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#29

琥珀は、荒い息を落ち着かせながら玄関の戸を引く。


「ただいま帰りました。」


"返事が来ることはこない"


両親が亡くなった日から……いや、まだあの頃は『おかえり』という言葉を待っていたかもしれない。

いつからだろ。

挨拶に返事を期待しなくなったのは、会話に意味を成すと思わなくなったのは――。


琥珀は、すぐに我に返り、スマホ画面の時刻を確認した。

17時20分。

琥珀は、5時半よりも前に帰れたことを胸をなでおろす。


すると書斎から出てきた祖父・義文と目が合ってしまった。

一気に肩が上がり、簡単には動かせないような思い塊が頭の上にのしかかるような感覚へと陥る。

聴こえないはずの舌打ちが、鼓膜に響く。

義文はそのまま、茶の間へと向かっていった。


少し間をおいて、琥珀も茶の間へと移動する。


「あら、琥珀さん。帰っていたんですね。今ご飯によそりますね。」

「はい、すみません。ありがとうございます。」


箸の音が響く。

秋もそろそろ終わりが近づいているのだろうか、心の助けとなっていた鈴虫たちの合唱が、幕を閉じ始めている。

箸を持つ手が少しピリついた。


「琥珀さん、私たちも既に済ませましたので。」

「すみません、ありがとうございます。」


――早く夕飯を終わらせろと……。そうだよな。


祖母・利恵の一言を合図に、琥珀の一口の大きさはより大きくなった。

入れすぎか、むせそうになるもバレないよう喉の奥で隠すように、静かに整える。

そうでもしなければ、義文に行儀がなってないと注意されるだろう。

そうすればさらに、この場の雰囲気が悪くなってしまう。


――そうじゃなくても、俺は邪魔者なのに。


「ごちそうさまでした。」


手を合わせながら挨拶を済ませ、食器を片しすと近くに置いた鞄を回収しそのまま風呂場へと移動した。

なんとなく、スマホの画面を確認する。

時間が進んだだけで、画面は帰宅直後と何も変わっていなかった。

少し重みのあるため息が鼻を通り抜けていった。


今日の出来事、邪魔となる感情すべてを汚れと共に、水で洗い流がす。

そして、心をさっぱりさせ、入浴へと移る。そうすれば、明日の予定を考えられる、無駄のない……注意されることのない一日を計画することができる。

そう毎回してきたのに――


「ハァ、何かモヤモヤする。」


ふと口から零れ落ちた。

周りに聞こえないような小ささで。


――なんなんだよ、この感じ。


心を落ち着かせようと、目を閉じる。

すると同時に暗いはずの瞼の中で、今日の出来事が色のついた映像として流れ始める。

どれもカフェでの出来事ばかりだった。

だが、なぜか悪い気はしない。琥珀はもう少しだけ()()を眺め続けることにした。


――今日飲んだのも美味しかった。あ、結局バイト割とか言って安くしてもらったのに、あいつにお礼言えてないや。そうだ、一条さんにも。

 一条さんすごくいい方だったな……一条さん。

 そういえばあいつ一条さんの前だと子どもっぽいというか、後輩っぽい……いや現に後輩なんだけどなんか普段の俺の前とは違ったな。

 幼いというか、よく感じる兄感がないというか……いや、別に俺の前では兄感ないけど、普段関わってるグループとか見てるとそう感じるというか。


頭の中に、思考が埋まっていく。

体が徐々に熱くなり、我に返った琥珀は、のぼせてしまう前にと急いでお風呂から上がった。


寝る準備を済ませ、自室へと戻る。

自室の扉を完全に閉めたことを合図に、肩が一気に軽くなったような感覚に陥った。

だが、これもいつものことだ。

普段と違うとすれば――

頭の中の整理がついていないことだけだ。

普段なら、そのまま体に身を委ねそのままベッドへと飛び込むが、今日は鞄からノートを取り出し復習することにした。


――とりあえず、英語だ。英語をやれば違う言語だし、頭の整理がつく……はず。


自分でも何を考えているのか、分からない。

だが思考が追い付いていないこと、さらに心拍数がなぜか上がっていること、それだけは理解できた。


教科書の問題を解こうとする――

はずが、いつの間にか頭の整理を優先するように、無意識に人の似顔絵を描いていた。

男の子……少し、今日のカフェで見た獅音の笑顔に似ている気がする。


「いや、なんだこれ。」


せめて思い出だけは壊されたくない、踏み込まれたくない……そう守ってきた(聖域)


小さく心の声をこぼしながら、似顔絵の書かれたページを切り離し優しく、慎重に丸めた後ごみ箱へと捨てた。


――クソ、(ここ)では絵なんか描かないって決めてんのに。


自分に腹を立てながら、ベッドへと潜りこむ。

また獅音の笑顔が頭の中で流れようとするが、それを遮るかのように舌打ちをして琥珀は無理に目を閉じた。

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