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城壁都市リーヴェンス攻防記 ~新編・破壊の天使~  作者: 南風禽種
第3話 貧民街の宿酒場
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3-3 月よりも明るい青緑色

三 月よりも明るい青緑色


 ゴクッ、ゴクッ……。


 女弓使いキリエは、差し出されたグラスを手に取るやいなや、腰に手を当て、目を強く閉じて、強い蒸留酒を水のように一気に流し込んだ。よほど、喉が渇いていたのだろう。


 一杯めを飲み干した彼女はすかさずボトルを取り上げると、再びグラスに蒸留酒をなみなみと注ぎ、またもや水のようにゴクゴクと、一気に飲み干す。


「お、おいおい……。大丈夫かよ……?」


 信じられないといった表情でそう呟き、目を白黒させながらキリエの様子を眺めるクルト。


 この時代の蒸留酒は精製技術がまだ未熟で、味も香りもよくなかった。大麦から作られたというこの酒も心なしか黒ずんでいて、細かい浮遊物が目につく。

 もちろん、宗教上の理由で禁制品になっている。しかし都市の労働者たちは、旅の商人がもたらすこのささやかな嗜好品が大好物だった。


 だが今のキリエは、その貴重な禁制品を、涙とともに飲み下す一方なのだった。


「あの横丁のあいつも、路地裏で騒いでたあの野郎も……。世話になった分隊長の兄さんまで……みんな、みんな、死んじまいやがった……。ちくしょう!」


 最後にそう叫んだキリエは、すっかり空いたグラスを勢いよくテーブルに叩きつけると、そのまま突っ伏して嗚咽しはじめた。夕方まで行われていた城壁での戦闘と、一緒に戦った戦友たちを回想しているのだろう。

 どうみても酔っ払いの所業だが、日焼けした彼女の肌に変化はない。それほど酔っていないらしい。


(ははは、しかしこりゃ、参ったねえ……)


 キリエが嗚咽とともにテーブルに突っ伏したタイミングを見計らい、クルトは苦笑いしつつも、秘蔵の酒瓶をテーブルから取り上げ、そっと足元にしまい込むのだった。


(この様子じゃ、城壁の守備隊は壊滅した、か……。こりゃ相当、やばいみたいだねぇ)


 城壁での戦闘に参加していたというキリエの姿を見て、クルトは絶句するしかなかった。

 守備隊で唯一、生還してきた彼女の姿が、そこでの戦闘の凄惨さを物語っていたからである。


 剣で斬りつけられたのか、丈夫な革で造られた彼女の上着も、麻の服も、至るところが切れたり、破れたり、ほつれたりしている。そしてその服が、彼女の血なのか返り血なのかわからないが、染みこんだ血であちこちが黒く染まっていた。

 狩人であるキリエも守備隊を志願し、弓と短剣を携え、城壁の戦闘に参加していたのである。


 城壁をめぐる戦闘は、数日にわたって続いたという。それでも街の守備隊は決死の覚悟を固め、文字どおり最後の一兵になるまで戦って、城壁を守り通した。

 今夕、守備隊はついに壊滅。その時を迎えるまで、圧倒的な劣勢は一度も挽回できなかった。


「あいつら……。こっちが必死に戦ってるのに、危なくなったらすぐに逃げやがって……。いつの間にか、野郎ども、後ろに陣取って……」


 テーブルに顔を伏せたまま、キリエはうめくように呟き続ける。みずからの力が及ばなかったことを、悔いるかのように。

 今になってようやく、蒸留酒を一気飲みした報いが訪れたのかもしれない。


(攻めては逃げて、背後に現れる……か。ふうん……)


 窓際に身体を預け、顎の無精ヒゲを撫でつつ、無言でそれを聞いていたクルトは、戦場の状況に思いをめぐらしながら天井に視線を移し、暗くなった格子状の木組みに両軍の勢力図を描いていく。


 だが、ちょうど、その時だった。


 ――ドーン、ドドン!


