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城壁都市リーヴェンス攻防記 ~新編・破壊の天使~  作者: 南風禽種
第7話 相剋する正義と大義
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7-7 裏路地の伏兵たち

七 裏路地の伏兵たち


 夜半に近い裏路地は、街灯などの明かりがないと、真っくら闇になる。


 都市の裏路地は大切な通路であると同時に、住民たちの日常生活の舞台である。

 しかし裏路地はたいてい狭く、排水が未熟なため臭くて不潔である。そのうえ木箱や土器、農具などの雑多な物品が無秩序に積み上げられており、さながら「魔境」のような状態になっている。


 密集した建物は無計画な建て増しのせいで上階がせり出しており、昼でも薄暗い。大通りとは違って舗装もされていないため、雨が降った後は何日もぬかるんだままとなる。

 街灯などなく、窓から漏れ出る光もない空間は、夜ともなると真の闇に包まれる。


 そんな真っ暗な裏路地に、ぎょろりとした目玉だけがいくつも並んでいる。まっくら闇の狭い空間に、複数の人間が待機しているのだ。

 やがて、沈黙に耐えられなくなったのか、その中からヒソヒソと声が上がる。


「う〜。ヤバい、緊張してきた。……兵隊やるなんざ、十二年ぶりだ」


 口火を切ったのは、青年のような美声を誇る男。しかし若々しいのは声だけで、普通に四十歳を越えた中年の職人である。

 すると、すぐ近くにいた別の男が、ヒソヒソ声ながらも自慢げに畳みかけてきた。


「へっ、甘いな。俺は十五年ぶりだぜ。思い出すなあ……。俺が新兵だったころ、うるさい教官の野郎を、パンチ一発、張り倒してやったことを!」


 最後の部分だけ少し語調を強めて言うので、周囲の男たちがこぞって人さし指を口に当て、「シッ!」と叱責する。

 最初に口火を切った美声の男は、そんな彼らをジト目で見ていたが、大きく嘆息すると、困り果てたような口調で自慢男をたしなめた。


「マシュー、お前なぁ……。この非常時にまでマウント取ろうとするなよ。それに教官の話は逆だろう? 殴り倒されたのはお前の方じゃなかったか?」


「うっ……。うるせえな! 俺はギルドの親方として、どうにかこの場をなごませようとしてるだけだ! お前こそ、要らん突っこみを入れるな、モーリス!」


 モーリスの苦言に対してすぐさま反論したマシューだったが、彼は普段、モーリスとともに靴の工房を経営する仲である。

 そしてこの裏路地に潜んでいる男たちは、革なめしや羊皮紙、衣服など、動物皮革の加工に関連する業種で働く職人たち。いわゆる「皮革職人ギルド」の構成員であった。


「お前ら、静かにしろ! 隠れているのが奴らにバレちまう!」


 構成員のひとりから小声で咎められると、マシューとモーリスは二人揃って両手を口に当て、しゅんと沈黙した。

 四十から五十歳代の集まりである彼らは、互いが対等な立場で組合を結成している。そこに主従関係はない。あくまで商売の仲間なのである。


「……おい、見ろ。例の耳飾りが光っているみたいだぞ?」


 そこへ別のひとりが、メルから借り受けた魔道具(アーティファクト)に紫色の明かりが灯っていることを知らせてきた。

 耳飾りというものの付け方を知る者が誰もいなかったせいで、細長い十二面体である美しい宝石は、積み上げられた木箱の端にくくり付けられている。


「マシュー、お呼びがかかったようだ。早く応答しろ」


「分かったよ……。えっと、確かこう……。指で、軽く叩くんだったよな」


 モーリスに促されたマシューは面倒くさそうに立ち上がると、紫色に光る耳飾りを見上げ、おそるおそる近寄った。

 使い方を知らなかったこともあるが、彼らがこうしたものに対して恐怖を感じるのは、魔術をめぐる歴史が関係している。


 魔力が封じこめられた魔道具は、使用者が魔力を持たない人間でも魔術を行使できるアイテムである。数百年前に作られたものが多く、製造当時は誰もが日常生活で使っていたという。


