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城壁都市リーヴェンス攻防記 ~新編・破壊の天使~  作者: 南風禽種
第7話 相剋する正義と大義
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7-1 僧服の神聖騎士

一 僧服の神聖騎士


「——おい、もっとよく探せ! 敵が、どこかに潜んでいるかもしれないんだぞ!」


 ひっそりと静まりかえる、夜の貧民街。人の気配はまったくない。

 暗闇に沈むそんな街に、男の神経質そうな声だけが、荒々しく響きわたった。


 港町の湿気を含んだ空気に満たされた、狭い裏路地。

 そこを、灯りを持った男たちが三人、慎重な足取りでゆっくりと進んでいく。


 入り組んだ裏路地は窮屈そのもので、二人以上が並んで歩くことはできそうもない。乱雑に積み上げられた壺やら、飲料水の桶やらの生活用具は、意図的に配置された障害物のようである。

 そのうえ、路面は生活排水や糞尿で汚れていて滑りやすい。鼻が曲がりそうな悪臭があたりにたちこめていて、ひどく不潔である。


 そんな裏路地を行くのは、普段着とほとんど変わらない軽装備に、粗末な剣だけを持った二人の若者。

 少し年上の男がその後方をゆっくりと追ってきたが、彼は不満げにつぶやいた。


「まったく……。なんで俺ともあろう者が、こんな薄ぎたねえ貧民街なんかに……」


 若い二人に露払いをさせつつ最後尾をゆっくり進んできたくせに、愚痴まじりのため息をつく男。ただひとり完全武装である彼が、この集団を率いるリーダーらしい。


 使い古されてはいるが立派な革製の鎧と深紅のマント、そして頬当てつきの鉄かぶと。私物でありながら豪壮な装備が、由緒正しい彼の家格を表している。

 やせ型で神経質そうな顔つきの彼は、身の危険に敏感で、絶えず周囲に目を配っていた。


 それでもリーダーである彼は、二人の若い兵士を露払いとして前を歩かせる一方、自分は安全な最後方で、背後から二人を怒鳴り散らすばかりなのであった。


「でも班長、もうこの辺の連中、どこかへ逃げちまったんじゃ……」


「黙れ、この農民ふぜいが! 俺は騎士階級だぞ! 口答えするんじゃねえ!」


「す、すみませんっ……!」


 それでいて、威圧的な態度を隠そうともしない。農家出身の人間が意見でもしようものなら、身分の差にものを言わせて怒鳴りつけ、萎縮させるのである。封建制度という社会構造の副産物であった。

 口減らしのために傭兵になったという二人の若者は、生まれながらに絶対服従である。抱き合って震え上がるしかないのだった。


「ちっ……。世が世なら俺の方が、隊長づらしてるあいつらを顎で使うはずだったのに」


 この作戦が始まってからというもの、班長はずっと機嫌が悪い。愚痴ばかりが口をついて出る。家柄に対するプライドが高い彼は、上官にも任務にも、この編成にも納得がいっていないようであった。

