も売れ続けると思う。あちらに信用できる販売主もいるし」
アルブムでの販売権をリーリア様に渡している。あの方に頼んであるのだから、質を落とさなければロンドヴェルムのお茶を保護してくれるだろう。
「今は量より質を落とさない事が大事だと思います。売れている時こそ、粗悪品が増えれば信用を失うから」
「やはりそうか……しかたがない。茶の売り上げが減るのは痛いが港湾設備も復旧して、船の往来も以前程ではないが戻ってきた。当分はそちらの売り上げで持たせるしかないな……」
頭が痛そうに父が眉間を押さえる。茶が売れないと困り、売れすぎても困る。領主の仕事というのも大変な物だ。それでも長年ロンドヴェルムを発展させてきた父を尊敬する。
「私にできる事はないかな? 例えば……海外の茶所に行って、連作障害の対応策を学んでくれば、何か役にたつかも……」
「ダメです、お嬢様」
それまで黙って話を聞いていたキースが、キツく止めにはいってびっくりした。
「お嬢様の力が他者に知れた時、ここならまだしも見知らぬ土地ではお嬢様を護れません。最悪その国でお嬢様の力を利用しようという物に、拘束されるかもしれないんですよ」
またその話か……と溜息がこぼれる。今までにも何度かロンドヴェルムを離れる話はしたのだ。どうせロンドヴェルムに長居してもリドニー宰相に見つかる可能性も高く、それならば海外に行ってお茶の勉強をするのも楽しいのではないか……と。
そう言うたびにキースが危ないと反対してそれで話は終わりになる。キースの懸念もわからなくもないから、私も無理に自分の意見を押し通せないのだが。
「連作障害については、海外の茶所から専門家を呼び寄せて相談している。マリアが学びに行かなくても大丈夫だが……マリアが海外で学びたいというのなら……」
「旦那様!」
キースが父にまでキツく睨みつけるので、父も言葉をつぐんでしまう。
私が帰ってきた時に、父はキースが自分の甥である事を公表した。娘のマリアが行方不明で、後を継げないかもしれないから、甥に今後を任せたいと。
実際は目の前に私はいるのだけど、行方不明という事にしておかないといけないし、私が私のまま、ロンドヴェルムの領主の妻になる未来は難しい。
キースはロンドヴェルムの次期領主として、以前より父と対等に、物をいうようになった。それで父もキースの言葉を、簡単に否定できなくなったのだ。
キースがロンドヴェルムの未来を背負おうと、一生懸命なのは解るのだが……少し気負いすぎて余裕がないのでは? と最近感じる。
「キース……もうお嬢様と旦那様じゃないわ。キースも使用人ではないし、私もマリアじゃなくなったし」
そう言って話をかわした。ロンドヴェルムの事をキースに任せていいなら、私は私の未来を考えてもいいだろう。
「茶畑に行ってくる」
子供の頃の用に逃げる様に茶畑へと向かった。現実逃避の為の仕事。ワーホリな私らしいな……と苦笑しつつ。




