お茶の時間〜幕間〜2
花茶をゆっくりと飲むラルゴを観察していた。相変わらず顔色が悪くて、やつれているという感じだ。先ほどの恐ろしげな雰囲気がだいぶ和らいできたが、どこか苦しげで悲しげに見えた。
「その税収の件は何かアンネさんに関係があるのですか?」
「ああ……とても重要な話だ。アンネの命をかけたな」
「命を……? しかしあれは……」
「聞いていた話と違うか? ソフィアはなんと言っていた?」
すぱっと聞かれて、答えづらくて口を閉じる。このすれ違いがジェラルドとソフィアとラルゴの間に横たわり、互いの関係をぎくしゃくさせているのがわかってきた。
私はためらいつつ言った。
「死因は……自殺と聞いてます。理由は……殿下の腹心だったアランという男に、暴行を受けたのを苦にしてと……」
私がそういうと、ラルゴは重いため息をついて、ぼそりと呟いた。
「やっぱりそうか……だが違うんだ……」
「違う? 自殺ではないと? それとも暴行を受けたというのが違うのでしょうか?」
ラルゴは苦々しく顔をしかめて言った。
「いや、あれは自殺だった。窓の外から飛び降りたんだ。遺書も見つかった。『私には耐えきれない世界にさよなら。ごめんなさい』だったよ。落ちる所をたまたまジェラルドが見かけて、魔法で救おうとしたが、わずかの所で間に合わなかった。目の前でアンネが死ぬ所を見たジェラルドは……哀れだと思う」
私はその話を呆然と聞いていた。ソフィア様からは自殺したとしか聞いていない。ジェラルドがその自殺現場を目撃していたなんて……。
今まで聞いてきた話だけでもわかる。ジェラルドにとって、アンネがどんな存在だったか。そんな人を目の前で亡くすなんて……。
「そんな……そんな悲しい事って……。それじゃあジェラルドがあまりにも可哀想すぎます……」
「そうだな。だからアイツは狂った。狂って、アンネを苦しめた人間を捜し出した。アランがアンネを暴行したから自殺した。そう思い込んだジェラルドは、そのありあまる魔法の力の限りを混めて、アランを殺した。人を殺したのだ。アイツは」
人殺し……その言葉の意味をやっと理解した。愛する物を奪われた憎しみから、人殺しに堕ちていったジェラルド……。想像しただけで胸が苦しくて、涙がこぼれそうだ。
「でもそれは間違いだったのですか? 暴行はなかったのでしょうか?」
「いや。確かにアランはアンネを暴行した。アンネが襲われた後、最初に発見したのは俺だった。暴行の話も俺がもみ消してたのにどこから嗅ぎ付けてきたのか……」
「もみ消してってどうして……!」
「アンネがそう望んだからだ。女として、そんな噂が立つのは耐えられないだろう」
それはその通りだと思った。アンネはまだうら若い少女で、同じ職場の人間に襲われたなんて話が出回ったら、そんな場所で働けなくなるだろう。
「アンネは言ったよ。『こんな卑劣な手段で、私の夢を潰そうとするなんて許せない。どれほど屈辱を受けても、自分は立派な官吏になる』とね。ぼろぼろの服をまとって、青あざだらけの体で、足の間から血を垂れ流しながら……。それでも気丈に言ったんだ」
会った事の無いアンネという女性に、私はとても敬服した。私も仕事人間だから、どんな事をされても仕事を続けたいと思う。でもそんな酷い目にあった直後に、そんな強い言葉を言えるだろうか?
「アランもわざと服で隠れる所にしか暴行をしなかった。だからアンネは翌日もいつも通りに、何事も無かったように仕事をしていた。それをアランが悔しがって見ていたのを知っている。俺は裏でこっそりこれ以上アンネに何かしたら、一族郎党根絶やしにすると脅しもしたな……本当は知っていたから。誰もいない所で声を押し殺して泣いていたアンネの事を」
悔しそうに話すラルゴの表情から、アンネがラルゴにとっても大切な存在な事が十分伝わってきた。愛する女性の妹なら、それは大切な存在なのだろう。本当の妹のように思っていたかもしれない。
「では……暴行が原因ではないなら、なぜアンネ様は自殺したのでしょうか?」
「それは……」
ラルゴが口を開きかけた時に、苦悶の表情を浮かべて腹を押さえた。持っていたカップは落下して床に当たってくだける。
「殿下!」
私は慌てて立ち上がって、ラルゴの横に行った。今までも顔色が悪かったが、脂汗がにじみ出て紙のように白くなった顔色は最悪だった。
「医師を呼んできます……」
立ち上がりかけた私の手を、ラルゴは掴んで離さなかった。
「医師はダメだ。この事は誰にも言うな!」
鬼気迫る顔で睨みつけてラルゴはうなった。
「なぜ……理由をきかせてください。」
ラルゴはしばらく苦しげにうめいた後、こう呟いた。
「健康問題を抱えた皇子は、皇帝にふさわしくない。そう周りから思われるからだ。俺は……皇帝になるんだ。こんな事で負けたくない」
ラルゴの皇帝への並々ならぬ執着に、鳥肌が立つほどぞっとした。いつも具合が悪そうで、こんなに苦しそうで、もしかしたら死に繋がるような重病かもしれないのに、こうやって医師の診断を拒み続けるのは……そこまでしてなぜ皇帝になろうとしているのか。
ラルゴは少しだけ表情を和らげて、よろよろと立ち上がった。
「今日はここまでだ。俺は寝る。それと……アンネの自殺の理由だが……リドニーに聞くのが一番良いと思うぞ。アイツがアンネの心を折ったのだから。だから俺はアイツが嫌いだ」
そう言いおいてラルゴは部屋を出て行った。私は後片付けをしながら、今の話を振り返っていた。暴行を受けても気丈に仕事を続けたアンネが、なぜ自殺をしたのか……。それをあの宰相に聞けというのか。あの底の知れない恐ろしげな男に……。
「……つっっ!」
ぼんやりと考え事をしながら、割れたカップの破片を拾っていたら、指を切ってしまった。指先からこぼれ落ちる血を見つめて想像した。
ジェラルドが愛した少女は、きっと地面に赤い花を咲かせたのだろう。それを見た時のジェラルドはどんな想いだったのかと。




