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城壁都市リーヴェンス攻防記 ~新編・破壊の天使~  作者: 南風禽種
第7話 相剋する正義と大義
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7-3 大通り裏の魔術戦

三 大通り裏の魔術戦


 静まりかえった深夜の貧民街を、四人の男たちがひたすら駆け抜けていく。


 普通であれば前進することもままならないほど、細い裏路地は複雑に入り組んでいる。廃棄物や物品が、ところどころに置かれているせいでもある。

 だが男たちは少しもためらうことなく、一本の灯りを先頭にしてどんどん前へと進んでいく。


 彼らのうち二名は帝国軍の軽装鎧を着用し、剣で武装しているが、残りの二名は非武装。

 丸腰の二名は少し小柄で、薄汚れた白いローブを頭からすっぽり覆うように着ている。


「……よし、ここだ。全員止まれ!」


 そんな一団を先導するように走っていた軽装鎧の男が、突然そう叫んだ。それと同時に、ローブの二人もその場で停止した。

 先頭を走っていた男は、左手に燃えさかるたいまつを持ち、右手には薄赤色の小さな石を持っている。その薄赤色の石が手の中で、淡く光を放つ。


「おい、本当にここで、間違いないのか?」


 きょろきょろと視線を動かしつつ最後尾を進んでいたもうひとりの軽装鎧の男が、そう言ってぶしつけに首を突っこんできた。

 停止を号令した帝国兵が、薄赤色に光る石を眺めながら淡々と答える。


「そのはずだ。ソテリオスの魔導具が、ここで光ったからな」


「魔導具……? ああ、その魔具のことか。なら、手っ取り早く行くぜ。火を放つ前に、金目のものを探したいからな」


 魔具というのは、彼らの中での魔導具の通称である。そう会話する帝国兵の二人は同僚のようだが、どうやら性格が真逆であるらしい。ひとりが真面目で任務に忠実である一方、もうひとりはもぬけの殻となった家屋に残された、家財道具の方が気になるらしい。


 ローブをすっぽりと着込んだ男たちは黙ったまま、二人のやり取りを見ている。行動の自由がない彼らは、ただ次の指示を待つだけなのかもしれない。


「それにしても……」


 周囲を物色していた不真面目な帝国兵が、魔導具を見つめていた真面目な同僚に対し、呑気な口調で質問を投げかけてきた。


「ソテリオスはなんで、魔具が指し示した家に火を放てと命令したんだ? ていうかその魔具は、どんなものなんだ?」


 あまりにも今さらな質問に、魔導具を持つ真面目な帝国兵は、思わず口をあんぐり開いた。だがすぐに観念し、ゴホンと咳払いをした。

 彼はこうした質問をされるのに、すっかり慣れている様子である。だが今回ばかりは色をなして口をとがらせた。


「あのなあ、ケードゥス……。何回説明すれば覚えるんだ? この魔導具には魔力の残りカスを検知する力がある。いい加減覚えてくれ」


「いや〜、すまんすまん、ファシラダス。あいつの長話はどうも、俺の性に合わなくてなぁ。この際だ、詳しく教えてくれないか?」


「都合のいい奴め……まあいい。この家に『魔術能力者スキエンティア・マギカ』が住んでいる場合、多かれ少なかれ、魔力のカスが残る。そこ目がけて魔術の火を放てば、少ない魔力でもよく燃えるはずだ……。そう、ソテリオスが言っていたぞ」


「なるほど。妙にうさん臭い奴だが、それなりに考えてはいるんだな、あいつ」


 ケードゥスと呼ばれた不真面目な方の帝国兵はそう言い、両腕を後頭部に回して感心する振りをした。

 ファシラダスという真面目な方の帝国兵が、それを見て苦笑いをした瞬間——。


「……むっ?」


 少し離れた路地の方から、微かな空気の震動をともない、大きな魔力の膨張が起こった。

 その膨張から数秒遅れる形で、激しい熱と魔力を含んだ爆風が吹き抜けてきた。


 灼熱の爆風は建物を縫うように周囲に広がり、一瞬のうちに路地を満たした。爆風に耐えきれない建物や、路地に置かれた雑多なものなどは、瞬間的に吹き飛んでバラバラになってしまう。

