傷は女の勲章です
私はそれからもロンドヴェルムに帰る事なく、アルブムに留まり商談を続けた。キースには危険ではないかと止められもしたが、誰かもわからない相手にびくびくして逃げるのも嫌だ。私に文句があるなら堂々と正面から言えば良いのに。
なんというか変な意地の張り方だと思うが、私はこんな脅しに屈して負けるのは嫌だと思ったのだ。
そうして相変わらず学院を中心にした茶のアピールに加えて、町中で茶の販売を許可してもらい、実際に売ってみての状況を見たりした。アルブムほどの都でもロンドヴェルムと変わらず、街の人々には甘いチャイがよく売れた。
それに手応えを感じてチャイ売りを見守っていたときだった。一人の少年がお茶を買いにふらりとやってきた。
「いらっしゃい。チャイは何杯……」
言いかけたその時だった。私の手をちくりと刺す痛みが襲った。慌てて見てみると少年が手に忍ばせたナイフを突き出し、そこから血がしたたっていた。私は手をさされたのだ。相手が子供だったから最近いつも気を張っていたキースも見落としたようだ。
「お嬢様に何をする!」
キースは慌てて少年に掴みかかろうとしたが、その前に少年は走って行って人ごみに消えてしまった。
「お嬢様大丈夫ですか? お怪我なさって……」
「ん……大丈夫そんなに大怪我じゃないから」
血が派手に出てるだけで、手の機能には特に問題なかった。止血をして血が止まれば自然治癒でも問題なさそうだった。それなのに怪我を見たキースが大騒ぎで私を連れ帰り、今後町中での販売活動を禁止されてしまった。
私が大きく文句を言ったので、まだ怪しい物はいなさそうな学院ならと場所を限定して、渋々活動を認めてもらった。でも大げさに手をぐるぐる巻きに手当てされて、やりにくいったらない。
案の定学院でじろじろとその怪我を見られて、目立つわ心配されるわ。困ったな……と思っていたら一番見られたくない相手に見つかってしまった。
「どうしたのその怪我!!」
ジェラルドがいつもの無視を忘れて、真っ青な顔で私に聞いてきた。知らない振りの仮面が取れてるぞ……と慌てつつそしらぬ顔で突き放す。
「たいした怪我じゃないですから。皇子には関係ないです」
と冷たく言い放った。そうしたらなんだかひどく悲しい顔で落ち込んでいた。ああ……あんな顔するくらいなら、初めから知らない顔なんてしなければ良いのに。
でもそういうジェラルドの素直さがひどく嬉しくて、怪我してよかったかもなどと思ってしまった。
本心では心のどこかで不安だったのだ。ジェラルドと仲良くお茶していた日々は幻で、本当は見知らぬ他人なんじゃないかって。でもあの心配そうな表情を見てあの日々は幻じゃなかったとやっと確信できた。
私はその日上機嫌で学院で紅茶の試飲会を終え、片付けて帰ろうかとしていた所だった。歩いていたら突然腕を掴まれて建物の中に引きずり込まれたのだ。
最近色々とトラブルがあったので、また何か襲われるのかと一瞬ひやっとしたが、相手の顔を見てほっとした。ジェラルドだったのだ。
「突然ごめん。やっぱり見過ごせなくて。この怪我……何があったの?」
「ジェラルドに関係ない」
「関係なくない。僕のせいかもしれない。僕は結構恨まれてるからね。関係者だと思われて何かに巻込まれたのかも」
今にも泣きそうなジェラルドの表情に、ぎゅっと心を掴まれて涙がこぼれそうになる。ああ……こういう事にならないように心配して知らぬ顔をされていたのか。結局それは無駄に終わってしまったけど、その気遣いがとても嬉しかった。
「ありがとう。私もよくわからないんだ。突然町中で切り掛かられたり、ロンドヴェルムに帰れって言われたり。私がアルブムにいる事をよく思ってない誰かがいるんだろうね」
「その誰かに心当たりは?」
「わからない。だってそんなに恨まれる覚え私には……」
そう言いかけて不意にリーリア様を思い出した。ジェラルドの事で怒ったあの人には恨みを買ってるかもしれない。でもだからといって、証拠も無いのにジェラルドにこんな事言うなんてアンフェアだ。一途にジェラルドの事を思っているのに……。
「マリア? 心当たりがあるんだね」
「ううん。ないよ。ないから離して」
「言ってくれるまで離さない」
私達が揉めていると、突然建物の扉が開いた。
「なにやってるの? 2人とも」
ソフィア様が呆れたような表情でこっちを見ていた。一瞬ジェラルドの注意がソフィア様に向いたのをチヤンスと思い、突き飛ばして逃げ出した。
「マリア!」
「ちょっと待ってジェラルドどういう事か話しなさい」
2人が揉めてるのが聴こえたが、私はそのまま走って逃げてしまった。ああ……当分学院に行きづらくなったな……とまた落ち込むのだった。




