4-1 戦場に現れた貴公子
一 戦場に現れた貴公子
ついにこじ開けられた、城壁都市リーヴェンスの城門。
おびただしい数の帝国兵が、隊列もそこそこに旧市街になだれ込んでいく。
街は、陥落した――。もはやここは、自由の聖域ではなくなった。
商業都市としての顔も併せもつリーヴェンスの門戸は、常にあらゆる人間を迎え入れてきた。
だがこの街の城壁と城門は、もうひとつの姿――自由の敵の拒絶という、峻厳な性格を象徴するものであった。
商業活動を行う者はもとより、搾取から逃れてきた小作農、戦争で故郷を焼かれた難民、果ては凶悪な殺人犯であろうとも、この街は拒まない。
世界で唯一の「自由都市」であるこの街の門をくぐりさえすれば、誰でも過去から解き放たれる。この街にたどり着けた者には、明るい未来が約束される。
だがその一方で、武力を用いて街をわが物にしようとする者に対しては、その門戸を固く閉ざす。
古来よりこの街は、来る者は拒まぬ一方、政治的に支配しようとする者とは徹底的に敵対してきた。それは、自治と自由の気風を守るためであった。
だがついに、城門が武力によりこじ開けられるときが訪れた。古代より数千年、連綿と続く歴史において難攻不落を誇ってきたこの街が、外敵に城門を明け渡したのである。それは、街の歴史が始まって以来のことであった。
城門前の広場に整列したのは、精悍な浅黒い肌をギラつかせた、帝国出身の兵士たち。
そんな獣の群れ同然の帝国兵たちの間に、「都市の徹底的な破壊」という命令が伝達される。
あらゆる欲望が満たされる、待ちに待った時間の到来だ。快哉の雄叫びを上げ、喜び勇む帝国兵たち。
「さあ、お許しが出たぞッ! 徹底的に壊せ! 奪いつくせッ!」
「これが、金満貴族どもの末路だッ! この街の富を永遠に破壊しろッ!」
「女子供だろうが容赦はするな! 一神教会に近づく連中は異教の手先だッ!」
血に飢え、物欲に飢え、そして性欲にも飢えてきた、人間の皮をかぶった獣ども。
彼らはこれまで、目の前にエサをぶら下げられた状態のまま、命令に従い死にもの狂いで破城槌を押していた連中である。
街を破壊せよという上官の命令が下った瞬間、解き放たれた彼らは猛獣さながら、ここぞとばかりに猛り狂う。
住民が避難し、家財がほとんど残っていない家屋などは、大勢の兵士によって容赦なく破壊され、次々と放火されていく。もぬけの殻となった家屋でも、金目のものとあらば、絨毯や家具などはもとより壁紙や敷石まで引き剥がされた。
「……ちっ! いねぇ! 金持ちどもが、ひとりもいやしねぇぞッ!」
「ちくしょう! 貧乏人だけ取り残して、自分たちだけ逃げやがったなッ!」
いち早く住民が避難したためか、ここはすでに、もぬけの殻と化したかのようだった。野獣さながら血に飢えた帝国兵どもが、当てが外れたとばかりに地団駄を踏んで悔しがる。
たび重なる遠征の戦費を肩代わりさせられ、重税にあえぐ帝国の臣民は、誰もが貧しい。富める者への憎しみは、祖国そのものへの憎しみの裏返しでもある。
裕福な商店が建ち並ぶ門前街区。ここはすっかり、無人の街に変貌したかのように見えた。
だが、そうでもなかった。わずかながら居残った住民がおり、息をひそめてあちらこちらに隠れていた。親戚がなく逃げるあてのない孤独な家族、高齢の住民、身体が不自由な住民など、避難しようにもできない者たちであった。
「――おい! この家にはまだ、住民がいるぞッ!」
山のような略奪品を抱えた兵士が家捜しの末、隠れていた住民を発見すると、まるで戦場で手柄でも立てたかのように快哉の叫び声を上げ、哀れな住民を吊し上げながら建物から出てくる。