 爆心である路地から少し距離があるにもかかわらず、激しい風は四人の男たちにも容赦なく吹きつけてきた。


「始まった……みたいだね」


 ローブをすっぽりと着込んだ二人も、破片を含む激しい風に見舞われたが、そんなものはどこ吹く風かと思うほど余裕の口調で、背が低い方のローブの男がぽつりと言った。

 その声は誰が聞いたとしても舌足らずで、彼が年端もいかない少年であることがわかる。


「あー、ちくしょう! 魔具班のやつら、抜け駆けしやがった!」


 だが、ケードゥスはただひとり頭を抱え、地団駄を踏むほど大げさに悔しがった。同僚に先を越されたことが、それほど口惜しいのだろう。

 魔具班とは、炎を発する効果がある魔導具を使って放火する、魔術師ではない傭兵たちのことである。


 悔しがるだけでは収まらないケードゥスは、勢いよく振り向くなり、フードをまぶかにかぶって泰然とするローブ姿の少年に向け、口角泡を飛ばしながら怒鳴りつけた。


「おいサイクス、俺たちもやるぞッ! 『炎の曠野』だ! 奴らを驚かせてやる!」


 そう叫んで息巻くケードゥスだったが、それを見てもなお落ち着きを失わないファシラダスは、首を振りながら同僚の肩をつかむと、強い口調でたしなめた。


「お前ら落ち着け! こんな可燃物ばかりの貧民街で『炎の曠野』なんかやってみろ、俺たちも巻き添えで灰になるぞ!」


「止めないでくれファシラダス! 魔術師でもない連中に先を越されたままじゃあ、俺の気持ちが収まらねえんだよ!」


 憤懣やるかたなしといった顔で言い放ったケードゥスは、ファシラダスに反論する時間を与えまいとするかのように身を翻すと、すかさず傍らにいたローブ姿の少年に対し、素早く呪文を唱えた。


解放(エクスペディーレ)!」


 短い呪文の詠唱が終わると同時に、少年の右腕に装着されていた腕輪が音もなく真っ二つになった。薄い金色の腕輪が、金属音をあげて地面に落下する。

 その腕輪は金属製で、中央部に緑色の石が埋めこまれている。その石はおぼろげに光っていたが、地面に落ちると同時に、急速にその光を失った。


「いいかサイクス、俺たちは『炎の曠野』をやるぞッ! あいつらよりも派手にぶっ放せ!」


「……ホントにいいの? 『地獄へと誘う、炎の曠野』といえば、呪術魔法の中じゃ最強クラスだよ? 街は灰になっちゃうし、俺たちも無事じゃすまないよ?」


 サイクスと呼ばれたローブ姿の少年は、さっきまで腕輪が巻かれていた右腕をさすりながら、ケードゥスの命令を受けても淡々とした口調のまま、その意図を確認する。

 だが怒りでわれを忘れているケードゥスは、頑として忠告を聞き入れようとしない。


「心配すんな! どんな爆炎だろうと、こいつが守ってくれる! そうだよなッ?」


 なぜか得意げな顔のケードゥスはそう叫ぶと、もうひとりのローブ姿の男を指さした。指さされた彼は、ファシラダスの指揮下にある魔術師である。

 いきなりそう言われてしまったファシラダスは、思わず苦笑いを浮かべるしかない。


 魔術師となった者を監視する魔術研究家は、専門の教育を受けてはいるものの「普通の人間」であり、魔力を持たない者から選ばれるのがルールである。従軍する際、魔術研究家は魔術師ひとりを世話しつつ監視を行い、戦場では専属で指揮命令をすることができる。

