4-2 人間の形をした兵器
二 人間の形をした兵器
太陽は完全に沈み、しつこく残っていた夕焼けも、すでに西の空から消え失せた。
高い城壁に囲まれた都市リーヴェンスに、夜の闇が急速に迫ってくる。
冷たく青い光を発する月ナーンリントと、禍々しき赤色の光が燃えるヴァルトール。
数年ぶりに並んだふたつの月が、役目を終えた太陽に代わり、そろって柔らかな光を投げかけてくる。
ふたつの月がもたらすかすかな光に照らされ、銀色に浮かび上がった、ある建物の屋根――。
その上でひとりの人物が長い髪を風になびかせ、街の中心部に視線を送りながら無言で立っていた。
「…………」
闇に溶け込むその背には、巨大な弓。そして豊満な胸の盛り上がりと、くびれた腰。黒く長い髪を、くすんだ緋色のリボンでポニーテールにまとめている。
長い黒髪の中で妙に映える、大きなリボン。そのリボンを吹かれるまま潮風に任せ、瞳に複雑な色をたたえた弓使いキリエは、身じろぎもせず、じっと西の方角を見つめていた。
西の方角は、街の中心部。リーヴェンスの行政と、商業の中心地である。
その一角はすでに、真っ赤な炎と赤黒い煙に包まれた。街に残った住民は逃げ惑っているらしい。
港がある北側以外の三方を城壁に取り囲まれ、巨大な箱庭のように見える都市リーヴェンス。放射状に延びた大通りに分断された街は、城壁に近くなればなるほど雑多になり、建物の密度が上がっていく。
それとは対照的に、街の中心部には広大な敷地を有する大邸宅や、広い公園などが分布している。古来より宮殿などが点在していたためか、建物の規模が大きく、密度には余裕がある。
口を真一文字に固く閉じ、じっと前を見ていたキリエ。
そして火災が巻き起こした一陣の風が、ヒュッと彼女の全身を吹き抜けていった瞬間。
「…………帝国の奴らめ」
燃えゆく街の風景から一瞬たりとも目を離すことなく、キリエは声を絞り出すようにうめいた。
城壁の外に形成された新市街も含めると、リーヴェンスの人口は十五万人を超えるとされる。リーナス島はおろか、対岸に広がる大陸を含め、当時世界最大級の都市のひとつに数えられていた。
街の中心部には、市庁舎や聖堂をはじめとする行政区と、旧貴族などの支配階級や、大商人など富裕層の屋敷が建ち並んでいる。その周辺はこの街でもっとも長い伝統を誇る、リーヴェンスの象徴であった。
その古き象徴がいま、夜空を焦がさんばかりに、赤黒い炎と煙で包まれていた。
ふたつの月を覆わんばかりに、夜空にそそり立つ黒煙の数々。その根元で揺れ動く炎は、すべてを抱き込もうとするかのように荒れ狂い、あらゆるものを燃やしつくさんとしている。
火を放っているのは、侵入した帝国兵たちであることに間違いはない。何が目的なのかは知らないが、彼らは計画的に火を放ち、古代から続く伝統ある街を灰燼に帰そうとしているらしい。
その炎のもとでは、虐殺、略奪、強姦、そして破壊と放火など、この世のありとあらゆる地獄が繰り広げられているに違いない。
他に行くあてのない中流市民が集まる住宅街などでは、それこそ目も当てられないほどの地獄絵図が、この世に再現されている。
年代記や歴史書には、たった一行で記される事象なのであろう。
だがそこには、消えゆく人々の苦しみ、悲しみ、恐怖、絶望が凝縮されている。
「……くそったれが。帝国の奴らは、いったい何が狙いなんだ! 貴族が貯め込んだカネか!」
夜空を焦がす黒煙を遠望しながら、キリエはやるせない思いとともに叫び、吐き捨てた。
この時代、人々の間には生まれながらの身分だけでなく、経済力でも格差が生じつつあった。恵まれた者はとことん恵まれるが、恵まれない者はとことん恵まれない。そんな世の中だった。
だから正直、旧貴族や大商人といった特権階級を、キリエは好きになれない。
だが、それでも同じ街に生を受けた住民どうし。かけがえのない同胞である。格差はあるが、何とか彼らを助けなければならない。彼女は焦りを感じていた。
今からでも遅くはない。弓と矢を引っさげ、あの蛮行の渦中に飛び込まなければ――。
そんな純粋な衝動が何度も頭をもたげるが、そのたびにキリエは拳を力いっぱい握りしめ、あらん限りの理性を総動員して、みずからの軽挙妄動を必死に押さえこんだ。
(いや、ダメだ。アタシがひとりで突っ込んだところで、状況をひっくり返すことなんてできない!)
