4-3 古代の負の遺産「魔導」
三 古代の負の遺産「魔導」
突如として現れた人影は、ギシギシと屋根材を踏んでキリエの背後までやってくると、その場で立ち止まり、さらに話を続けた。
「姐さん、五百年前に起こったっていう『魔導戦争』を、覚えてますやろか……?」
キリエの背後に立った男は、旧知の間柄ででもあるかのような馴れ馴れしい口調で、そう尋ねてくる。
突然背後から現れた割には、その口調に敵意というものがまるで感じられない。飄然とした若い男の声は、いかにも気安そうな声色で、キリエの耳に優しげに届いてきた。
キリエもまたその場から一歩も動くことなく、唐突な問いかけに対し、淡々と答えた。
「――日曜学校で、何度も聞いた。そん時の先生だった助祭がやけに『魔導戦争』の話ばかりするんで、助祭は『魔導先生』なんていうあだ名で呼ばれてた」
「魔導先生……。ぷっ、ぷははは! あははは!」
背後の男はキリエの昔話を耳にした途端、おかしさに耐えきれず噴き出した。さらにツボにはまったらしく、そのまま数秒間笑い続けた。
「その共和国訛り……。お前、師匠のところに住み込んでたシモンだろう? この街に帰ってきてたんなら、知らせくらいよこせよな」
キリエが動じなかったのは、すでに気配を読み取り、背後に現れた男が何者なのか、おおよその見当がついていたからだった。そしてその推定はどうやら、当たりだったらしい。
シモンと呼ばれたその男は苦言を聞くなり、キリエの背後で大仰に両手を挙げてみせた。
「久しぶりやなあ、姐さん……。二年ぶりッスわ。この街には先週からおったんやが、顔も見せんで、ほんまにすんまへん」
素直に詫びを入れるシモン。頭を下げた拍子に何かの装具が落ちたのか、チャリッと音を立てたので、キリエはそれを拍子に後ろを振り向いた。
そのときキリエの目に飛び込んできたのは、二年前と変わらぬ顔つきながらも、顔、腕などあらゆる場所に生傷をこしらえ、あてどない旅の末に薄汚れ、げっそりと痩せ細った若者の姿だった。
「お前……本当にシモンなのか? 旅に出るって言い残してこの街を出てから、一度もツラを見せなかったが……。二年間も、どこをほっつき歩いてやがった?」
変わり果てた姿を見とがめるかのようなキリエの表情を見た途端、シモンはオールバックにした長い黒髪を振り乱し、慌てて言い訳を始めた。
「そ……それは、あ、あれッスわ。ワイ、南の大陸へ渡ってたんや。連絡せぇへんかったのは、みごと故郷に錦を飾るまでは……ってやつ?」
しどろもどろになりながら、腰に手を当てたキリエの質問に答えるシモン。二年が経過した今でも、姉弟子であるキリエには頭が上がらないらしい。
それを聞いたキリエは憤然と腕を組み、腰を折ると、下からのぞき込むような姿勢で睨みつけた。
「嘘をつくなら、もっとマシな嘘をつけ。お前はガキの頃から、どうでもいい嘘ばかりついて師匠たちを怒らせていたじゃねえか。南の大陸っていうのも、どうも信用できねえ」
「ガキの頃って、そんな昔のこと……。よく覚えてますなぁ」
「忘れるわけねえだろ、バカ。ガキの頃からいつも一緒だっただろ。弓の試合で、アタシと互角の技を師匠の前で披露できたのは、弟子たちの中でもお前だけだったからな」
狩人の親方に入門し、狩りの腕を競い合った同門。そして、貧民街の片隅でともに遊んだ間柄。
子どもの頃からいつも一緒にいた二人。そんなみずみずしい日々が、屋根の上に立つキリエとシモンとの間によみがえってくる。
「でもまあ……へへッ。ワイはともかく、やっぱり姐さんは昔のまんまやな」
「ヘッ。言ってろ。アタシはもうとっくに、オトナの女になってんだよ!」
鼻をこすり、そう言って笑うキリエ。ふたりの表情は、かつて狩人を目指して修行した少女と少年のままであった。
シモンはキリエと同じような、大きな弓を背負ってはいるものの、狩人の姿ではない。軽快に動けるようゆったりと造られた旅人の服を身にまとい、オールバックにした髪をすっぽり覆うような、大きな頭巾をかぶっている。狩人というよりは、むしろ商人の姿に近い。
帝国軍の侵攻前に戻っていた彼も、リーヴェンスのどこかで戦っていたのかもしれない。だが、街じゅうの若者から徴募された守備隊の中で、キリエはその姿を目にすることはなかった。
――ヒュウウゥゥ。
そのとき、リーヴェンスの北に広がる海峡の方から、ひときわ強い風が吹いてきた。海峡を越えてやってくる、強い潮風である。
