4-3:むむむ無理ですっ、絶対!
「ど、どどどうして……」
いつもなら、亜麻色のローブのフードを目深に被った小柄な少女が言いそうな言葉だ。
だが今日は違う。
ジェフの耳に聞こえるその声は、アルバスの制服を着たエヴァ・コレットの声だった。魔塔に出入りする学生アルバイトは、壁も天井も白銀鋼張りの実験室に一歩入った場所から動かない。
深緑色の膝丈のロングジャケットに濃い灰色のスカートを合わせ、襟元に臙脂色のタイを結んだ彼女は真っ青になって慄き、栗色の巻き毛を震わせている。
そんなエヴァを見て、彼女をこの部屋に連れてきたネイサン・リドルが鬱陶しげにため息を吐く。
「いつまでドアにへばりついてんのよ、学生」
「だ、だだだって! リドル卿っ」
エヴァがネイサンに向かって、抗議の声を上げる。
前回同様に作業台に腰掛け、部外者なのに誰より偉そうな態度で長い足を組んでいる。ネイサンはふんっと長く真っ直ぐ伸びる明るい茶髪を払って、軽く目を閉じる。エヴァの抗議を素知らぬ顔で聞き流した。
(エヴァ・コレットが、完全に嬢ちゃん化してるな……)
彼女には悪いが、面白すぎる光景だとジェフは内心ひとりごちた。
所詮は学生アルバイトの気楽さなのか、エヴァは呆れるほど物おじしない。クリストファーの執務室に出入りが許されても、ジェフの臨時補佐となっても、ただの庶務ですからと平然としている。
明るく元気で素直によく働くエヴァは、殺伐とした執行部において癒しのマスコット的存在だ。生真面目で他者に冷ややかに接する、執行部長のキース・アストレイにも気安く話しかける。
そんな彼女も、<深園の解錠師>のセシリア・リドルの師で、“アルバスの悪魔”の異名を持つ、ネイサン・リドルは別らしい。
「こ、こここここんな場所に……どうして私を……」
「用があるから来いって言ったし、ここに入れって言ったじゃないの」
「そんなの説明になっていませんんんんん……っ!」
ネイサンの言う「ここに入れ」は、「魔法薬改良の人員として入れ」という意味だ。
頭の回転が早いエヴァ・コレットだ。実験室に入った瞬間、雑務やネイサンの悪い冗談でこの部屋に放り込まれたのではないと察した。結果、激しく狼狽えている。
(学生アルバイトとして雑務や書類仕事を手伝うのと、魔術師として研究に参加するでは全然違うからな)
その違いを理解できないエヴァではない。だから臆病なレディ・リドルみたいに、おどおどびくびくと怖気づいている。そりゃそうなるよなあと、ジェフは顎を撫でながら思った。そっとセシリアへと目をやる。
部屋の奥の隅っこで、椅子にちょんと腰掛けている。セシリアはエヴァへの同情と己の師への諦めを漂わせ、俯いていた。きっと過去何度となく、似たような目に合っているに違いない。
「わ、私っ、学生ですっ!」
「魔塔でバイト出来てんなら、魔術師資格持ってんでしょう」
魔塔で働けるのは魔術師だけだ。アルバイトだろうが庶務だろうが、そこは絶対である。
唯一例外なのは<深園の解錠師>。セシリア・リドルは魔術師ではない。だが、解錠師は魔法魔術知識に精通した技能者。しかも封印魔術古書の解錠技法を持つ、上級魔術師も呆れる存在である。
「む、むむむ無理ですっ、絶対! 初級ですよ!? 上位二割の上級魔術師のなかでも、さらに上澄みの方々のなかで出来ることなんてないです!」
そもそも魔塔に所属する時点で、末端に至るまで魔術師のエリート。
加えて言えば、この魔法薬研究はクリストファーが東部の辺境伯から預かった、二級封印魔術古書の記述を元に進める極秘研究。集められた魔法分野の魔術師達も精鋭揃い。
(そう思うのが当然だよなあ)
エヴァの反応は謙遜でもなんでもない。当たり前の反応だった。
学生で初級魔術師はかなり優秀だが、学生にしてはというだけだ。
「そこの赤髪の手伝いとかわりゃしないわよ」
「庶務と魔術じゃ話がまったく違いますよっ! ジェフさんは《漂泊》の魔術師様に子供の頃から師事していた、魔力制御の後継者。作る一点物の魔導具だって、最も古代遺物に近いって言われてて……」
(おい、やめろ。その一点物を簡単に蹴破った男がそいつで、その弟子にも瞬時に解析改良された現場に一緒にいただろうが! エヴァ・コレット!)