 そして中でも一番の不満は、部下が二人とも一神教徒であることだった。彼の家は先祖代々、多神教徒なのである。


「やってられねえ……。なんで俺の手下が、邪教を信じるガキどもなんだ——」


 ——と、班長が愚痴をそこまで言ったとき。

 彼はいきなりマントを跳ね上げるやいなや、腰に吊った剣の柄に手をかけた。


 若いながらもさすがに歴戦の傭兵。一神教徒だという配下の二人もすばやく剣を抜いて身構え、戦闘態勢を整えた。

 それを見とどけた班長は慎重に振り返り、左手で戦闘配置を指示すると、背後の暗がりに向かって叫んだ。


「そこにいるのは、何者だ! おとなしく出てきやがれ!」


 誰何したとき、班長は声が少し裏返ってしまったのに気がついた。だがその場にいる全員が緊張していたせいか、誰も気にとめる者はいなかった。

 それから待つこと数秒。暗闇に包まれた路地の角から現れたのは、のんびりした雰囲気の別の集団だった。


「よお、マルキオンじゃないか。また会ったな」


 手を挙げながらそう言い、暗がりから現れたのは、鎖かたびらと鉄かぶとで武装した男だった。マルキオンというのは、班長の名前らしい。


 相手側もリーダーと軽装備の三名を合わせた四名の集団である。人数がひとり多いだけで、マルキオン以下の三名と変わらない編成だった。

 違っているのは、互いに同じ街の出身だという彼らは全体的に不真面目な感じだということ。悪い遊び仲間の集まり、という印象である。


「……なんだ、お前らか」


 急な遭遇で戦闘態勢を整えていたマルキオンたちだったが、出会った集団が味方だとわかった途端、すぐに緊張を解いて剣を下げた。


「どうだ、シルヴァノス? そっちの路地はどうだった? 誰か見つかったのか?」


 剣を収めながらそう言うマルキオンに対し、伸ばした顎ヒゲを誇らしそうな顔でしごいていたシルヴァノスは、その問いには答えることなく、代わりに不敵な笑みを浮かべると、振り向いて部下に命じた。


「おい。坊さんを、ここへ引っ張ってこい」


「へい!」


 命じられた部下のひとりが崩した挙手の礼でいたずらっぽく返事をすると、手に持っていた荒縄を勢いよく引っ張った。


 そして次の瞬間——。暗がりから現れたのは、ひとりの人間だった。

 つんのめるようにして、荒縄で両手首を縛られた若い一神教の聖職者が現れたのである。


 たいまつの光と月明かりを透かして男の姿を見たマルキオンは、彼が聖職者だとわかった瞬間、すぐに嫌そうな表情になった。


「なんだ、こいつは。邪教のクソ坊主じゃねえか……」


「そうさ。てめえの大嫌いな、一神教の坊さんだ」


 先んじて任務を果たしたことと、情報源にもなりうる一神教の聖職者を先に捕らえたという結果は、同輩であり、競争相手でもあるマルキオンに先んじたことになる。

 遊び人風のシルヴァノスだが、そのことでいかにも得意げな顔になっていた。


「向こうの通りで隠れていたのを見つけて、俺たちが捕まえたってわけだ。てめえらの手柄を先に取っちまったみたいで、すまねえな」


「謝ることはねえが……。最初の捕虜がよりにもよって、坊主とはな」


「へっ、そう言うな。これでも、大事な情報源だ」


 シルヴァノスにそう言われてもなお、不機嫌そうな顔を隠そうともしないマルキオン。彼が邪教だと嫌う一神教の聖職者に向き直ると、足元から舐めるように、ジロジロと睨み上げた。


 一神教の「読師」以上にしか許されていないという白の僧服は、足首まですっぽり覆うほどの長さである。権威を示すための標章が随所にあしらわれている。

 そこに洗いざらしの白いマントを着込んだ聖職者は、旅人用の細長い杖を持っているだけで、護身用の短剣といった、最低限の武装も所持していない。


 白い僧服に覆われた身体は非常に大柄で、金持ち中年のように丸く腹が出ている。そのせいで僧服もはち切れんばかりになっている。

 装飾品はほとんどないが右の耳たぶにだけ、人さし指ほどある紫色の石がついた耳飾りを下げている。


 だがもっとも目立つのは、前髪と襟首を一直線に切りそろえる独特の髪型である。青色の頭髪ということも相まって、薄暗い月夜でもよく目立った。


「あなたは、なぜ……。一神教がお嫌いなのですか?」


 マルキオンの態度を見た聖職者は、落ち着いた口調で語りかけてきた。両手首を縛られた状態であるにもかかわらず、温顔である。


「——ああ、大嫌いだ! 包容力がある多神教に比べたら、一神教は偏狭だっ!」


 それに対し、問いを受けたマルキオンはあたり構わず叫ぶと、いまいましげに若い聖職者の顔を睨み返した。


「俺の実家と故郷は、一神教に乗っ取られちまったんだ。あいつらは『宣教者』だと名乗っておきながら、平気で武器を振りかざしやがる。何が神の意志だ! 連中の剣と槍の圧力で俺たちは、いつもいつも……!」


「…………」


 青年聖職者は黙って口をつぐんだが、インテリそうなメガネの奥に見えるのは、なんとも優しげな笑顔だった。

 吐きすてるようなマルキオンの言葉を投げつけられても、温かな笑みを絶やさず、黙って聞いている。その笑みが嘲弄などではなく、心から発するものであることは、顔を見てすぐにわかった。


(こいつ……笑ってやがる。神を否定したヤツに対して……?)


