6-1 魔術研究家のあるべき姿
一 魔術研究家のあるべき姿
「はーい、押さないで。順番ですよぉ。順番」
黒髪を三つ編みのお下げにした少女スーザンが、腰を折った老婆が差し出す皿にスープを満たしてやりながら、その後ろに並ぶ人々に向かって声を張り上げた。
今までよほど空腹だったのか、避難している数多くの住民がこぞって集まり、食糧を配給するテーブルの前に殺到している。
はたから見れば意地汚い集団のようだが、彼らは普段から食糧にありつくのが難しく、ひもじい暮らしを強いられている貧民たちなのである。
「あー! ちょっとそこのおじさん! 順番だって言ってんでしょ!」
「う、うるせえな! さっきから腹が減って仕方がなかったんだよ!」
「ダメったらダメ! そんなのみんな同じでしょ! はいはい、順番に並んだ並んだ!」
割り込もうとする中年男を見つけ、おたまを振り上げて必死に阻止しようとするスーザン。
その横では彼女と同い年の少女シェリルが、金髪ショートカットの髪をリボンでまとめながら、待っている行列を少しでも捌こうと、無言でてきぱきとパンを配っている。
「シェリル。奥からパンを持ってきたわ」
そう言いながら、パンを山盛りにした箱を重そうに持ってきたアンナが、ふらつきつつも箱に衝撃を与えないよう、シェリルとスーザンの間へゆっくりと降ろした。
「……ふう。次は、何を持ってくればいいの?」
額に浮かんだ汗をぬぐいながら、二人に向かって微笑むアンナ。爽やかで美しい笑顔である。
微笑むアンナの顔立ちは、平凡な顔つきのスーザンやシェリルと比べ、均整のとれた色白の丸顔である。大きな垂れ目でかつ鼻筋が通っているその容貌は、同年代の中で群を抜いていた。
だが彼女の細い手首には、先ほど力強く掴まれたせいか、帯状の青あざと裂傷が残っている。それを目にしたシェリルが眉をひそめ、うつむき加減で詫びを口にした。
「アンナちゃん、さっきはごめんね。助けてあげられなくて……」
「えっ……。あ、うん……」
いきなり謝られた驚きのあまり、アンナはそう返事するしかなかった。だがそれをシェリルの真心と感じたアンナは、右手首の青あざを左手でさすりながら、再び笑みを浮かべた。
普段から物静かで、アンナ同様になかなか感情を表に出さないシェリルなのだが、友だち思いでもある彼女は、ここ一番の勇気を出し、謝ったのかもしれない。
そこへ、スープを配るためのおたまを手にしたまま、スーザンが首を伸ばしてきた。
「あたしも――ごめんね! ちょっと足がすくんじゃったけどさ。メルさんが助けに入ってくれたおかげで、助かったよね!」
「あ、うん……。スーザンにも、つらい思いをさせちゃったよね」
豪快に謝ってくるスーザンに少し気圧されながらも、それを受けたアンナは儚く微笑んだ。だが活発な性格のスーザンは、それでは納得しない。
「ああ、あたしのことはいいって! さあ、ここはいいからさ。アンナちゃんは少し休んで!」
スープの具にまみれた革のエプロンを締め直しながらも、スーザンはアンナが受けた精神的な打撃を心配しているらしい。
思わぬタイミングで、ふたりの友人から代わる代わる声をかけられたアンナは、今までずっと我慢していたものがこみ上げてきたのか、目尻の涙をぬぐいつつ、ぺこりと頭を下げた。
「でも……いいの? 私だけが休んで……」
「いいって、いいって。それよりパンでも持ってさ、メルさんにお礼を言ってきなよ。な、シェリル?」
スーザンは豪快な笑みを満面に浮かべ、先ほど危ないところを助けてくれたメルに、礼を言いに行けと勧めた。そしてすかさず、傍らのシェリルにも同意を求める。
シェリルもそれに同意してうなずいたので、アンナはついに断りきれなくなった。
「うん……。じゃ、そうするね」
「この際だからさ。お姉さまにうんと甘えてきなよっ?」
そう言って手を振るスーザンと、くすりと微笑むシェリル。酒場で働くこの三人娘は、小さい頃から近所で一緒に遊んだ、いわゆる幼なじみの間柄である。気心は誰よりも通じ合っている。
もちろん二人とも、アンナの不思議な能力については昔から知っていた。人前で使うのは控えるべきだと提案したのも、スーザンであった。
「それじゃ……。忙しくなったら、遠慮せずに呼んでね」
スープ配りを再開する二人と、そう言って別れたアンナは、革製のエプロンを外すと、パンを入れるためのカゴを持って、いったん厨房の方に下がることにした。
