#26
”やらなきゃ……やらなきゃやらなきゃやらなきゃ。やらないと……指示されたこともできないと、それぐらいはできるようにしないと……そうだ、やらなきゃ。外も暗い、だんだんと暗くなってきている、もう時間がない、帰る時間になる。帰らないと帰らないと帰らないと。お前は……俺は悪魔の……”
「……珀?琥珀!」
琥珀の頭の中に充満した真っ黒な靄が獅音の声で、一瞬ではれる。それと同時に、自分が浅くだが過呼吸になっていたことに気づいた。
「あ……れ、俺」
まだ呼吸が整っていないのか、声が薄く、震えている。徐々に戻った視界は、小刻みに揺れる自分の手を映していた。
「大……丈夫?」
少し青ざめた獅音の表情が、自分がどんな状況だったのかを物語る。
「……大丈夫。」
琥珀は、重たそうに顔を上げるとそう言葉を落とし、同時に視線も落とす。
その瞬間、獅音の目を移したのは、少し笑みを浮かばせた琥珀の顔だった。初めて見ることのできた琥珀の笑顔。だが、その笑みは獅音が求めていた温かさを帯びたものではなかった。
胸の奥底が冷たく悲しくなるような……色のない透明な儚い笑み。
――なんだよ、その笑顔。なんでそんな表情をするんだよ。
沈黙が流れる中で、獅音の頭の中は悲しみなのか、怒りなのか……名前のつけられない感情が次々と生まれる。
それと同時に、琥珀を今すぐに抱きしめたい、安心させたいという衝動で気持ちがいっぱいになる。
この気持ちは何なのか。
名前など今は獅音にとってどうでもいいことだった。以上に胸がぎゅっとつかまれたような……そんな辛さに陥っていた。
――これが本当の琥珀なのかもしれない。頑張って色を塗って隠してただけで、あの笑みこそが本当の琥珀。僕の知りたかった本当の彼の姿。
なんだ、琥珀も仮面をかぶってたんじゃん。僕よりも剥がすことが難しそうな……分厚い仮面を。
「キャラメル・ラテとショコラ・ラテお待たせいたしました。」
沈黙という名の壁が作られていた瞬間、テーブルにカップが静かに置かれていく。
――た、助かった。
――じょ、条さん、ナイスすぎます……!
2人の中で、謎の安堵と一条に対する感謝の気持ちが生まれる……が、一条は気づかない。
「ありがとうございます」
様々な感情を含めながら獅音は、一条にお礼を言った。それに続いて、琥珀も一言お礼を言う。
「よ、よし!じゃあ、ドリンクもきたし課題始めよっか!」
一条が切った沈黙の壁をまた構築させまいと獅音が急いで口を開く。
お互い課題に取り掛かる準備をする中、ふと獅音は琥珀の顔を見た。
先ほどまでとは違い、普段よく見る瞳の色をしている。
獅音は、安心した気持ちでドリンクをすすった。
「ん?なんだよ、人の顔じろじろ見て。」
「ん~?いや、なんでもないよ」
会話にオレンジがかった温かさが戻っていく。
琥珀が自分のドリンクを飲んだ瞬間、目を大きく開け、口から変な音を出した。思わず獅音は驚く。
「な、なにこれ、めちゃくちゃおいしい」
――か、かわい……なんだその表情
目を輝かせながら自分の頼んだドリンクを絶賛する琥珀の様子に、思わず獅音は気持ちを心の中で言語化してしまう。
冷静になるより先に、口と体が先に動いてしまった。
「僕のもちょっと飲んでみる?こっちもおいしいんだ」
そう言って、獅音は自分のカップを琥珀の方へと近づけた。それと同時に、琥珀は顔を少し赤らめる。
「んな、べ、別に大丈夫だし。ほら、課題。」
そう言いながら、琥珀はそのカップを獅音の方へと戻した。
口元を手で隠しながら視線をずらす。琥珀の頬はさらに赤くなる。
「あ、そうだった」
獅音は、いたずらに少し笑みをこぼしながら作業へと移る……前に、一口キャラメル・ラテを飲む。
――すぐになくならないように、ゆっくり飲もう
獅音はひそかに小さな自分との約束をした。