 一神教のすべてを憎んでいるマルキオンだが、この人物はこれまで接してきた聖職者とは違う、初めて目にするタイプであった。

 彼のふくよかで柔らかそうな身体つきを見ているうちに、身にまとわりついていた緊張感が、どんどんほぐれていくような感じがする。


 すっかり勢いがなくなったマルキオンは、聖職者の姿を見て、最後にこう訪ねた。


「変わっているな……お前。本当にお前は、一神教の坊主なのか? どうして、剣も槍も持っていないんだ?」


 マルキオンの問いを耳にした青年聖職者は、メガネの奥の目をそっと細めた。

 この人物がこれまで、一神教の教会組織から受けたであろう数々の仕打ちを思い、青年聖職者の心に同情が生まれたのかもしれない。


「——失礼。まだ、名乗っておりませんでしたね」


 青年聖職者はそう言うと、縛られた両手で首から下げた聖印を持つと、ゆっくり頭を下げた。


「わたしは、リーナスの教区司祭、イズキール・フェランと申します。見てのとおり、徒手空拳で神の教えを説いて回るだけの、旅の坊主です」


 イズキールはわざと「坊主」という蔑称をみずからに使い、丁寧に会釈しながら、自分の身分を明らかにした。


「司祭……? お前、司祭なのか?」


「司祭の役目は、民を(おし)え、導くこと。一神教の聖職者がみんな、布教のためと称して無辜の民を虐げる人間ばかりだとは限りません。わたしはむしろ、そういった(やから)を心から軽蔑しております」


 そのやり取りを聞いていたマルキオンの若い部下二人は、相当驚いたらしい。「本当に、司祭様……?」やら「あの歳で……?」やらと、ひそひそ語り合っている。

 一神教の世界で司祭というのは、かなり高い地位であるらしい。若くして叙階するのは珍しいことのようだ。マルキオンはそんなイズキールの温顔を、さりげなく上目づかいで見つめた。


「……で、お前は非武装で司祭様なんだろう? どうしてこんな、ゴミ溜めみたいな街に隠れていたんだ? まさか、逃げ遅れたのか?」


「いやあ、逃げようとしたときにはもう、囲まれていまして……。面目ありません」


 そんなマルキオンと聖職者との会話を、腕組みしながらじっと見ていたシルヴァノスだったが、腕組みを解いて周囲を見回すと、部下をともなってつかつかと進み出た。

 野望に満ちた、ギラギラした顔に張りついた笑み。今から大きなことが始まるのだ、といった高揚感が読みとれる。


「さてと……。頭数も揃ったことだ、そろそろ始まるころだな……。ニケフォルス隊長の計画よりも、ちと早いんだけどな」


 シルヴァノスが難しげな顔を作り、わざとらしく天を見上げてそこまで言ったとき。

 建物に遮られた北の方向から、赤い光がパッと見えた。


 同時に、自身のように響く地鳴りが、腹の底からズズッ……と全身を駆けめぐる。

 そして迷路のように錯綜した路地から噴き出した熱風が、迷路に浸透するかのように凄まじい勢いで、ごうごうと吹き抜けていった。


 だがその赤い閃光は、一度炸裂しただけにとどまらなかった。


 一瞬で周囲の空気を吸い込み、気流がふわっと乱れたかと思うと、連続して次から次へと、随所で発光する。

 赤い閃光とともに発生した火は、あちこちで可燃物に燃え移り、あっという間に大きな炎となって、静かだった夜空を真っ赤に染めはじめた。


「西の路地は魔具班が三人だろう? そのまた向こうの通りにも魔具班が二人……。魔術師たちは中央だな。て言うかお前、あいつは今、どこにいる? ソテリオス様の側にいた、奴隷みたいなヤツ……」