人見知りのあまり、大人の男性はもちろん父親のクルトとすらほとんど会話できないアンナだが、気を遣ってくれる幼なじみの二人にだけは、自分の心をさらけ出せる。そのことにはいつも感謝していた。
(スーザン、シェリル……。いつも、ありがとう)
思わず目を細め、ほのかな笑みを浮かべつつ、アンナは厨房の向こうにある食糧庫へ向かった。
厨房の奥は広間の明かりが届かず、いつでも薄暗い。その先は路地へと続く裏木戸になっている。
裏木戸は食材の搬入口にもなっていて、今夜もたくさんの木箱で埋めつくされていたが、そこでは主人のベンがひとりでブツブツと文句を言いつつ、ろうそくを一本灯しただけの暗さの中、腰をかがめて、木箱をひとつずつ開梱している。
そこへちょうど、アンナはパンをもらいにきたのである。彼女は正直、これは面倒なところに出くわしたと後悔した。
「まったく、マックスのバカが……。こんな危険な夜にパンの木箱だけ置いて、いったいどこへ行っちまいやがったんだ……。あの野郎」
ベンはどうやら、パンがぎっしり詰まった梱包を積み上げるだけで行方をくらませてしまった、パン屋の主人に対して腹を立てているらしい。
アンナは大人の男性が苦手なのだが、ベンに対しては心を許している。だがこういうときのベンは、普段と違って近寄りがたい。
それでもここでパンがなければ、先に進まない。アンナは勇気を出し、固唾を呑んでからおそるおそる、ベンに声をかけてみた。
「あの……マスター。パンを一個、いただけ、ますか……?」
はたから見れば滑稽なほど腰が引けているアンナが、裏木戸に向かっておずおずと声をかけた。
その声に気づいたのか、ベンはこちらを振り向いたが、意外なことに優しげな笑顔だった。
「ああ、アンナちゃんか。パンなら、好きなだけ持って行って構わないよ」
ベンはその体格と容貌に似合わず、おおらかで優しい性格である。若い頃の彼はもっと荒々しかったのかもしれないが、今ではすっかり、尖ったところが取れたという印象である。
「あ、ありがとうございますっ。じゃ、じゃあ……」
ぺこりと頭を下げたアンナは、笑顔の裏側で憤然としているであろうベンに触れないよう、腫れ物を避けるかのようにそそくさと木箱に近づくと、木箱の中からいくつかのパンを選び出した。
だが、厨房にはパンが入った木箱のほかにも、酒類が入った木箱も無造作に積み上げられている。
「……じゃあ、これも。司祭様からは、止められているけど」
それを見たアンナは、ワインが好きだというメルのために、古い木箱からホコリをかぶったワインの瓶を一本取りだし、いそいそと籐のカゴに詰めこんだ。
そんな様子を見ていたベンは、こんな非常時にあっても他人のことを優先させようとするアンナの姿に、やや心が落ち着いてきたようだった。
「ふう……。済まないなアンナちゃん、俺としたことがカリカリしちまって。マックスの奴が黙って行方をくらましたから、あいつのことが心配になっててな」
「い、いえ、気にしないでください。でも、マックスさん、いつからいないんですか?」
ぺこりと一礼したアンナは、不安そうな面持ちで尋ねた。マックスというのはキリエの父親でもある、パン屋の主人の名前である。
当然アンナも、マックスのことはよく知っている。彼は遊びに行くたびにパンをくれる、優しいおじさんであった。
「裏木戸を開けたのが夕方だったから、それきりだな。キリエちゃんも手伝っていたようだが、一緒にどこかへ行っちまったみたいでな……」
「キリエお姉ちゃん、も……」
ベンはそう説明しつつも絶えず暗がりに視線を投げ、マックスがひょっこりと戻ってこないかとしきりに気にしている。今までにもひと晩行方不明で心配していたのが、いつの間にか帰宅していたことが何度かあったのだ。
だが失踪癖があるマックスはさておき、その娘であるキリエも行方不明だというのは、さすがのアンナも不安に感じた。
それは先ほど、二階の客室で「親父の手伝いに行く」と言いだし、窓から出ていったキリエが、逃げるように窓枠に手をかける寸前、アンナにこう耳打ちしていたからである。
『――親父の手伝いに行く前に、街の様子を見てくる。心配はかけたくないから、クルトおじさんたちには黙ってろよ!』
あの時、颯爽と窓から去っていったキリエの後ろ姿を思い起こしながらも、アンナは嫌な胸騒ぎを感じていた。
(キリエお姉ちゃん……。いったい、どこに行っちゃったの……?)
