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城壁都市リーヴェンス攻防記 ~新編・破壊の天使~  作者: 南風禽種
第5話 制圧目標「第十七区」
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5-3 敵の密偵を追跡せよ!

三 敵の密偵を追跡せよ!


「……しっ。静かにしろキリエ。誰か来る」


 何者かの気配を感じ、とっさに指示を出したのは、狩人であるキリエではない。驚いたことに、しがない街のパン職人でしかない、キリエの父親の方だった。


 パンの積み込みはすでに終わっていたが、荷車などはまだ残されている。もしこの物音が、偵察中の帝国兵に気づかれでもしたらまずい。この場に駆けつけられでもしたら、敵対行為だとしてまっ先に殲滅されかねない。

 夜も更けたこんな時間に、避難民が外出するとも思えないが、とりあえず隠れるのが無難であろう。


「仕方ない、親父、いったん隠れるぞ!」


 顔を見合わせた親子は、すぐにその場を離れ、それぞれ裏路地に積み上がった木箱の陰に身を隠した。


 月明かりが翳り、暗闇となった物陰へ、それぞれ身を潜めた二人。じっと待つこと数十秒。

 やがて、裏木戸を押し開けて現れたひとりの若者が、周囲をうかがいながら静かに戸を閉めた。


(あいつは……。昨日ようやく酒場にたどり着いたっていう、自称イケメン商人じゃねえか)


 物陰から若者の顔を見たキリエには、その特徴的な容貌に見覚えがあった。

 帝国に包囲される前に街から脱出しそこない、迷いに迷ったあげく、昨日ようやく酒場に収容されたと話していた、若い商人だ。


 ほのかな月明かりでも浮かび上がる、白皙の顔つき。翳りを含んだその容貌は、確かに色男だ。

 だが、これまでに数多くの旅人や商人を見てきたキリエは、別の点に着目していた。


(……あいつ、ヒューリアック人だな。色白だし、顔が小さい)


 南方の大陸ヒューリアックに居住する人々は、帝国や公国に住む人々とは違う民族なのだという。両民族は言葉こそ似通っているものの、冷たい砂漠地帯である南の大陸と、温暖で草原が大部分を占めるリーナス島とでは、外見そのものも大きく異なっていた。

 そんなヒューリアック人の商人だが、どういうわけか着ている服がところどころ焼け焦げ、穴が空いている。さらに軽いヤケドも負っているらしく、治療を受けたのか腕に包帯が巻かれている。


(――それにしても、あいつ、どこへ行こうとしてるんだ? 便所か?)


 注意深く周囲をうかがっているので、裏路地へ用でも足しに来たのかとキリエは思ったが、よく考えれば酒場の建物にはこの街区で唯一、便所が設置されている。わざわざ裏口から忍び出る必要はないはずだ。

 若い商人は、尖端が焼け焦げた、細い紙切れのようなものを大事そうに持っているが、当時の紙は貴重品であり、用を足す際に使用するものでは決してなかった。


「……誰もいないな。よし」


 しばらく周囲をうかがっていた若い商人だったが、キリエが見つめるうちに小声でそう呟くと、慎重そうな足取りで、そろりと裏路地の路面に降り立った。

 幸か不幸か、キリエたちがすぐそばの物陰に隠れていることに、若い商人はまったく気づかない。焼け焦げた紙切れを落とさないよう、ゆっくりと忍び足を維持しながら、大通りの方へと歩を進めていく。


(大通りへ行くのか。帝国人でもないのに、帝国の密偵なのか……?)


 木箱の陰に隠れながら、若い商人の一挙手一投足を観察するキリエ。その眼光はさながら、原野に潜み獲物を監視する狩人そのもの。

 そうとは知らない若い商人は、どろどろにぬかるんだ路地を慎重に進んでいく。キリエとその父親が隠れている木箱の前も、気づくことなく通り過ぎていった。


「よし、あとを追うか。親父は……動かないか」


 物音を立てないように静かに立ち上がったキリエは、近くの木箱に隠れたまま動かない父親をその場に残して、足取りも慎重に、若い商人のあとをつけ始めた。

 キリエの足に馴染み、歩きやすく加工された革製の靴は、布を細く切った巻き脚絆でしっかりと足首に固定され、靴音をいっさい立てない。草原で足音を消すための、狩人としての基本装備である。


 城壁が間近に迫る区域に入ると月明かりが遮断されるため、鼻をつままれても気づかないほどの暗闇となる。だが何度もつまずきそうになりながら、彼は迷わず一直線に、大通りに向け慎重に歩を進めていく。

 真っ暗な路地は足元が見えず、ぬかるんでいて滑りやすい。それでも進んでいけるのは、念入りに下見をしたからなのかもしれない。


(こいつ、どこへ行こうとしているんだ……? 大通りに、こいつの仲間がいるのか……?)


