2-2 かつての好敵手
二 かつての好敵手
長く傭兵生活を送ってきたニケフォルスには、この街に立ち寄るたびに思い出す、ひとりの男がいる。
それはまだ、ニケフォルスがまだ二十代で、一匹狼の傭兵をしている頃だった。
リーヴェンスに住むある大商人が、商業上のトラブルを抱えた。それが解決できないまま時が流れるうちに商売がたきから威嚇されるようになり、ついには武力闘争にまで発展した。
そんなある夜、ニケフォルスは街の酒場でひとり飲んでいたが、急に呼び止められ、用心棒の話を持ち出されたのである。
商売上のことには特に関心がないニケフォルスだったが、腕前を見込まれた上に倍額の給金を支払うと申し出られては、断る理由など何もなかった。
用心棒を引き受けたニケフォルスは、すぐさま十人ほどの傭兵をかり集めると、商売がたきの巣窟にイチかバチか殴りこみをかけようと、白昼堂々、中央街区にずかずかと乗り込んだ。
「ちょっと話がある。てめえらの雇い主に、お出ましを願おうか」
不安そうに姿をくらます住民などには目もくれず、武装したニケフォルスたちは、敵対する大商人の館の門を叩いた。
だが相手もこの状況を予期しており、ニケフォルスらとほぼ同数の傭兵どもを揃えて待ちかまえていたのだった。
「へっ……。とっくに、お見通しだったってわけか」
この状況でも不敵な笑みを絶やさないニケフォルスは、すぐさま展開を指示する。
リーヴェンスでもっとも広い大通りは、たちまち屈強な男どもの殺気に満ちあふれた。
治安をあずかる自警団も存在はしていたものの、人数が少なく、この状況を遠巻きに眺めることしかできずにいる。
当時、公国を統治する公爵が代替わりしたばかりだった。公国は以前から国際的に非武装中立を宣言しており、この都市も「侵略の道具になりうる」という理由で、軍隊の保有を禁止されていたのである。
自警団が人手不足なのをいいことに、大通りや広場などでは毎日のように諍いごとが起きる。街はもはや、無法地帯も同然である。
このような状況で裕福な商人たちは、多額の用心棒代を負担し、身辺警護のために傭兵たちを揃えるしかなかった。
「おもしれえ……。こりゃあ久々に、派手にやるとしようか!」
矛槍を持つ両手に唾して、ニケフォルスが好戦的な眼差しを相手方に向けた。
それぞれの傭兵たちも剣を抜く。この武力衝突でいくら建物が破壊されようが、巻き添えになる住民が何人いようが関係ない。思う存分暴れられれば、それでよかった。
——その時、ニケフォルスの前に、見覚えのない大男が立ちはだかった。
「待ってくれ。この勝負、俺に預けてくれないか?」
「……あァ? てめえ、いったい何者だ?」
「俺は、この奥にある街区で、女房と一緒に酒場をやっている。今ここで流血沙汰があると、商売の邪魔になる」
浅黒い肌をした屈強そうな男はそう言い、抱えていた食材入りの大きな袋を地面に置いた。
よく見ると彼は、少し年上に見える妻を連れている。彼女もまた、たくさんの荷物を背負っていた。
酒場の主人はニケフォルスよりも、五歳ほど年上と思われる。三十歳に近いようだ。
ただその体格は非常に恵まれており、仰ぎ見るほどの長身に鍛え上げられた胸板、そして隆々と盛り上がった両腕の筋肉が目を引く。
そして背中には、人間の背丈ほどもある巨大な両手剣を、革製のベルトで斜めに固定していた。
酒場の主人はニケフォルスと、敵対する商人が雇った男たちのリーダーの顔をそれぞれ見比べ、戦闘態勢をとりながら言う。
「——俺が相手になろう。ふたりまとめてかかってこい。俺が勝ったら、双方とも黙って手勢を引くと約束してくれ」
筋骨隆々の身体から、凜々とした闘気がみなぎる。相手のリーダーやニケフォルスはおろか、居並んだ傭兵たちもその闘気に圧倒され、思わず後ずさりする者が相次いだ。
「……ふたりまとめて、だと? 勝ち目がないことくらい、わからねえのか?」
「勝負は、やってみなければわかるまい。さあ、やるのかやらないのか、どっちだ?」
この状況でも物静かな大男は、あふれ出る闘気を身にまといつつニケフォルスたちに勝負を申し入れてくる。
もはや、承諾するより道はない。相手のリーダーと目配せをしたニケフォルスは、こくりとうなずいて矛槍を構えた。
「感謝する。では、住民たちの退避が終わるまで、しばらく待ってもらおう」
そう言った酒場の主人は、住民たちが戦闘の範囲外にまで遠ざかったのを見届けた後、武人そのものといった雰囲気で、二人に向け律儀に礼をした。
だが、背中の両手剣には手を伸ばそうともせず、両足を開いた酒場の主人は、一歩前に踏み出した姿勢のまま動かなくなった。
(あのでかい剣は、抜かないのか……? まさか格闘で、やり合おうってわけか?)
