6-3 クルトの過去に隠された秘密
三 クルトの過去に隠された秘密
天井から吊されたランプの火が、弱々しく光りながら妖しくゆらめいている。
そして次の瞬間、ランプは、部屋で巻き起こる風の圧力によって、左右に大きく揺れた。
「これで――どうだッ!」
ランプの明かりしかない薄暗い部屋の中で、裂帛の掛け声とともに床を蹴ったクルトは、右手に持った片手剣を閃かせ、相手に向けて横っ飛びした。
その先で待ちかまえるのは、同じく片手剣を手にしたイズキール。純白のマントを翻らせ、丸いメガネを輝かせながら、すばやく構えをとる。
「――なんのッ!」
イズキールがそれに応じた、次の瞬間――。
激しい金属音を部屋中に響かせながら、二人は片手剣を打ち合わせた。
だが、それで戦いが終わったわけではない。攻撃に失敗したクルトがすかさずその場から飛び退くと、イズキールもそれに合わせて後方に跳び、二人は再び最初の間合いへと戻る。
そして今度はイズキールの方が姿勢を低くし、片手剣を引きながら突進する。クルトの足元を狙って横方向に剣を一閃、銀色の帯を描き、一気に振り薙いだ。
「……おっと!」
クルトはその攻撃に対し素早く反応すると、左足を跳ね上げつつ身体を空中で横たえ、イズキールと同じ力で片手剣を薙ぎ払い、激しい金属音をあげながらその攻撃を打ち返す。
もう何度目だろう。薄暗い部屋に火花が散り、天井のランプが震動とともに大きく揺れるのは。
「――さすがです、旦那様」
イズキールが思わず賞賛した次の刹那、二人はまるで息を合わせたかのように同時に飛び退いた。クルトは膝をつきながら、そしてイズキールはマントを翻しながら、元の場所に戻って間合いを取る。
「いやいや、俺はもうヘトヘトだよ。歳は取りたくねえものだな」
そう言い、ひと息ついたクルトが片手剣を持ったままため息をつくのと、再び構えをとったイズキールのマントが元の形に戻るのが、ほぼ同時であった。
「しかし、やるな……。『神聖騎士団』で、小隊長をやっていただけのことはある。剣の腕前は一流だな」
クルトはそう言うと、片手剣にランプの光を反射させつつ、くるりと剣身を回転させ、腰に吊った革製の鞘へと器用に差し込んだ。
剣身が何の抵抗もなく、するすると鞘に収まっていくのは、手入れが行き届いている証拠である。
「旦那様こそ、あの身のこなし……。まだまだ、お若いではありませんか」
「お世辞はよしてくれ。中年男をおだてたって、何も出やしねえぞ」
ふてぶてしく謙遜するクルトに従い、自分も剣身を鞘に収めたイズキールだったが、その剣は自分の剣帯に吊った愛用のものではない。彼の剣帯には依然として、やや反りのある片刃の剣が吊られている。
その剣には依然として、あの特殊な鎖がついている。事実上、使用することが不可能であった。
つまりイズキールは、借りものの武器を使っていたのである。さらに右手に剣、左手にその鞘を持った状態のまま、あの立ち回りを演じていたのだ。
「…………」
それを目の前で見せつけられたクルトは、一転して不機嫌そうな顔になると、伸び放題になった髪もろとも自分の頭をボリボリと掻きながら、近くにあった簡易ベッドへ、無造作に身体を投げ出した。
古くなった木製のベッドが、藁をつめただけのマットレスと人間の重みに耐えかねて、途端にギシギシと音を立てた。
「自分の剣じゃない上に、鞘を持ったままあれだけの動きをした司祭さんにそう言われても、嬉しくはねえよなぁ。それにどうせ、本気じゃなかったんだろう?」
「……はは、申し訳ありません」
イズキールがそれを否定しなかったことで明らかにふて腐れたクルトが、ぶっきらぼうに舌打ちをした。その態度に苦笑したイズキールは、自分も椅子を出し、器用にマントを折りたたみながら座った。
そしてメガネの位置を直し、ひと息ついたイズキールが、背中を丸めて質問を返した。
「旦那様がいきなり『勝負しないか』とおっしゃったときは驚きましたが……。わたしが信頼に足る男かどうか、剣で試されたのですか」
「まあ、そんなところだ。合格点どころか、最前線で斬り込みに使いたいくらいだ」
イズキールの口調に責めるふうはなく、試されたことに対し反感を持っているわけではないようである。クルトもそれを感じ、素直に褒め言葉を述べた。
そんなイズキールに目をやると、彼はまだ、純白の胴鎧を着けたままである。木の椅子に当たった金属の装甲が、彼が動くと同時に「ゴトリ」と音を立てる。