 顎ヒゲをいじりながら、事態を冷静に分析するシルヴァノス。明らかにこの事態を予測していたようである。

 不良の遊び仲間にしか見えない若い部下のひとりが振り向くと、ニヤニヤしながら質問に答えた。


「あの『サンド』とかいうオッサンですよね? 今は、ソテリオス様の近くにいて、護衛をやっているんだそうですよ」


「そうかい……。スゲえ魔術師なんだっていう話だが……奴隷みたいな痩せっぽちだろ? どう見ても、五十がらみのオッサンだよなあ」


 シルヴァノスたちは「サンド」という、魔術師のひとりを目にしたことがあるらしい。熱風が吹き荒れる中、彼らは当時を楽しげに回想する。


 両手首を縛られたままのイズキールは、白いマントを熱風にさらしつつ厳しい表情を爆心地に向け、建物越しに燃えあがる禍々しい炎を見つめ続ける。

 マルキオンと若い二人の部下は、突然のことにうろたえ、両腕で顔をかばって爆風から身を守るのに専念するばかり。


「な、な、な……」


 早すぎる作戦発動に際し、この場に居合わせた人々がそれぞれ異なった反応を示す中でまっ先に疑問を口にしたのは、何も知らされていなかったマルキオンであった。


「……何だ、コレはッ! 攻撃発動は、天煌星(ポリュクス)が中天に差しかかったときじゃなかったのかッ? まだ、その時間じゃないぞ!」


 驚かされたことに対する腹いせもあってか、マルキオンは激昂してシルヴァノスに食ってかかった。

 ところがシルヴァノスは、涼しい顔を崩そうともしない。襟首を掴もうと迫ってきたマルキオンの両腕をすかさず捕らえると、顔をぐっと近づけてきた。


「まあ落ち着けよ、マルキオン。いくらてめえが、もともとニケフォルス隊長の配下だったからって、ソテリオス様の行動にいちいちケチをつけるのは、見苦しいぜ?」


「なッ……?」


 鼻が接するのではないかと思うほど顔を近づけられたマルキオンは、挑発的とも取れるその言葉を聞くと衝撃を受け、頭が真っ白になった。

 そしてマルキオンは衝動的に、今度はシルヴァノスの胸を突き飛ばしていた。


「……おっと、痛ぇなあ」


 いきなり突き飛ばされても、その行動は想定ずみだと言わんばかりに薄笑いをやめないシルヴァノス。怒りに満ちたマルキオンの顔とは、明らかに対照的である。


「シルヴァノス、お前……! あの『自称お坊ちゃま』を、いつの間に様付けで呼ぶようになったんだ。少し前まで、あれほど軽蔑していたってのに……!」


 マルキオンは裏切られたような顔で歯を食いしばり、眉根をゆがめてシルヴァノスを詰問した。

 反対に、シルヴァノスはその顔を涼しい顔で見くだした。その瞳には狂気がこもっている。


 シルヴァノスはマルキオンの詰問を受け流すと、ただひと言で答えた。


「——口を慎め、マルキオン。てめえはもう、時代遅れなんだよ」


「時代遅れ……だと? それは、どういう……」

 

「これからの『ヒューリアック解放戦線』を率いていくのはな、先進的で冷徹なソテリオス様なんだよ」


 呆気にとられたような顔で聞き返したマルキオンに対し、シルヴァノスは突き放すような口調で、冷たく宣告した。


「豪快だが優しいニケフォルス隊長の時代はもう……おしまいなのさ」


 位置的にシルヴァノスの背後には部下の三人が並び、マルキオンの後ろには若い部下二人がついている。場はいつしか、対立する二つのグループという構図になっていた。

 その二つのグループの真ん中でシルヴァノスは両腕を上げ、もがくような姿で、おのれの野望を高らかに宣言する。


「俺たち『ヒューリアック解放戦線』の勢力図は、大きく変わった! そして、俺たちは強い方についたんだ! ただそれだけのことさ、マルキオン。てめえらが理想主義のニケフォルス隊長の下で、うかうかしている間にな」


 突如として一方的に宣言されたマルキオンは、激しくうろたえた。


「ど、どうしちまったんだよ、シルヴァノス……? 俺たちは同郷で、同じ境遇に育った、解放戦線の中ではずっと仲間だったはずだろう?」


 マルキオンとシルヴァノスは同世代であり、ともに没落貴族の跡取り息子である。先祖も同じ戦場で肩を並べて戦い、手柄を立てて貴族階級となった家柄である。


 だがその戦功には、わずかな差があった。そのため爵位と領地の面でシルヴァノスの家は遅れをとり、常にマルキオンの下位に甘んじてきた。

 気心知れた同輩として互いを認める一方、彼は内心で対抗心を燃やし、マルキオンを出し抜くことを夢みていたのである。


「同じ境遇で育った、仲間だと……? ふざけるな」


 だからシルヴァノスは、その問いに対し憎しみのこもった視線をマルキオンに向けるなり、指をさして大声で罵りはじめた。


「先祖の手柄がちょっと遅れたくらいで、爵位や領地にまで差をつけられ、収入にも大きな違いがあって……! それが、今の時代でも維持されるなんてバカげてる! 俺はなあ、てめえの格下に甘んじるのはもう、たくさんなんだ!」