 街の空気を揺るがすほどの大きな打撃音。それが城門の方から、月明かりだけに照らされたこの部屋にまで響いてきた。屋根に止まっていた鳥たちが、再びいっせいに飛び立つ。

 外に目をやり、その様を眺めていたクルトだったが、他人事のような顔つきでいる。


(いよいよ、城門が突破された……んだろうねぇ)


 圧倒的な大軍に包囲された時点で、いずれこの瞬間が訪れることはわかっていた。それがついに、現実となった。地域の民謡にまでその難攻不落ぶりを謡われた城壁都市が、陥落したのである。

 その衝撃は、住民にとって大きいものだろう。しかし、クルトはなおも顔色を変えない。この男はまだ、どこかに勝算があると思っているのだろうか。


「…………」


 破城槌の音が止み、静まりかえる室内。

 轟音一声、空気を震わせたあの音が鳴り響いてもなお、しばらくキリエは何も言わずにうつむいていたが、酔いが回って少し気持ちが落ち着いたのか、グラスを置いてふっと息を吐いた。

 クルトも何も言わず、じっとその姿を見守り続ける。


「なあ……クルトおじさん」


「ん? ああ、やっと落ち着いたかい」


 憔悴しきった表情のキリエは、すがるような瞳でクルトの顔を見つめてくる。それでもその瞳は、少しも輝きを失っていない。彼女が強い意志の持ち主であることの現れだ。

 彫像を思わせる美しい容貌、切れ長の目、長い睫毛。それを見たクルトは改めて、彼女の天性ともいえる、驚くべき美貌を再認識するのだった。


「……破城槌(はじょうつい)、か。――くそっ!」


 キリエは悔しさを吐き出しながら、グラスに残ったひとくち分の蒸留酒を一気に飲み干した。

 それでも彼女は、ほろ酔いにも至らない程度である。それを見たクルトは内心、舌を巻く。


「帝国の奴ら、あれが来たとたんに戦いをやめて、さっさと兵を引きやがったんだ……。あれはいったい、何だったんだ……?」


「破城槌が到着した途端に、兵を引いた、か……」


 キリエの述懐が帝国軍の部隊運用に及んだ途端、クルトの瞳がひそかに、妖しく輝いた。


「ああ……。死体の回収すらしやしねぇんだ。だけどその時アタシたちはもう、全滅寸前だった。だからこうして生きてるんだけど、さ……」


 すり傷だらけになった腕で口を覆い、悔しげにゆがむ顔を無意識に隠そうとするキリエ。クルトはその様子を眺めながらも、無精ヒゲがチクチクと伸びた顎をさすり、沈思黙考する。

 それから一分ほど考えていたクルトだったが、ようやく答えのひとつにたどり着いたのか、ぽつりと呟いた。


「……そりゃあ、どう考えても『オトリ』だな。本命の破城槌から気をそらすための、ね」


 クルトはそう呟いた後も、顎に手を当てた姿勢のまま、身体を預けた窓枠から動かないでいる。

 それとは対照的に、キリエは勢いよく椅子を蹴って立ち上がり、バンとテーブルを叩いて反論した。


「――オトリ? あの激しい攻撃が、単なるオトリだったってのか? そんなのバカげてる! そんなことのために、あいつらは死んだって言うのか!」


 気色ばんでまで反論するキリエの脳裏には、倒されても倒されても向かってくる帝国兵の狂気じみた表情と、次々と犠牲になってゆく戦友たちの無惨な姿がよみがえった。

 あの激しい戦闘を、単なるオトリの陽動戦術だったと断定されるのは、気持ちのいいものではない。


 だが、クルトはキリエの反論を受けても考えを変えようとせず、むしろ淡々と状況分析を進めていく。


「まあ、落ち着いて聞いてくれ。リーヴェンスの城壁は昔から難攻不落だ。当然、敵もそれを知っていたはずだ。三年前に失敗もしている。あんなのを真正面から攻略するなんざ、もうこりごりだったはずだ」


「……そ、そうなのか?」


「あくまで推測だけどね……。それにこの大都市だ。食糧や水は潤沢にある。包囲がだらだら長引けば、帝国軍の方が先に干上がっちまうだろう。だからここは一気呵成で攻めなきゃならない。あいつらももう、失敗は許されないだろうしね」


「それで、城壁を攻めるのは諦めて、破城槌でさっさと城門を破ろうと――?」


「ああ。破城槌なんざ不経済で古くさい戦法なんだが、堅い城壁の中でも一番弱い部分である城門を攻めるには一番有効的だ。だが本命の破城槌は来るのが遅いし、バカでかい上に無防備だろ?」