ここは狩人が駆け回る原野ではない。戦場である。だが、戦いは狩りに似ていた。狩りを成功させるためには、他の狩人たちとの連携を第一に考えるべきである。獲物を捕らえるために、勝手な行動は厳に慎まなければならない。
何度も首を振るキリエの心の中には、師匠のそんな教えが深く根づいていた。
だが、現実は思索など許してくれない。そうしている間にも、火の手は街のあちこちに上がっていく。キリエは、屋根の上で右往左往するばかり。
「くそっ、あっちにも……。こっちにも火が……!」
街の中心部は略奪と破壊で大荒れだが、それとは無関係に随所で上がった炎は、略奪にいそしむ部隊を取り囲むかのように「炎の円陣」を形成していく。
その鮮やかな行動には明らかに、連携が見てとれる。あれは帝国の放火部隊に違いない。
「ちくしょう。あいつら、計画的に放火していやがる。主力とは別の部隊なのか……?」
キリエは驚異的な視力を発揮し、じっと目をこらすと、明らかに他の帝国兵とは違う集団が闇にまぎれ、いくつもの部隊に分かれて、割れ目に染みこむ水のように街路を進んでいくのが見える。どうやらあれが、帝国軍の放火部隊らしい。
放火犯の一団はすでに地理を把握しているらしく、夜の闇に沈む街路を迷うことなく、数名が一列になって進んでいる。その行動は迅速かつ冷静で、略奪と破壊に酔いしれる主力部隊とは明確に違っていた。
彼らが通り過ぎていった街路では決まって、爆薬でも使ったかのように強烈な閃光が起こる。そして爆発音が遅れて響いたかと思うと、その建物はあっという間に、燃えさかる炎に包まれるのだ。
それが、あれよあれよという間に大きな火災になっていく。あの一団が通った後は至るところで、夜でも見えるほど猛烈な、赤黒い煙がそそり立つのである。
「くそっ、奴らの動きが速い……! なんとかしないと」
みるみるうちに、そこら中の街区から火の手が上がっていく。街の中心部とその周辺を、炎の壁で分断しようとしているのかもしれない。火災は市庁舎を取り囲むかのように、「炎の円陣」を完成に近づけていく。
それを屋根の上から遠望していたキリエは、悔しさに歯がみをし、地団駄を踏むような思いでいたが、ふと、あることに気がついた。
「……でも、妙だな。あいつら、火はどうやっておこしているんだ?」
夜陰にまぎれるためか、あの放火部隊は灯りになるものを持っていない。火の気はどこにもないはずなのだが、火の手は次々と、いとも簡単に上がり続ける。
空気に触れるとすぐに火が広がるような、揮発性が高い油が満たされている素焼きの壺を投げ込んでいるのかもしれない。だが火の気を持っていない以上、油に着火することも不可能であるはずだ。
「あいつら、ランプもたいまつも持っていないってのに……。いったいどこから火を……?」
そのとき、キリエの脳裏に、アンナがたまに見せる「紙片に着火する姿」が浮かんだ。
あの「空気中から着火する現象」は、あの能力さえあれば可能だと思ったからだ。
「まるでありゃあ、アンナが使う術みたいじゃねえ、か……」
その瞬間、背筋をぞくぞくさせたキリエは、自分が発した言葉を慌てて飲み込んだ。
気が弱く、いつでも手をこまねいてイジイジしている少女アンナの顔が、なぜかキリエの頭に浮かんだのである。そんな彼女と放火部隊に、どう考えても接点がないというのに。
アンナと放火部隊とを安易に結びつけてしまった自分を叱りつけるように、キリエは多少の後ろめたさを感じつつも、強めにかぶりを振った。
「――いや、いやいや! あんな連中が、アンナと同じはずがない!」
だがどう否定しようとも、あれはアンナが持っている超能力に似ていた。それはまぎれもない事実。
本屋の娘アンナに生まれつき備わっていた不思議な力は、自然現象を任意で発生させられるという、普通は考えられないような能力だった。それは自然を操る力というよりも、自然と対話し、その力を引き出す術であった。