 ところが「魔導戦争」や「煉獄の王ドミヌス・プルガトリイ」事件の後、魔術に対する人々の警戒心が強まったせいで製造されなくなり、説話や物語に登場するだけの存在となった。

 魔導戦争で命を落とした魔術師たちが、怨霊となって魔道具にとり憑いている……。そんな迷信がささやかれるようになってからは、空恐ろしいものにすらなっていた。


『——えるか、聞こえ、るか? こちら【本屋】……。【靴屋】と【鍛冶屋】は応答しろ』


 マシューが耳飾りを叩くと、壁を通して話しているようなもどかしい音量で、空気を震わせつつクルトの声が聞こえてきた。


 ちなみに【本屋】はクルト、【靴屋】は皮革職人ギルドの長マシュー、【鍛冶屋】は鍛冶屋ギルドの長である、武器屋ピーターの秘匿名である。

 秘匿名は魔導戦争の時代、魔道具での通話を盗聴されてもいいように行われていた風習だが、今となっては本名を隠すことにそれほど意味はない。説話に出てくるのが何となくカッコイイので、真似しているだけである。


「こちら、【靴屋】以下二名……。異常なし。【本屋】、【鍛冶屋】、俺の声が聞こえますか」


『ああ、聞こえる……。こちら【鍛冶屋】以下四名だ。現在、レンガ屋の裏に潜伏中』


 マシューが応答すると、そこへ被せるように、武器屋ピーターが応答を返してきた。

 人数を少なく報告したのは、盗聴で各班の人数を把握されることのないようにとの思惑がある。実際にはそれぞれ、十名多く潜んでいた。


 武器屋のピーターはマシューよりも年上で、老齢の鍛冶職人ピウスから鍛冶屋ギルドを引き継いだ、真面目で口数の少ない男である。

 そればかりか第十七区の商取引をまとめる元締めもやっており、実質的に街の商業活動を掌握している。非常に能力の高い人物であった。


『よし、異常はないな? ついさっき、傭兵どもが動き出した。四つの班に分かれて、ひとつは【靴屋】、二つが【鍛冶屋】の方に向かっている』


 屋根の上にいるクルトが淡々とした口調で、現在の状況を説明した。魔力の流れが噛み合っていくためか、耳飾りから聞こえてくる声がしだいに明瞭になっていく。

 クルトの分析では、鍛冶屋ギルドの方により大きな負担がかかりそうな情勢であった。


『おおむね計画どおりだ、といえる……。だが、いいか。勝手な行動はだけは絶対にするな。これは戦争だ。命のやり取りだ。それを忘れるな』


 ピーターよりもさらに年上であるクルトは、そう全員に諭した。普段のんびりしているクルトとは思えない強い口調に、有無を言わせぬ厳しさがこもっている。

 クルトの声を耳にした全員が、深刻な雰囲気を背筋に感じ、思わず固唾を呑んだ。


 クルトは計画どおりだと言ったが、大局的な計画までは彼らに伝えていない。行動の要点を記したクルト直筆のメモを、リーダーの二人に渡しただけである。

 第十七区の職人たちは数多いが、文字が読めるのは中央街区で修行したマシューとピーターだけである。ゆえにリーダーは、この二人にしか務まらない。


『俺は屋根の上で、奴らの動きを監視する。時がきたら知らせるから、渡してある命令の番号を伝える。お前たちはそれを遂行する。それだけだ。何か、意見や質問はあるか?』


 噛んで含めるように説明したクルトは最後に声のトーンを落とし、質疑を求めた。

 皮革職人ギルドの構成員たちに異論はなさそうだったので、マシューは見回した後「ありません」と回答した。