言いしれぬ不安が、黒い渦のように、アンナの胸の中に満ちていく。卓越した狩人であるキリエのことだから、心配は無用なのかもしれないが、仮にもキリエは、若い女である。帝国兵に捕まりでもしたら、どうなるかわかったものではない。
「……ん? どうしたんだい、アンナちゃん?」
急に黙り込んだアンナを見て不思議に思ったのか、ベンがいぶかしげに顔をのぞき込んでくる。
それに気づいたアンナはとっさに顔を上げ、引きつった笑顔でその場をとりつくろった。
「あ……い、いえっ。メ、メルお姉さまは、どこに行かれたのかなー、って」
キリエに念を押された通り、彼女が言い残した内容は、あくまで二人だけの秘密である。ベンはなおも怪訝そうな顔をしていたが、それでも大広間の方を親指で指し、親切に教えてくれた。
「メルちゃん、か。少しここで手伝ってくれたんだが、配給が始まった後、婆さまたちにパンを届けると言って、大広間に出ていったな」
「大広間……。ありがとうございます。じゃ、私はメルお姉さまにもパンとワインを届けますので、これで……」
これ以上ベンと話すと、キリエの秘密を思わず口にしてしまうかもしれない。そう危惧したアンナはぺこりと頭を下げると、急いでその場を脱出した。
普段忙しく働いている厨房が、今夜は静まりかえっている。その現実に一抹の寂しさを感じながら。
「これから、私たち……。どうなるのかしら……」
調理を放棄した厨房には、ロウソク一本の照明しかなく、最低限の明るさでしかなかった。そこからカウンターを経て足を踏み入れた大広間は、普段のように多数のランプが灯る、別世界のようだった。
だがやはり、大広間も普段とは違う。いつもの酒場は男たちの笑い声、喧噪、怒鳴り声などで会話も困難なほどだが、思い思いに座り込み、怯え、憔悴する避難民たちに、活気などあるはずがない。
パンとワインが入ったカゴを小脇にかかえ、アンナはきょろきょろと広間を見回した。
「うんと……。メルお姉さまは、一体どこに……?」
大広間には二百人を超える住民が避難しているが、集まった人数のわりには静まりかえっている。
口数も少なく、うつむき加減に食事を口に運ぶ大人たちの車座の隙間を、何人かの子どもたちだけが元気に走り回っている。
光が漏れないように、窓の鎧戸はすべて閉めきられたまま。空気の入れ換えができず、人いきれで蒸し暑い。外部の様子がまったくわからない状況というのもまた、避難民たちの心労を誘発している。
状況を理解しているのかいないのか、疲れきった大人たちの間を駆け回る子どもたちを寂しそうに眺めながら、アンナはメルを探して歩いた。
そうしているうちに、広間の端の方から、大勢の女性や子どもたちの声が聞こえてきた。
「魔術師って、恐い人ばかりなの……? 『黒衣の魔女』は、恐いひとだったのかしら……?」
「争いの世界に魔術……。『煉獄の王』の再来、なのかのぉ……」
そこは、広間の奥まった場所。女性や子どもたちに囲まれる形で、薄赤色の頭が見え隠れしている。ようやくそれを見つけたアンナは、幸せそうに微笑んだ。
「メルお姉さま……。みんなに囲まれて……」
大広間の中央部分は、街の男性ばかりが占拠している。女性や子どもたちはいつでも隅に追いやられる、そんな時代であった。それでもアンナは嬉々として足を速め、大広間の隅に向かう。
メルはさまざまな年齢の女性たちの輪の中心で、床にぺたんと座り込み、薄赤色の長い髪を床に垂らして、周りを取り囲んだ女性たちの質問攻めを受けて、順番に答えていた。
メガネをかけた童顔であるメルは、どんな質問に対しても常に笑顔で、きちんと質問者の方を見て応える。そんな中、ある幼い少女が質問をぶつけてきた。
「ねえ、お姉ちゃん! 魔術って、みんなが使えるの?」
「うーん……。誰でも使える、というわけではないですわね。生まれつき、素質がある人だけ……。そんな人を『魔術能力者』というんですのよ」
知らない言葉を返されて、質問者の少女が思わず首をかしげる。その仕草が愛らしい。
「すきえん……? うーん、よくわかんないけど、そうなんだ。つまんない……」
「ふふ。でも、魔術なんて、使えない方がずっと幸せですのよ」
「どうして? 人の役に立てたり、便利な生活ができたりするんじゃないの?」
無邪気な少女の反応に目を細め、ふっと微笑んだメルは、少女の頭を優しく撫でてやりながら、過度に魔術を恐れる大人たちの方にも顔を向けた。そして、自分の胸に手を当て、なおも回答を続ける。
