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官吏の挟持

 ノックというにはいささか乱暴な、大きな音を立てて扉が鳴った。


「入りなさい」


 リドニーが許可をだすと、扉を開く間さえ惜しいというほどの勢いで、アンネは部屋に入ってきた。その表情はこわばり、一国の宰相に向かって、挑戦的過ぎる眼差しだった。


「少しの間人払いを」


 リドニーは側近達にそう言って退出させた。執務室の椅子から立ち上がり、外の景色を眺める。穏やかな春の日差しを浴びた、実に平和な景色だった。ガラス映るアンネの表情は、まったくこの平和な景色に不釣り合いだったが。


「ラルゴ殿下から聞きました。カンパニーヌ領で……反乱が起こったと」


 リドニーは口ひげを歪ませて答えた。


「情報が遅いのう。もう軍隊は派遣され反乱は収まったと、先ほど報告があったぞ」


 アンネはそれを聞いて、ほっとため息をついた。しかしすぐに表情を引き締めて頭を下げた。


「申し訳ございません。私がアルマ・ウィズリーの陳情を聞いて欲しいと願ったばかりに。反乱を起こす事を見抜けなかった、私の未熟さが……」

「うぬぼれるな。小娘」


 リドニーは声を荒げる事無く、しかし鋭くアンネに言葉を突き刺した。ちらりと顔だけ後ろを振り向き、アンネがうろたえる姿をあざ笑うように微笑んだ。


「まだまだ青二才の小娘ごときの進言で、重要な国政を左右するような事を決めると思うか? あれはお前を試す為に聞いただけで、初めから答えがどうあれ、カンパニーヌ領の調査は行っていた。そしてクロだと確信があったから、事前に軍の準備も行ったし、そのためにこれほど早期に問題を解決できたのだ」


 アンネは唇をふるわせてまっすぐにリドニーを見つめていた。リドニーに叱責されてもなお、目をそらさずにまっすぐ見つめられる、意志の強さをリドニーは好ましく思った。

 それでリドニーは体事アンネに向き合って鋭く見つめた。


「なぜ戦争が悪か……わかるか?」

「人が多く死ぬからです」

「それは少し間違っているな。人が死ぬから戦争が悪なのではない。兵や民を失う事は国家の損害だから悪なのだ」


 リドニーはわざと平坦に、淡々と言葉を続ける。抑揚の無い言葉の一言一言が、ずしりと重石のようにのしかかる。


「戦争をするのは兵士だが、兵士を戦場に送るのは官吏だ。戦争は最悪の悪手。官吏は可能な限り戦争を回避するが、必要と判断すれば果断に行うべきなのじゃ。そこで迷えば民へ被害が及ぶのじゃよ」

「……では、戦争も必要だというのですか?」

「少数の兵士の犠牲で、多くの民を救えるのか。そこを見極め、時には少数の犠牲を覚悟する。それができないなら、お前は官吏になれない」


 アンネはその言葉をかみしめるように、表情をゆがめて視線を下に落とした。まだ10代の娘が受け止めるには、重過ぎる言葉かもしれない。しかし戦争を悪だと信じて疑わない、その若さが好ましくもあった。

 でも現実は非情だ。戦争をしないで平和を保つというのは所詮夢物語の世界だと、リドニーはよく知っていた。

 アンネはしばらく俯いていたが、しばらくして吹っ切ったように覚悟をして、また顔を上げた。


「軍隊が派遣されたという事ですが、被害はどの程度ですか?」


 この言葉にリドニーは少し驚き、そして小娘と馬鹿にした少女を見直した。リドニーに叱責され、現実を突きつけられ、心が折れただろうに、すぐに立ち直って冷静に思考を巡らせた。

 その根性は評価に値する。まだまだ経験不足だが、鍛えれば優秀な官吏になるかもしれない。

 リドニーは執務用の机の上から、必要な書類を取り出してアンネにつきつけた。


「カンパニーヌ領の反乱鎮圧の報告書だ」


 アンネはわずかに震えた指先でそれを受け取って、ゆっくりと読み込んだ。


「領民の被害報告はまだまとまっていない。今報告がきているのは、派遣した軍隊の被害だけじゃな」

「死者8名。負傷者52名……」


 アンネは震える声で、その言葉を噛み締めるように、ゆっくりと呟いた。そして読み進めるうちに、はっと目を見開き、思わず書類を取り落とした。


「皇太子専任衛兵隊所属……ロイス……死亡。あのロイスさんがなぜ……。衛兵がなぜ反乱鎮圧にかり出されたのですか?」

「必要だったからだ」


「しかしおかしいです。本来ならば帝国軍の軍隊が派遣されるはずで、城の衛兵が……」

「顔見知りの者が死んだのがショックか? 見知らぬ兵士ならよいのか?」


 アンネは激しく動揺してかたかたと肩をふるわせた。一生懸命首を横に振っているが、親しい者の死を受け止めきれていないのは明らかだった。


「誰が死んでも、命の重さに変わりはない。兵士の犠牲を覚悟で軍隊の派遣を決める。それが官吏だ。カンパニーヌの反乱は、裏でザクソン王国の支援があった物と思われる。早期に鎮圧しなければ、ザクソン王国に付け入られ、より多くの血が流されたであろう。迷うな、非情になれ。迷えばさらに多くの血を流すぞ」


 アンネは今にも泣き出しそうな表情で、しかし必死に涙がこぼれるのを押さえて、強く手を握りしめた。


「ありがとうございます……。肝に命じます」


 アンネは大きく頭を下げて部屋を退出した。今回の事でどう成長するのか、少しだけリドニーは楽しみだった。

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