 ここまで淡々と説明されると、ぐうの音も出ない。明らかに肩を落としたキリエはいつの間にか、クルトの合理的な推測を受け入れざるを得なくなっていた。


「じゃあ……。城壁を攻めた帝国兵の任務は、アタシたちから破城槌を守ること……。アタシたちが戦っていた帝国兵は、本当にオトリ……」


 反論当初の気勢はどこへやら、すっかり意気消沈したキリエは再び椅子に座ると、張りつめていたものが途切れて急に疲労が襲ってきたからか、ぐったりとしてしまった。

 城壁を守ろうと奮戦し、そして守り切った守備隊だったが、本当の意味でつぶさなければならなかった敵の本命に気づくことはなく、ついに壊滅へ追い込まれた。この現実は非常に重い。


 その様子を見ていたクルトは、テーブル上に放置されたグラスをそっと回収すると、椅子に座り込んでうなだれたキリエの肩を優しく叩いた。


「――こんなとき、どこからともなく『黒衣の魔女』や『白衣の聖女』が助けにきてくれてさ。魔法で城壁の高さを倍にして、敵を蹴散らしてくれる……なんておとぎ話があったっけ」


 少しでも元気づけようとしているのか、おとぎ話を語り出すクルト。キリエはうなだれたまま、それを黙って聞いている。それが空虚な絵空事でしかないことは、クルトもキリエも承知の上で。

 やがてキリエは身を起こし、どっと背もたれに身体を預けると、クルトの顔をじっと見つめてきた。


「――助けにきてくれる奴なんて、もういないよ、クルトおじさん。アタシたちが何とかするしかない。ゴミだらけだし、貴族どもが肥える陰で貧乏人が泣くような、クソみてえな街だけど――。アタシが生まれ育った、大切な故郷なんだ」


 ふらりと椅子から立ち、淡々と決意を語るキリエ。そうしているうちに右手は固く握られ、みるみるうちに力がこもっていく。新たな決意が、心の奥底から盛り上がってくる。


「だから、守りたいんだ! アタシにとって大切な、この街をッ!」


 そう叫んだキリエは、周囲をかえりみることもせず、力がこもった握りこぶしを勢いよくテーブルに叩きつけた。

 途端に、バン! という乾いた打撃音が、すっかり暗くなった室内に鳴り響く。


「……きゃっ?」


 ――と、同時に、客室の入り口で、短い悲鳴とともに人が立ちすくむ気配がした。キリエが大きな音を立てたので、驚いたのかもしれない。

 暗い室内を透かして見ると、半開きになったドアの向こう、廊下の側に少女らしい人影がある。


「――誰だッ?」


 怒声を発するキリエ。少女の悲鳴が聞こえてから一秒も経過しないうちに、彼女は目標を捕捉した。

 そしてその怒声と同時に、キリエは獣の瞬発力さながらに少女の人影に向かって殺到すると、次の瞬間、相手を廊下へと押し倒していた。


「きゃあ!」


 驚きと痛みで、たまらず悲鳴を上げる少女。金色をした長い髪が舞う。闇に包まれた廊下でも燦然と輝くかのように、優美な髪が廊下一面に広がった。


 その少女が着ているドレスは、上等なお嬢様仕様。均整のとれた顔の可愛らしさと、人形のように優美な金色の髪だけは、絵本に出てくるお姫様そのものである。

 だが、その身につけた革のエプロンは水仕事で汚れきっており、履いているブーツは使い古された男物。そこだけはどういうわけか、この街で暮らす住民とそれほど変わらない姿であった。


 そしてさらに異質なのは、少女の両目。火山湖のように清冽な青緑色の瞳だが、夜に光を向けた猫の目さながらに、淡く黄色い光を放っている。

 燃えるロウソクの火のようにゆらめくその燐光は、身体の中に何か特別なものを宿していることを、見る者にたやすく想像させた。


「今の話を聞かれたからには……って、ん?」


 本職の暗殺者も真っ青になるほど、凄まじい身のこなしで少女との間合いを詰めたキリエは、その流れで腰から短剣を抜き、一気に仕留めるべく少女の首根っこを締め上げにかかったが、しばらくして、相手の素性に気づいたらしい。


「もしかしてお前……アンナか?」


「そっ、そう、だよ……キリエ、お姉ちゃん……」


 城門が破られた以上、ここはすでに敵地も同然である。落ち着いた口調だが、キリエはいまだ武装を解いていない。右手に握られた手製の短剣には、帝国兵のものと思われる血糊がべったりと付着したままだった。