 だが専属である以上、同じ部隊に属していたとしてもケードゥスはもうひとりの魔術師に対して直接命令をすることができない。多国間の条約で、そう定められているのだ。


「…………」


 魔術師の二人はフードをまぶかにかぶっているため、たいまつの灯りしかなく暗闇に等しいこの場では、彼らの表情をうかがい知ることはできない。


 だが次の瞬間。背が低く少年とみられる魔術師が、何を思ったか後頭部に両手を回した。

 そして妙にいたずらっぽく、挑発的な口調で、周囲の暗闇に向けて声を上げた。


「……だってさ。俺、ホントにやっちゃうよ? 危ないけどいいの? そこの人たち」


 少年の口から発せられたのは、見えない何者かに対し、呼びかけるかのような言葉だった。


 それを耳にしたファシラダスとケードゥスは一瞬で顔を見合わせると、すかさず腰に吊った剣の柄に手を伸ばし、深刻な顔つきで周囲を見回す。

 いつから見られていたのか——? 二人の顔に、そんな焦りの表情がありありと現れた。


 身を焦がすようにじれったい静寂が、その後しばらく続いた。

 時折聞こえてくる爆発音は、別の組が淡々と任務をこなしている証拠なのであろう。


「——残念。早くも見つかってしまいましたわね。もう少し隠れて、眺めていたかったのですけど」


 暗闇に包まれた裏路地で、永遠に続くかと思われた静寂。それを先に破り、彼らの耳に響いたのは、ため息まじりの少女の声だった。


「バレた以上、隠れている意味はありませんね。さあお二人とも。術を解きますわよ」


 あくまで冷静な少女の声が、続いて響く。それと同時に暗闇の一部分がぼやけるように少し明るくなったかと思うと、三人の人物が並んで立っている像が、絵画のように浮かんだ。