ニケフォルスは思わず、ごくりと生唾を飲み込んだが、相手方のリーダーが剣を抜くのを見ると、いつものように愛用の矛槍を構えた。
ニケフォルスは当時から矛槍が得意で、やや短めに切りつめたもの使っていた。
その矛槍は幾多の戦場で多くの敵をなぎ倒してきたし、彼自身、いささか腕に覚えもあった。
矛槍とは、両刃の穂先に小さな斧が組み合わさった重装歩兵用の槍で、攻撃にも防御にも威力を発揮する、当時の花形で最新の兵器である。
相手がいかに剣技で優れていても、矛槍で絡め捕ってしまえば勝負ありだ。それがこの武器が花形であったゆえんである。
それまでどんな戦場でも、ニケフォルスは矛槍のおかげで手傷ひとつ負うことがなかった。
今度も鎧袖一触、この身の程知らずのおっさんを血祭りに上げる未来しか、想像しなかった。
「おっさんよお……。カッコよかったぜ。だが相手が悪かった。オレの前でカッコつけたことを、あの世で後悔させてやらあ!」
矛槍を小刻みに繰り出し、ニケフォルスは大男を挑発した。
武器の長さも、身の軽さもこちらの方が有利。しかも相手は、両手剣を背中に固定したまま動こうともしない。
この状況では誰の目にも、負ける確率など万にひとつもないではないか。
だが大男は、両腕をだらりと遊ばせたまま鋭い眼光でこちらを睨みつけ、直立不動を続ける。
その不敵な行動を前に、百戦錬磨のニケフォルスはさすがに動揺した。
しかし、踏んだ場数には自信がある。格闘戦などする気はない。こちらから踏み込み、必殺の矛槍で串刺しにするまで——。
相手方のリーダーもまた、使い込んだ片手剣を巧みに操りながら戦闘態勢に入る。
「——このオレを、なめんなよコラあッ!」
勝負が決したのは、その直後だった。
あっけない幕切れだった。
足を踏み出した次の瞬間、衝撃とともに左半分が失われたニケフォルスの視界に映ったのは、血まみれになった相手方のリーダーの、むごたらしい死体だったのである。
(オレが突きを繰り出した瞬間——左目は見えなくなっていた。ヤツはおそらく、目にも止まらない速さで背中の剣を抜いて、オレたちを仕留めたんだろう)
残された右目をそっと開いたニケフォルスは、あの日を思い出しつつ、左目に当てられた眼帯に手を触れた。
額から頬にかけて無残に刻まれた傷の感触が、あの日の証拠だと言わんばかり指に伝わる。
その後、しばらく故郷のヒューリアック大陸で治療に専念していたニケフォルスのもとに、あの酒場の主人に関する情報が伝わってきた。
今は酒場を経営しているが、かつては軍人であり、剛剣で鳴らした若き剣術家だったという噂だった。
(確か名前は……。アフィロンだか、アフィリオンか、そんな感じだったな。まあ若気の至りってやつだが、ものの見事に負けたもんだ)
すでに、勝負が決して久しい。重傷は負ったものの、相手方のリーダーを見るにつけ、命を取られなかっただけでも奇跡だったといえる。
だが、あの時のニケフォルスまだ若かった。そんな現実は受け入れられなかった。
そしてその思いは、今も変わらない。何としても再戦し、今度こそヤツの血でこの矛槍を染め上げたかった。それは彼の秘めたる目標となり、現在に至っている。
(……あの男も、もう五十を過ぎているだろうな。オレも老いてきたし、もう時間がねえ)
すっかりしわが増えた両手を見て、ニケフォルスは呟いた。再戦するにしても、自分にはそれほど多くの時間が残されていない。衰えた体力を感じるたびに思い知る。
(だが……。ヤツはまだこの街にいる。三年前に帝国軍がこの街を攻めたとき、参事会の代表だとか抜かすバカの大男がたったひとりで、司令部の軍営に乗り込んだというが……。あれは絶対、ヤツだ。アフィリオンの野郎だ)
噂話で聞いただけの情報だが、ニケフォルスにはある種の直感があった。
そして年甲斐もなく、ニケフォルスは人知れず心をたかぶらせるのだった。
今度こそ、鍛えぬいた矛槍であの男を串刺しにする。そのためにここまで来たのだと。