 その短剣はキリエの手製。手製といえども本格的な造りで、鋼の板から丹念に鍛え上げられ、鋭く研がれた逸品である。


「く、苦しい、よ……。私だよ、本物の、アンナだよ……」


 アンナと呼ばれた少女は、みずからの首を締め上げているキリエの左腕を掴みながら、身体を振って必死に無実を訴える。密偵が住民に化け、街に忍び込む事件が相次いだからだ。


「お前、どうして二階に……。ここは危ないから、来るなと言われただろう?」


 そんなアンナを組み敷いたまま、キリエはそのままの体勢で動きを止め、ここに来た理由を問いただす。

 動きを止めたのは、背後から近寄っていたクルトによって、短剣が握られたキリエの右腕が強く掴まれていたからでもあった。

 ただ掴んだだけではない。その握力の凄まじさは、キリエが顔をしかめるほどであった。


「おいおい、キリエちゃん。うちの娘に、何してくれちゃってるの?」


「ダ、ダメ、お父さん……。顔が、恐い……」


 廊下に組み敷かれ、息苦しい状況にあるというのに、アンナが必死に手を伸ばし、父の凶行を止めにかかる。このままキリエを、仕留めるのではないかと恐れたのだろう。

 風体はまったく似ていないが、むさ苦しいオッサンにしか見えないクルトと、天然美少女であるアンナは、驚くことに親子なのだった。


「わかったから、痛いよ、クルトおじさん……。これは正真正銘、アンナだ」


 包囲している帝国軍だが、かなりの数の密偵が内部に入り込んでいるだろうと思われる。住民に化けて情報収集を行っている帝国人が、すでに十名以上摘発されていた。

 だが月よりも明るく輝く、この青緑色の瞳を見れば、これが本物のアンナだということは容易にわかる。


「――おっと、すまん。つい取り乱した。こう見えても、娘思いのパパなもんでね」


 いつの間にかヘラヘラな笑顔に戻っていたクルトは、ようやく、キリエの右腕を締めつけていた右手の握力をゆるめた。

 だが、瞬間的にキリエの背後を取ったその動きと、凄まじい握力は、とても五十歳のものとは思えない。たまに垣間見せる彼の身体能力は開いた口がふさがらないほど素晴らしく、キリエはいつも驚かされっぱなしである。


「娘思いって……? ちぇっ、よく言うよ」


 跡が残ったかもしれないと思い、アンナの拘束を解いたキリエは、右腕をさすった。普段は子育てなど無頓着で、昼間から飲み歩いているクルトを知っているだけに、娘の前で豹変した彼を横目で見るにつけ、思わずぼやかずにはいられない。


「けほっ、けほっ……」


 ようやく解放されて身を起こし、自分の喉に手を当てて咳払いをするアンナ。その他はみすぼらしいのに、青いドレスだけが上等というアンバランスさが余計に目を引く。

 十四歳のアンナはキリエの六歳下で、普段は一階にある酒場で、厨房の手伝いをしている。


 今夜は酒場の営業をしておらず、一階の大広間は住民の避難所として開放している。厨房の手伝いはそのまま避難民の世話係になっているが、アンナは何かを伝えるために、この客室を訪れたのだと思われる。


 キリエは、さし当たっての危険がないことを確認すると、短剣を腰の鞘に収めた。しかし、すぐに短剣を抜けるように身構えた姿勢は、なかなか崩そうとしない。

 この騒ぎを聞きつけた帝国の密偵が、この宿酒場にまで忍び込む可能性がまだ捨てきれない。


「ところでアンナ。こんなところへ何の用だ? いつ帝国の矢が飛び込んできても、おかしくないんだぞ?」


 クルトはそう言いながら、床にへたり込んだ娘の腕を優しく掴み、客室に引き込んでドアを閉めた。かすかに射し込んでくる月明かりに照らされ、アンナのみごとな金髪が艶を帯びる。

 アンナはしばらく深呼吸を繰り返し、突然の出来事で高鳴った心拍数を抑えるのに必死だったが、ようやく、言葉を紡ぎだした。


「う、うん……。マスターが、お父さんとキリエお姉ちゃんを呼んでるの」

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