5-5 街に潜入した「参謀」
五 街に潜入した「参謀」
――ビュッ、ビュッ。
かすかな月明かりの青と、夜空の色すら変えてしまうほど禍々しく映える、業火の赤。
街灯の明かりもなく、自然光と破壊の光が明滅するだけの大通りに、剣を振る音が響く。
「……こうか、いや、そう来たらこう振るべきッスか」
少し大きめの声でそう呟き、一心不乱に長剣を振るのは、きらびやかな鎧とかぶとに身を包んだ副隊長のキュリロスであった。
「ふう……。さすがに、この剣はきついッスね」
完全武装で重い剣を振るのは、思った以上に体力を消耗する。戦いを目前とした今、体力は温存するべきところなのだが、キュリロスはなおも戦闘態勢の確認を続ける。
キュリロスの実家は騎士階級であり、貴族の配下となって農村ひとつを管理する程度の小領主でしかない。そんな彼だが、身につけている鎧は王族のものと見まごうほど豪華で、分厚い装甲を誇る年代物。
さらに彼が振る長剣は、かつて名のある騎士が儀礼用にあつらえたものだといい、刃こぼれひとつなく手入れされている。儀礼用だが切れ味は無双だと、当時の記録にも登場するほどの逸品だ。
剣身が空を切る「シャリン」という金属音が、月明かりの大通りにこだまする。
「おいおい、キュリロス。お前、その剣を持ってきてたのか?」
資材の山への放尿を終えたニケフォルスが、そう言いながらニヤニヤ顔でやってくる。キュリロスがこの剣を特に大事にしているのを、日ごろから知っている上での発言である。
主君の前で剣を収めなければならないのは、騎士としての礼儀。普段はチャラいキュリロスだが、ここは作法に従って剣を収め、ニケフォルスに一礼した。
「はあ。ちょっと、思うところがあったもんスから」
「ほう? 剣身に蚊が止まるのも嫌がっていたくらいなのによ。いったいどういう風の吹き回しだ?」
からかい半分に混ぜかえそうとするニケフォルスだが、意外なことにキュリロスは微笑すらしない。真剣な面持ちで柄頭を握り、鞘に収まった剣身に視線を落としながら返答した。
「虫の知らせっていうんスかね……。今回のいくさは、タダじゃすまないような気がするんス。何だか今までとは勝手が違うんじゃないかとか、嫌な予感がするというか……」
もともと臆病な性格のせいか、普段からどうにかして戦闘行為を避けようとするキュリロスなのだが、今回ばかりは避けられないと感じたのか、真剣に構えを確認し、真面目に戦いと向き合っている。
「だから、構えの再確認ッス! 隊長は俺がお守りするッスから!」
「てめぇにしちゃあ、殊勝な心がけだが……ありがとうよ。でも、あまり無理すんな。普段どおりやりゃあいい。てめぇはどういうわけか、冷静になればものすごく強いんだからよ」
そう声をかけたニケフォルスだったが、今まで経験したことがないような何かが起ころうとしていることは、キュリロスだけでなく「ヒューリアック解放戦線」構成員の誰もが、何となく感じているのかもしれない。
それは、敵も味方も同じなのだろう。ニケフォルスは先ほど資材置き場で耳にした、第十七区から来たと思われる密偵の声を思い出していた。
(敵に女がいるっていうのもそうだが……この街区の強さは、それだけじゃないな。このオレを、久しぶりに楽しませてくれるのかもな)
ピリピリした緊張感に満ちた集団の中でただひとり、この先の戦いを楽しみにしている自分。いつものことながら、そんな自分に吐き気がする。
だがニケフォルスの冷静な心は、必要以上に果敢な自分の側面を客観的に眺めながらも、たまにはこういう夜も悪くはないなと思い始めているのだった。
「――隊長、キュリロス。ここにいましたか」
ちょうどそのとき、獰猛な笑みを浮かべようとしていたニケフォルスの背後から、ソテリオスの鬱陶しい声がした。
その声にニケフォルスらが振り向くと、そこに立っていたのは、顔に微笑をたたえ、幼女のぬいぐるみを胸に抱えたソテリオスだった。そしてその斜め後ろには、先ほどソテリオスに「サンド」と呼ばれていた、みすぼらしい男がうつむき加減で控えている。
二人が醸し出す異様な雰囲気に、思わず顔をしかめたニケフォルスだったが、つとめて冷静に答えた。