 そんな罵声を前に、マルキオンは思わず口をつぐんだ。シルヴァノスは怒りにまかせ、さらに怒鳴り散らす。


「ちくしょう、先祖の野郎! 俺が何をしたっていうんだ!」


 シルヴァノスは悔しげに顔をゆがめ、居並ぶ部下の前だというのに臆面もなく地団駄を踏み、いまいましげに吐きすて続ける。

 秘められたシルヴァノスの内心を知り、複雑そうな表情でその態度を見ていたマルキオンだったが、ようやく言葉を紡ぎだした。


「世が世なら小隊長はキュリロスなんかじゃなく、俺たちのはずだ。今じゃあ俺の実家も、貴族から外れたじゃないか。俺もお前と同じ、騎士階級だ」


「……そうか、そういえば、そうだったっけなあ」


 シルヴァノスはそう言うと、申し訳なさそうに鉄かぶとの庇を一度伏せた。両者の間には、嫌な思い出が存在しているらしい。

 だが、そうしてから再び上げたシルヴァノスの顔は、嘲りの表情に変わっていた。


「てめえの兄貴がいきなり一神教の学校に入ったあげく、そこで神学教授殺しに連座した疑いをかけられて、襲爵から漏れちまったからなんだよなぁ?」


「くっ……。お前……」


「まったく、傭兵になっちまった弟に、殺人犯のクソ兄貴か。これじゃあせっかく俺の先祖を出し抜いたてめえの先祖も、浮かばれねえよなあ、ええ? おい!」


 思い出したくない古傷をえぐられ、下唇を噛んで拳を握りしめ、絶句するマルキオン。その反応をちらりと横目で見たシルヴァノスは、ここぞとばかりに繰り返し煽る。

 結局のところシルヴァノスの目的は、ここでマルキオンを出し抜くことだけなのだ。


「いいことを教えてやる。てめえの実家の領地はもう俺の手下どもが略奪ずみだ。村もきれいさっぱり、廃墟になっているだろうぜ」


 それを耳にした瞬間——。

 マルキオンの頭の中で、何かがちぎれ飛ぶ感じがした。


「——貴様ッ! 俺や兄を侮辱するだけならともかく……無辜(むこ)の領民にまで手を出すとはッ! ぶった斬られたくなければ、今すぐ中止させろッ!」


 激昂したマルキオンはマントを翻すやいなや、すかさず剣の柄に手をかけた。

 背後でそれを見た一神教徒の部下も、マルキオンと一心同体であるかのように戦闘態勢を取り、二人同時に剣に手をかける。


「それはできねえ相談だな! だがいい機会だ、ここでてめえをぶっ殺せば後継者不在だ。あの領地は正当に、俺のものになる!」


 勢いよくマントを翻し、そう叫んだシルヴァノスが剣に手をかけると、彼の配下もまた、余裕の表情のままおもむろに剣の柄に手を伸ばす。

 四人対三人。シルヴァノスの側に人数的な優位がある。狭い路地というこの場面では、絶対的ともいえる優位である。


 同じ組織に所属する仲間でありながら、一触即発の危機を迎える傭兵たち。

 今にも火の手が燃え移ろうとする街の裏通りに、時ならぬ緊張が走る。


 そこへ突如として、若い男の訴えるような声が、割って入るように響いた。


「なんです、こんな時に! 仲間割れとは見苦しい! みんな落ち着きなさい!」


 そう叫び、対峙するふたつの集団の間に身を投じて動きを止めさせたのは、両腕を縛られたままのイズキールだった。とっさの行為であった。