そのたびに、どこから湧いて出たのか、守備隊との戦いで血塗られた剣をぶら下げた兵士が、野獣のように群がってきた。
「ひいいッ、神様お助けをッ! 助けてくれえ!」
為すすべもない住民はうろたえ、誰もが助命を懇願するが、その叫びが最後まで通ることはない。
「うるせえッ! お前の神様はもういない! 神々の慈悲だ、おとなしくあの世へ行けや!」
神々の慈悲と称しながら無慈悲にも一刀のもと、次々と真正面から斬殺されていく住民。女子供、そして高齢者たち。
飛び散る鮮血に興奮した野獣どもはますます感覚を麻痺させ、街の至るところで、燃え上がる街区のところどころで、血の饗宴を繰り返す。
そんな地獄絵図は、門前街区である第二十一区全体へとあっという間に広がった。整然としていたはずの街のあちらこちらで、この世のものとは思えない惨状が現出する。
「…………」
その地獄絵図を、門前に立つ大男がじっと見つめていた。
それまでずっと無言を通していた大男は、視線を外したかと思うと、感慨深げに天を仰ぐ。
「輝かしき繁栄の歴史を誇るこの街を、完膚なきまでに破壊せよ、か……」
帝国軍司令官セルヴェラスは、いまだ赤熱する魔剣『堕ちたる天の使い』をそのまま左腰の鞘に収めると、そう呟きながら一歩を踏み出した。
ところどころを赤色の部品で縁取った、セルヴェラスの漆黒の鎧。あまりにも禍々しいデザインの鎧に包まれた巨体が一歩ずつ進むたびに、炭化した瓦礫がジャリッ、ジャリッ、と悲鳴を上げる。
「皇帝陛下が、そう仰せなのか? ――副将よ」
セルヴェラスはその歩みをまったく止めることなく、斜め後ろで追う小柄な男に声をかけた。副将と呼ばれたその男もまた貴族らしく、金色が目立つ全身鎧できらびやかに飾り立てている。
ただ、彼の視線はまったく、その男の方に向くことがない。煙に包まれる街の向こう、はるか前方に黒々とそびえ立った、市庁舎の尖塔を睨みつけている。
その横柄な態度はいつものことらしく、小柄な副将は内心で罵倒と舌打ちを繰り返す。しかし彼はそんな心のうちをまったく表情に出すことなく、何食わぬ顔で平然と返答した。
「はっ……御意にございます。軍司令官閣下。陛下じきじきに宰相閣下へそうお命じになったと、聞き及んでおります」
「ふうむ……。三年前、わしが親しく軍司令官に任じられたときは息災であられたが……。陛下はいっさい、その玉体を臣下にお示しになられぬ。君側の奸どもめ、陛下をどうするつもりなのか……」
口から出るセリフがいちいち古風な軍司令官セルヴェラスは、その大柄で筋肉質な肉体を、禍々しさあふれる光沢の全身鎧で包んでいる。
一方の副将は、立派な全身鎧を着ているものの、立派なのは鎧だけ。およそ軍人とは思えない神経質な顔つきの中年男性で、蒼白な顔色に、髭の剃り跡が青々と際立っている。
その副将が身につけたきらびやかな全身鎧と、豪奢な毛氈があしらわれた高価なマントは、帝国貴族であることの証しである。実際に副将は、帝国軍の准将であると同時に、広大な領地を持つ伯爵であった。
彼が仕える軍司令官セルヴェラスは、より階級が上である帝国軍少将である。現在でこそ貴族の爵位を有しているものの、セルヴェラス自身は軍功で成り上がった、低い身分の出身である。
それなのに、もとから貴族であった副将が、低い身分出身のセルヴェラスを上司として仰ぐしかない。副将はその現実がどうしても受け入れられないらしく、着任以来ずっと、面従腹背を通しているのだった。
「ご命令とあらば是非もなし。現体制を続行せよ。この際、どのような手段を用いても構わぬ。陛下の思し召しに沿い奉るのが、股肱たるわれら軍人の役目……。そうであろう」