衣服の下になっているため見ることはできないが、胴鎧だけではなく胸甲と、緑の石がついた腕甲、そして両脚のすね当ても着けたままなのだろう。装甲だけでも、かなりの重量になるはずだ。
(この蒸し暑い中でも、鎧は着たままか……。律儀というか、何というか……)
そんなことを考えながら金属音を聞いたクルトは、粗末なベッドに横たわり、腕まくらに頭を乗せてしばらく天井を見つめていたが、そのままの視線で、ドアの外にいるはずの人物に声をかけた。
「……おい、テレサ。もう終わったぞ。入ってきてくれないか」
クルトがそう呼びかけてから数秒後、外側からドアを引いて大柄な姿を現したのは、彼の妻であるテレサだった。古くなって錆びついたドアの蝶つがいが、ギギギッと軋む。
「……ふん」
盛大に鼻息を噴き、部屋に入ってきたテレサは、複雑そうな表情のイズキールをじろりと一瞥しつつ大股にのし歩くと、窓の下に設置された長椅子を目にするやいなや、どっかりと腰を下ろして足を組んだ。
誰がどこから見ても、不愉快な顔つきである。彼女の機嫌が悪いことは一目瞭然であった。
(…………ヤバい。こりゃあマジで、ご機嫌ななめだ)
普段は飄然としているが恐妻家でもあるクルトの顔が、妻の態度を目にした途端、視線と表情だけはクールさを保ったまま、みるみる青ざめていく。
妻の機嫌を損ねたら顔面蒼白になるのが、もはや条件反射のひとつになっているらしい。
イズキールが夫婦のもとに居候して一週間になるが、食事の時間、無言で仁王立ちするテレサの前で何度も土下座をするクルトの姿を、イズキールは毎日のように目の当たりにしていた。
今夜は、どれだけみごとな土下座が見られることか――。無関係なイズキールも、胸が痛む。
しかし、今夜に限って、テレサの様子がいつもと違っていた。王者のような威厳で長椅子に身体を預けていたテレサが、つくづく呆れかえったような表情になると、長いため息をついたのである。
「……はあーあ、まだるっこしいねえ。まったく、あんたらしくもない!」
「…………え?」
どういう風の吹き回しか知らないが、珍しいことにテレサの方が先に口を開いた。今にも床にスライディングしようと身構えていたクルトは目を見開き、口をぽかんと開けるばかり。
イズキールはそんなクルトの代わりとして間に入り、落ち着いた口調で、その意図を確かめることにした。教会の聴罪師でもあった彼にとって、そのくらいはお手のものである。
「おかみさん。らしくないというのは……、旦那様がおかみさんを部屋から追い出してまで、わたしの実力を試されようとした、そのことについてですか?」
そんな風に尋ねてくるイズキールを、無言でじろりと見上げたテレサは、おもむろに椅子から立ち上がるやいなや鎧戸の鍵を開け、大きく開け放った。
窓を開けた途端に、湿っぽくもやや涼しげな夜風が、一気に室内へと吹き込んでくる。
「まあ、それもあるけどね……。自分の経歴くらい、もったいぶらずに言っちまえばいいんだよ。司祭さんはあたしたちの味方だ。それは間違いない。今さら何を警戒しているんだい、あんたは!」
「……あ、いや、それはだな」
「つべこべ言うんじゃないよ! まあもっとも司祭さんは、とっくにあんたの素性に気がついているだろうけどね!」
またいつものような押し問答を始めた書店経営者夫妻の声を聞きながら、椅子から立ったイズキールは、部屋の隅に置かれた鎧の方に目を向けた。
当初イズキールは、その鎧が誰のものなのか知らなかったのだが、部屋に入るなりクルトがそこから一振りの剣を取り出し、自分に投げ渡したので、以来この鎧がクルトのものだということは察していた。
(これが……。旦那様が若かりし頃の鎧、ですか)
古びて変色した軽装の鎧は、胸当てと胴の装甲が真鍮製である以外、革製である。膝当てと肘当てなどはすでに失われているようだが、籐を編んで作られた鎧櫃に納められた鎧には油が染みこんでいる。定期的に手入れをされているようだ。
それを見て、イズキールは心の中で思わず感嘆しながらも、傷だらけの鎧にそっと手を触れた。
「どうだい、司祭さん……? その鎧を見て、俺が何者なのか察しがついたのかい?」
テレサの瘴気からようやく逃れたらしいクルトは、ホッとした表情ながらもベッドに寝そべったまま、試すような口調でイズキールに質問してきた。当ててみろということらしい。
