2-5 戦場に残された「空色」
五 戦場に残された「空色」
傭兵隊長ニケフォルス・アイゼナーが率いる「ヒューリアック解放戦線」は、総勢五十名ほどの小さな武装集団である。
ヒューリアックという名が示す通り、所属する兵士たちのほぼ全員、現在彼らがいるリーナス島のはるか南、多島海を挟んだ対岸にある「ヒューリアック大陸」の出身である。
だが解放戦線などという立派な名称をいただいているものの、彼らの実態は自他ともに認める傭兵たちの集団。各国から金で雇われ、世界各地を転戦し、先月までの友軍とも「生活のために」剣を交えることをいとわない。そんな連中である。
ただ彼らが他の傭兵集団と違うのは、厳正な規律と、戦場における非人道的な行いを禁じていること。この厳しい規律は、彼らの誇りでもあった。
だが運営費用が限られている彼らの服装には統一性がなく、着ている鎧でさえ革製、鉄製、布製などさまざま。持っている武器類もまた千差万別で、基本的に武具を自弁しなければならない傭兵集団の悲哀が、ここでも感じられるのだった。
「よーし、お前ら、ここで止まれ」
ひとりだけ馬に乗り、集団の先頭を悠然と進んでいた隊長ニケフォルスが、新市街の手前まで来るといきなり片手を挙げ、全員に停止を命じた。
総勢五十名ほどの「ヒューリアック解放戦線」は、全員がその命令通りにその場で停止したが、どしどし旧市街の中心へ流れ込む帝国兵の様子が気になるのか、ちらちらと城門の方に目を向ける兵士が多い。
すでに、城門は破られた。そう、一週間続いた包囲戦が、ようやく実ったのだ。
新市街の向こう側。大きな楼門が印象的だった、自由都市リーヴェンスの城門。
そこにはめ込まれていた青銅製の門扉は、燃えた油でも流し込んだのか赤く焼けただれている。血気盛んな帝国兵どもが喚声を上げながら、開け放たれた城門をくぐり、どんどん流れ込んでいる。
城壁の包囲に加わったのは一万名近いというが、そこに参加した帝国兵のうち、城壁内に突入できるのは千名にも満たないという。突入部隊に選ばれた兵士たちは喜び勇み、まなじりを決して、長かった包囲戦の憂さを晴らそうと、この街を餌食にしようとしているかのようだ。
あの城壁の向こう、中央街区と呼ばれる中心区域には、増大する戦費にあえぐ帝国が、喉から手が出るほど欲しいものがある。
それは、商業で栄えた巨大都市リーヴェンスに秘められた、計り知れない富である。
「おい、お前ら! うらやましいのは分かるが、オレたちにも任務があるんだぞ!」
気もそぞろな傭兵たちを一瞥したニケフォルスが、苦々しげに声を張り上げた。いくら傭兵の集まりだとはいえ、これでは軍律が保てない。
そこに、気の毒そうな顔つきのキュリロスが馬を引いてやってきて、隊長に声をかけた。
「まあまあ……。財宝がザックザクの中心街に行ける奴らがうらやましいのは、俺らが貧乏だからッスよ。その上俺たち、これから貧民街に差し向けられるんスから。ここは大目に見てやって……」
「うるせえよボンボン息子が! そういうセリフは、雑草を食って一夜を明かしてみてから言えや!」
ニケフォルスとキュリロスはいつものようにそんなことを言い合いながら、もはや用済みになった破城槌をまたいで城壁内へと駆け込んでいく帝国兵を、万感の思いで眺めた。
流通の大動脈ともいえる海峡を扼する、古代の「海の関所」が起源であるリーヴェンス。
交易による巨万の富は、この島に繁栄をもたらし続けてきた。
ゆえに古来より、この街の立地と「自由都市」の名は、周辺諸国にとって垂涎の的だった。
表向きは対岸のラッフルズート大陸を統治する王国の臣下となり、貴族国家のひとつとして公爵領が設置されたリーナス島。
その北端に位置する重要都市リーヴェンスは、世界初の「自由都市」に指定されて自治権を獲得。世界を股にかける自由な交易活動で、さらなる成長を果たした。
当然、その富が、王国の統治を簒奪した帝国の目に、魅力的に映らないはずがない。
さまざまな根回しと準備の上、ついに帝国は、大規模な船団と包囲軍を差し向けてきた。この当時からちょうど、三年前のことである。
だが、帝国の国運を賭けたこの大遠征は、どういうわけか失敗に終わった。
近くの平原で突如、大きな爆発現象が起こり、多数の犠牲者を出したためである。爆発の原因は不明で、いまだ謎に包まれている。