あいかわらず副将の方には一顧だにすることなく、セルヴェラスは市庁舎の尖塔を凝視したまま、古風な表現でそんなことを言う。
その口ぶりを聞くたび副将の神経質そうなこめかみには、いちいち青筋が浮かぶ。
「……御意にございます、閣下。どのような手段を用いてでも、この街を破壊いたします」
副将は神妙な面持ちでそう復唱したが、それでも軍司令官の視線はこちらを向かない。
こうまで無視され続けると、今まで感情を押し殺してきた副将も、さすがにイライラが募ってきた。こめかみの青筋がぴくぴくと動く。ここで嫌みのひとつでもぶちまけないことには、副将自身の精神がおかしくなってしまいそうだった。
しかし、そんなことをしでかしたら最後、一瞬で、首と胴体が切り離されないとも限らない。セルヴェラスが見ていないのをいいことに、ひとり悶々とする副将。
(んもぉ~~~っ! こうまであたしを無視するなんてぇ~~~! い、今に見てなさいよぉおお!)
普段はいかつい顔つきの副将なのだが、実は自分のことを妙齢の女性だと思っている、オネエの筋では有名な同性愛好者でなのである。
心の中できりきりと唇を噛み、顔も青ざめた副将は、今にもヒステリーを引き起こしそうになった。
――だがそのとき。悶々と苦しむ副将の前に、思わぬ助け船が現れた。
詰め襟の制服に肩章をあしらい、さまざまな勲章を胸に飾った端整な人物がふたり、副将の前につかつかと歩み寄ってきたかと思うと、揃って挙手の礼をし、並んで直立不動になったのである。
「副将閣下! ご命令によって参上いたしました。次級副官であります!」
その声を契機に、急にわれに返った副将は、脊髄反射ともいえる勢いと速さで次級副官を頭ごなしに怒鳴りつけた。
「お、遅いわよぉ! 呼んでから何分経ったと思って……おっと。何分経ったと思うのか!」
思わずオネエの素地が出そうになった途端、それに気づいた副将は慌てて訂正した。彼のオネエ口調は軍の一部で有名なのだが、政府内ではまだ、公然の事実にはなっていないからだ。
次級副官の方もそれはわかっているらしく、いつもの決まり文句を使い、つつしんで返答する。
「は、申し訳ありません! ご命令により新任の副官として発令された、スウェルディア男爵を同行いたしました!」
「スウェルディア男爵……。おお、そうそう。あの坊やを閣下にご紹介するのであった!」
青い剃り跡が生々しい顎をさすりながら、副将は次級副官の斜め後ろに控えた人物の方に視線を向けた。少し茶色がかった金髪が若々しくも凜々しい、すらりとした青年将校がそこに立っている。
視線を向けられたことを察知した青年将校は、大股で一歩前に進み出ると、その場で直立不動になり、大声で申告した。
「軍司令官閣下、副将閣下! お呼びにより参上いたしました。副官として着任したスウェルディア男爵、コルネリウス・ユリキウス大尉であります!」
破壊と略奪の喧噪がとどろき渡り、地獄の底になったような城門前でも、よく通る清冽な声。
身長が高くて顔が小さい上に、均整のとれた甘く爽やかな童顔。それはまさに、貴公子のそれであった。
「……スウェルディア男爵、か。よく来た」
この申告を背中で受けた軍司令官セルヴェラスは、初めて市庁舎の尖塔から視線を外し、こちらに目を向けた。巨体から見下ろす眼光はあいかわらず威圧的だが、そこには隠しきれない懐かしさも、何となくにじみ出ていた。
「先代男爵だったお父上は残念だったが……。もうあれから五年になるか。あの闘いの結果は『豹将軍』の異名に恥じぬ、立派な最期であった。それは、あの時ともに軍を指揮した、このわしが保証しよう」
