お茶の時間〜追想〜6
「これは……?」
「帳簿の整理をしていたら、おかしな点があったので、過去を遡って調べてみました。過去10年以内の税収の記録です」
ラルゴはアンネが出した資料を、真剣な表情で何度も見返していた。
「例年と比べて、税収が極端に下がっている地方が多すぎるな」
「はい。一応、干ばつ、嵐で土砂災害など、自然災害による、収穫の大幅な減少によるものと報告されていますが、問題はその地域です」
「どういう事だ?」
「現皇帝陛下が皇太子時代に、他の王子を皇太子にしようと暗躍した貴族達のおさめる領地ばかりです。そのために未だに治世に不満を持つ者達ばかり。もし災害による減収が虚偽の報告であれば、多額の資産を蓄えているものと思われます。それを軍事費として蓄えていたら、下手をすると反乱の可能性も。私の杞憂であれば良いのですが」
「そうか……。これは俺の手に余るな。宰相にこの資料を見せて、今後の対策を検討しよう。よく見つけてくれた」
「お役に立てて光栄です殿下」
さっそくラルゴはリドニーに資料を見せて、アンネの推測があっているか聞いて見た。リドニーは厳しい表情で応えた。
「裏付けをとってみないと確証は出来ませんが……。おそらくその娘の意見は正しいと思います。裏付けをとるとともに、対策を検討し、迅速に対処致します。わたくしめにお任せください」
「そうか……頼んだぞ」
そこでリドニーはうっすらと微笑んで言った。
「アンネと言いましたか。惜しい人材ですな。男であれば優秀な官吏になれた物を」
「女であってもこれだけ優秀なら、官吏として正式に登用しても……」
「出る杭は打たれるという言葉が東方にはあるそうです。前例のない女官吏。そしてとびきり優秀ときている。周りから相当叩かれるでしょうね。それに耐えきれるほどの強さがあれば良いのですが」
ラルゴは苦虫をつぶしたような表情を浮かべ、小さくため息をついた。今でさえアンネは同僚の嫉妬で辛い立場にある。これ以上エスカレートすれば、身の危険さえあるかもしれない。
「その娘が大切なら、目を離さずに注意した方がよろしいでしょね」
「わかっている。俺は執務に戻る。進展したら報告しろ」
「かしこまりました」
慇懃無礼という言葉は、リドニーの為にあるのではないかと思うほど、言葉とは裏腹に黒い笑みを浮かべていた。今までリドニーの言った言葉に間違いがあった事は無い。
アンネがつぶされる。そんな最悪な事態にならないように、ラルゴはアンネを見守り手を差し伸べようと思った。
ラルゴがリドニーの執務室を出て、自分の部屋に戻ろうとした所、廊下で争う声が聞こえてきた。
「どうか、どうかラルゴ殿下におめ通りを」
「許可の無い者を通すわけには行かない。帰れ」
執務室の前に立つ衛兵ロイスは、厳しい表情で女をはねのけていた。女は年の頃は40くらい。大人しそうな顔立ちで、貴族としても質素な服を着ている。
しかしその控えめな姿のどこに力があるのか、ロイスの拒絶に必死に食いついて、気丈に声を張り上げた。
「なにとぞ、なにとぞおめ通りを……」
その必死さに心を打たれたラルゴは二人に近づいて行った。
「殿下! お騒がせしてもうしわけございません」
ロイスは慇懃な態度で会釈した。女は俺を見て慌てて作法通りのお辞儀をした。
「そこの女の話を聞こう。応接室に連れて来るように」
「しかし……」
「俺の命令だ」
「ありがとうございます」
女を応接室に連れて行きソファに座らせ、自分も対面の席に座る。アンネに茶を用意するように命令して沈黙のまま待っていた。
女はひどく緊張しているようで、ラルゴと目を合わせる事さえもおびえて俯いていた。
「まず名前を聞こうか……」
そうラルゴが声をかけると、びくりと震えて女は答えた。
「アルマ・ウィズリーと申します。カンパニーヌ領の領主、トニー・ウィズリーの妻です」
カンパニーヌ領のトニー・ウィズリーという名に、聞き覚えがあった。つい最近どこかで目にした様な……。
ちょうどその時アンネが茶を持って戻ってきたので、こっそり耳打ちした。するとこんな答えが返ってきた。
「カンパニーヌは例の帳簿で、税収の下がった地方ですね。前領主は陛下の皇太子時代、反皇太子派であったと記憶しています」
やはりそうか……。これは難しい話になるかもしれない。下がろうとしたアンネを引き止めて、近くで話を聞かせる事にした。何事も勉強だと思ったのだ。
「それで……用件を聞こうか」
「は、はい。ありがとうございます。……えっと……話はカンパーヌ領の事なのですが……。5年前に大雨による土砂災害などで、耕作地の多くが使い物にならなくなり、その上ここ4年は干ばつで残された田畑からの収穫も望めず……。現在も税収の一部免除を受けている身で厚かましいのですが、どうか国庫からの助成金を出していただけないかと。我がウィズリー家も家財を売り払い、可能な限り節約してまいりましたが、もう限界なのです。このままでは領民が皆死に絶えてしまいます」
アルマの必死な言葉に嘘はなさそうに見えたが、意外に役者で騙している事も考えられる。実際に領土状況がどうなのか、国庫からの助成金が必要なのか、官吏を派遣して調べるべきだろう。
「話はわかった。宰相と相談して、領地の視察を行うと供に、その調査結果を元にそれ相応の対処を行う」
アルマの疲れきったような顔が、見る間に輝いて微笑んだ。
「ありがとうございます。皇太子殿下。なにとぞ、よろしくお願い致します」
何度も感謝しながらアルマは帰って行った。それを側で見守っていたアンネは、珍しく自分の意見を口にした。
「地方領主とはいえ貴族なのに、あの方の手は荒れ、服は何度も繕った跡がありました。よほど苦労なさっているのですね。本当に困っている弱い民にこそ、国の庇護が届くと良いのですが……」
「よく観察したな。だがあの話が本当かわからないし、真実だとしても同じように苦しむ民は大勢いる。全てを助けられるほど、国庫の中に蓄えは無い。哀れみだけで動かずに国家全体の事を考える。それが官吏に必要な事だ」
アンネはその言葉にショックを受けたのか、しばらく落ち込んだ様子だった。普段他の秘書官達に虐められても、決して暗い顔など見せずに、生き生きと働いているアンネには珍しい。
アンネの官吏になりたいという願いの根本に『本当に困っている弱い民にこそ、国の庇護が届くと良い』という信念があるのかもしれない。昔から心の優しい娘であったから。
アンネの理想の国になればどれほどよいかと思うが、それが叶わない事はまだ若いラウルにもわかっていた。