イズキールはその挑戦的な声を背後に聞きながら、なおも鎧の状態をつぶさに観察してみた。
「すね当てには馬の鞍に接した形跡がなく、靴には拍車がない……。そしてこの胴装甲には、剣で斬られ、槍で突かれた擦過傷が随所にある……。そして、肘当てなどはすでに失われていますね……」
静かな口調で、鎧の特徴を的確に見いだしていくイズキール。それを聞いたクルトとテレサは顔を見合わせ、目を丸くした。
そうとは知らないイズキールは、しばらく鎧を撫でて感触を確かめていたが、やにわに振り向くや、クルトの顔を見つめながら答えを出した。
「間違っていたら申し訳ありません。旦那様は騎士階級……。軍隊では下級士官として、小部隊の指揮官をされていたのではないでしょうか。それも馬上身分ではなく、茂みに隠れ、地に伏せながら部下を率い、敵地を駆けめぐる、遊撃部隊の長として……」
イズキールがそこまで言ったとき、驚いたクルトが思わず口笛を鳴らした。イズキールの解答はどうやら「ご名答」の評価をもらったようである。
だがイズキールは、正解を告げられても少しも喜ばなかった。そればかりか眉をひそめ、メガネの奥からクルトの顔をじっと見つめてきた。
「この鎧……。旦那様はかつて、帝国軍に奉職されていた……違いますか?」
この問いに対して、半笑いだったクルトの表情から笑顔が消え、にわかに緊張した。その変化は、イズキールの推測が図星を指していたことを物語るものだった。
それからベッドから起き上がり、腰かけの姿勢になったクルトが、静かにその意図を尋ねてきた。
「……どうして、そう思うんだい?」
「公都リーナスの中央教会にあった地下倉庫で、同じものが山積みになっているのを見たことがあります。かつて街に駐留していた、帝国軍が残していったものだと聞かされました」
「そうかい。その洞察力と記憶力、さすがだな……」
そんなイズキールの種明かしを聞くと、クルトは両手を水平に差し上げ、悪事がバレた子どものような諦めの表情で首を振った。
そしてクルトは腰かけていたベッドから立ち上がると、足を組んで座るテレサの方をちらりと一瞥しながら、大儀そうに自分も椅子を出し、腰を下ろした。
そうしてから、立ったままでいるイズキールにも椅子を勧めつつ、クルトが口を開く。
「そう――。司祭さんが言うとおり、俺は帝国の軍隊にいたのさ。それだけじゃない。生まれも育ちも帝国――。まあ正確には、帝国ができる前にあった王国で生まれ育ったんだけどな。帝国が征服を重ねていた時期にこの街で商売するというのは、帝国人としてあれこれ苦労させられたものさ」
少し自嘲混じりの表情で、ぽつりと思い出の一端を語るクルト。帝国の出身であるという生い立ちが、この街で生きる上でいかに彼自身を苦しめてきたかを、イズキールにも少し理解できた。
「そうですか、帝国の……。どうりで、旦那様の肌の色が、ほかの住民とは違っているわけです」
「大陸の人間は色黒だからな。俺も現役時代は『灌木林の黒豹』なんて呼ばれたもんさ。俺はそんなに黒くない方なんだがな?」
クルトがそう言って鼻をうごめかせると、それを聞いたイズキールの方が、細い目を丸く見開いた。
「まさか……! あの『黒豹』は、旦那様だったのですか!」
そう叫んで椅子から立ち上がったイズキールの勢いに、思わずのけ反らされたクルトは、椅子から落ちそうになってしまった。
だがそんなクルトの反応も何のその、顔色を紅潮させたイズキールが、一方的に熱い眼差しを投げかけてくる。「黒豹」にはごく一部に、今でも根強いファンがいるらしい。
「地を這い、低木林に潜みつつ、いつの間にか敵の背後に出現して戦況をひっくり返す部隊がかつて帝国にあったと……。その姿はまさに神出鬼没、正体不明で多くの謎に包まれていましたが、当時の指揮官は『灌木林の黒豹』と異名されていたと、先輩から聞き及んでおります」
「そ、そうか……。それは褒められてるのか、恐れられてるのか、よくわからんが……」
現役時代、どう評価されていたかをイズキールを通じて耳にしたクルトは、喜ぶべきか落胆すべきか判断できず、複雑そうな顔で苦笑いをした。
だがそれだけ、大陸出身である人々の浅黒さは際立っていて、良くも悪くも帝国人の象徴であった。
なぜ、帝国人の肌が浅黒いのか。それは、気候のせいだとされている。