 そして次の刹那。閃光ともいえる光が、闇を切り裂くように瞬間的にひらめいた。


 閃光が消えた後、そこに立っていたのは、身体つきのいい大柄な若者と、低い身長に合わせた特注の完全武装を身にまとった、初老の男性。

 そしてヒラヒラのワンピースという場違いな服装を身につけ、どういうわけか男物の片手剣を大事そうに携えた、薄赤色の長い髪の少女であった。


「……こいつらが任務を始める前に、見つけられてよかったのう。メルちゃん」


 初老の男性はそう言いつつ、右手に持っていた巨大な武器を両肩で担いでみせた。

 それは、黒光りを放つほどに使い古された柄をもつ、鋭利に研がれた両刃の戦斧であった。


「結果的にはそうですわね。でもピウスさん、その斧を本格的に振るう機会は、本隊との戦いにとっておきましょう」


 真顔でピウスにそう呼びかけたメルだったが、ついで自分の背後に立っている大柄な若者を見上げると、メガネ顔に満面の笑みを浮かべた。

 若者は見上げた先でフンと鼻息をもらし、メルの視線を受け流しながらも腰に差した大型のナイフに手をかけた。


 居心地が悪そうにしている彼は、先ほど大広間で、恐怖心のあまり衆人環視の中でアンナの手首をねじ上げた、あの小太りの青年であった。


「さあ、汚名挽回のいい機会ですわ。わたくしたちを、帝国の兵隊から守ってくださいね? 名前は、ええと……」


「……鍛冶屋の息子、クリストフだ。いい加減、覚えてくれないか」


「あら……ごめんなさい、クリストフさん。わたくしとしたことが」


 バツが悪そうに舌を出し、苦笑するメル。それを見た途端、クリストフは少し頬を赤らめながら目をそらし、口をとがらせてそっぽを向きつつ言った。


「まあ、仕方ねえ……。罪滅ぼしのつもりはないが、座長と交わした約束は守る」


「ふふ。クリストフさん、あなたが変われることを、期待しています」


 メルはそれを見て、いたずらっぽく笑った。

 誰もが手を焼くほどの粗暴な問題児だったクリストフが、こうまで神妙な顔つきになる姿を見たら、街の大人たちは驚くだろう。そう思ったメルは目を細めた。

 だが元をただせば彼も、街のどこにでもいるであろう、ひとりの純朴な青年なのである。


 恥ずかしさを隠しながらナイフに手を伸ばすクリストフの様子に、メルは微笑で応えると、帝国軍の魔術師たち四人に改めて視線を向ける。

 決意も新たに、メルは左手に持った剣をぎゅっと強く握り、二人に語りかけた。


「さて……。ではクリストフさん、ピウスさん。手はずどおり、お二人は魔術研究家の捕縛をお願いします」


「魔術研究家……。それは、あの帝国兵ふたりのことか?」


「ええ、ピウスさん。魔術研究家というのは、魔術師の管理を義務づけられた人間のこと——。あの、帝国の軍装のふたりです」


 そう言ってからメルは、ちらりと後ろを振り向き、暗がりに視線を向けた。誰かがここへ追いついてくるのを、待っているかのような仕草である。


「……フン。やるって言っちまったんだ、やるよ」


「さてさて……。この歳になってまた、これを振るうことになろうとはのう」


 ナイフを握り直したクリストフと、身体に似合わず巨大な戦斧を肩に担いだピウスは、魔術師たち四人を睨みつけながらも軽口を叩き、われと我が身を奮い立たせようとする。


 その一方で——。


 彼らと対峙していた帝国軍の魔術師たち四人も円陣に集まり、作戦を密かに語り合う。

 少し離れた位置で三人の姿を見ていた帝国軍の魔術師たちも、頭を突き合わせると相手側の状態を観察しつつ、作戦を話し合いはじめたのである。


「女と素人のデブ、そしてジジイ……。どういう連中なのか知らんが、見るからに弱そうだ。俺たちの方が当然、有利だな!」


 そんなことを言うケードゥスとは対照的に、ファシラダスは眉間にしわを寄せてメルたちを見ていた。

 そして冷静そうな口調で敵の素性を推しはかりながら、ケードゥスの肩を叩いた。


「いや、そうとは限らん。油断は大敵だ。あの女が、例の『認められた者(スペクターレ)』の可能性もある。俺たちは今からその対策として例の儀式をする。その間、奴らの足止めを頼む」