ところが意外なことに、決定事項には口を出さないタイプのピーターが、質問してきた。


『いいですか。【鍛冶屋】からひとつ、質問があります』


『ああ、いいぞ。不安なことがあれば、今のうちに解消しておいてくれ』


 はっきりとは聞き取れないが、鍛冶屋ギルドの潜伏先では構成員の誰かが声を荒げているらしい。何らかの不満を表明する人間がいるようだ。

 ピーターはその声を抑える目的で、クルトに質問してきたらしい。


『……この班分けと配置は【本屋】が考案されたものと思います。が、その真の意図がどこにあるのか、差しつかえなければ伺いたいのですが』


『お前らが酒場で、いつも同じテーブルを囲んでいるメンバーから選んだ。配置には特に何の意図もない。こんな回答でいいか?』


『そうですか……。では、その回答について部下に説明しますので、少し待ってください』


 クルトの回答があった後、ピーターはそれをメンバーに説明するためと言い残して通信を切った。魔道具の効力をいったん停止させたらしい。

 その一方、マシューたち皮革職人ギルドの方でも、ピーターの質問を契機として、あらぬ推測をコソコソと話し合う者たちが現れた。


「鍛冶屋ギルドの連中は、俺たちが配置された場所に不満でもあるのか?」


「あいつら、俺たちが街の住民から差別されている鼻つまみ者だから、クルトさんがそれを不憫に思って比較的安全な配置にしたんじゃないか……そんなふうに邪推したのさ」


「ふうん。まあ、俺たちが酒場で住民どもに気味悪がられているのは、事実だしなぁ」


「まあ、クルトさんもそれを見かねてなのか、よく俺たちに話しかけてくれたり、一緒に飲んだりしてくれていたよな」


 マシューとモーリスは、メンバーのそんなやり取りを、複雑な思いで聞いていた。


 動物皮革は衣服や靴などの使われる生活必需品であり、それを扱う職人はどの街にも一定数いる。だが彼らの社会的地位は、相対的に低いのが現状である。


 動物を屠殺したり皮革を扱ったりする職人たちは「(けが)れている」とされ、この貧民街においても、特に年配の住民からは差別されている。

 さらに、発生する悪臭を露骨に嫌う者や、不浄であるというイメージに嫌悪感を示す者が若い住民にもいる上に、住む場所を制限されたり、結婚を親に認められなかったりといった差別事例も実際にある。


 そんな現状を何となく思い浮かべたマシューが、日干しレンガでできた民家の外壁をぼんやり眺めていると、隣にいたモーリスが例の美声で、重々しい口調で話しかけてきた。


「鍛冶屋ギルドは俺たちを公然と差別するし、中には暴力を振るう奴らだっている。もしそんな奴らでも、助けを求めてきたとしたら、お前は……?」


 思いつめた表情のモーリスがそこまで言ったとき、木箱の端に吊された耳飾りがほの明るく紫色の光を放ちはじめ、少し抑えめのクルトの声を伝えてきた。


『——【靴屋】。おいでなさったぞ』


その声は、皮革職人ギルドの構成員たちが潜伏する真っ暗な裏路地に、否応なく緊張感をみなぎらせた。

 いまだに鍛冶屋ギルドからの回答がない状態だが、もとより敵は待ってくれない。


『……薬屋の婆さんだ。チーズを運ぶ背負い袋の、左側の縫い目。作戦は三番だ』


 意味不明な言葉の列は、童話のくだりのようである。が、敵に聞かれても意味が通じないように考慮された状況報告である。事前に取り決めた内容を並べただけになっており、いわば暗号である。