ジェフの内心の叫びが聞こえたように、ネイサンがジェフを見て「へえ」と琥珀色の目を細める。弟子の方に悪気はないが、師弟揃ってジェフの心を折りにくるリドルの姓を持つ二人だ。
とはいえ、思っていたより魔術師として敬意を持ってくれてたんだなと、悪い気もしないジェフでもあった。二つ名こそないものの世間一般の評価では、ジェフもまた上澄中の上澄にいる魔術師だ。
そんな彼の胸の内など知らず、エヴァの訴えは続く。
「超高度理論を扱う魔法分野の方々まで集められた場で、お話だってきっと半分も理解できないです」
「あっ……だめ……」
部屋の隅っこで小さく上がった声に、おやとジェフはセシリアを見た。
真っ青な顔色で、がたがた震えている。
「あら、学生の分際で半分も理解できそうなら上等じゃないの、ねえ」
「えっ……」
「言ったことなかったかしら。アタシがどういう学生に……」
「――え、エヴァさんはだめぇえぇ……ですっ!」
ガタン、と掛けていた椅子を倒して、立ち上がったセシリアが、目深に被ったフードの中で縮こまりながら叫ぶ。
そんな彼女に、興が削がれたようにネイサンは作業台を降りた。セシリアに近づき、ぴしっとその額を弾く。
「あぅっっ」
「……なによ、あんたは。別に取って食おうってんじゃないわよ」
「で、でもいま……せ、先生の教え子の人達と模擬戦しろって、わたしを結界に放り込んだ時と同じ顔してぇっ」
「ちゃんと勝てたでしょうが。弟子の力量見誤るような師だと思ってるわけぇ?!」
「お、おお思って、ませんんんんんん……」
非力な弟子の頬を、ネイサンは両手の人差し指でぐりぐり捏ねだした。紳士的容貌も台無しなネイサンの態度も驚きであるが、それ以上にセシリアと彼の会話に全員が衝撃を受けていた。
だが、詳細を聞き返す者は誰一人いない。ものすごく気になるものの、なにをどう聞いても、聞かなきゃよかったとなる答えしか返ってこないのは明白だ。己の心を守る権利は誰にでもある。
「まっ、とにかくよ。学生」
くるりと、ネイサンはエヴァを振り返った。
「ここに集まってる大人と同じを、求めるわけないでしょうが」
「は、はいっ」
返事をしたエヴァはようやく恐る恐るといった様子で歩きだし、元いた場所に戻るネイサンと入れ違いにセシリアの椅子を直し、その隣に座った。
「ろくな説明してない、リドル卿も悪いと思うがな……」
「それくらい、その学生ならわかると思ったのよ」
「あーほら。一応魔塔だから、ここ。信じられない数の二つ名持ち教えてる、宮廷魔術師様にとっては無能の集まりに見えようと」
「は? 本当っこれだから魔塔って。特性と活かし方が違うってだけでしょうに」
両手を投げ出し、心底から呆れ返っている表情をネイサンは見せた。ジェフに、魔法薬分析を担当する魔術師達に、順番に目をやって、口元を僅かにつり上げる。
「そりゃなにも理解できませんじゃ論外よ。でもそうじゃないのなら、学生がアタシもアンタも出し抜くなんて十分ありえる。そこの魔術師でもない小娘みたいにね」
つまり、エヴァ・コレットは見込みがある。恐ろしく捻くれていて性格の悪い、だが超一流の指導者の目に留まったのだ。だがたしかにネイサンの言うことは間違いでもない。
やれやれとジェフは肩をすくめる。
「まーそういうことだから。がんばってくれ、エヴァ・コレット。前の回でオレもお前でと言ったし、こいつらも承知してる。常識的な意見を言える奴ってだけで、ここでは貴重だから」
「ああ、それはなんかわかります。魔術師としては微力っていうか、極小生物みたいなものですけど。そういうことならがんばります」
そう言って、気分も意識も切り替えたエヴァにジェフはほっとした。彼はそんな彼女の袖を小さく摘んで、セシリアがなにか口を動かすのを見た。エヴァがうれしそうな笑みを見せ、なにか小声で応じている。
(身分も立場も結構違うが、いつの間にか仲良くなってんのな。クリスが見たら嫉妬しそうだ)
恋愛ではなさそうだが、クリストファーのレディ・リドルへの関心と執着ぶりは普通じゃない。そんな彼が近頃どうも彼女を避けている。これまで彼女が魔塔に来る日は外出せずにいたくらいだったのに。
(大陸会議じゃ仕方ないが、出張前からもう結構顔を合わせてないよな? 嬢ちゃんも前の集まりでクリスがいないって聞いて、微妙に様子が変だった。なにかあったのか?)
クリストファーが彼女と喧嘩するなど想像もできない。そもそも喧嘩にならない。だが魔術議論になると白熱し夢中になる二人であるから、意見が割れたかなにかして気まずい状態になったのかもしれない。
その程度の軽いものとジェフは考えていた。
同じ頃、クリストファーが彼の今世を根底から覆すような考えに思い至り、動揺と苦悩に苛まれているなどと想像もしていなかった。