 例の儀式と聞いた途端、ケードゥスは何かを思い出したらしく露骨に嫌そうな顔になったが、口には出さず神妙そうにうなずいた。


「作戦の成否は、剣の腕に覚えがあるお前にかかっている。任せたぞ、ケードゥス」


 剣術を評価されたケードゥスは、素直に口元に笑みを浮かべてファシラダスの目を見ると、かたわらの少年に命令した。


「……よしきた。お前の方はまず『黒の閃光』だ。しくじるなよ、サイクス」


「へいへい」


 ケードゥスがいつもの調子であることに安心したのか、サイクスがフードをかぶり直した。


「はあ、『黒の閃光』かあ……。まあ、最初にやるなら、それがいいか」


 命令を受け入れたサイクスが、軽口を叩きつつもフードに覆われた頭でこくりとうなずく。


「ここの貧民どもは、魔術を見たことがないはずだ。まずは一発、派手にやってやれ」


「はいはい。今日はいつもより、注文が多いじゃない。ケードゥスのおじさん」


 サイクスという少年魔術師は、この戦場にあっても日常生活の延長線上であるかのように、普段どおりに振る舞っている。

 先ほどからうつむき加減で、ひと言たりとも口を開かないもうひとりの魔術師とは、奇妙なほどに対照的であった。


 と、そこへ。

 いかにも呑気そうな口調の老人の声が、彼らの間に割って入った。


「おぬしら、話し合いの方は、もう終わったかのう?」


 その声で顔を上げたケードゥスの目に映ったのは、大きな戦斧を斜めに振りかぶりながらこちらに跳躍してくるピウスの姿だった。

 獣のように躍動する小柄な身体が、赤黒い炎の色に染まりつつ、いつの間にか眼前に迫ってきていたのである。


「……くッ!」


 驚愕しつつもとっさに剣を抜いたケードゥスは、すんでのところで剣を水平にして左手を添え、ピウスの一撃を受け止めた。

 戦斧の一撃は重い。剣では受け止めきれないと察したケードゥスは後方に跳躍することで、どうにか衝撃を受け流すことに成功した。


「この……怪力ジジイがッ!」


 危うく踏みとどまり、衝撃のせいで取り落としそうになった剣を握り直したケードゥスは、攻撃の失敗で大きな隙ができたピウスの背中に向け、容赦ない反撃を見舞おうとした。

 しかしその一撃は、いつの間にかこの場に滑り込んでいたクリストフのナイフに、散る火花とともに受け止められていた。


「おっと、俺のことを忘れてもらっては困るぜえ!」


「邪魔するな、デブ野郎がッ!」


 剣とナイフを噛み合わせたケードゥスとクリストフは、その場で激しいつば競り合いに入った。両者とも体格に恵まれているせいか、なかなか決着がつかない。


「むう、わしも年かのう……。さて、こうしちゃおれん。手を貸すぞ兄ちゃん!」


 果てしなく続くかと思われる力比べを見たのか、体勢を立て直したピウスが、すかさず助勢に入ろうとする。そのとき同時に、クリストフは、ぞくっと身に迫る気配を感じた。

 クリストフの耳に、どこからともなく呪文が聞こえてきたのである。


「暗黒の世界に在りし魔力の根源よ。わが手に集い、虚空を切り裂く槍となりて、眼前の敵を貫け……!」


 すぐさま周囲を見回したクリストフは、少し離れた場所で、ローブを着込んだ小柄な人物が何かの呪文を唱える姿を発見した。

 その次の瞬間——。彼の左手を取り囲むかのように、白い光に縁取られた黒い魔法陣が突如として出現した。


 そして魔法陣が消えたとき、彼が差し上げた左手の上空には、黒くいびつな紡錘形で、尖端だけが鋭い針のようにものが浮いていた。

 海蛇のような、闇色の稲妻が紡錘形の針にまとわりついているのも見える。


「ヤバい、来るな親方! 魔術師の野郎が、何かやろうとしているぞ!」


「な、なんじゃと……?」


 気づかずに身を起こそうとしたピウスに対し、クリストフは慌てて警告を与えたものの、時すでに遅し。


「……遅い。おじさんは、うまく避けてよ?」


 そう呟いたローブ姿の少年魔術師サイクスは、差し上げた左手の人さし指を立てたかと思うと、もみ合う三人に向け、指をクイッと曲げた。


「じゃあ、死んじゃいなよ——。『敵を滅するシュヴァルツァー・ブリッツ黒き閃光(・デス・リヒテス)』」


 サイクスが躊躇なく魔法名解放を行うと、味方のケードゥスもろとも集団となった三人に向け、紡錘形をした黒色の槍が一直線に投じられた。

 この距離では、槍が目標に到達するまで数秒。このことを予知して素早く離脱したケードゥスとは対照的に、クリストフとピウスは脚がすくみ、その場から動けない。


 一瞬のうちに迫ってくる黒色の槍。思わず目をギュッと閉じるクリストフ。

 そのとき彼の耳に、少女のものと思われる、淀みなく詠唱する呪文が聞こえてきた。


「智と霊気を司る精霊よ……。汝の力をもって、我らを護る見えざる壁を成せ——!」


 その声で薄目を開けたクリストフの視界に入ってきたのは、飛来する黒色の槍と自分の間に、いつの間にか立っているメルの後ろ姿だった。

 そんなメルの右手には、優美な反りをもった男物の片手剣がしっかりと握られている。


「『正義なる裁きの女神デア・ユースティティア』、わたくしたちを守って! 『蒼き(ライトブルー・)霊気の(ミスティック・)障壁!アトモスフィア・ウォール』」


 最後にやや語気を強めたメルは、剣の名前にかこつける形で魔法名を解放した。

 剣は抜かずに、両手で剣を持ち上げ、杖のように縦に掲げてみせる形で。


 その途端、鞘に収まったままの剣が乳白色の光に包まれたかと思うと、前面の空間に、濃い青色の魔法陣が展開された。夜空に現れた同心円の中には、意味不明の紋様がびっしりと描かれている。