海峡を渡る風は大陸から吹いてくるもので、普段は磯の香りと海の湿気を含んでいる。だが今夜は磯の香りではなく、燃えさかる街から立ちのぼる煙の匂いをまとっていた。
「――ガキの頃の話は、もういいだろう? お前が言った『人間の形をした兵器』っていうのは、どういう意味なのか……教えてくれ」
潮風に乗って漂ってくる煙の匂いが、その言葉が持つ非情さと現実とを、まざまざと精神に刻み込んでくる。シモンに背を向け、海峡の方を向いたキリエの口調も、厳しさを帯びてきていた。
シモンはうなずくと、キリエが背を向けたのを契機に、彼女の隣まで歩いてきた。「来い」だとか「今から行く」だとかは、狩人であるこの二人の間に、もはや不要であった。
「五百年前の魔導戦争――。ありゃあ、剣とか槍とかで正々堂々と戦うなんてもんじゃありまへんでした。お国に養成された能力者どうしが、互いの意地で殺戮し合っただけの戦争……。覚えてますやろか」
シモンにそう申し向けられたキリエは、顎に手を当てて少し考え、すぐに答えた。
「確か、一年足らずの間に南の大陸がほとんど砂漠になっちまったらしいな。それでしまいには、どっかのトチ狂った奴がヤバい奴を呼び出したせいで、神様が身を挺して討伐しなきゃいけなくなった……てな結末だったような気がする」
「ヤバい奴……。ハハハ、そいつ、なんちゅう名前だったかな。忘れてしもうた」
子どもの頃を思い出したシモンは、屋根の上で軽快に笑った。だがすぐに真顔に戻った。
「五百年前に養成されて、殺し合った能力者ちゅうのは……。過酷な体罰と思想教育で、上への絶対服従を叩き込まれた連中でな。命令に従って相手を殺すことしか考えんようになったそうや。ありゃあまさに『人間の形をした兵器』そのものだったそうや」
「アタシも『魔導先生』からその話を聞いたけど……。まさか、今の帝国も、それを……?」
何も言わず、ただうなずくだけのシモン。恐ろしい現実を思い出したキリエはそれを気配で感じながら、思わず生唾を飲み込んだ。
「そうや。そしてあれは、呪文を詠唱して魔力を放出し、自然現象を引き起こす『魔術』といわれるものや」
「魔術……。あれが……?」
火の気がない空気中から、魔力という不可解な触媒を介して自然現象を引き起こす術。かつて古代人はその術を神に通ずる秘法として扱い、魔術を操る者は、祈祷師として特別な地位を与えられていたという。
だが偉大な古代の遺産も、戦争の道具に成り下がってからは忌み嫌われるようになり、一転して排撃される存在へと堕落してしまった。
「帝国じゃあの連中、『魔導兵器』なんて呼ばれとるそうや。一応、人間なんやけどなあ。帝国にとっちゃあ、兵器の一種でしかないんや」
「ア、アル……アルマ、マギカ? 帝国が作った、人間兵器ってやつなのか?」
「魔導を操る兵器……。つまりあれは、魔術師という名の兵器、なんスわ……姐さん」
慎重に言葉を選びつつ、魔術師という単語を口にしたシモン。当時はこの単語を口にすること自体、精神的に勇気がいることだった。魔術師という存在が、言葉の形ですら表現することが憚られるほど、タブー視されていたからである。
いわば、悪魔の名前を口にすることに等しい。それは精神的な苦痛を伴うことでもあった。
図太いキリエも、その単語を耳にした途端、さすがに眉をひそめざるを得なかった。
「魔術師、だって……? そんなのが、今でもいるのか……?」
シモンに対してだけでなく、自分に言い聞かせるかのように茫然と呟くキリエ。彼女がそうせざるを得ないのは、魔術師というものを見た経験がないからであった。
十五年前に起こった「黒衣の魔女」の反乱以降、帝国の内外で魔術師に対する徹底的な粛清が行われたせいで、魔術師という存在はすっかり根絶やし状態になっている。言うなれば、二十歳であるキリエは「魔術師を見た記憶がない」世代なのであった。
てっきり、おとぎ話の中にしか存在しないと思っていた魔術師が、目の前にいる。あの連中だって、アンナと同じような術を使う、特殊な部隊なのだろうと思いたかった。
だがシモンは、気の毒そうな顔で首を縦に振ることで、キリエの希望的観測をあっさりと否定した。
「残念なことに、魔術師はまだいるんや。いや、魔術師にならないまでも、魔術の素質を持って生まれてくる子どもは、今でも千人に一人の割合でいるそうなんや」
「魔術の素質を持って、生まれてくる子ども、だと……?」