「魔術師にもいろいろな人がいましたが、誰もが自分の能力を持てあまし、苦しんできました。でもその中には高いこころざしを掲げて、魔術の力で何かを成し遂げようとする人がいました。有名な『黒衣の魔女』や『煉獄の王』は、そのやり方は違えど、魔術で世界のありようを変えようとした人物だったのだと、わたくしは考えています」
大広間の奥でメルを取り囲んだ女性たちは、彼女の一挙手一投足に注目しながら顔を見合わせたり、何度もうなずいたりして聞いている。
これまで何度も、魔術の正当性を説いてきたのだろう。メルの話は筋が通っていて、聞く者を引き込む力があるらしい。アンナもいつしか少し離れた場所から、その声に聞き入っていた。
「…………」
だがその中で、難しそうな顔つきを隠そうともせず、紫水晶のような色をしたメルの瞳をじっと見つめてくる老婆がいる。睨みつけてくる、と言ってもいい。
その視線に気づいたメルは、にっこりと笑みを浮かべ、その老婆にも優しく語りかけた。
「どうしました、おばあさん? わたくしの顔に、何かついていますでしょうか?」
疑い深い視線を向けたのに、笑顔で返された老婆は一瞬戸惑いを見せたものの、難しそうな顔つきは変えず、低い声でメルへの質問をぶつけてきた。
それは魔術についてではなく、メルが自称する「魔術研究家」という職業に向けられたものだった。
「……十五年前、『黒衣の魔女』の一件があってから、この辺の国は帝国のごり押しで、魔術研究家としてのあるべき姿を取り決めたと聞いておるが」
「あるべき姿……。つまり、魔術研究者になろうとする者は『魔術能力者』であってはならない、という取り決めのこと……ですわね?」
その質問を受けたメルの表情は変わらないが、紫水晶のように深みのある瞳の色が、一瞬輝いた。不安げな周囲の目をよそに、老婆はさらに畳みかける。
「そ、そうじゃ。おぬしが第二の『黒衣の魔女』ではないという保証を、見せてもらわなくてはのう」
かつて世界を魔導戦争の危機に陥れたという「煉獄の王」という魔術師も、十五年前に帝国を壊滅寸前に追い込んだ「黒衣の魔女」も、ともに魔術の素質を有しながら魔術の研究を行っていた。そのことから、魔術研究の活動にも規制の目が向けられたのである。
魔術研究家が自由に魔法を操るという事実は、「新たな魔術」という危険因子を生み出す可能性を常にはらんでいる。それだけに、魔術研究家の存在は世界の軍事バランスを崩しかねない。ゆえに魔術を研究する者は、魔術の行使者であってはならないのである。
特に大きな被害をこうむった帝国が、この件について熱心に各国への働きかけを行ったことで、数年前、「魔術能力者である者は、魔術研究を行うことを禁止する」という制度ができたのである。
「もし、わしらの中に、魔術が使える研究家がまぎれ込んでいたなどということになったら、第十七区などまっ先に狙われて、つぶされるわい。さあ、見せてもらおうかいの!」
萎縮した表情で見つめる女性たちの中で、ひとり力説する老婆。その行為は魔術を危険視してきた帝国に対する、恐怖心の裏返しなのかもしれない。
それを黙って聞いていたメルは、メガネの向こうでふっと瞳を細めると、自分の両手を、座った老婆の目の高さにまでさし上げた。白く細い腕が二本、老婆の目の前に並ぶ。
「あの腕輪、『能力者登録証』は……装着されていません」
「むう、確かに……。それじゃ、おぬしは……」
メルの両腕を見た老婆は何度もうなずき、ホッとした顔で納得した。その背景には、能力者隔離制度という制度が関係している。
この国では赤ちゃんが生まれたことを届け出る際、もれなく「魔石」による検査が行われる。
魔石とは、体内に「魔力」を有する者が触れると緑色に発光する石のことで、新生児に近づけるだけで即座に判別できる。そこでもし魔力を有する「魔術能力者」が見つかった場合、強制的に親元から隔離されるのである。
一度隔離されても、大人になれば解放されるのだが、その後も「能力者登録証」と呼ばれる緑の魔石がついた腕輪が装着され、生涯にわたって行動を監視される。
それはまさに、魔術師をこれ以上野放しにさせないための、人権すら無視する苦肉の策であった。
腕輪がない以上、制度上「魔術能力者」ではないことになる。わかってもらえたことでにっこりと微笑んだメルは、さらに、ひと言付け加えた。
「ええ。わたくしは魔術研究家です。でも『魔術能力者』ではないので、魔法を使うことができません。これで、ご安心いただけました?」