 魔法陣は赤黒い夜空の中にあって、ことさら光り輝いて見えたが、数秒で消え去った。


「……へえ。すごいね」


 術を放ったサイクスが、フードの陰で感心した、その次の瞬間——。


「と、止まっ……た?」


 クリストフに向けて猛スピードで飛行していた黒色の槍は、見えない網に引っかかったかのようにピタリと動きを止めたのである。


 そして空中で停止した槍は、ゆっくりと消滅していった。槍を受け止めた薄青色の幕だけが、空間にありありと残っている。

 クリストフとピウスは幻でも見たかのような顔で、呆然とその動きを凝視するだけだった。


「さあ、お二人とも。魔術師はわたくしに任せて、帝国兵たちを捕らえてくださいませ」


 いまだ乳白色の光を残す剣を掲げたままのメルは、後方の二人に向けて再び要請した。助け合って立ち上がろうとするクリストフとピウスには、背を向けたままである。

 今にも消えようとする薄青色の空間に染め抜かれたメルの影は、一神教始祖の老哲学者がみずからを盾として魔王から仲間たちを守ろうとしたという言い伝えが、そのまま現れたようにクリストフには見えた。


「すまんのう、メルちゃん。じゃあ行くぞ、兄ちゃん!」


「あ、ああ……」


 実は奥手のクリストフもメルに感謝を伝えようとしたのだが、追撃を催促するピウスに腰を押されたため、果たせなかった。

 それでも気を取り直してナイフを構え、ピウスとともにケードゥスの方へと走っていく。


「お姉さんが持ってるその剣、ヤバいね……。それもしかして、あの有名な『煉獄の王ドミヌス・プルガトリイ殺し』ってやつ……?」


 少年サイクスは剣に興味が湧いたのか、クックックと楽しそうに忍び笑いをしながらそう言うと、自分のフードをゆっくりと取り除いた。

 現れたのはツンツンした黒髪と、十五歳くらいのあどけない少年の顔。そして浅黒い肌が特徴の帝国兵と比べて肌が白いのは、彼がリーナス島の出身であることを示していた。


「でもさ……。今のって普通に、お姉さんの精霊魔法だよね? その剣からは、魔力を感じないからさ」


「うっ……」


 図星を突かれたメルは、笑顔を作りながらも思わず顔を引きつらせ、絶句した。


 同行してきたピウスとクリストフなど第十七区の住民は、メルが魔術研究家でありながら魔術師であるという、禁じられた存在であることを知らない。知っているのはアンナだけである。

 ゆえにあの二人の前で起こす魔術現象は、魔力を秘めた魔導具の効果であるように見せなければならないのである。


「魔術研究家がいないし、腕輪もない……。お姉さんの魔術研究家は、どこに行っちゃったの?」


「……大人にはいろいろと、事情がありますの」


 現在、クリストフとピウスはここから少し離れた場所で、帝国兵ケードゥスと交戦中である。彼らに聞かれる心配がないと察したメルは、害意がないことを示すために剣を下ろした。