 キリエは障害物と障害物の間を瞬間的に移動し、見失わないように尾行を続ける。

 若い商人の後ろ姿を物陰から見つめながら、キリエはこの先の展開を頭の中で思い描いていた。


 密偵は単独行動であることが多い。商売がたきの動向を探るために密偵を放つ商人は、この街にもかなりいる。活動が露呈し、大通りの端で袋叩きに遭う密偵もいるが、たいてい一人である。

 そしてたいてい、多くの密偵は一般人として普通に街で暮らしている。得た情報は、定期的にやってくる中継役の仲間が、報酬と引き換えに回収するのが常であった。


(ということは……。この先に中継役がいやがるわけか)


 今はもう、商業スパイが暗躍できる状況ではない。密偵といえば帝国が放ったものに違いない。


 もっとも可能性が大きいと考えられるのは、この先の大通りに帝国軍の斥候部隊が待機し、情報もろとも密偵を回収するパターンである。隠密行動である以上、中継役の斥候も少人数だろう。数名規模であると考えるのが妥当だ。


(――へっ。相手が五、六人くらいなら、アタシが逆にとっ捕まえて、帝国軍がどこまで来ているのか聞き出してやる!)


 この後の痛快な展開を想像し、全身をぞくぞくさせ、獣のように舌なめずりをするキリエ。

 守備隊として城壁の上で数多くの帝国兵と戦い、あの凄惨な激闘の中を、大きな負傷もせずに生き残ってきたのである。キリエはおのれの戦闘能力に、絶対の自信を持っていた。


 もう少し行くと、中央街区へと通じる大通りに出る。若い商人の足が速まった。

 その大通りは石畳で舗装され、街路樹が植えられた立派な街路である。馬も大通りまでは、降りずに乗り入れることができた。


(さあ、大通りで待っているのは、何人だッ――?)


 若い商人に気づかれることなく、ついに大通りの近くまで尾行してきたキリエ。もうあと少し行けば、月明かりに照らされた石畳の大通りである。再び、若い商人の姿に目をこらそうとしたとき――。


「……ほぉう? お前の意中の相手というのは、あの青年だったのか?」


 そこへいきなり現れたのは、大通りの動向を注視するキリエの耳元に、そっとささやく声。

 突然のことに全身の毛を逆立てたキリエは、その場からあっという間に後ずさった。


「お、お、親父ッ? い、いつの間にッ――?」


「しっ。大声を出すなキリエ。愛しの君に気づかれてもいいのか?」


 いつの間にかそっと近づき、背後からキリエの耳元でささやいたのは、酒場の裏口前で隠れていたはずの父親であった。

 父親はすかさずキリエの口を片手でふさぎ、驚きのあまり上げそうになったキリエの大声を、すんでのところで防ぐことに成功した。


「…………?」


 大声は防いだものの、物音までは防げなかったらしい。何者かの気配を感じた若い商人は、大通りに出る寸前で立ち止まり、きょろきょろと周囲をうかがっている。


 それでもこちらの存在には、最後まで気がつかなかった。二人が身を寄せ合い、近くに積み上げてある水瓶や木箱などの陰に、しっかりと身を隠していたからだった。

 帝国軍の占領地域に近づき、略奪にともなう怒号や悲鳴、建物が燃える音などが届くようになったからかもしれない。


 危険がないことを確認した若い商人が、注意深く周囲を見回しながら、大通りの方へと向かう。


「……ふう。気づかれなかったようだな。いいのか悪いのか、よくわからんが」


「む、むぐぐ……?」


 父親は身を小さくし、キリエの後ろにぴったりとくっついて口をふさいでいる。まるで人質を盾にして相手を脅迫する誘拐犯のようでもある。彼は巨体とは思えないほど器用に身をよじり、キリエの陰に身を隠しているのだった。


 いきなり口元をふさがれ、発声を禁じられていたキリエだったが、じたばたと暴れ、ようやく父親の手を振り払った。


「――な、何やってんだよ親父ッ! 何でついてくるんだよ!」


 木箱の陰に隠れたまま、小声で父親を怒鳴りつけるキリエ。

 小声で器用に叱責するのは、若い商人がまだ近くにいることに配慮したからである。


 ところが父親の方は、そんなキリエの焦燥などどこ吹く風といった顔。


「いや、なんだ。お前が近ごろ急に色気づきやがったし、俺はようやくお前が、あのイケメン商人を結婚相手に決めたんじゃないかと思ったのさ」


「なっ……!」


 それを聞いたキリエは、ギクリとして顔をこわばらせた。それと同時に、頬が真っ赤になる。

 娘の反応を見た父親は図星だと思ったのか、さらに重ねて、キリエの行動の核心に迫っていく。


「帝国に囲まれた頃くらいからだな。お前毎朝、鏡の前でせっせと髪型を整えたり、赤いリボンを巻いたりし出しただろう? どんな男が相手なのか、俺も気になっていたんだ」


 娘の行動を逐一のぞき見するという、親としてあるまじき行為をペラペラと告白する父親に対し、キリエは開いた口がふさがらない。

 しまいには、ひとりで結論を下し、勝手に納得しニンマリしてしまう父親。


「俺はまあ、あの商人が相手なら納得だな。真面目そうだし、イケメンだし……」


 唖然としているうちに、あれよあれよと話が進んでいく状況。さすがのキリエも焦りだし、慌てて父親の思い込みを否定した。


「……ち、違う! 勝手に納得すんな! 誰があんな、正体不明のヤサ男に惚れるかっての! アタシはそんなに安くない!」


 その否定が単なる照れなどではなく、あまりにも真剣な全否定だったためか、一度は納得しかけていた父親も、もう一度考え直す気になったらしい。再び顔つきが真面目になった。