公式には、想定外の「天変地異のため」撤退を余儀なくされたことになったが、リーナス島の人々は、帝国の侵略が「神の怒りに触れた」ためだと固く信じているという。
ともかく、何も得ることなく撤退したという現実は、帝国の威信を地に落とす結果となった。
そして三年後の今年。汚名回復に燃える帝国は前回の倍以上と称する戦力を整え、ありとあらゆる政戦両略を尽くし、乾坤一擲の大動員に踏み切ったのである。
侵攻以来一週間、毎日、激しい包囲戦が続いた。双方にたくさんの犠牲者が出た。
それが今夜、ようやく実った。世界初の「自由都市」の制圧は、目前となったのだ。
突入部隊に選ばれた兵士たちの戦意は、まさに絶頂。血に飢えた狼の群れが、目の前に横たわる餌食に向かっていっせいに飛びかかろうとしていた。
(……勝手にやってろや。オレたちは欲深い帝国の奴らとは違う。大望があるんだ)
城壁を見上げていたニケフォルスは、城内になだれ込む帝国兵を蔑むような目で見ると、小声でうそぶきながら、馬の腹に拍車をかけた。
威信だか名誉だか知らないが、やりたければやればいい。自分たちには「ヒューリアック大陸を救う」という、大きな理想があるのだ。
――そう呟いたニケフォルスだったが、ふと、暗くなった足元に目を向けた。
「おいおい、こりゃあ……」
何を思ったかニケフォルスは馬を降りると、街道筋の両側に累々と横たわるいくつかの戦死体に近づいていく。そしてある遺体のそばにしゃがみ込むと、そのまま動かなくなった。
ここが戦場である以上、戦死体が転がっていることは当然だが、戦場でなくても、追いはぎに遭った隊商や無礼討ちにされた農民の腐乱死体を目にすることは、珍しくもない時代である。
「……隊長、準備ができたら、われわれも城内に入りましょう。欲の深い帝国人どもに、遅れを取るわけにはいきません」
戦場であるにもかかわらず軽装備のソテリオスが、首を鎖でつながれた三十過ぎの男を引き連れたままニケフォルスのもとに歩み寄り、前進を促す。
その後ろでは、滑稽なほどの重装備に身を包んだキュリロスがそわそわしながら、待ち伏せを警戒し不安そうに周囲を見回している。
ソテリオスに進言されたニケフォルスは、それを聞いて面倒くさそうに立ち上がったものの、何を思ったのかその場を動かない。歩み寄ってきた二人の側近は、路傍の戦死体を見て思わず顔をしかめた。
路傍に倒れている戦死体は三名。鎧を着た彼らは騎兵だったらしく、少し離れた場所には彼らの乗馬も倒れている。
矢を受け、死後数日を経過した遺体。すでに腐敗が進み、鼻が曲がりそうなほどの悪臭を漂わせていた。
消毒技術が未熟だったこの時代にあって、疫病の蔓延を招く恐れがある腐乱死体はすぐに処置されるべきだが、疫病の原因が衛生上の問題ではなく「悪魔の仕業」と考えられていたためか、悲惨な伝染病がしばしば起こった。
「まあ、慌てなさんな。ちょっと、これを見てみろ」
ずっとその場を動かなかったニケフォルスだったが、そう言って立ち上がり、側近の二人に向けて、顎で三体の遺体を示した。
その遺体が着けている鎧の色は、夏の晴天を思わせるような、澄んだ水色。
水色の清冽な色合いは、街道に並ぶかがり火の灯り程度でもよく映え、すぐ目に飛び込んできた。
「水色の鎧……ッスか。こりゃあ、見たこともない色ッス。少なくとも帝国軍じゃないし。……でも、まさか。ありえない話ッスけど」
鎧の色を見たキュリロスが、ひとりで呟きながらいろいろと頭をめぐらせていたが、考えているうちに、何かに思い当たったようだ。
「……俺がガキの頃、少しだけ見たことがある、公国軍の鎧に似てるッス」
甲冑に関する造詣が深いキュリロスは、さすがに、この鎧の色について知っていた。それを聞いてニンマリと破顔するニケフォルス。
「へっ、やっぱりか。てめぇの鎧オタク振りには、いつもながら感心するぜ。キュリロス」
この三体の遺体が着けている鎧はいずれも、鉄製の胴鎧や肩当て、手甲はもちろん、鉄兜や鋼製の盾に至るまで、剣以外のすべてが水色に塗装されていた。
そればかりか、二の腕部分には金メッキが施された国章が彫り込まれている。かなり贅沢な造りであり、傭兵たちの装備品とは明らかに違っている。
「これを見つけたとき、オレも最初は驚いたが……」