帝国が全土を領有するラッフルズート大陸は、リーナス島よりも暑熱が厳しい。乾燥が進み砂漠が全土の三分の一を占めるようになったかつての「聖大陸」は、過酷な暑さのためか、そこに住む人々の肌の色を、遺伝的に浅黒く変えてしまったといわれている。
そんなクルトの浅黒い肌を見ていたイズキールには、脳裏にピンと来るものがあった。
つい前に大広間のバーカウンターで交わされていた会話と、聞き分けのない老人とベンとのやり取りを、ふと思い出したのである。
「……そういえば旦那様。あなたは先ほど、大広間のカウンターで座長殿のことを『少佐』と呼んでしまい、たしなめられていらっしゃいませんでしたか」
「ん? ……ああ、そうだったっけ?」
そんなイズキールの質問を受けたクルトは、急に話題が変わったことに戸惑いつつも、何気ない会話の内容まで覚えていたこの青年の記憶力に驚き、確かにそうだと思いながら後頭部を掻いた。
クルトがその推測を否定しなかったことで、イズキールの褐藻色の瞳が、異常なほどに妖しい輝きを帯びた。
「やはり。座長殿も、旦那様と同じ浅黒い肌……。そしてご老人から投げかけられたとき、温厚だったはずの座長殿を激昂させた言葉……」
そう呟いたイズキールの脳裏には、収容されることを頑なに拒んでいた老人が投げかけた「おぬしはもともと、帝国の――」という言葉と、それを耳にした途端、異様に感情的になったベンの、苦しげにゆがんだ表情が思い起こされていた。
あのとき、その言葉の先をついに聞くことができなかった。だが今なら、元部下だったというクルトが目の前にいる。クルトの口から、彼らがこの街にやってきた理由を聞くことができるかもしれない。
(しかし……。旦那様には、この先を明かす義理などない、はずですね)
クルトもベンも軍人だった以上、軍事機密に関することには口が堅いはずである。「神聖騎士団」で一部隊を率いた経験があるイズキールには、そのことが痛いほどわかった。
だが、この街区の座長ベンは、イズキールが一年にわたって探し求めた人物である。彼に関する情報は、どんな些細なことでも耳に入れておきたかった。
それをどう切り出すべきか。イズキールの優美な顔が、緊張感でゆがむ。
ところが、その顔つきですべてを察したのか、先に口を開いたのはクルトの方だった。
「まいったね。司祭さんは本当に、鋭いや……。軍に入れば、参謀にだってなれるぜ?」
降参だと言わんばかりに両手を挙げたクルトは、そう言って首を振った。
その顔にはもはや、重荷から解放されたかのような、清々とした感情すらにじみ出ていた。
「――座長、いや少佐と、パン屋のマックスの奴とは、もう二十年の付き合いになる。俺たちは帝国からの任務を受けてこの街に赴任してきた、元密偵というやつなのさ」
密偵という言葉を耳にしたイズキールは、その不穏な響きを嫌がるかのように顔を曇らせた。
「パン屋のマックスさんも、帝国の方でしたか……。乱れた大陸を忌避し、帝国を脱出してきたというわけではなかったのですね」
「まあな。任務について詳しくは言えないが、俺たち三人は帝国の命令を受けて、このリーヴェンスの街にやってきた……。それだけは、まぎれもない事実だ」
もう時効だろうとばかりに、みずからの隠された過去をすらすらと明かしたクルトに、同じ元軍人として、イズキールは驚きの目を見張った。
そんなイズキールの表情を見とどけつつ、ベッドから立ち上がったクルトは、客室の壁に造りつけられた棚の扉を手慣れた様子で開けた。
「俺たちがこの島に飛ばされた理由は、いろいろあるだろうが――」
そう言い、棚の奥から秘蔵の蒸留酒を取り出すと、古びたグラスに自分の分だけを注いだクルトは、落ち着いた風情で深く椅子に身を沈めながら、グラスに満たした酒を一気に飲み干した。
その様を見ていたテレサが「あんた、そこから先は話してもいいのかい?」とでも言いたげに、心配そうな顔をしたが、その懸念をフッと一笑に付したクルトは、さらに話を続ける。
「俺たちは、帝国からすれば煙たい存在でな。特に俺なんかは、一秒たりとも生かしちゃおけなかったはずだ。だが暗殺なんかしたらすぐにバレちまう。それで軍のやつら、都市間の争いが絶えなかったこの島へ『任務だ』と言って飛ばしとけば、いずれ黙って死んでくれるとでも思ったんだろうな」
自身の生死にもかかわるような物騒な推測を、まるで他人事のように語るクルト。
だがその様子を不審に思いながらも、イズキールはもう、その先を促さずにはいられなかった。