 そして自分より年下と思われる少年を見すえると、慎重に、言葉を選びながら尋ねた。


「でもあなた、リーナス人ですわね……? 独特の訛りがあります。生まれは、どこの里ですか?」


 思いがけない、そして答えにくい問いを返されたサイクスは一瞬、度肝を抜かれたが、怪訝そうな顔でメルを見つめ返してきた。


「……俺が、リーナス人だったら、なんなのさ?」


「どうして、リーナス人のあなたが、帝国の侵略行為に力を貸すのか。そう思っただけです」


 この当時、人口の大多数を占める庶民は、君主一族の所有物だと考えられていた。民衆の命運は、戦乱の時代を乗り切る祖国の浮沈にかかっていたと言ってもよい。

 そんな時代にあって帝国軍に属し、あえて祖国に仇なす行為に走る人物がいる。そのこと自体、メルには信じられなかったのである。


「…………」


 その問いには答えず、じっとメルの顔を見つめていたサイクスの瞳の光は、好奇心から猜疑心、そして絶望感へと、みるみるうちに変わっていく。

 そんな彼の口からようやく出たのは、どこか寂しげなひと言だった。


「やっぱりお姉さんも、か……。魔術師なら俺のこと、わかってくれると思ったのに」


「……ッ。わたくしは、あなたのことが心配で!」


 心外そうに食い下がるメルの顔からは目を離さないまま、自分が担当する魔術師とともに後方で魔導具を操作していたファシラダスに対し、サイクスはうめくように宣言した。


「……ファシラダスのおじさん、俺、やる。『炎の曠野』」


 あれほど渋っていた「炎の曠野」の行使を、サイクスはいきなり引き受けると言いだした。

 その声を耳にしたファシラダスは、驚いて儀式の手を止め、彼の方に振り向いた。


「なに……? いやちょっと待て。こっちはまだ準備が……」


「決めたんだ……。止めても無駄だよ。もちろん、手加減はする」


 すでに決意を固めたことを証明するかのように、サイクスは着ていたローブを跳ね上げる勢いで脱ぎ捨てた。

 ローブの下から現れたのは、旅人のような動きやすい服装を身にまとった、小柄で精悍な肉体だった。


「これさえあれば……。何度でもやれるさ!」


 自慢げにそう呟いたサイクスはポケットを探るなり、光沢のある黒い石を取り出すと、それを力いっぱい握りしめた。

 その行動は、炎の明かりしかない環境のもとでも、しっかりとメルの眼をとらえた。


(あの黒い石は……? 何かの魔導具(アーティファクト)、かしら……?)


 丸くも四角くもなく、菱形に近い形の、ただの石ころである。これまでいろいろな魔導具を目にしてきたメルだったが、彼女が持っている魔導具の中には魔力を奪うものはあっても、供給するものはなかった。

 古代の魔導具を集めるのが趣味のメルにとって、こうした未知の魔導具は好奇心の対象である。


 しかし今回ばかりは、いつもの好奇心を発揮している場合ではなかった。

 サイクスが石を握りしめた次の瞬間、彼から感じる魔力が、一気に膨張したのである。


「こ、これは……? あの子の魔力が、急に回復して……?」


 メルは思わず目をみはった。このような効果をもたらす魔導具は、驚きの対象である。

 あれがもし本物なら、魔力の量に限界がある魔術師にとって、まさに夢のような道具であった。


「酷烈なる地獄の業火よ、わが手に宿れ……」


 無事に魔力が回復したせいかドヤ顔になったサイクスは、右手を虚空に差し上げ、ゆっくりと呪術魔法の詠唱を開始した。

 錬成された魔力が次々と、彼の右の手のひらに集中していくのが感じられる。


(いけない……。このままでは街が、丸ごと燃やされてしまう……)


 われに返ったメルは、クリストフとピウスが自分の背後にいることを一瞬で確認すると、右手に持っていた「正義なる裁きの女神デア・ユースティティア」を両手に持ち直し、杖のように掲げ、精霊魔法の詠唱を開始した。