 その意味するところは、「薬屋の老主人がいつも座るベンチがある場所、十九名」である。


 ここから先の行動は、全員の間で打ち合わせ、短い時間であるが練習も繰り返した。

 人数を悟られないよう、移動は二人ひと組でおこなう。二人が同時に動くことで、足音の数を増やさないようにするという徹底ぶりである。


「モーリス、答えは後だ。指令は三番、練習したとおりに行くぞ」


 魔力の発生源から潜伏場所が露見する可能性もある。マシューの声にうなずいたモーリスが、素早く耳飾りを二回叩いた。

 フッと魔道具の光が消える。その途端に、裏路地の闇がその深さを増した。


 残された光源は、積み上がった木箱の間から差し込んでくる、淡い月の光だけとなった。


 ポケットに耳飾りをしまい込み、代わりにそこから四つ折りの紙切れを取り出したマシューは、月明かりの下で紙切れを開き、書かれた文字に目を落とした。

 緊張のあまり口が渇き、手が震えてくる。練習は繰り返したが、ここから先は未経験である。


「指令、三番……。トムたち四名は敵の進路妨害。ヘンリーたち四名は後ろに回って敵の始末。俺とモーリス、ケント、マークは敵を誘い込む……。以上だ」


 皮革職人ギルド十二名の中で文字が読めるのは、マシューだけである。そんな彼が作戦を伝える間にも、緊張は募ってくる。誰もが顔面蒼白となり、下唇を噛む者もいる。

 無理もあるまい。普段は物づくりにいそしみ、家庭も持つ、普通の男たちなのである。


 それを見たマシューは、緊張の面持ちでうなずく男たちを並ばせると、小声で話しはじめた。


「いいかお前ら、敵と刺し違えようだなんて、つまらんことを考えるなよ? 俺たちの目的は、この地獄を生き抜くことだ。ここを守って死ぬまで戦うことじゃない」


 普段は冗談が滑ったり、余計なひと言が多かったりするマシューが、至極まともなことを言っている。モーリスは思わず目をみはった。


「生きてまた酒場で、鍛冶屋の連中を見返すくらいバカ騒ぎしようぜ——もちろん、誰ひとり例外なしに、だ」


 そう言ってわざとらしくニヤリとしたマシューを見たモーリスたちも、つられて苦笑した。重苦しい緊張感が、それで少しほぐれたような気がした。

 敵の傭兵たちはこちらの潜伏に気づいていないのか、警戒の散開隊形も行っていない。無駄話をする傭兵もいるらしく、ゲラゲラと談笑する声すら聞こえてくる。


 裏路地の壁際からその様子を見てとったマシューは振り返り、無言でうなずいた。それを合図に、別働隊となった八名が班ごとに分かれ、路地の反対側から音もなく出ていく。

 そしてまっくら闇に等しくなった裏路地には、敵をおびき寄せる役の四名だけが残った。


(——行くぞ!)


 マシューが目配せをすると、比較的若いケントとマークは音もなく姿を消したが、モーリスだけは一瞬立ち止まったかと思うと、振り向いてマシューと目を合わせてきた。

 その瞳に宿るのは何か? 勇壮さか、親友への惜別の念か、それともその両方なのか。


 視線を受け取ったマシューが万感の思いを胸に軽くうなずくと、モーリスもまた音もなく、若い二人の後を追って出ていった。


(さて、俺もそろそろ……)


 腰に帯びた鞘入りのナイフを触りながら、マシューは胸に手を当て、スウッと深呼吸した。

 ナイフは普段、牛や鹿などの皮を剥ぐために使う、職人特有の鋭利なものである。


「……行くか!」


 そう叫んで勇躍! ……とはお世辞にも言えない程度の小声で、しかも足元をわざとふらつかせつつ、ゆっくりと裏路地から出た。


 少し明るい路地に出たマシューの姿はというと、ボロボロになった白い麻の服に汚れた木綿のズボン、汗とススにまみれたボサボサの髪、労働者向けの潰れた帽子……と、まさに低層労働者のいでたちである。

 底が木でつくられた粗末な靴で、ことさら靴音を高く響かせながら、よろよろと裏路地から歩み出た。


 ——そしてそこは、談笑しながら進んでくる傭兵どもの、目と鼻の先だった。


「ひ、ひ、ひいいいぃぃぃッ!」


 傭兵どもの隊列を目にした途端、マシューはかぶっていた帽子を落とすほどの勢いで金切り声を上げるやいなや、武装した男たちの前から逃げ出した。

 逃げるといっても、全力で逃げるわけではない。追いつかれる程度の速さで走る。


 異様な叫び声と木靴の足音に気づいた傭兵どもは、驚いて顔を見合わせたり、何かを叫んでこちらを指さしたりと、さまざまな反応を見せる。


 マシューが向かう先は、唯一明かりが灯る宿酒場である。ここで宿酒場に逃げ込まれると掃討作戦が露見する可能性があるためか、傭兵どもはすぐに「追え」「逃がすな」と口々に叫び、剣を抜いて追いかけてきた。