「うむ、そうなのか? それじゃ、本当の相手はいったい誰なんだ? キリエ」


 しかし、娘が誰かに惚れたのだという考え方だけはいっさい譲らない父親。追いつめられたキリエは顔を真っ赤にしながらも、必死に論点をずらそうとする。


「そんなの、だ、誰でもいいだろうが! ていうか、乙女の秘密をのぞき見するんじゃねえよ! バカ親父!」


「バカ親父とはなんだ。男手ひとつでお前を育てた俺としては、娘の幸せをいつも念じて――」


「余計なお世話だっての! それにこの赤いリボンは、戦場での目印だ!」


 真っ暗になった路地裏で、木箱の陰に隠れたまま親子げんかを始める二人。

 そうしている間にも、若い商人は慎重に周囲を確認し終わると、足早にこの場を去っていく。


「あ、しまった! あのイケメン野郎はどこへ……!」


 キリエがその事実に気がついたのは、背を向けた若い商人が月明かりに照らされながら、大通りへの最後の路地を曲がろうとするときだった。

 ここで見失ってはまずい。中継役の帝国斥候を捕捉しないことには、情報を聞き出すことができない。


「――ちっ! 親父のデリカシーが皆無なせいで!」


 盛大に舌打ちしたキリエは、そんな捨てゼリフを残し、次の障害物へと身を躍らせようとした。

 だがそのとき、後ろにいた父親が急に手を伸ばし、力強くキリエの肩を掴んで、その動きを制止させた。


「ちょっと待てキリエ。お前は本気で、あの帝国と戦おうというのか……?」


「…………ッ!」


 いつになく深刻な声で、そう問いかけてくる父親。それを聞いたキリエは思わず身体を緊張させ、制止に応じてその場にとどまった。

 そうしているうちに裏路地の角を曲がり、大通りの方へと姿を消す若い商人。仄かな月明かりに照らされたその後ろ姿は、まるで舞台の袖へと退場していく俳優のようにも見えた。


 若い商人が曲がった角を進むと、大通りはもう目と鼻の先である。大通りには、帝国軍の司令部から派遣されてきた中継役の斥候部隊がいるはずだ。

 つまり、その角を曲がった先が、帝国軍と自分とが本格的に刃を交える場所となる。


「……ああ。もう、後戻りはできねえ」


 すでに自分は守備隊の一員として、多くの帝国兵を血祭りに上げてきた。今さら戦いをやめるわけにはいかない。

 キリエは武器を握っていた右手と、すでに見えなくなった若い商人の後ろ姿とを何度も見比べながら、ゆっくりとそう答えた。


「アタシはあの夜、帝国の兵隊から助け出してくれた、ガタイのいい兄さんと約束したんだ」


 キリエは思い出す。母親が帝国兵の凶刃に倒れた日、遅れて駆けつけた一神教の信者たちによって助けられた後、泣きじゃくる自分を包み込むように優しくしてくれた、若く屈強な、名前も知らない青年との約束を――。


「アタシは強くなる。そしていつか大きくなったら、おふくろを殺した帝国に復讐してやるって……な」


 依然として力強くキリエの肩を掴みながら、黙ってそれを聞いていた父親だったが、聞き終わるや否や右手の力を緩め、ついでポンとキリエの左肩を優しく叩いた。

 その仕草は、未来へと歩もうとする娘の門出に際し、「行ってこい」と背中を押す行為のようでもあった。


「そうか、わかった……。だが、死ぬんじゃねえぞ」


「ああ。親父もな。終わったらアタシも一緒に、どこかの街でパン屋でも始めるか?」


「へっ……。バカ野郎。そういう約束は、将来を誓い合った男とするもんだ」


 互いの顔を見ることもなかったそんなやり取りが、この親子がここで交わした、最後の会話となった。

 制止から解放された瞬間、弦をはなれた矢のように走り去っていくキリエ。頭に巻いていた頬かむりを取った父親は、木箱の陰にひとり残って、その後ろ姿を見送った。


「……さて。俺も、自分の仕事を片付けねえとな」


 暗闇の中で立ち上がり、ぐっと背伸びをしてから腰を叩いたキリエの父親は、かたわらに置いていたパンの梱包を再び持ち上げ、肩の上に乗せた。


「あいつら、腹を減らしているかな……? さあ、急ぐか」


 父親が億劫そうにそう呟いた次の瞬間、もうそこにいた人間の姿は、きれいに消え失せていた。

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