「水の精霊よ——。汝が持つ、絶対零度の力をもって……」


 一方で、メルの詠唱の先を行くように、サイクスの詠唱も淀みなく進む。

 冷笑めいたドヤ顔は、終始変わらない。


「そしてわれの眼前に、罪深き者を裁く、灼熱の原野を生み出したまえ——」


 メルの詠唱が終わるよりも前に、サイクスの詠唱式が先に完成した。その瞬間——。

 赤く光り輝く同心円の中に、意味不明な紋章が整然と並んでいる魔法陣が、立っているサイクスの足元に出現した。


「へへッ、俺の勝ちだね! 『地獄へとダス・エトラント・デア・誘う、フランメ・ウム・ツア・炎の曠野ヘレ・ツゥ・プロヴォツィーレン』!」


 勝ち誇ったサイクスが叫ぶように魔法名を解放した、次の瞬間。

 足元の石畳に展開された魔法陣から、真っ赤な炎がマグマのように噴き出した。


 まるで、大地に満たされた揮発性の高い可燃ガスに引火していくかのように、魔法陣からあふれ出た赤や青の炎が、あっという間に周囲へと燃え広がっていく。

 あらゆるものを焼きつくし、地獄の焦土が現出した跡に残る曠野——それが、この魔法に与えられた真の名称の意味であった。


「ほらほらァ! 早くしないと、焼け死んじゃうよおッ?」


 煽るサイクスを尻目に、マグマのように指向性をもった炎の河が、石畳を舐めるかのように凄まじい勢いで、メルへと襲いかかる。

 あわや、炎が周囲の建物にまで燃え広がろうとしたその瞬間、メルの詠唱式が完成した。


「——冷気を生み出し、虚空に、氷の壁を成せ!」


 メルの呪文の完了とともに、両手に掲げた「正義なる裁きの女神デア・ユースティティア」が、前にも増して激しく光り輝いた。


「氷の壁よ、わたくしを守って!『絶対零度の(アイスバーグ・オブ・)偉大なる(ジ・アブソリュート・)氷壁(ゼロ・ポイント)』!」


 詠唱式に続いて魔法名の解放を行った刹那、メルの足元に、巨大な青い魔法陣が出現した。

 そして、青い魔法陣の周りに一瞬、白い煙のようなものが漂ったかと思うと、立ち木を引き裂くような音とともに真っ白な氷の壁が大地から突き上がり、夜空に勢いよくそそり立った。


「げげッ? そ、そんなのアリかよッ?」


 大げさに仰天するサイクスの目の前で、奔流のような炎の河が、巨大な氷壁に勢いよく激突した。

 さすがの灼熱の炎も、氷の冷気でたちまち相殺され、盛大な湯気とともに消え去っていく。


 ——だが、メルの力わざもそこまでだった。

 順調に炎を吸収していたと思った氷の壁が、あっという間に小さくなったのである。


(だめ……。魔力がもう、残り少ない……)


 メルの息が荒くなる。目の前がかすむ。それは、魔力が尽きかけた証拠である。

 そんなメルの異変に最初に気がついたのは、離れた場所で戦っていたクリストフだった。


「メル! 何やってんだ、危ないぞ!」


「おい、兄ちゃんッ? どこへ行くんじゃ!」


 あと少しでケードゥスを追い込めるところだったのに、クリストフはいきなり戦闘を放棄すると、ピウスが止めるのも聞かず、あろうことか炎の奔流と氷壁がぶつかる現場に駆け寄ってきたのである。

 朦朧としたメルが、その驚くべき行動をようやく視界の端にとらえたとき、真っ赤な炎が氷壁を回り込み、クリストフにも襲いかかろうとしていた。


 古き神々の魔力から生まれた火は、か弱き人体など一瞬で燃やしつくし、灰にする——。


 だが、その寸前。息がつまるほどの膨大な魔力が、一瞬で空間に充満した。

 引きつづいて、悲鳴にも似た少女の声が、周囲に響きわたった。


「水の精霊さん! メルお姉さまたちを、火から守ってえッ!」


 それはもう、呪文の詠唱などではなかった。水の精霊に対する、命令の絶叫だった。


 ところがその声が響いたときを境に、メルが打ち立てた氷の壁は、減少を止めた。

 そればかりか急速に勢いを盛り返した氷壁は、最初のものよりはるかに巨大で高い壁へと成長し、メルとクリストフはおろか、街並みまでも炎から守ったのである。


「アンナ、さん……。ようやく……」


 クリストフに支えられつつも膝を屈し、力なく石畳にへたり込んだメルの視界に入ったのは、純白の魔法陣を足元で輝かせ、泣きそうな顔で立つ、青いドレス姿のアンナであった。


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