 灯火のない街は薄暗いが、マシューが着る麻の服は白く目立つうえに、靴音が大きいので、追っ手が見逃すことはない。


(追ってくるのは……八人か。まあ、上々だな)


 必死を装ってゆっくりと逃げつつも、冷静に状況を判断するマシュー。


 そして追いかけてきた先頭の八人が、あと少しで手が届くと思われた瞬間——。

 マシューは走りながら突如としてピョンと横に方向を変え、左の路肩に飛び移った。


 マシューが急に視界から消えたことに、傭兵どもは驚いたが、疾走の勢いをすぐには止められない。ぬかるんだ路地をつんのめるように走り抜け、方向転換しようとする。

 だがその路地の先に待っていたのは、ぽっかりと口を開け、獲物を待ちかまえる地獄への門だった。


「あッ……?」


 先頭を走る傭兵がそう叫んだ瞬間、踏んだ敷石がふわりと沈みこんだかと思うと、体重を支えきれずに崩壊した。

 そして瞬く間に、そこを起点として周囲の敷石も連鎖的に崩壊し、大きな落とし穴が現れた。


「う、うわあぁッ?」


 全力疾走の勢いを止められずに落とし穴に吸い込まれたのは、先を行く五名であった。

 そのとき自分たちに何が起きたのか、彼らには理解できなかったかもしれない。


 ぎりぎり足を止めることに成功し、落とし穴の奥を見た六人目の瞳には、逆さに植えられた杭に全身を刺しつらぬかれ、瞬時に絶命した仲間の酷たらしい姿が、ありありと焼きつけられたことだろう。

 だが、そんな地獄を理解する時間すら、後続の彼らには与えられなかった。


「——悪いな。ここに来たのが、運の尽きだったのさ」


 六人目の傭兵がマシューの低い声を耳元で聴いたのは、彼の喉笛がマシューの手にするナイフの刃先に切り裂かれ、盛大に血を噴き出した後だった。

 そして、声もなくその場に崩れ落ちた傭兵に視線を落とすマシューの背後では、モーリスと若い二人が暗がりから傭兵たちの背後に襲いかかり、始末を終えたところであった。


「モーリス、ケント、マーク……。無事だったか」


「そう簡単には死なんさ。俺はまだ、お前の答えを聞いていないんでね」


 ナイフに付着した血を払い落としながら、モーリスがいつもの調子でぶっきらぼうに言う。若い二人の顔にも笑みがあるのを認めたマシューは、鮮やかな仕事ぶりに思わず肩をすくめた。


 最初に裏路地から出ていった八名も、何人かは傷を負ったものの全員が生存しており、互いに肩を貸し合いながら次々と姿を現した。

 物陰で待ち伏せしていた彼らは、路地の脇に積み上げておいた木箱や水甕などをつぎつぎと引き倒し、後方を進んでいた十名以上をその下敷きにし、あっという間に始末したのである。


