悲恋の夜想曲
ラルゴと話をした夜。ベットに入っても、頭の中が興奮状態で一向に眠れる気がしなかった。ジェラルドの、ソフィアの、ラルゴの想い。そして亡くなったアンネの想い。
切なくて、苦しくて、聞いてるだけの私でも泣きそうだった。
彼らはどれだけ悲しい想いを抱えて生きてきたのだろう。
そう一度想うと、頭からこびりついて離れなくて、じっとりと嫌な汗をかきそうだった。
少し夜風にあたって頭を冷やそう。そう思って私は部屋の外のバルコニーに出た。私の部屋は二階にあって、北側に位置している。向かいは森のような木々が立ち並び、遥か先には城全体を囲む城壁が見える。
見上げれば月が輝き、星が瞬いている。静かな夜だった。横から涼しげな風を感じてそちらを向く。離れた先のバルコニーに人影が見えた気がしたが、こちらからだと逆光でどんな人物なのかもわからない。
夜風に当たって興奮した気持ちが落ち着いてきた。
「あれ?」
景色がゆがんで見える。急に立ちくらみを起こしたのだ。思わずバルコニーの手すりに寄りかかった。
その時強い風が先ほどと同じ方向から吹いてきた。
「マリア!!」
風に乗ってジェラルドが飛んで来て、私の体をしっかりと抱きしめた。
「ジェラルド?」
突然の事に驚いて呆然とする。見上げるとジェラルドの顔が間近ではっきりと見えた。苦しくて、悲しくて、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。
「何かあったの? 虐められたの? 酷い事されたの? だから自分から飛び降りようとしたの?」
その時私はやっと気づいた。ジェラルドは私とアンネを重ねあわせているのだ。だからこんなに辛そうなのだ。私はジェラルドを安心させたくて、背中に回した手で優しくジェラルドの体を撫でた。
「何もないわ。虐められてもいないし、酷い事もされてない。自殺もしないわ。ただ夜風に当たってただけ。私はアンネ様とは違うから。安心して」
そう私が言うと、ジェラルドは安心したのか気が緩んで、かすかに微笑みを浮かべた。
「良かった……。ずっとずっと心配だった。ラルゴの下で働くマリアが辛い目にあってないかと……」
ぎゅっと抱きついていた体を離して、ジェラルドは私の手を握りしめた。ひんやりとしたその手は、冷たいのに汗ばんでいた。極度の緊張のためかもしれない。
ジェラルドの瞳を見つめると、その瞳は憂いを帯びていた。
「アンネの事聞いたんだね」
私は無言で頷いた。するとジェラルドはそっと私の部屋の方を向いた。
「ここはね。アンネの使ってた部屋なんだ。そしてあの時もこんな月の輝く夜だった。僕は遠くのバルコニーでたまたまアンネを見かけて、そしてここから落ちて行くのを止められなかった。あの時は……」
ここがアンネの自殺現場だなんて知らなかった。ラルゴがこの部屋を私に割り当てたのは、そんな思惑があったのだろうか? それともただの偶然?
「もう大切な人を失いたくない。僕がアンネを官吏に勧めなかったら、彼女の才能は開花しなかったかもしれないけど、今も生きて僕の隣にいたかもしれない。僕はマリアの働く姿を見るのが好きだ。いつも生き生きしていて楽しそうで……邪魔はしたくない。でもアンネのように追いつめたくないんだ」
私はジェラルドの手をとって頷いた。
「ジェラルドの話、最後まで聞くから。ここは寒いわ。部屋の中で話しましょう」
「いいの?」
ジェラルドはためらうように立ち止まる。深夜に女性の部屋に入って良い物か、迷ったのかもしれない。
「私も体が冷えたから、一緒に温かいお茶でも飲みましょう」
「マリアのお茶か……久しぶりに飲みたいな」
ジェラルドはわずかに笑みを浮かべた。とてもぎこちない物だったが。泣きそうな顔より、私はジェラルドの笑う姿を見るのが一番好きだなと思った。
部屋に備え付けの簡易なお茶セットでゆっくりお茶を入れる。その間ぽつぽつとジェラルドは、アンネの死を目撃した時の事を詳細に語ってくれた。せつなく、狂おしく、聞いている私も胸が苦しくなるような、そんな話を。
私はそっとお茶を差し出して言った。
「大丈夫。私は自殺だけはしないから。まだまだやりたい事がたくさんあるし、大切な人達を残して死ぬわけにはいかない。しわくちゃのおばあさんになるまで長生きするわ」
「本当に? 約束してくれる?」
ジェラルドは不安げに受け取ったカップを手にっとって、テーブルに置いた。そしてお茶の水面に視線を落とした。その瞳は不安に揺れていた。
「とある国では約束をする時に小指と小指を絡めるそうよ。ジェラルドと約束するわ。この指に誓って」
ジェラルドの小指に自分の小指を絡めて私は言った。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます。指きった」
ジェラルドはぽかんとした表情を浮かべて私を見ている。
「これが誓いの言葉なのよ。だから安心して」
「針千本飲んだら死んでしまうと思うのだけど……」
「死にたくないから誓いを守るのよ」
ジェラルドはやっとくすっと笑った。それはいつもの気が抜けた笑いのようだった。