「……なんだ? お前らは先発するんじゃなかったのか? それなのにこんなところで、油を売っていていいのか?」
皮肉げにニヤニヤしつつ、そう答えたニケフォルスだったが、それを受けたソテリオスは笑わないどころか、どういうわけか困惑の表情に変わった。
「実は、人を探しているのです。このくらいの背丈の、色白の青年を見かけませんでしたか?」
そう言いながら、右手と身振りで探し相手の背丈を示そうとするソテリオス。意外な申し出に、ニケフォルスとキュリロスは思わず顔を見合わせた。
ここに集まっているほとんどの傭兵は、ヒューリアック大陸の出身である。そのため色白な者が多い。見回せば誰もが色白である。雲をつかむような話に、ニケフォルスはつい眉をしかめた。
「おいおい、もっと詳しく教えてくれないか。どんな服装だとか、どんな顔つきだとか……」
あまりの情報の少なさに閉口したニケフォルスは、さらに詳しく青年の特徴を聞き出そうとしたが、ソテリオスは残念そうな顔で首を横に振った。
「自称イケメンですので、顔はそれなりにいいと思うのですが……。服装はわかりません。何しろ一週間以上も前から、この街に潜入させていましたので」
「――潜入させていたって、どういうことッスか?」
ソテリオスの口から飛び出した、意外な事実。それを聞いて素早く反問したのはキュリロスであった。
その反問を受け、口を滑らせたことにハッと気づいたソテリオスだったが、時すでに遅し。ため息をひとつ漏らすと、観念したような顔でニケフォルスとキュリロスの方に向き直った。
「仕方ありませんね……。では、すべてお話ししましょう。僕はある筋の有力な情報により、帝国軍はおろか帝国そのものを脅かす可能性を秘めたある人物が、この第十七区に隠れていることを突き止めまして」
「ある筋の情報か……。怪しすぎるフレーズだな」
「ある人物ッスか。ここまで話しておいて、もったいぶるッスねぇ……」
すべて話すと言いながらも肝心なところは明かさないという、奥歯に物が挟まったかのような話し方に、ニケフォルスもキュリロスも揃って苦い顔をした。
だがソテリオスの方も、いずれ話すつもりで謎めいた筋書きを考えていたのだろう。妙にペラペラと饒舌になったかと思った次の瞬間には、顔を近づけてひそひそ話を始めた。
「実を言うと、僕はある高名な人物から密命を受けていまして。ここで首尾よく目標を確保したあかつきには、褒美も思いのまま……という内意を、軍司令官閣下からも頂戴しています」
「…………」
どこからどこまでが本当なのか、さっぱり見当がつかない。そんなソテリオスの長広舌を、神妙な表情の振りをして受け流しながら、ニケフォルスは軍司令官と副将に呼び出された日のことを思い浮かべていた。
ちょうど一週間前の昼下がり。ニケフォルスはひとり、リーヴェンスを間近に臨む平原に設営された、軍司令部の大きな幕舎で、司令官との対面に臨んでいた。
『久しいな、傭兵王ニケフォルスよ。貴様と組むのは、もう何度目になるか……』
七~八年ぶりに相まみえた、帝国軍司令官セルヴェラス・インクヴィドゥス少将――。
頭髪に白いものが目立ち、しわも深くなったセルヴェラスの顔。それは顔のしわという形で刻み込まれた、途方もない苦節の跡の象徴であった。
だがセルヴェラスは威厳を保ちながらも、旧知の間柄であるニケフォルスの顔を見るやいなや周囲の目を気にすることなく席を立ち、不器用な笑顔を浮かべて手を握ってきたのだった。
一瞬、そんなセルヴェラスの行動に面食らったニケフォルスだったが、ため息をひとつ漏らすと、笑顔のひとつも作ることなく、真顔で司令官の顔を見返した。
『オレを呼んだのは、再会を喜び合うためじゃないんだろう? さっさと本題に行かないか?』
傲岸不遜なニケフォルスの態度に、幕舎の中に居並んだ副官たちがいっせいに色めき立ったが、セルヴェラスが周囲を睨み回した途端、剣に手をかけようとしていた彼らが一瞬で動きを止め、すぐさま元の姿勢に戻った。
蛇のひと睨みで副官どもを凍りつかせたセルヴェラスは、ニケフォルスの手を離すと事もなげに席へと戻り、かたわらに控えていた副将の顔を見ると、くいっと顎で指図する。