 結果、この路地に進出した十九名の傭兵たちは、わずか数分の間に全滅してしまった。


「手はずどおりだな……。みんな、よくやった」


 メンバーの無事を確認し、肩の力を抜いたマシューは、想定以上の戦果に安堵した。

 そして緊張でこわばっていた顔にようやく笑みを浮かべると、自分の前に立った若い同業者たちを、誇らしげに眺めた。


「まあ、これだけ炭を塗ったからな。隣のヤツすら、危うく見失いそうだったぜ」


 そう軽口を叩くメンバーも、マシューの前に並び、互いをねぎらう仲間の姿もみんな真っ黒である。水にといた炭を、全身に塗っていたのである。

 炭を塗ったのは、低層労働者を演じたマシューを除く全員。顔や手足はおろか、着ている服までも真っ黒に染めている。灯りがないと見えにくくなるほどである。


「確かに……。お前らの黒さには恐れ入る。まったく、クルトさんの戦術には舌を巻いたよ」


 黒く染められた木綿の服をつまみながらクルトの戦術を称えるモーリスの言葉に、マシューは苦笑しつつ同意した。


「そうだな……。でもまさかこれが、クルトさんの異名『灌木林の黒豹』の由来だとは、今回聞かされるまで知りもしなかったぜ」


「そりゃ俺もさ。クルトさんは帝国人で色黒だから、そう呼ばれているんだとばかり思っていた」


 二十三年前の秋、サビヌス渓谷の礼拝堂跡——。

 その異名は、あの夜、クルトが採った戦術に由来する。


 はぐれた友軍に合流するためには、夜が明けるまでに敵の包囲を突破し、平原に集結する必要があった。そこでクルトは、一計を案じる。

 野営の焚き火を消させると、残った消し炭と土砂とを水に混ぜ、それを防具や服、両手両脚、そして顔に至るまで全身を塗り、真っ黒になるよう命じたのである。


 当時の彼らは貴族が統率し、騎士階級が指揮する、歩兵だけの部隊であった。

 全員が同じ兵科である彼らは仲間意識が強い。みんなで助け合って全身を黒く塗った。


 そこに、身分の隔たりはなかった。貴族であるベンも、騎士階級のクルトも、率先して炭を全身に塗った。みんな、生きるために全力だった。

 そのことが、各地方からの寄せ集めでしかなかった若者たちに、連帯意識も与えた。


『中隊の指揮は、中尉、お前に任せる。しんがりは私が務めるから、思う存分やれ』


 ベンはそう言い、指揮権の象徴である飾りつきの短剣をクルトに手渡すと、自分は大剣のみを引っさげ、ひとりで礼拝堂跡を出ていった。

 思いがけず指揮権の委譲を受けたクルトだったが、ひざまずいて短剣を押しいただき神に祈ると、すぐさま立ち上がって小隊長たちを集め、命令を発した。


『足音を立てるな。散開戦術で行け……。低木に身を潜めながら、敵を翻弄してやれ!』


 そう言って靴を脱ぎ、脚甲を外して裸足になったクルトが身軽に飛び跳ねると、それを見た将兵は顔を見合わせてニヤリと笑みを交わし、誰もが惜しげもなく靴を脱ぎ、裸足になった。

 廃村に残る唯一の建物である礼拝堂跡は、小高い丘の頂上付近にある。月が雲に隠れた瞬間に礼拝堂跡を出た中隊は、めいめいに包囲陣へと駆けくだる。


 指揮官のクルトは少数の部下とともに前寄りを進む。その姿は山賊か追い剥ぎそのもの。


『山賊だッ! ……い、いや、帝国のやつらだッ!』


 全身を黒く染め、一本の剣だけを引っ提げ、低い木に身を隠しつつ裸足で迫る兵士たち。

 包囲陣を構成していた敵の守備兵は警戒していたものの、襲われる直前になるまで、闇にまぎれていた彼らに気づくことができなかった。


 この戦術の結果、帝国軍は犠牲者をほとんど出すことなく、川沿いの平原に集結を完了。先頭を進んでいたクルトは驚異的な身のこなしで敵陣を攪乱しつつ、川を背にして味方を掌握した。