 赤黒い炎の色に照らし出されたイズキールの必死な表情が、剣を構えた両方の男たちを、一瞬たじろがせる。


「……黙ってな、坊さんよ。ケガしたくなければな」


 ところが、そう言うシルヴァノスをはじめ、男たちが剣を下ろす気配はない。依然として睨み合いを続けている。

 特にシルヴァノスの側は、数の上で劣勢であるマルキオンの側を、明らかに侮っている。気持ちの悪い薄笑いが、それを物語っていた。


「……仕方が、ありませんね」


 そうした様子を確かめつつ、深刻な表情で呟いたイズキールは、縛られたままの手で杖を握りなおした。

 そして三人しかいないマルキオンの側に立ち、彼らを背にすると、ゆっくりと杖を構えたのである。


 びっくりしたのは、守られる形になったマルキオンである。シルヴァノスたちを睨みつけながらも、向こうに聞こえないよう小さな声で、その動機をひそひそと尋ねてきた。


「おい、クソ坊主……。どういう風の吹き回しだ?」


「……生前、哲学者であったわが神は、倫理と公平性を何よりも重んじました。わたしは、わが主の意を汲んで行動します。ただそれだけです。お気遣いは無用です」


 イズキールは振り返ることなく、淡々とした口調で自分の信条を語った。これが動機だと言わんばかりである。

 それを聞いたマルキオンはまたもや呆気にとられたが、ふと真顔に戻ると持っていた剣を逆さに持ち、イズキールの両腕を縛っていた縄をざっくりと切り払った。


「…………?」


「その杖だけで戦おうなんて、バカだとしか思えんが……。このままやられたのでは、さすがの俺も寝覚めが悪いからな。助けたわけじゃない。勘違いするなよ」


 ぶっきらぼうに言うマルキオンに対し、イズキールは口元を緩めてフッと笑みを浮かべると、一時の間を置いてから、どういうわけか、感謝を述べた。


「わたしに戦う理由をくださって……ありがとうございます。あなたにわが主の祝福があらんことを」


「…………?」


 首をかしげるマルキオンを背に、改めて前を見すえたイズキールは、自由になった両手で木の杖を構えなおした。

 魔術に起因する爆発があちこちで炸裂し、そのたびに地響きが裏路地を揺るがす。赤く染まった閃光が、向かい合った集団を横から照らした。


 シルヴァノスは黙ってイズキールの行動を見ていたが、何を考えたのか唐突に、嗜虐的な笑みを口元に刻みつけた。


「ふうん……。坊さんには、ヤツを仕留めた後で俺の正当性を証言してもらおうと思っていたんだが……残念だぜ。こりゃあ、計画変更だな」


 シルヴァノスは残念そうな顔でそう言ったが、口調は少しも残念そうではない。

 むしろ一転して敵意がこもった視線をイズキールに向けたシルヴァノスは、舌なめずりをすると背後に居並んだ部下のひとりに対し、冷酷な命令をくだした。


「まずは、あの坊さんから……()れ。口止めのためだ」


「へっ……へい!」


 シルヴァノスの声色が、いつもと違う。そのことに気おされつつも、承諾した部下は手にしていた剣を曲芸のようにくるくると回し、身軽そうなステップを踏みながらイズキールを見すえた。