副将はすでに手はずを了解済みだったらしく、無言でその意を受けるとすぐに後ろを向き、副官に対し「連れてこい」とひと言命ずるのみ。
『貴様を呼んだのは、派遣人員を部隊に受け入れさせよという、わが参謀からの依頼があったからだ』
『参謀からの依頼……?』
帝国軍の参謀は中央の軍部から派遣されており、作戦の面で司令官に直接意見をすることができる。いわば、軍部からのお目付役である。
作戦に直接容喙することができるだけあり、非常に位が高い。階級的には副将以上である。ニケフォルスも何度かそういった人物は目にしたが、どれも神経質な切れ者ばかりで、その多くは自尊心の塊のような男だった。
だが、居並んだ面々からはそんな気配を感じない。ニケフォルスはさらに周囲を見回してみたが、この幕舎の中には、高貴な感じの人物も見あたらなかった。
きょろきょろと見回すニケフォルスの心理を察したのか、セルヴェラスは重々しい声で言う。
『あ奴は今、ここにはおらぬ。昨日の夜にリーヴェンスへ潜入したまま、まだ戻っておらぬのだ』
その言葉を聞いたニケフォルスは、皮肉そうな表情で失笑すると、憮然としたセルヴェラスの顔を見返した。
『潜入って……。そりゃあ、帝都から派遣された参謀がすることなのかい?』
『わしも認めたくはないのだが……。軍部から遣わされた参謀には、わしの指揮権が及ばぬのだ』
憮然とした表情を崩さないセルヴェラスの声には、わずかな苛立ちすら感じられる。軍隊に所属したことのないニケフォルスには知り得ないさまざまな暗部が、帝国軍には存在するのかもしれない。
さすがのニケフォルスも、目的も正体もわからない派遣兵を部隊の中に受け入れるなど、長い傭兵経験の中で一度もない。できれば御免こうむりたいところだが、命令とあれば従うしかない。
あまりのきな臭さに、ニケフォルスがやれやれと首を振ったとき。数名の男が整然と幕舎に現れ、引率してきた副官の申告が高らかに響いた。
『参謀殿のご命令で特殊任務に服する五名を、ただ今お連れいたしました!』
その申告に続いて幕舎の入り口に整列し、片膝をついたのは、五人の男たち。
比較的元気に歩く二人は、帝国軍の正式な鎧に身を包んだ、一般の兵士である。
だが残りの三名は、鎧どころかボロボロになった麻の服に身を包み、首を細い鎖で繋がれてよろよろと歩いている。その姿は牢獄から引き出された囚人か、売られたばかりの奴隷そのものだった。
『……こいつらは?』
いぶかしげな目で五人の男を眺めたニケフォルスは、そう言うとすかさず、腕組みをして幕舎の入り口を睨みつけているセルヴェラスの顔に目を移した。
それを見た副将が詳細を伝達しようとしたが、セルヴェラスは右手を挙げてそれを制止すると、再び腕組みに戻り、みずから重々しく口を開いた。
『特殊な任務に就くそうだが、わしも詳細は知らぬ。貴様の幕僚に、ソテリオスなる男はおるか?』
軍司令官みずからが命令事項を伝達するなど、異例中の異例である。だが、居並んだ副官どもはあっけにとられ、顔を見合わせるばかりで、その行動を止めることもできないでいる。
異様な雰囲気に包まれた幕舎の中。何らかの不測の事態が起こるかもしれない。警戒しながらも、ニケフォルスは素直にうなずいた。
『……ああ、うちの軍師だ。ちょっとキモい奴だがな』
『その男の指揮下に参ぜしめるようにとの、参謀からの依頼である』
厳しい顔つきでそう告げたセルヴェラスは、面白くなさそうに鼻をうごめかした。さらなる奇怪さに、ニケフォルスは眉間にしわを寄せた。
『ほう? オレじゃなくソテリオスの指揮下に入れとは……。あいつに何をやらせようとしてるんだ?』
『委細は知らぬ。直接この兵どもに尋ねるがよい』
やはり、セルヴェラスも詳細は知らないらしい。そのことに納得がいかないのか、伝えたいことは伝え終わったのだとばかりに席を立ったセルヴェラスは、不機嫌そうな顔で、それきり大股で幕舎を出て行ってしまった。
『ああっ、か、閣下ッ! お、お待ちを!』
軍司令官の急な行動について行けず、事の推移に泡を食った副将が、慌ててその後を追う。