「大人たちは気味悪がっていたけど……でも、アタシは、うらやましかったよ」
小さい頃、幼いアンナたちの手を引いては、大通りに並んだ街路樹の下で、よく一緒に遊んだ。キリエはそう呟きながら、当時のことを思い出した。
その遊びの中で、幼いアンナは目を閉じ、イメージしただけで、手のひらから火を発生させたり、風を巻き起こしたりしていたのである。
幼いアンナが何気なくその力を使うのを見て、六歳年上で姉代わりだったキリエも真似をして、空中から火をおこす練習をしてみたことがある。しかしいくら頑張っても、火が発生することはなかった。
あれがアンナにしか備わっていない、特殊な能力であることは、そのときに知ったのだ。
その能力の存在はたちまち街中に広がり、アンナは周囲から避けられるようになっていった。意地の悪い少年たちにいじめられることも、たびたびあった。
泣きじゃくるアンナを守り、少年たちを追い払い続けたのはキリエだった。当時から体格がよかった彼女は、からかう少年たちにケンカを吹っかけ、勝ってしまうこともあった。
「アタシがこんな風に、狩人なんかになったのは、アンナを守るためだったのかも、な」
背中に装着したのは、大きな弓。その端を優しく撫でたキリエは、アンナの前に立って大人たちに突っかかり、負けるたびに強くなりたいと願い続けた、当時の自分を思い出していた。
そして今。目の前に繰り広げられている放火は、アンナのような能力を持つ者のしわざである。
これまでの戦場では、こうした例はなかった。帝国軍は満を持して、部隊を投入してきたのだ。
帝国にどれだけの「特殊能力者」が養成されているのか、キリエには見当もつかない。
(もしかしたら、アンナも……?)
アンナも養成所で生まれた「特殊能力者」のひとりで、帝国の計画を知った父親のクルトが命がけで娘を救い出し、命からがら帝国から脱出してきた――。そんな妄想がキリエの頭に浮かんだ。
風采の上がらない飲んべえ親父にしか見えないクルトだが、帝国の体制に反旗を翻し、娘を助け出した、反骨の闘士だったのかも……。
「……ぷっ、ははっ、あはははは!」
そんな三文舞台のような冒険ストーリーを思い浮かべたキリエは、即座に強く首を振るやいなや、みずからそのストーリーを大声で笑い飛ばした。
「――ははっ、はあ、はあ。アタシは何を、バカなことを考えてんだ……。あのクルトおじさんに、そんな甲斐性なんかあるもんか! あははは!」
風が吹きすさぶ屋根の上で大声で笑いながらも、キリエはひとつの確信を胸に抱いた。
あの能力は、アンナが持っている力と似てはいるが、アンナがそのような力の使い方を許すはずがない。あの放火行為には、自然界と対話して術を行使していたアンナのような、純朴さがない。
あの放火部隊はよく訓練されている。軍事目的で開発された特殊な力を淡々と行使する姿と、命令のままに次々と火を放っていくあの冷たさには、人間離れした何かを感じさせるのだ。
キリエがそう感じたそのとき――。彼女のすぐ後ろで、誰かの気配がした。
ここは中央街区に近い、屋根の上である。帝国の侵攻を許した今、ここにいるのはただ者ではない。
「――久しぶりやなあ、姐さん」
背後の人物から聞こえてきたのは、飄然とした青年の声だった。その独特な訛りは、東の共和国の言語に近いものである。
雑多な人種を抱えるこの街では、同じ訛りで話す者が多い。だが、キリエはその声に聞き覚えがあった。
「……ありゃあ、人間の形をした兵器、いわゆる『魔導兵器』っていわれるもんや。魔術を使う兵士、みたいなもん?」
親しみと懐かしさが半々のような挨拶に続いて、背後の人物から聞こえてきたのは、どこか緊張感に欠けた、まるで他人事のような分析。
背後の人物はいきなり現れたきり、名乗りもしなかったが、キリエはそれを咎めることもなく、唇を噛んだまま、その言葉の一端を呟いていた。
「人間の形をした、兵器……」
その言葉が持つ非人道性な意味が、キリエの歯ぎしりとともに夕空に響いた。