「――はっ、閣下じきじきに、ありがたきお言葉であります。さぞや父も神々のもとで、喜んでおりましょう」
「友を失いし日々は虚しいが……ふむ。貴官にはどことなく、亡きマウリキウスの面影がある」
青年将校コルネリウスの父で、今は亡き先代のスウェルディア男爵は、「豹将軍」と異名されるほどの猛将だった。だが五年前、大陸のある戦場で敵の計略にかかり、壮絶な最期を遂げたのだった。
そして亡き豹将軍は、軍司令官セルヴェラスとともに士官学校で学んだ、数少ない同期生でもあった。
交わる眼光と眼光。だが両者はこのときが初対面で、親子ほども年齢の差がある。だがこのとき両者は、亡き先代を仲立ちに、初対面とは思えないほど心が通じ合えたのかもしれない。
だが、用件はそれだけではない。副将はその用件を伝えるためどこか卑屈そうな顔つきになりながらも、見つめ合う二人の間におそるおそる分け入るしかなかった。
「コホン。よろしいですかな、閣下。男爵をお引き合わせしたのは、彼の任務を――」
副将がおずおずとそこまで言ったとき、セルヴェラスは大きな右手をにょきっと繰り出すと、すべてを言い終わらないうちにその言葉をさえぎった。
「副将よ、皆まで言うな。ここから先は、わしがみずから男爵に伝えよう」
「……御意」
重厚かつ問答無用の低音をとどろかせたセルヴェラスは、これ幸いと素直に引き下がった副将の返答を聞くや、ゆっくりとコルネリウス大尉の方に向き直った。
それを察知したコルネリウス大尉は、命令を受領する者の作法通りに一歩下がり、浅く頭を下げた。
「男爵。任務ご苦労である。だが戦局の推移によっては、貴官に精鋭の部隊を率いる指揮官の任務が下るであろう。副官として勤務しつつ、別命を待つがよい」
「はっ。帝国軍大尉コルネリウス・ユリキウス、軍司令官閣下のご命令、確かに承りました」
エリート軍人そのものといえる折り目正しい態度で、コルネリウス大尉が深々と礼をする。その礼儀正しい態度が気に障ったのか、虫酸でも走ったのか、副将の顔色があっという間に変わった。
直後、面会の終了を告げようとする副将の顔はすでに、隠しきれないほどの嫌悪感に満ちていた。
「――以上。軍司令官閣下との面会は終了! 原隊に戻れ、スウェルディア男爵!」
「はッ!」
威勢のいい返答の言葉を残し、コルネリウス大尉は前を向いたまま後ろへ数歩下がると、すぐさまくるりと背を向け、城門をくぐって城壁の外へと駆け去った。軍司令部と副官部は、まだ城壁の外に位置しているのであった。
その後ろ姿をじっと眺めていたセルヴェラスは、なぜかプリプリする副将を尻目にゆっくりと呟く。
「わが戦友、マウリキウスよ。心ならずも貴様の息子を死地に投げ入れねばならぬわしを、許せ……」
中天にかかろうとするふたつの月を見上げたセルヴェラスは、そう言うとくるりと城門に背を向け、再び市庁舎の尖塔に視線を向けた。
その姿を鳥瞰できる、城壁の一角で――。
円筒形をした城塔の陰から姿を現したひとりの男が、背を向けた司令官の後ろ姿をじっと見つめた。
その男が左手に持つ弓は、精巧な彫刻が施された一級品。徴募された一般の弓兵が持つことなど、およそ考えられない代物である。
端整な容貌、そして風になびく褐色の長い髪。まるで貴族の外套のような、派手な形状の軍装。
「こりゃあ、どっちが悪魔なのかわからねえな……。気をつけろよ、コルちゃん」
周囲の誰にも聞き取れないほど、男は小さな声で呟いた。
そして次の瞬間。もう城塔の陰には誰の姿も、見いだすことはできなかった。