そう言いつつ、ニケフォルスはかかとに拍車が付いた鉄製のブーツで、戦死体の鎧を軽く蹴飛ばした。途端に、遺体の中に入り込んで思うがままに食い荒らしていたトカゲやら虫やらが、驚いて飛び出すやいなや一目散に夜の闇へと散っていった。
「オレも二十年ぶりに見るぜ。まさしくこの鎧の色は……公国軍だ。あの頃に非武装中立を宣言して、この世から消えちまったはずだったが、いつの間にか復活してやがったわけだ」
公国が非武装中立を宣言したのは、二十年も前。当時その理念に感動した自分を思い出したのか、ニケフォルスはそう吐き捨てた。そこに、顎に手を当てたソテリオスが、思慮深く口を挟む。
「公国軍……? 例の悪名高い『神聖騎士団』と一緒の組織ですか?」
「いいや……。あれは枢機卿とかいうハゲじじいが、いたいけな聖職者を集めてこさえた私設の武装集団だ。あのハゲが自己満足の異教徒狩り以外で、駆り出すことはあるめぇよ」
現状のリーナス公国で治安維持に当たっているのは、「神聖騎士団」と呼ばれる教会直属の武装集団だけである。読師以上の階級にある聖職者からなる組織だが、異教徒狩りに使われることが多い。
「……確かに、この鎧の色は違いますね。『神聖騎士団』の鎧はもっとこう、白くて、清潔さがにじみ出る感じで」
「清潔なのは、鎧の色だけだがな」
ニケフォルスは相好を崩してそう言い、顎に手を当てたままのソテリオスが頭をひねっているさまを見つめながら、自分が若い頃、任務でリーナス島を駆け回っていたときのことを脳裏に浮かべていた。
(あの水色の鎧……。オレは忘れもしねえよ。この島で「公国軍」というのを目にした初めての、そして強烈な経験だったからな)
今から二十年以上も前。ニケフォルスが公国軍の姿を初めて目にしたのは、ある冬の日の午後だった。
まだ下っ端の傭兵だった頃。リーナス島にある小さな商業都市からの依頼で、勃興いちじるしい帝国との商売をめぐって対立するライバル都市に関する情報収集という任務を帯び、偵察のため、仲間とともに茂みに潜んでいたときだった。
このときの偵察団は八名ほどだったが、ニケフォルスともうひとりは、南のヒューリアック大陸を治める「ヒューリアック連合王国」から、リーナス公国が帝国に対しどういう行動を取るか、動静を探ってこいという密命も帯びていた。当時よくあった、スパイの兼務である。
手離れのいい短期的な任務を片手間に請け負いつつ、長期的な諜報任務をこなすという若い傭兵は、いくらでも存在していた。
空には真っ白な雲が覆いかぶさり、小雪がちらちら舞う天候。ニケフォルスたちは藪に潜みながら冷たくなった手に息を吹きかけ、敵の動静を探っていた。
もちろん当時、ニケフォルスの頭髪は若々しく、ふさふさと生い茂っていた。
ライバル都市は帝国との連携を深めるため、東の対岸に位置する共和国とも結託し、傭兵たちを雇ってつぎつぎと周辺の都市を支配下に収めていた。
この日も巨大な投石機をともなって、意気揚々と内陸へ向かって進軍している。その偉容たるや、あたかも島の覇者であるかのようであった。
「けっ、金持ちどもめが……。あこぎな商売に飽き足らず、海を挟んだ共和国と手を組んでまで、島を乗っ取って帝国にすり寄りたいってか。まったく、大それた真似をしやがる」
当時はまだ若いニケフォルスだったが、すでに同様の例を数多く見てきていた。
君主の力が弱まり、大商人や聖職者の力がそれを上回るようになった時代。商業で財力を誇る都市が力を持つようになり、彼らは商業的な覇権を争い、たびたび武力衝突を引き起こした。
その様は無数の都市国家が乱立した古代文明の時代に、引き戻されたかのようだった。
統一国家による統治こそが、理想的な社会だと夢想していたニケフォルスは、やるせない寂しさを感じていた。
そんなときだった。偵察班の仲間のひとりが、驚いて声を上げたのは――。
「おい、あれ見ろよ! あの丘の上……」
途端にその場にいた全員が、茂みの向こう側、小高い丘の稜線に目を向けた。
「まさか、あれ……公国の正規軍じゃねえか?」
その声でさらに目をこらすニケフォルス。その目に飛び込んできたのは、丘の上で一列に並ぶ騎兵の一団だった。
彼らは的確に馬を制御し、誰ひとり飛び出すことなく、谷あいを進む投石機を悠然と見下ろしている。
冬の丘の褐色と、白い雪雲に覆われた冬空との境界線で、その部分だけぽっかり晴れたかのように蒼い、水色の軍装を輝かせながら――。