「そうや。リーヴェンスには『子女が出生したる際は母子ともに、二週間以内に市庁舎に出頭せよ。違反したる者は追放に処す』てな法律があるやろ。あれは魔術の素質がないかどうか、赤ちゃんを集めて検査するためなんや」
この街で生まれ育ったキリエは、もちろんその法律を知っている。ただ、どういった経緯で定められた法律であるかまでは、今まで考えたこともなかった。
「検査する……? じゃあ、それで『素質あり』になった子は、どうなっちまうんだ……?」
「…………」
シモンはしばらく口をつぐんだ。検査というからには、「素質あり」とされた者を待っているのは「隔離」と称する、非情な現実であろう。キリエの問いを受けたシモンは、それを口にすることを憚ったのだ。
だが、キリエは問いの答えを得るまで諦めないだろう。じっと見つめてくる視線を感じたシモンは大きな頭巾をかぶり直し、目を伏せながらもあえて、たどたどしく答えた。
「まあ……そうやな。親元から引き離されて、監禁されるんや。研究所なんちゅうもっともらしい名前がついとるがな。ありゃあ、ただの隔離施設や」
「隔離、施設……」
隔離施設という言葉が持つ、重々しい響きに押しつぶされまいと、キリエは噛みしめるかのように口ずさみながら、闇に包まれた路地を迷わず進んでいく「魔導兵器」たちの方に視線を移した。
軍事的な訓練を施され、苦しい演習を重ねてきた彼らは、無感情なほど粛々と走り、詠唱を続け、放火の任務をこなしていく。それはまさに、兵器と呼ぶにふさわしい姿だった。
「それじゃあ、あそこで魔術を使って放火している連中……。もとは帝国で監禁された『素質あり』の子どもたちだったってのか?」
「まあ、そういうこっちゃろうな。監禁した子どもをどないするかは、管理する国の自由なんや」
「…………」
幼い頃に親元から引き離されただけでなく、愛情を何ら受けることなく絶対服従を強いられ、剣や大砲などの兵器と変わらず、使用者の命令にのみ従う「生ける道具」。キリエは強く、唇を噛みしめた。
もはやキリエには、魔術師の存在を疑う余地はなかった。十五年前、魔術師に痛めつけられたはずの帝国が、表向きは魔術を禁忌としながらも、軍事目標のため、みずから禁忌に手を染めたのだ。
「人間なのに……。あいつらは、兵器だってのか」
「……そうや。そして、魔術を使って軍事目標を遂行する特殊な部隊、帝国はそれを『魔導兵器』と呼んどるんや」
「魔術を使って、軍事目的を遂行する……か」
キリエがそう呟きながら、改めて向けた瞳の先には、魔術を行使する隊員に随行し、つかず離れず一緒に疾走するだけの隊員が映った。
魔術師ひとりに対し、ひとりの伴走者がいる。それが何組か集まって部隊を形成しているようだ。それを見たキリエが、シモンに向かってさらに質問した。
「……なあ、くっついているだけの奴は、何をしてるんだ? 護衛役か?」
キリエがそう思うのも無理はない。伴走する隊員はいっさい魔術を使うことがなく、周囲を警戒しながら、一緒に進むだけだったからである。
その質問を受けたシモンは、望見しながら首をかしげた。彼らのことまでは知らなかったらしい。
「ありゃあ、帝国で魔術管理者というんや。魔術の研究と管理をするんやが、魔術は使えへん……。そのくらいしか、ワイにはわからへん」
「魔術を使えない、魔術管理者か……。キナ臭いな」
シモンとともに屋根の上で並んだキリエは、任務を遂行していく「魔導兵器」と魔術管理者たちを一緒に遠望した。その一団はまさに一心同体だったが、見ただけでは、魔術管理者が存在する意味までを把握することはできなかった。
やがて、シモンは少しの間を置いてから、声の調子を落とし、ぼそりとした口調で語りかけてきた。
「――実は姐さん。ワイがこの街に帰ってきたんは、奴らを追うてきたからなんや」
「あいつらを……? ってお前、この街を守るために、帰ってきたんじゃないのかよ?」
キリエは怪訝な表情になると、責めるような口調でそう言い、シモンの顔を再び見つめた。
第十七区の若者の多くは守備隊に志願し、そのまま帰ってこない。そんな状況の中、街でも指折りの弓の名手であるシモンが帰ってきてくれたことで、キリエは少し救われた気持ちになっていたが、それが裏切られたような気持ちであった。
その気持ちは、シモンにも痛いほどわかった。だから少しもはぐらかさずに、即座に詫びた。
「すんまへん、姐さん……。ワイ、まだ奴らの目的をつかんでないんや。動員を命令しよった奴も、誰の部下なのかも、何ひとつわからへん」