 彼は敵と戦うとき、その軽妙な身のこなしで相手を翻弄するのが得意技なのだ。


「親分の命令だからよ……。俺を恨むんじゃねえぞ!」


 部下はそう叫ぶなり、一気に前方へと跳躍。鍛えられた脚力を駆使し、イズキールひとりに対し瞬間的に間合いを詰めてきた。


 戦闘開始である。マルキオンたちにも緊張が走る。


「…………!」


 部下の男が振り上げた白刃に、火災の赤い光が鋭く反射し、ギラリと閃光を発する。

 だが、イズキールは動くことなく、すでにその動きを見極めていた。


 でっぷりとした体格に似合わぬ俊敏な動きで、イズキールは一歩だけ後退する。

 そして次の瞬間、襲ってきた斬撃を紙一重の差でかわす。同時に白い僧衣のボタンが、斬撃を受けて二個ほど砕け飛んだ。


「——なにいイッ?」


 この一撃で相手が全身から血を噴き出す、その結果しか想像していなかった部下の男は、手応えを感じなかったことで頓狂な声を上げた。

 だが、このままでは終われない。着地するやいなや脚力を最大限に発揮してその場に踏みとどまると、剣を持ちかえ、すぐさま第二撃を横ざまに振り薙いだ。


 その、次の瞬間——。

 激しい金属音とともに、渾身の第二撃は受け止められていた。

 斬撃を受け止めていたのは、イズキール自身である。


「くっ……! この野郎!」


「ふふ、残念でしたね」


 斬撃を受け止めたのは、鉄製の刀身だった。イズキールが持つ杖の中に仕込まれていたのである。彼はその刀身をわずかに抜き、露わになった金属部分ではじき返したのだ。

 それはアンナの腕をねじ上げ、住民たちに恐怖を吹聴したあの青年の動きを止めさせた、メルの仕込み杖であった。


「騙しやがったな! 丸腰っていうのは、嘘だったのか……!」


「まあ何かと、物騒な世の中ですので」


 涼しい顔で答えをはぐらかしたイズキールは、剣をはじき返すとそのまま瞬間的に間合いを外し、くるりと身体を回転させ、抜きかけた刀身を一度鞘の中に収めた。

 間合いを外されたことで、男の身体が一瞬浮いた。そこに隙が生まれる。


「——では、こちらから行きますよ」


 イズキールが発したその穏やかな声は、反撃開始を告げる、静かな宣言。


 間合いを外し、上体を沈めると同時に右足にかけていた体重。イズキールはそれを右肩にこめ、爆発的な勢いで解放する。

 驚異的な脚力で飛び出したイズキールの身体が、弾丸となって、男の身体に衝突した。


「うがッ……!」


 意表をついた体当たり。衝撃のせいで体勢が崩れ、男はたまらずよろめく。

 好機到来。イズキールはそれを見逃さず、仕込み杖に手をかける。


 一度収めていた仕込み杖の刀身が、鋭利な白刃となり、閃光をともなって杖から噴き出した。狙いは、男が手にした剣の剣身である。


 その刹那——。薄暗い裏路地に再び、激しく鈍い金属音が鳴り響いた。


 そして途中から叩き折られた剣身が回転しながら宙を舞い、石畳の上にカランカランと虚しい音を立てて落下したとき、部下の男はようやく、手にしていた剣が使い物にならなくなったことを知ったのだった。

 それに対し、イズキールの仕込み杖には特に損傷はみられない。刀身を落ち着いた様子で杖に収めるイズキールの姿は、凜々しさに満ちていた。


「ありふれたデブの坊さんだと思っていたが……。ただ者じゃねえようだな」


 剣を失ってへたり込む部下の向こうで立ち回りを目撃し、真顔に戻ったシルヴァノスは、低い声で呟きながらイズキールの姿を透かし見た。

 イズキールはそれに答えるように、杖を構えてシルヴァノスたちの方に向き直る。


 だがそこでシルヴァノスは、イズキールの服装が変わっていることに気がついた。

 斬撃で僧衣のボタンが飛んだせいで、上半身が露わになっていたのである。


「てめえ……。ブクブクと太っていたわけじゃ、なかったんだな」


「……これについては、隠すつもりはなかったのですが」


 歯がみしながら睨みつけるシルヴァノスの視線を、微かな笑顔で受け流したイズキールは、ボタンが失われてはだけた僧衣を脱ぎ、勢いよくそれを投げ捨てた。


 そこで露わになったのは、肩当てがついた白色の胴鎧。

 それだけでなく腿まで覆う脚甲、上腕部を守る腕甲まで装備されている。


 イズキールは長い僧衣の下で、完全武装の状態だったのである。そのため、太った身体に見えていたのだ。


「お前、まさか……。僧衣の下に鎧を着けていたのか」


 それを後ろから見てそう言ったマルキオンだったが、騎士となったイズキールの姿を前にしては、さすがにこう問わざるを得なかった。


「司祭イズキール、と言ったな——。お前はいったい、何者なんだ?」


 その問いを耳にしたイズキールは、純白のマントを翻してマルキオンの方に向き直った。


「申し遅れました……。改めて、官姓名を申告いたします」


 そしてイズキールは右手を胸に当て、身をかがめると、正式な騎士の礼をもって頭を下げた。右耳につけた耳飾りが、怪しく光る。


「わたしはリーナス教区司祭にして、中央教会エクレシア・カテドラーリス隷下、神聖騎士団(サクラ・エクィテス)の宣教第九大隊で小隊長の任にありました……イズキール・フェランと申します」


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