「帝国の中枢部が、それほどまでに旦那様を……? まさか旦那様はかつて、国家の転覆を図ったとか、危険思想を吹聴して回ったとか、数々の悪行を……?」
「おいおい……。いくら俺に若気の至りがあったとしても、そこまではしていなかったと思うぜ?」
散々な言われように苦笑するしかないクルトだったが、目だけは笑っていなかった。そこに何かを見てとったイズキールが、生唾を飲み込む。
そんなイズキールを、透徹した瞳で見つめたクルトは真顔に戻ってうなずくと、ぽつりと、ひと言だけ答えた。
「俺たちは、いろいろと知りすぎちまったんだよ。皇帝に祭りあげられた、ルーという男のことをな」
「皇帝、ルーのことを……? それはどういう……?」
その言葉の意味するところが即座に理解できなかったイズキールは、眉を寄せ、怪訝そうな顔で、さらなる詳しい話をクルトに求めようとした。
謎めいた問答がクルトの話し方の特徴である。そのことを知っているイズキールは、いつもその先をうながして話を求める。それでようやく、彼の真意をつかめるのが常であったからである。
今回もまた、促されたクルトが口を開こうとしたそのとき。
期せずしてドアの外から発せられた少女の声が、部屋の中にまで届いてきた。
「その話……! アンナさん! お父様の素性にたどり着くためには何としても、仕入れなければならない情報ですわよ……っ!」
そんな興奮ぎみの声にやや遅れて、それを恥ずかしそうに制止しようとする声が、室内へと響いてきた。
「お、お姉さま……っ。声が大きいですぅ! 立ち聞きしているのが、バレちゃいますよう……」
声の主は、廊下で壁に耳をあて、室内の会話を聞いていたらしい。だがわれを忘れて発した声はかん高く、部屋の中にまで丸聞こえなのであった。
その声に話の腰を折られた形のクルトは、恥ずかしそうな顔になったイズキールと期せずして顔を見合わせ、苦笑を交わす。
廊下にいるのは二人である。その二人が誰なのかがすぐにわかったクルトとイズキールは、顔を見合わせたまま、何ともいえない表情をした。
やがてため息をついたテレサが椅子から腰を上げ、廊下にいる二人を招き入れようとしたが、クルトはそれを手で制した。何を思ったか、そのまま話を続けることにしたらしい。
「俺と少佐は、皇帝に近い存在だったのさ。だからいろいろと、知られちゃまずい秘密を知りすぎていたというわけさ。俺に関して言えばまあ、話せば長くなるんだが……俺と皇帝は士官学校の同期でな。しかも寄宿舎の同室で、同じ釜の飯を食った仲だったんだ」
「そういえばよく、『俺は皇帝と同期だった』なんて自慢していたっけねぇ……。あれは、本当のことだったのかい」
「まあな。あいつとは親友どうしだったんだ。王国の貴族だったあいつの実家へ、遊びにも行った」
さりげないテレサの補足にうなずいたクルトは、昔を思い出したのか遠い目で懐かしそうに語ると、再びグラスに蒸留酒を満たし、一気にぐいっと飲み干した。
それを見ていたイズキールは、顎に手を当てつつ、クルトの顔から目を離さず、メガネを輝かせた。
「皇帝と同期で親友……。そして『黒豹』として名を馳せ、軍事的才能を開花させた旦那様……なるほど。帝国の内部で何らかの出来事が起こり、皇帝に近く卓越した能力を持つ旦那様を泳がせておいては、まずい状況になったというわけですね」
「泳がせては、って……、あのねえ。俺は別に、悪いことをした覚えはないんだがね」
不満そうに頬杖をついたクルトが、口をとがらせた。そうとは知らない廊下からは、声を押し殺した鋭い気配が、あいかわらずピリピリと届いてくる。
そんな刺すような気配を背後に感じつつ、イズキールは重々しく、最後の問いを投げかけた。
「そうですか、旦那様のことはわかりました。では、座長のベン殿とパン屋のマックスさんは、なにゆえこの島に……?」
「少佐とマックスか。まあ、俺の知る限りだが……」
そう言って再び手にした蒸留酒の瓶を傾け、粗悪な液体をグラスに注ごうとしたクルトだったが――。
次の言葉は、突如として室内に響いた、ハスキーな女の声にさえぎられた。
「それについては、アタシも是非知りたいもんだね。クルトおじさん」
音もなく、気配すら洩らさず、開け放たれた窓際へと降り立つ人影――。
月明かりを背景に立つキリエの優美な姿が、影絵となってクルトとイズキールの目に入ってきた。