 最後にベンを無事に迎えた中隊は、返す刀で敵の前線を分断し、同じように包囲されていた別の中隊を救出するという離れわざまで演じた。

帝国にとっては手痛い敗戦となった戦いだったが、その中で唯一、この部隊だけが輝きを放つことになったのである。


 この撤退作戦の成功が、やがて軍人としてのベンとクルトの運命を狂わせることになる。

だが、それは、また別の話である——。


「俺たちも黒く塗って敵をやっつけたから、さしずめ『裏路地の黒豹』ってところか?」


「俺たちが? クルトさんみたいにはなれねぇだろ。せいぜい『裏路地の黒ネズミ』だな」


 作戦成功に安堵したのか、皮革職人ギルドのメンバーは小声ながらも、そんな話題で語り合っている。

 マシューはそれを見て笑みを見せたが、モーリスはそんなマシューのポケットが、ほの明るい紫色に光っているのを見逃さなかった。


「おい、マシュー、噂をすれば、だ。クルトさんがお呼びだぜ?」


 こんな時にも変わらない美声でそう告げてくるモーリス。その声で、マシューは自分のポケットが光っていることに初めて気がつくのだった。


『こちら【本屋】だ……。うまく行ったようだな』


 耳飾りを指先で叩くと、クルトの声が聞こえてきた。声色を抑えてはいるが、無意識に口調が弾んでいる。嬉しさは隠しきれないようだ。

 マシューはそんなクルトの声に苦笑しながらも、冷静に返答した。


「はい、こちら【靴屋】です。作戦は、無事に成功しました」


『ああ、屋根の上から全部見ていた。そこを突破されたらすべてが終わりだったんだ。しかも全員無事なのはすごい。みんな、よくやってくれたな』


 ますます熱を帯びるクルトの賞賛は、緊張の面持ちだった皮革職人ギルドの面々を自然と笑顔にさせた。職人としてひとり立ちして以降、誰かに褒められることなどなかったからだ。

 しかし、次にクルトが口を開いたとき、その声は一転して憂色に沈んでいた。


『……だがな、みんな。まずい状況になった』


「まずい状況、ですか。まさか……」


『そのまさかだ。【鍛冶屋】の連中が、ピンチに陥った』


 クルトの説明によると、皮革職人ギルドの方に敵の一個班、鍛冶屋ギルドの方には二個班の敵が向かっているという状況だったが、やはり鍛冶屋ギルドが苦戦しているという。

 鍛冶屋ギルドは腕に覚えがある屈強な男たちばかりで、人数も多かったはずなのだが、待ち伏せではなく正々堂々と剣で渡り合ったため、体勢を立てなおした敵の挟み撃ちに遭ってしまい、どうにもならなくなっているとのことだった。


『お前らが【鍛冶屋】に対して思うところがあるのは、俺も知っている。だから無理にとは言わん。身の振り方はみんなで話し合って決めてくれ。……【本屋】からは、以上だ』


 鍛冶屋ギルドに対する作戦指導を優先するためか、クルトはそう言い残すなり、早々に通信を切った。

 勝利の歓喜はどこへ行ったのか。その後の皮革職人ギルドの面々は誰もが沈痛な表情になり、黙りこくってしまった。


 紫色の光が消えた耳飾りを頭上にぶら下げ、マシューは背を向けたままポリポリと後頭部を掻いた。ひとりで思案するときに見せる、彼の癖である。

 そんな彼の背に、メンバーのひとりがおずおずと言葉を投げかけてきた。


「親方……。俺はどうも、あいつらを助けてやる気にはなれない。あいつらは俺たちを家畜以下にしか見ないし、仕事でも散々コケにされたし……」


「…………」


 自分の背中に言葉が投げかけられたとき、マシューは振り返らなかった。声の主に言葉を返すこともなかった。

 誰が発した言葉なのかは、声を聴けばわかる。振り向かなかったのは、その気持ちを責める気分になれなかったからだ。


 これまでの鍛冶屋ギルドと皮革職人ギルドとの関係を考えれば、救援要請に対して後ろ向きになるのも無理はない。

 そして自分たちを差別し、抑圧してきた彼らを助ける義理など微塵もない。会合などで差別の矢面に立ってきたマシューには痛いほどわかるはずだ。モーリスはそんな心持ちで、マシューの背中を見つめた。


(マシュー……。お前ならこんなとき、どう答える?)


 モーリスは固唾を呑んだ。この意見に対してマシューがどう返答するのか。彼の返答しだいでは、街の運命が変わりかねない。

 そしてこの問いは、モーリスをはじめとするメンバーの総意をも代弁している。


 しばらくしてマシューは、ゆっくりとメンバーの方に向き直った。顔は真剣そのものである。


「モーリス、それとヘンリーもそうだったか。確か若い息子さんがまだ、城壁に行ったまま帰らないんだったよな……?」


 モーリスは、いつものように冗談から入らなかったマシューの話しぶりに少し驚いたが、ヘンリーとともに、神妙な顔でうなずいた。

 それを確かめたマシューは、少し視線を外し、建物の隙間からのぞく夜空を見上げた。


「鍛冶屋ギルドのリーダーをやっていて、【鍛冶屋】を名乗っているあのピーターなんだけどな。あいつにもひとり息子がいるらしい。そしてお前らのところと同じように、城壁から帰ってきていないようなんだ」