シモンは飄々とした顔に悔しさをにじませ、焦りを口にした。経緯はわからないが、彼は「魔導兵器」の計画を追うことにすべてを賭けている。キリエにもそれは伝わってきた。
だが、その行動は危険と隣り合わせである。もし帝国軍に見つかりでもしたら、命の保証はない。
「お前もしかして……。帝国軍の内部に入り込んで、情報活動でもするつもりなのか?」
「…………」
その問いにシモンは答えなかったが、それは、無言の肯定であった。
彼の意志が固いことを知ったキリエには、これ以上、言葉が見つからなかった。
「もうちょいで、奴らの正体がわかりそうなんや……。だからワイは、中心街区にある司令部に忍び込んで、何としても奴らのシッポをつかむつもりやねん」
「司令部に忍び込む、だって……? そんなこと、できるわけがねえだろ」
「やってみなけりゃ分からへん。師匠も言うとったやろ、『相手がどんな獲物であっても、命をかけてモノにする。それが狩人』やって。今がその時なんやと、ワイは思う」
屋根の上で横に並び、燃えゆく街並みを一緒に見ているシモンの表情は、キリエの位置からだと見ることができない。
だが、シモンの決意を覆すことが容易ではないことくらい、キリエはすでに知っていた。
「…………」
腕組みを解いたキリエは、そのまましばらく中央街区の方に目を向けていたが、そこからふと目を離し、猛火の明かりに照らされるシモンの横顔をじっと見つめた。
粗野な口調ではあるが、絶世ともいえる美貌を持つキリエ。そんな彼女に横顔を見つめられたことに気づいたシモンは、改めて前を向くと少し頬を赤くした。
(そう、だったよな。こいつは一度こうと決めたら、誰の言うことも聞かない奴だったな)
師匠が引き留めるのも聞かず、なかば強引に旅立ったときもそうだった。シモンはこうと思い立ったときは梃子でも動かぬほど頑固で、自分自身で決めたことはなにが何でもやり遂げる男だった。
キリエはシモンの横顔をじっと見つめながら、その当時のことを懐かしく思い返していた。
(しかし……)
キリエは胸騒ぎを覚えた。帝国軍の司令部に忍び込むなど、正気の沙汰ではない。
帝国に知られでもしたら、どう考えても無事ですむはずがない。
だが、ともに修行の日々を過ごした姉貴分のキリエは、彼の決意を認めてやるほかはなかった。
「――わかった」
厳しい表情でそう言ったキリエは、腰の後ろに手を回すと、腰に装着した革製の小さなカバンから小ぶりの短剣をひと振り取り出し、シモンの右手を取って強引に握らせた。
「……これを、持っていけ」
シモンに渡されたのは、万能ナイフのような短剣だった。それは先ほどアンナに突きつけたナイフとは違う造りで、弦を切ったり、弓の手入れのために木材を削ったりする、弓使いにとって大事な小道具だった。
「いいか、もし迷ったときは、これをアタシだと思って強く握るんだ。アタシはいつでもお前と一緒にいる。その証拠だ」
「姐さん……。ええんやろか。こんな大事なものを」
「心配すんな、予備はいくらでもある。だけど大事なものには違いねえ。お前の目的を遂げたときには、アタシに返すんだぜ?」
キリエは照れくさそうにそう言い、にっかりと笑った。それは「生きて帰ってこい」という、彼女なりの不器用なメッセージであった。
それを感じたのか、シモンは布が巻かれた短剣の柄をしっかりと握りしめた。
シモンは決意がこもった目でキリエを見返したが、その視線に応えることなく顔を背けたキリエは、その場を離れて屋根の奥側に移動した。隣の屋根に飛び移るため、助走距離をとったのだ。
その場を動かず短剣を握りしめたシモンは、去ろうとするキリエの様子をじっと見つめた。
「それまでは、お前……絶対に死ぬんじゃねえぞ。死んだらアタシが、ぶん殴ってやる!」
そう言い残したキリエは、不安定な屋根の上でも姿勢を崩すことなく駆け、助走の勢いのまま身軽にジャンプすると、路地を挟んだ向かいの屋根へと軽やかに着地した。
向かいの屋根に着地したキリエは、背を向けたまま別れを惜しむかのように弓を高く掲げたが、振り向くことはせず、そのまま助走して別の屋根へと飛び移っていった。
「ったく……。死んじまったら、ぶん殴られへんやんか」
駆け去っていくキリエの後ろ姿を見守りながら、シモンは思わず苦笑をこぼした。
そしてキリエが残していった短剣をじっと見つめたシモンは、誰に言うともなくぼそりと呟いた。
「でも……すんまへん、姐さん。実はワイ……」
その言葉は強い潮風と、燃え広がる火災の轟音とに、たやすくかき消された。