軍司令官と副将が立ち去ったのをきっかけとして、急速に座が白けていく、軍司令部の幕舎。
その後、陪席していた副官たちも逃げるように幕舎から抜けていき、やがて最後に残ったのは、唖然とするばかりのニケフォルスと、入り口で片膝立ちを続けている五人の男たちだけとなった。
――あれからもう、一週間が経過した。
帝国軍は三年前からの宿願を果たし、計画通りにリーヴェンスの街を制圧しつつある。
だが、彼ら「ヒューリアック解放戦線」にとっては、これからが本番である。ニケフォルスはあの日のことを思い出しながら、赤黒く染まる夜空を見上げた。
「……というわけでして。これでもう、帝国軍の作戦成功は、疑いのないところなのです」
そのときようやく、ソテリオスの長々とした話が終わったらしい。ニケフォルスはほとんど聞いていなかったが、ずっと聞かされていたキュリロスの辟易した顔を見る限り、またいつものような、妄想と自慢の話ばかりに終始したようだ。
「…………」
あの日に初めて引き合わされた五人の中に、いまソテリオスの後ろで控えている「サンド」という男もいた。ニケフォルスは彼に視線を注ぐ。
五人の中では明らかに最年長であった彼は、囚人のような姿をした三人の中では一番くたびれ果てた印象だった。そういえば三人の中で、名前を知っているのは彼だけである。
どうしてそんな姿をしているのか。これまでどんな場所で過ごしてきたのだろうか。謎が謎を呼ぶ。
「おい、お前……。少しいいか……」
ふと「サンド」という男に好奇心を感じさせられたニケフォルスは、ソテリオスの陰に隠れた彼に話しかけようと、一歩を踏み出して身をかがめようとした。
ちょうど、その時だった。
彼らのところへいきなり、見知らぬ人物が割り込んできたのである。
「はあ、はあ……。ど、どいて、くれ……」
ここまで懸命に走ってきたのだろう。その人物はニケフォルスたちの前で一度膝に手を当て、喘ぎながら少し息を整えると、よろめきながらも進み出て、ソテリオスの前にひざまずいた。
「はあ、はあっ……。そ、ソテリオス様……。ただいま、戻りまし、た……」
そう言って片膝をつき、帰還の申告をした後も、苦しそうに肩を上下させて息をしている。暗くてよくわからないものの、服は汚れているがその肌は色白で、若く顔もそこそこいい。
先ほど、ソテリオスがわざわざ探しに来た青年に間違いない。ニケフォルスは直感した。
「ああっ、フィロス……。よくぞ戻ってくれた! 君の情報がなくては、始まらないからね!」
ソテリオスは待ちわびていたように青年の名を呼ぶと、すぐさま膝を折り、苦しそうに息をする彼を助け起こそうと手を差し伸べた。
だがその瞬間――。
みるみる眉間にしわを寄せたソテリオスが、耐えきれずに身をのけ反らせた。
「フィロス……! 臭い! 臭いぞ君は! 一体どうして……!」
あまりの悪臭に鼻を曲げたのだろう。ソテリオスは自分の鼻をつまみながらヒステリックに叫ぶ。
ニケフォルスもフィロスと呼ばれた青年に近づき、匂いを嗅いでみたが、確かにひどい悪臭である。それは明らかに、人間の排泄物の匂いだった。
「も、申し訳ありません……。敵の姑息な落とし穴にはまりまして……。向こうの水場で洗い流し、急ぎここまで駆けつけたのであります!」
慌てて現状を弁明するフィロス。腕には包帯が巻かれ、古い傷は手当てされているようだが、新たな擦過傷がいくつもできている。ここまで来る途中、第十七区の何者かがこしらえた落とし穴に落ち込んだというのは確からしい。
その落とし穴には、ご丁寧に住民たちの排泄物が満たしてあったのだろう。帝国軍への強い憎しみが感じられるではないか。
だが、それはすなわち、落とし穴という巧妙な罠を仕掛けることができる人物が、敵の側にいる事実を示唆することでもある。ニケフォルスは顎に手を当て、深く考え込んだ。
(落とし穴、か……。オレとしたことが、面白い体験ができそうだなんて思っちまったが……。認識を改めなきゃいけないかもな、こりゃ)
フィロスから漂ってくる悪臭に耐えながら、ニケフォルスは先ほど耳にした女の声を、もう一度頭の中で反芻し直していた。