 言葉を選ぶようなマシューの話し方に違和感を覚えながら、メンバーは口をつぐんで、ひたすらマシューの顔を見つめた。


「俺たちオッサンどもの出撃が決まったとき、みんないろいろ考えたとは思う。俺も家内と娘を残して、どうやって思い残すことなく死に花を咲かせるか……なんて考えてさ。ちょっと一服しようと廊下に出たとき……。つい、見ちまったのよ」


 いつもと違ってゆっくり話すマシューの様子に驚きを感じつつも、皮革職人ギルドの全員はうなずいて、次の展開を待つ。


「廊下の端でさ……。ピーターの細君が、あいつにすがりついて泣くのよ。『あの子だけでなくあんたまで行っちまったら、私はどうやって生きていけばいいのか』って叫んでな。あいつは窓の外の月を、じっと眺めるきりだったが……」


 鍛冶屋ギルドをまとめるピーターの妻は、第十七区きっての肝っ玉母ちゃんとして有名な女性である。荒っぽい鍛冶屋の妻たちの、まとめ役でもあった。

 そんな気丈な彼女からは想像もできない姿を、メンバーは必死に思い描くしかない。


「……だけど、しばらくして、あいつは言ったのさ。『俺たちがここで戦わなければ、本当に街が消えてしまうだろう。なあに、大丈夫、革職人の連中もいる。俺たちが危なくなったら、必ず来てくれるはずだ。ギルドの連中はあいつらを下に見ているが、俺はそうは思わない。むしろ、義理がたい連中だと思っている』……てな」


 鍛冶屋ギルドのメンバーは、淡々と話すマシューの言葉を耳にしながら、普段のピーターが自分たちの前でどう振る舞っているか、何となく思い浮かべた。


 市場の元締めでもあるピーターは、革職人が納めた製品があくどい問屋に買い叩かれないように守ってくれている。この街で仕事ができるのは、実質的に彼のおかげである。

 また、宿酒場で冷やかしてくる鍛冶職人どもを制してくれたり、ケンカの仲裁をしてくれたりするのも、いつもピーターであった。


「こうまで言われちゃあ、男として答えないわけにはいかねえ。俺は救援に行く。モーリス、これがお前の問いに対する、俺の答えだ」


 すでに意を決していたマシューは、救援の可否を問うたモーリスの質問に答える形でそう言うと、右のこぶしを握りしめた。

 だが一方で、ギルドのメンバーにまでその思いを強制するべきではない、とも思っていた。


「だけど、これは俺が決めたことだから、お前らに強制する気はない。ここに残って、別の傭兵どもが通るのを見張っていてもいいんだぜ……?」


 マシューがまぶたを伏せてそこまで言った瞬間、モーリスが横から割り込んできた。


「おい、マシュー。ひとりでカッコつけようとするんじゃねえ。俺たちも一緒に行くに決まっているだろうが」


 その声にふと視線を上げたマシューの目の前には、すがすがしい微笑を浮かべたモーリスの顔と、「俺は感動した」「水くさいぞ」と、モーリスの肩越しに言うギルドのメンバーたちが並んでいた。

 救援要請に対して当初は後ろ向きだった者たちも、話を聞いた今ではモヤモヤが晴れたらしく、すっかりその気になっているようだった。


「考えてみれば、どのみち選択肢はひとつだったな。鍛冶屋の奴らがやられたら、俺たちも終わりなんだ。マシュー、もう思い悩むのはよそうぜ?」


 親指を立て、笑顔でそう言うモーリスを見つめているうちに、マシューの顔にも吹っ切れた笑みが浮かんだ。

 まったく、いつものように気持ちのいい声だ……と思いつつ、マシューは語気を強めて皮革職人ギルドの全員に号令した。


「よし……。【靴屋】以下十二名、これより【鍛冶屋】の救援に向かう。俺についてこい!」

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